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私がルーティンを始めたのは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:井上今朝(ライティング・ゼミ、2026年1月開講、通信、4ヶ月コース)

 

今日もワイパーの緑の柄を握り、部屋のフローリングの上をすべらせる。居間から廊下、寝室、書斎、そして洗面所まで。私の週末のルーティンのひとつだ。

購入してもう10年ほどになるお掃除ロボットは老化してきたのか、予定している家の中の掃除を終わらせることができない日の方が増えた。仕事から家に帰るとベッドやソファの下で力尽きているルンバを発見する。ワイパーでの掃除は、もともとルンバの入り込めないテレビ台や足のついた棚の下をワイパーできれいにするためだったが、最近では掃除そのものになっていることも多い。

見た目ではそれほど汚いとは思わないのに、床を走らせているとシートの縁がだんだんと黒くなってくる。1週間でこんなにほこりがたまるのか……。でも絡め取られたシートのゴミを見ると、爽快感というか、ああ1週間分の塵を清めた、という気分になる。

旅行や体調が悪いときはルーティンができないこともある。そういうときは無理しない。だけど、なぜだか気分が少し澱むように感じる。

 

今のマンションに引っ越してきたのは、息子を妊娠しているときだった。産休に入るタイミングで引っ越しをし、ちょうど片付け終わった頃の妊婦健診でむくみがひどいから入院してくださいと言われた。人生初めての産休で、応援に来てくれる母と、普段行けないランチとか映画とか、平日にしかできないことをしたいなと楽しみにしていたのに。

息子は予定日より3週間ほど早く、元気に産まれてきた。産休はなくなり、育休になった。

 

知っていることと経験することはまったくちがうとよく言われるが、私にとって子育てはまさにそうだった。結婚して5年。ようやく授かった子どもの誕生だ。でも私は病んでいた。

帝王切開後の深夜、授乳が始まった。看護師さんに連れてこられた小さな息子の体温を胸に感じながら、乳を飲ませようと体勢を変えようにもズキンと傷口に痛みが走る。りんごくらいの大きさの頭はおっぱいを吸うことを教えられていないのに本能で吸い付いてくる。こちらは初めてだから痛い。おなかもおっぱいも痛い。数時間毎の授乳は退院してからも続き、夜中の泣き声が怖かった。早く寝ればいいのに、その頃は毎晩スマホで「授乳、いつまで」と検索し、大変なのは3〜4ヶ月です、と先輩ママの話を読むたびに、永遠に感じられて絶望した。

夫とは同じ職場で働いていた。私が産休に入った後に退職する人もおり、夫の仕事量はかなり増えていたはずだった。けれど、昔から子どもが大好きで、赤ちゃんを見るとあやさずにはいられない夫は、どう仕事をやりくりしていたのか、息子に会いたいがために早く帰ってきた。夜も授乳以外はおむつを替えたり、寝かしつけるために不思議な歌をうたったりして私を休ませてくれた。そのときのことを本当に感謝している。

恐怖の夜とは別に、こどもと一緒の日中は緩やかな時間が流れる。授乳やおむつ交換は定期的にあるのだけど、息子が眠っている時間は私も昼寝をしたり、起きているときは、理解できているかわからないけど、本を読んだり、歌をうたったりした。仕事をしていたときのような、決められた時間内に業務をこなしていく時間の使い方ではなく、達成感は感じられなかった。自分の価値がないようにも思えた。

 

授乳間隔が落ち着いていくとともに、せめて家のことをスケジュールを立ててやってみようと思った。仕事でも家庭でも頑張っている夫に報いたいという気持ちもあったかもしれない。

1週間おきの浴室掃除とトイレ掃除。毎週の献立づくりと食材注文、洗濯機のフィルター掃除。このときはワイパーでの掃除はなかった。週1回では足りなかったからだ。

こどもは立ち上がり、言葉を話し始めるまでは、子犬のようなものである。あちこち興味を示し、口にくわえたり、舐めたり。横になって両手両足を同じ方向に投げ出して寝ている姿はひなたぼっこをしているワンコに見えた。この頃、せっかく眠ってくれた息子を起こさないようにお掃除ロボットには仕事を休んでもらっており、代わりに毎日フロアワイパーが活躍した。こどもがハイハイする目線で見ると埃は毎日出てくる。床にワイパーをかけ、テーブルや椅子の足を拭いていた。

 

今、ワイパーでの掃除が週末だけになったのは息子が成長した証だ。振り返ってみると、当時始まった家事のルーティンは部屋を綺麗に保ち、生活を円滑にするためのものだけでなく、仕事から離れた自分を認めてあげるための行為だったのかもしれない。新しい生活になんとか適応しようと奮闘したひとつの結論だったようにも思える。今後も家族の形とともにルーティンは変わっていくかもしれないけど、大切な家族と自分を守れるようなものとして続けていきたい。

 

≪終わり≫

 

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