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万歩計64歩の絶望を越えて、私は今日もカフェで仕事をする


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:村井ゆきこ(ライティング・ゼミ 11月開講コース)

 

「カフェでパソコンを開いているヤツ、邪魔」
「あいつら、カフェでMac開いて仕事をしている自分に酔ってる」

SNSで定期的に流れてくるそんな言葉を、私は今、まさにカフェのカウンター席で、Macを開きながら眺めている。

私は昔から、自室で勉強ができなくなると近くのカフェやファストフード店へ逃げ込む「カフェ派」だ。一方で、夫は生粋の「図書館派」である。彼は凪のような静寂の中で、一人、思考の深海に潜っていけるタイプだ。自分が誰にも見られていないと確信し、同時に他人の存在を背景の壁紙程度にしか認識しない。彼にとって、カフェは「集中を乱す雑音の塊」でしかない。

「自分の世界に入りたいなら、家でやればいいじゃないか」 そう思う人もいるだろう。だが、主婦である私にとってのリビングは、リラックスの場である以上に、終わりのないタスクが埋まった地雷原だ。仕事用のデスクに座っていても、ふと視線を上げれば「あそこの掃除を忘れていた」と気づき、カレンダーを見れば「明日のゴミ出し」の段取りが脳内を占拠する。

さらに深刻なのは、数歩で届いてしまうキッチンの甘い誘惑だ。家で一日中タスクに向き合った結果、万歩計が「64歩」で止まっていた時の絶望感は、経験した者にしかわからない。

一日中、椅子とキッチンにあるお菓子の棚とトイレの三角地帯しか動いていない。外の空気も吸わず、太陽の光も浴びず、ただ甘いものを流し込んで画面を見つめる。そんな日の夕方に万歩計の数字を見たときの、あの「私は今日、人間として生きたのか?」という虚しさといったら……。
いつかお尻が床ずれをしてしまうのではないかという恐怖心さえある。

だから私は、数百円のコーヒー代を払って「不自由」を買いに行く。 お気に入りのカフェをいくつかローテーションさせたり、時には海の近くまで足を伸ばしてみたりと、その日の気分や作業内容に合わせて「集中できる場所」のバリエーションをストックしている。

そうは言っても、ルールはある。
「ダラダラせずに、2時間で切り上げること。」
そうでもしないと、ここはただの“快適な休憩時間”になってしまうからだ。

そうまでして「環境」を整えなければならないのには、理由がある。
それは、私の目があまりにも多くの情報を拾いすぎてしまうからだ。

実は私は、自分の結婚式でさえ、一瞬たりとも「私が主役だ」と思わなかった人間だ。唯一ウェディングドレスを着ている人であるにも関わらず、頭の中ではプランナーのような目線でタイムスケジュールの記憶を追い、招待客の表情を見ては「料理は口に合っているか」「退屈していないか」と会場全体を俯瞰してしまった。

そうだ。私は重度の人間観察マニアなのだ。
その観察眼は時に「呪い」に近い。

そんな私が、静まり返った図書館に行くとどうなるか。 静かになればなるほど、私の「人間観察センサー」は、待ってましたと言わんばかりにフル稼働してしまうのだ。

隣の人のノートの取り方が目に入れば「この人は図解が得意なんだな」と感心し、キョロキョロしている人を見れば「あ、私と同じくらい集中してない仲間がいる」と勝手に親近感を抱いてしまう。ひたすら回答を写し続ける人を見かけた時には、「その勉強法、あとで苦労しない?」と、余計なお世話で話しかけたい衝動を抑えるのが大変だ。

しんとした空間では、周りの人の一挙手一投足が、嫌でもクッキリと浮かび上がって見えてしまう。こうなるともう、私は「観察者」としてのスイッチを切ることができず、自分の作業になんて到底戻れなくなる。

だからこそ、私はカフェの喧騒を求める。バラバラな話し声や物音がぶつかり合って、結局のところ、ただの『ぼんやりした音』に変わる。そうなると、個別の会話が耳に入ってこなくなる。そこへさらにイヤホンで「集中できる音楽」を上書きし、25分ごとに休憩を挟む“ポモドーロ・テクニック”で脳を駆動させる。

さらに最近、40代後半になって本格的に“老眼”が始まったことで、新たな技を編み出した。それは、あえてコンタクトを外して作業をする、ということだ。

周りがぼやけているのに、パソコンや本だけはしっかり見える。そうすると、嫌でも気になっていた「隣の席の人が何を飲んでいるか」も、「店内の混み具合」も、全部がどうでもいいモザイクのようになる。目に入ってくる情報を強制的にシャットアウトすることで、ようやく目の前の画面だけに集中できるようになった。

「カッコつけたがり」と言われれば、否定はしない。でも、そうやってイヤホンで音を消し、あえて視界をボヤけさせ、何重もの「結界」を張らないと、私の集中力はすぐにどこかへ逃げてしまうのだ。

「場所なんてどこでもいい、座ればすぐ集中できる」という夫のようなタイプを、うらやましく思うこともある。けれど、私は違う。引きこもりの日も、誰にも会わなくてもフルメイクをしてピアスもつける。それは男性が仕事前に髭を剃り、ネクタイを締めるのと同じような、自分への「出勤合図」だ。

そうやって必死にお膳立てをして、ようやく私はパソコンに向かえる。端から見れば「ただカッコつけてるだけ」に見えるかもしれない。けれど、これが私にとっての、一番確実な仕事のやり方なのだ。

私にとってカフェ代は、コーヒーへの対価ではない。自分を「仕事モード」に繋ぎ止めておくための、生命維持費のようなものだ。

≪おわり≫

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