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週刊READING LIFE Vol.30

ライスワークとライフワークがシナジーを発揮して、新しいことにチャレンジできる無期限通行券になった《週刊READING LIFE Vol.30「ライスワークとライフワークーーお金には代えられない私の人生テーマ」》


記事:加藤智康(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

直属の上司から突然小さな声で言われた。
 
「もう、俺はおまえに何も教えないからな」
 
「え!? 」
 
「繰り返すけど、俺はおまえに仕事のこと教えたくないから」
 
「わ、わかりました」
 
そう言うしかなかったし、言えなかった。なぜなら、言われたことが理解でき始めたら、唇が震え、頬が怒りで痙攣してうまくしゃべれなかったからだ。転職して2年目の出来事で、辞めると騒いだあげくに戻ってきた直属の上司から言われた言葉だった。
 
自分にも非があったとは思うが、あえて言葉に出してわたしに宣言する理由がわからず、ひたすら戸惑いばかりを感じていた。
 
確かに当時は、会社の製品が人身事故を起こして、わたしも自分の仕事を放り出し、点検など出張に出て行っていた。上司はいい顔しなかったが、自ら手を挙げて参加し、生きがいを感じて走り回っていた。部署の誰よりもがんばって、徹夜でコールセンターにこもったり、深夜までお詫びのために走り回ったりしていた。
 
そのため、上司に言われた仕事も公然と遅らせていたし、社内会議もほとんど出られなかった。それが原因だったとは思う。
 
もう、「教えない」と言われたときは、今後の出世もないと思ったし、会社を辞めようかと
も思った。どんな顔して会社で生きていけばいいのかわからなかった。上司との付き合い方もわからず、真っ暗闇のなかに懐中電灯も、方位磁針も何も持たず放り出されたような感じだった。行き先もわからず、向かう方向もわからなかったからだ。
 
辞めようかとも思った。ただ、家族も居たし、生まれたばかりの子供が家で待っていることを思うと、気軽に辞められないなと覚悟を決めた。つまり、今の仕事をライスワークとして割り切って、クビになるまで働こうと思った。
 
転職して会社を変えたので、自分にやる気がないわけでもなかったし、もっと仕事で成長していこうと思っていたのに、突然蓋を閉められた気分だった。割り切るにもすごく精神的にしんどかった。
 
感情にまかせて辞めるのは簡単だ。しかし、誰が一番得するのだろうか。もしかすると、そんな事を言う上司と一緒に働いても良いことはないはずなので、自分が一番得するかもしれない。素敵な新天地が見つかればだが。
 
もしかすると、わたしを辞めさせたいから上司が言ったのかもしれない。
そのとき、「俺が辞めると騒がなければ、おまえを採用することはなかったかもな」と言われたことが頭をよぎった。つまり、おまえは不必要だと言われたのだった。その時も身体は震えた。必要とされないと思うとやる気もなくなった。
 
ということは、辞めて得するのは上司だと思ったし、もしかすると会社の意向なのかもしれなかった。邪推すればどこまでも不安になりそうだった。反骨心がまだ残っていた自分は、上司が得するなら絶対辞めないと誓った。残念がられて辞職するなら自分も次のチャレンジに心を切替えられるのだが、負け犬のように会社を去るのはいやだった。例え必要とされなくても粘れるだけは粘って、がんばることでいつか逆転できる日が来ると信じたかった。
 
なぜなら、会社だといつか上司も変わるだろうし、部署も変わる可能性もあるからだ。
 
その後、わたしの仕事も無くなっていき、定時で帰る日々が続くようになった。完全に窓際で干されていく感じがした。職場の仲間もいつしかわたしに話しかけなくなっていた。
 
しばらくすると、不思議なもので、窓際が普通に楽しめるようになっていた。安定して定時で帰ることができるし、いろいろ人生を考える事ができたからだ。上司に「もう教えない」と言われたときは、働けなくなったらお金を稼げなくなって、家族が路頭に迷うし、どうしようと脅迫観念があった。しかし、時間が経つと、そもそも、1つの仕事や会社に依存しているリスクをなんとかしないと、会社に使われるだけの人生で終わってしまうと痛烈に思った。そして、寒気がした。やばいと。
 
そもそも、会社という枠の中で出世しても、満足を得ても、会社がなくなったら終わりだ。何のためにがんばっているのかわからなくなる。それまで自分が考えもしなかったことを考え始めた。つまり、会社の外で認められる何かを手に入れない限りは、井の中の蛙で、会社が倒産したり、定年を迎えたりした後は終わりだ。別の戦慄がわたしを襲った。
身近な上司に言われて心を痛めながら窓際族になったが、視野が狭かったと気がついた。誰のために自分は働いているのか?
 
上司に気に入られたいためか? 違う。全力で違うと言いたい。
家族のためか? 一部は合っているが、わたしの人生はわたしのものでもある。
子供のためか? 一部は合っているが、わたしの一度しかない人生はわたしのものだ。
自分のためか? ほぼ合っているが、自分だけではないはずだ。
 
上司から言われてから数年。悶々とした日々に終止符を打つ日が来た。
2月のある日。資格取得のチラシをみながら、心が決まった。
 
「おれ! 資格をとる! そして、いつ会社をクビになっても大丈夫なように準備するよ。だから、勉強させてくれ。頼む」
 
「会社クビになりそうなの? 独立するとかしないよね? わたし心配で。私たちの生活もあるし。大丈夫? 」
 
妻は小学生2人の子供をねかしつけながら、心配そうにこちらをみつめている。
 
「大丈夫。目立たないようにやるからさ! それにクビになっても家族をまもるためだから」
 
わたしはすぐに家族に宣言して勉強し始めて、数年かかったが資格もとった。家族との約束を守りまだ独立はしていない。今は、資格活用よりもライターを目指している。ライターにたどり着いたのも、書くことが楽しくて仕方が無いと思ったからだ。なぜなら、わたしには妻の病気のことを記録して残したい欲求が出てきて、書くことで自分の考えを表現できると感じたから。なにより、何も無いところから文字とストーリーで人を感動させることもできる凄さはすごいと思う。しかし、才能があるとは思っていない。そんなに簡単なものではないと感じている。だから、チャレンジするのである。
 
しかし、資格にチャレンジして成功してから、チャレンジすることの大切さがわかった。楽しくて仕方が無い。ただ、あたりまえのことなのに、会社ではチャレンジできない。急にはしごをはずされたように窓際に追いやられることもあるし、あからさまにやる気になるのも嫉妬ややっかみも同僚から受ける可能性もある。なにより、同僚がわたしを見る目が恐いから。一度窓際に行かされた人間は、もう人間じゃないみたいに見られるからだ。静かに生きていくしかないのも理解している。
 
一方で、ライフワークに選んだライターを目指すことや、資格活用では違う自分を発揮できると思っている。厳しい世界だけど、どんどん思ったことにチャレンジできて、努力すれば認められる。わたしは、自分にとってライフワークを見つけることに目を向けることができた幸運に感謝したい。その点では、会社にも上司にも感謝している。あのつらい過去が今の自分につながっているからだ。
 
わたしにとって、ライスワークとライフワークは人生を豊かにし、つらい会社の仕事でも頑張れるし、新しいことにチャレンジできる無期限通行券のようなものだ。
 
会社に入るときに無期限通行券でピッと門をくぐって、窓際の人間らしく生きる。会社を出るとライフワークのライターへの門をピッとしてチャレンジし続ける人間になる。
期限は自分で決めるものだが、今のところ無期限、お金では買えないわたしだけの通行券だ。
 
こんな生き方もいいだろう。

 
 
 
 

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2019-04-29 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.30

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