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月に何を見ているのだろう《週刊READING LIFE Vol.374「月見」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:上野貴子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

秋の風物詩のひとつ、お月見。

そもそも、月を見るという行為に意味を持たせたのは、いつからなんだろう。

 

日本では、お月見が季節の行事になっている。十五夜にはすすきを飾り、月見団子を供えて月を眺める。月の模様をうさぎに見立て、そのうさぎが餅をついていることになっている。

改めて考えてみると、この発想はなかなかすごい。

 

私が月を意識するようになったのは、思春期のころだったろうか。

きっかけは『ロミオとジュリエット』だった。映画だったのか漫画だったのか、そのあたりの記憶はもう曖昧なのだけれど、それをきっかけに原作を読んでみようと思った。

 

そこで、妙に印象に残ったジュリエットのセリフがある。ロミオが月にかけて愛を誓おうとすると、ジュリエットはそれを止める。

愛を月に誓わないで。月は夜ごとに姿を変える。そんな移ろいやすいものに愛を誓ったら、あなたの愛まで変わってしまう。そんな意味のセリフだった。

 

当時の私は、なんてロマンチックなんだろうと思った。いま思い返すと、だいぶ芝居がかっているセリフだ。何百年も前に書かれた戯曲なのだから、当然といえば当然なのだけれど。

 

少なくとも私の人生には、こんなドラマチックなセリフを口にする場面はなかった。もしあったとしても、相当その世界に入り込んでいなければ言えないだろう。

 

愛を月に誓わないで。

いや、なかなか言えない。

それでも十代の私は、その言葉をずっと覚えていた。

 

では、日本人は月をどんな感性で見ていたのだろう。月を見て、なぜそこにうさぎを見つけたのだろう。

満月を眺めていると、黒っぽい模様が何かの形に見えてくる。それをうさぎに見立てるところまではわかる。けれど、日本のうさぎは餅までついている。

 

子どものころは何の疑問も持たなかった。月にはうさぎがいて、ぺったんぺったん餅をついている。そういうものだと思っていた。考えてみれば、ずいぶんかわいらしい話である。

 

一方、『ロミオとジュリエット』では、月が満ちたり欠けたりする姿に、人の心の移ろいやすさが重ねられている。同じ月を見て、一方ではうさぎが餅をつき、一方では恋人の心変わりを心配する。

 

しかし、月のほうはそんなことはお構いなしで、ただ空に浮かんでいる。そこに何を見るかは、見ている人間のほうなのだ。

 

そう考えると、ほかの国の人たちは月に何を見てきたのだろう、と気になってきた。調べてみると、月にうさぎを見るのは日本だけではなかった。

 

中国では月にうさぎがいるという伝承があり、そのうさぎは不老不死の薬をついているという。日本の餅つきとは、だいぶ仕事の重要度が違う。

 

インドにも、月とうさぎを結びつける古い物語がある。自分を犠牲にして他者を助けようとしたうさぎが、その徳をたたえられて月に姿を残したという話だ。

 

どうやら日本人だけが、月を眺めながら突拍子もない想像をしていたわけではないらしい。

しかも、世界に目を向けると、月に見ているものはうさぎだけではない。

 

人の顔を見る文化もあれば、人が何かを背負っている姿を見る文化もある。カエルやヒキガエルを見る地域もあるという。同じ模様なのに、見えるものが違う。

 

これはちょっと面白い。でも、考えてみれば当然なのかもしれない。東京から見ても、ロンドンから見ても、インドから見ても、空に浮かんでいるのは同じ月である。けれど、それを見る人間の暮らしは違う。

 

月に見ているものも違えば、食べるものも違う。信じている神様も、語り継がれてきた物語も違う。人は月そのものを見ているようで、そこに自分たちの暮らしを映していたのかもしれない。

 

月は、姿だけではなく、時を知るためにも使われてきた。

電気も時計もカレンダーもなかったころ、空を見上げれば月の形が変わっていく。細い月が少しずつ太り、満月になり、また欠けていく。そして、いなくなったかと思えば再び現れる。

これほどわかりやすい時の目印はなかっただろう。

 

月の満ち欠けは暦になり、農作業や季節の移り変わりと結びつき、人々の暮らしの目安になった。

 

秋の満月には収穫の季節が重なる。英語にはハーベストムーンという言葉がある。秋分に最も近い満月をそう呼ぶ。日本でも、秋の月を眺め、収穫物を供える。

 

離れた場所に暮らしていた人たちが、同じころに空を見上げ、月と収穫を結びつけていた。ただし、同じように秋の月を見ていたからといって、そこから生まれた文化まで同じになるわけではない。

 

日本では、月はただ暦として利用されるだけではなく、愛でるものにもなった。

 

月を見る。ただ、それだけのために時間をつくる。すすきを飾り、団子を供え、今夜の月はきれいだと言って空を見上げる。よく考えれば、なかなか贅沢な行為である。

 

月を見たところで、お腹がいっぱいになるわけではない。仕事が片づくわけでもない。明日の予定が一つ減るわけでもない。

 

それでも人は、わざわざ手を止めて月を見る。昔の人のほうが暇だったから、と単純に考えることもできないだろう。洗濯機も掃除機も炊飯器もない。水を汲み、火をおこし、食べるものをつくる。日々の暮らしに必要な労力は、今よりずっと大きかったはずだ。

 

それでも月を見た。むしろ、そんな暮らしだったからこそ、月を見ることが生活の中にあったのかもしれない。

 

今の私はどうだろう。夜、外を歩いていて月が出ていても、気づかないことのほうが多い。駅まで何分、電車は何時、帰ったら何をする。そんなことを考えながら歩いている。空を見る必要がないのだ。

 

天気はスマートフォンが教えてくれる。時間も日付も、次の満月がいつなのかさえ、調べれば一瞬でわかる。空を見なくても暮らせるようになった。これはものすごく便利なことだ。けれど、便利になったことで、見なくなったものもあるのかもしれない。

 

そんな私でも、山小屋に泊まるときは、夜空を必ず見上げる。とくに標高2500メートルを超えるような高地の山小屋では、夜になると一度は外に出る。

 

街の明かりがない山の上では、空の暗さがまるで違う。

文字通りの降るような星に圧倒されるときもあれば、煌々と光る月とはこういう月をいうのかと、口をあんぐり開けて見とれるときもある。

 

山の夜は静かだ。風の音が聞こえるくらいで、あとは何もない。そんな暗闇の中で月を見ていると、普段、街で見ている月とは別のもののように思えてくる。

 

もちろん同じ月なのだけれど、こちらの見る準備ができていなかっただけなのかもしれない。月はいつもそこにあった。私のほうが、見ていなかったのだ。

 

山の上では、時間までゆっくり流れているように感じる。急いでどこかへ行く必要もない。ただ立ち止まって、首が痛くなるほど空を見上げる。そんな時間を、私はいつの間にか特別なものだと思うようになった。

 

月が明るい夜は、星を見るには少し残念な夜でもある。せっかく山の上まで来たのだから満天の星が見たいと思うのだけれど、そんな気持ちも忘れるほど、月そのものが明るい。

 

月明かりだけで、足元や山の稜線まで見えることがある。月ってこんなに明るかったのか。街で暮らしていると気づかなかったことを、山の上で初めて知る。

 

昼間はあれほど雄大だった山々が、夜になると黒い大きな影になる。その上に月が浮かんでいる。街灯もネオンもない場所で見ると、月が夜を照らしていることがよくわかる。昔の人たちも、こんな月を見ていたのだろうかと思う。

 

電気の明かりがなかった時代、夜の暗さは今とはまるで違ったはずだ。そんな夜に浮かぶ満月は、今の私たちが街で見る月より、ずっと大きな存在だったのではないだろうか。

もちろん、見ていた月は同じだ。

 

私が山の上まで行かなければ出会えなくなった暗闇のほうが、昔は当たり前だったのだ。そう考えると、月が暦になり、物語になり、神様になったことも、少しわかるような気がする。月は今よりずっと、人間の暮らしの近くにあったのだろう。

 

私たちはいつからか、何かをするときに理由を求めることに慣れてしまった。運動するのは健康のため。本を読むのは学ぶため。旅をするのは経験のため。休むことでさえ、明日のパフォーマンスを上げるため、などと言われる。

 

でも、月を見ることには、そんな理由はいらない。今夜は月がきれいだから見る。それでいい。

 

そう考えると、お月見という風習が何百年ものあいだ残ってきたことが、私は少し嬉しくなる。

 

私はこれまで、月をそんなに特別なものだと思って生きてきたわけではない。満月の日を調べて待っているわけでもないし、夜になるたびに月を探すわけでもない。むしろ普段は、空に月があることすら忘れている。

 

それなのに、ふと夜道で大きな月に出会うと、思わず足を止める。

あ、月。

 

たったそれだけなのに、見る。写真を撮ることもある。けれど、スマートフォンで撮った月は、たいていがっかりするほど小さい。肉眼ではあんなに大きく見えていたのに、画面の中では白い点になっている。

 

違う。こんなんじゃなかった。そう思って、もう一度自分の目で見る。

 

もちろん昔はスマートフォンなどない。けれど、人は見たものを物語にしてきた。あの模様はうさぎに見える。いや、人の顔だ。月が満ちていく。月が欠けていく。消えた。また出てきた。

 

そこに物語をつくり、神様を住まわせ、暦をつくり、恋人への言葉にした。人間は、ただそこにあるものを、ただそこにあるものとして見ていることが案外苦手なのかもしれない。

 

何かに見立てる。意味をつける。名前をつける。物語をつくる。そうやって、自分とは関係のないはずの遠い天体を、自分たちの暮らしの中へ引き寄せてきたのだろう。

 

考えてみれば、月は不思議な存在だ。太陽ほど役に立つことを主張しない。太陽がなければ、そもそも私たちは生きていけない。

 

それに比べれば、月はずいぶん静かだ。夜になれば、いる。毎日同じ姿ですらない。満月になったと思えば、翌日から少しずつ欠けていく。ジュリエットが愛の誓いには不向きだと言ったのも、無理はない。

 

でも今の私は、十代のころとは少し違うことを思う。月は変わり続けているように見える。満ちては欠け、見えなくなり、また姿を現す。そう考えると、変わり続ける月に愛を誓うのも、案外悪くないのではないか。

 

十代の私が憧れたような、永遠に形を変えない愛など、そもそもあるのだろうか。十代のころの私は、変わらないことに価値があると思っていたのかもしれない。

 

ずっと好きでいる。ずっと一緒にいる。ずっと同じ気持ちでいる。だからこそ、月のように満ちたり欠けたりするものに愛を誓ってはいけないというジュリエットの言葉が、あんなにもロマンチックに聞こえたのだろう。

 

けれど、あれから何十年も生きてきた。振り返ってみれば、変わらなかったもののほうが少ない。

 

大好きだったものに興味がなくなったり、反対に、若いころには見向きもしなかったものに夢中になったりする。親しかった人と離れることもあれば、思いがけない人と出会うこともある。

 

自分自身だって、ずいぶん変わった。それは、何かを裏切ったということではないのだと思う。そのとき、そのときの自分で生きてきた結果なのだ。

 

そう考えると、月は毎晩違う姿を見せながら、それでも月であり続けている。細い三日月になったからといって、月そのものが細くなったわけではない。見えている部分が変わっているだけだ。

 

人だって、昨日とまったく同じ自分で今日を生きているわけではない。変わることは、不誠実なことなのだろうか。

 

シェイクスピアを読んだ十代の私は、月の満ち欠けを心変わりに重ねるジュリエットの言葉を、ただロマンチックだと思った。あれから何十年もたった今、同じ言葉が少し違って聞こえる。

 

欠けても、また満ちる。姿を変えても、月は月である。

 

こんなことをジュリエットに言ったら、それは話が違うと怒られるかもしれない。それでも今度、きれいな月を見つけたら、少し立ち止まってみようと思う。

 

うさぎが餅をついていると思ってもいい。誰かの心変わりを思ってもいい。ただきれいだと思ってもいい。

 

月はたぶん、そんな人間たちの都合など知らずに、今日も満ちたり欠けたりしている。

 

そして私たちは、同じ月を見ながら、それぞれに違うものを見ている。もしかしたら月を眺めるというのは、遠い空を見ることではなく、そのときの自分の中にある何かを見ることなのかもしれない。

 

上野貴子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 

 

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