わたし達に自由な意志はあるのか《宇宙一わかりやすい科学の教科書》
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記事:増田 明(READING LIFE公認ライター)
ある日、喉が渇いた私は、飲み物を買うため会社の売店にやってきました。棚を眺めて、飲み物を一つを選んで購入します。
しばらく仕事を続けているうちに、夜になりました。疲れたのでそろそろ帰ることにします。帰り道に本屋に寄り、雑誌コーナーを物色し、その中の一冊を選んで購入しました。
とまあ、このように人は日々いろいろな選択をしています。人は毎日、自分の意思で自由にいろいろなことを考え、選択し、自分の行動を決めています。
当たり前のことですよね。特に不思議なことは何もないように思えます。
ところが、この「人は自分の意思で自由に考え行動を決めている」という一見とても当たり前のことが、科学や哲学の世界では、長い間大きな議論のテーマになってきたのです。
これは「自由意志の問題」と言われています。「人が自分の意思で自由に考え行動を決めている」ということ、これを「人間が自由意志を持っている」といいますが、これが実は疑わしいのではないか? そう言われているのです。
「人間が自由意志を持っている」なんて当たり前でしょ? なんでこんな当たり前のことを議論しているんだ? そう思うかもしれません。
確かにそう思うでしょう。みんな自分は自分の意思で考え行動している。確かにそういう実感があります。
しかし科学や哲学の世界では、この当然のことを否定する学説がたくさんあるのです。現代ではむしろ、「自由意志はない」という考えの方が優勢に思えるほどです。いったいなぜこんなことになっているのでしょうか? なぜ学問的な説が人々の実感と大きくずれているのでしょうか?
我思う、ゆえに我あり
以前は学問的にも、「人間が自由意志を持つ」ことは当然として考えられてきました。
17世紀、近代哲学の父と言われる、ルネ・デカルトという有名な哲学者がいました。
デカルトは「人間が自由意志を持ち考えること」、それはこの世で最も絶対的なことだとしました。
この世界が全て夢か幻だったとしても、「自分が自由な意思で考えている」ということ、そのことは絶対に確実である。そしてその「考えている自分」が存在していることも、同じように確実である。このことを、あまりにも有名な次の言葉で表現しました。
「我思う、ゆえに我あり」
この考えは広く世の中に受け入れられ、その後の哲学や様々な学問に、大きな影響をあたえました。
しかし時代が進むにつれて、この当たり前だったはずのことが、揺らぐようになってきたのです。
決定論~未来はすでに決まっている?
19世紀になると、近代科学がもの凄い勢いで発展していきました。その基礎となっていたのは、天才物理学者、アイザック・ニュートンが作り上げた「ニュートン力学」でした。
「ニュートン力学」はあまりにも完璧でした。この世界のすべての物体、リンゴや石や、月や太陽など、地上の物体も空の天体も、全ての運動を理論的に説明することができました。ニュートン力学を使えば、今の物体の状態が詳しく分かれば、その未来の状態も完璧に予測できるのです。
例えば、ある建物からボールを落とすとします。そのボールがいつ、どのくらいのスピードで地面に落ちるのかを、実際に落とす前からほぼ完璧に予測できます。
複雑な運動の場合は完璧に予測するのが難しいこともあります。しかし原理的には、ニュートン力学を使えば、物体の今の状態が完璧にわかれば、未来の状態も完璧にわかると言えます。
このことを言いかえると、物体の今の状態が決まっていれば、未来の状態はすでに決まっている、ということになります。さらに考えを進めていくと、次のようなことが言えるのです。
世界の全ては物理的な物体でできている。その物体の未来はすでに決まっている。つまり、世界の全てのことは初めから決まっている。この先何が起こるかも、ずっと前から全てあらかじめ決まっている。
この考え方は「決定論」と呼ばれています。「決定論」によると、世界の全てはあらかじめ決まっています。人間も物理的な物体の寄せ集めでできているので、同じことです。世界の未来も、人間の未来も全て決まっていて、人間の「自由意思」の入る余地はどこにもないのです。「自由意志」は存在しないのです。人間が自由に自分の意志で未来を変えることはできないのです。
この考え方が科学や哲学の世界で広まっていきました。この「決定論」の象徴的な存在として、「ラプラスの悪魔」という架空の存在が考えられました。
「ラプラスの悪魔」は超越的な力を持っていて、世界のすべての物体の状態を知ることができる。そしてその状態から未来の全てを計算し予測することができる。そのため、ラプラスの悪魔は、世界でこれから起こること全てを知っている。
ラプラスの悪魔は決定論の象徴的な存在として、科学や哲学の世界でたびたび話題にのぼり、世の中に知られていきました。
「ラプラスの悪魔」への反撃
しかし20世紀になると、思わぬところからラプラスの悪魔は反撃を受けることになります。ラプラスの悪魔に反撃を加えたのは、ラプラスの悪魔を作り出した物理学自身でした。20世紀初頭に作られた「量子力学」という学問があります。この学問は、とても小さな原子や電子などのミクロな物体を扱うものでした。ニュートン力学が想定しているような、目に見えるボールのような大きいマクロな物体ではありません。
「量子力学」によると、ミクロな物体の運動は、マクロな物体の運動とは、まったく違うのです。マクロな物体の場合、例えばビルの上から物体を落とすと、何秒後にどのくらいの速度でどの位置に行くのか、落とす前から完全に予測できました。未来の状態が予測できるのです。
しかしミクロな物体は、そうはいきません。ミクロな物体、例えば電子などは、今の状態がわかっても、その後どう動くのか、どこに行くのか予測できないのです。
いや、予測できないというのは正確な表現ではありません。決まっていない、という方が正確です。予測できないというと、本当は決まっているけれど、技術的に難しいので予測できない、というように聞こえますが、そうではありません。予測できないのではなく、決まっていないのです。技術的に予測できないのではなく、原理的に未来の状態が決まらないのです。
例えば、電子を実験装置から発射して、その動きを観測する実験を何回も行ったとします。まったく同じ条件で電子を発射したとしても、毎回電子は違う動きをし、違う場所にいってしまうのです。確実に同じ条件で実験をしたとしても、ある一定の範囲で、電子がどう動くかが、どうしても確定しないのです。あらかじめどんな動きをするのか、決まらないのです。
ミクロな物体は、そのような奇妙な性質をもっています。
初めてこの話を聞いた方は、納得ができないでしょう。無理もありません。なぜそんな奇妙な性質を持つのかは、現代の科学でも実はよくわかっていないのです。ただ、そのような奇妙な性質を持つ、ということだけは確かなのです。
つまり「ラプラスの悪魔」だったとしても、ミクロな物体の未来は絶対に予測できないのです。つまり、未来はあらかじめ決まってはいないのです。そのことが「量子力学」によって証明されたのです。
ラプラスの悪魔は姿を消し、「決定論」はくつがえりました。未来は決まってなんかいなかったんだ。だから人間は自分の自由意志で、未来を変えることができるんだ。人々はそう思いました。
自由意志は錯覚なのか
しかし、話はそう簡単にはいきませんでした。また次のような手ごわい考えが出てきたのです。
ラプラスの悪魔は確かに姿を消した。しかし、量子力学は「未来はあらかじめ決まっていない」と言っているだけだ。つまり「未来はランダムだ」と言っているだけだ。
ランダムだからと言って、それを人間が自由意志で左右できる、というわけではない。ランダム=自由ではない。未来がどうなるかはランダムでわからないだけであって、人間の自由意識で左右できるということではない。
このような考えが残りました。
20世紀になると、脳科学が発展していきました。その研究によると、人間の脳には、ニューロンと呼ばれる細胞が1000億個以上あると言われています。脳が活動すると、ニューロンから化学物質が放出され、それによってニューロン間を電気信号が流れます。
人間の心は、その化学物質と電気信号によって作られているのではないか、と言われるようになりました。
実際、薬を飲んでその化学物質の量を変化させると、人の心は大きく変化します。何かに深く思い悩み、苦しんでいた人が、薬を飲んで脳内の化学物質の量を変化させると、急に悩みを忘れ、元気になってしまうのです。
人間の心も、結局は化学物質と電気信号でできていて、機械と同じようなものだ。そこに自由な意志なんてないのではないか。自由意思を持っていると思うのは勘違いで、心も結局は、化学物質と電気信号で自動的に動く機械のようなものではないか。
こんな考えが科学や哲学の世界で、再び広まっていきました。
1980年代、この考えを決定づけるような、衝撃的な実験結果が発表されました。
ベンジャミン・リベットという神経生理学者が行った実験です。どんな実験だったのでしょうか。
まず、脳の電気信号を測定する装置を、実験の参加者に取りつけます。そして参加者に手首を動かしてもらい、その時の脳の電気信号を測定したのです。人間は、体を動かすときには、実際に動く少し前に、筋肉を動かす指令としての電気信号が、脳から出ることが知られていました。
常識的に考えて、次のような順番で現象が起こると予想されていました。
①手首を動かそうと意識する
②脳が手首を動かすための電気信号を出す
③手首が実際に動く
手首を動かそうと意識してから、脳が電気信号を出し、手首が動く。当然このような結果になると思われていました。
しかし実験の結果、予想外のことが起きたのです。それは次のような結果でした。
①脳が手首を動かすための電気信号を出す
②手首を動かそうと意識する
③手首が実際に動く
という順番になったのです。手首を動かそうと意識するより前に、脳から手首を動かすための電気信号が出ていたのです。これはいったいどういうことでしょうか?
手首を動かそうと人が意識する前に、すでに手首が動くことは決まっていた、ということになります。手首を動かそうと意識したから手首が動いたのではない、ということです。
この結果は世界に衝撃を与えました。
この実験結果から分かったことは、自分の意思で手首を動かそうと思ったから手首が動いた、という普段人間が感じている感覚は、錯覚だったということです。その意思より前に、無意識的な何かによって手首が動くことは決まっていて、もうその指令が脳から出ている。その手首が動く過程の途中で、意識が「動かそう」と後追いで思っている。意識が動かすことを決めているわけではない。自動的で無意識的な何かで、すでに手首が動くことは決まっていた。
この常識に反する結果によって、ますます人間の自由意志は危ういものになっていきました。
本当に自由意志はないのでしょうか? 人間は自分が意識しない、意図しない脳の仕組みに動かされていて、自分の意志では行動を決められないのでしょうか?
しかし、この決定的な実験結果を出した張本人であるベンジャミン・リベットは、意外にも「人間に自由意志はある」と言っているのです。それを次のように説明しています。
①脳が手首を動かすための電気信号を出す
②手首を動かそうと意識する
③手首が実際に動く
この②と③の間に、手首を動かすことを拒否するための短い時間が残されている。その時間内で、人間は自分の意志で行動を止めることができる。だから人間に自由意志はあるのだ。
意外にもこの実験を行った張本人は自由意志を信じていて、それを否定したくなかったのです。
そもそも意識とはなにか
この自由意志のテーマほど、普段人々が感じている感覚と、学問的な説が食い違っているものはないでしょう。研究が進めば進むほど「自由意志はない」という方向に向かっていくように見えます。
しかしその研究をしている研究者達も、普段は自分の意志で自由に行動を決めている、そういう実感を持ちながら生きています。研究者達は、その自由な意思で研究者になり、自由な意思で人の意識を研究し、自由な意思で「自由意志はない」という結果を導いている、という奇妙な矛盾を抱えているのです。
日々、自由に意思決定をしているとはっきり感じる、人間のこの「意識」とはいったい何なのでしょうか。
脳のニューロンの電気信号によって、人間の意識が作られていると研究者達は考えています。しかし、どのようにニューロンの電気信号が、人間の主観的な意識を作っているのか。どのようにニューロンの電気信号によって、人はいろいろなことを考えているのか。実は、その仕組みは科学的にはほとんどわかっていないのです。
多くの研究者達が、この仕組みを解き明かそうとしています。しかしこの研究はとてつもなく難しく、まだ全然わかりそうにありません。
このテーマに対して、ハッキリした決着がつくことは、果たしてあるのでしょうか? 誰もが納得する説明が出てくることはあるのでしょうか? 科学がこれから進歩していけば、いつか全てわかる時がくるのでしょうか?
このテーマの奥には、自由意志はある/ない、といった単純な話ではなく、もっと深い根本的な何かが潜んでいるのかもしれません。
現代人の心についての考え方をくつがえすような、だれも予想できないような、そんな結末に向かって、このテーマはこれから先、進んで行くのではないでしょうか。
【参考文献】
「マインド-心の哲学」 ジョン・R・サール 山本貴光=訳 吉川浩満=訳
「マインド・タイム 脳と意識の時間」 ベンジャミン・リベット 下條信輔=訳
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