宇宙一わかりやすい科学の教科書

生きているのに死んでいる? 世にも奇妙な「シュレディンガーの猫」《宇宙一わかりやすい科学の教科書》


記事:増田 明(READING LIFE公認ライター)

 

生きているのに死んでいる。死んでいるのに生きている。
そんな世にも奇妙な猫が、この世には存在しているかもしれない。

この話は、子供向けのナゾナゾ話ではありません。20世紀初頭に、科学の世界で真剣に議論され、そして今でも決着がついていない、ある科学上の難問に関する話なのです。
その奇妙な猫は、生きているけど死んでいる。生きながらにして同時に死んでいる。
生きているか死んでいるかわからない、のではなく、生きている状態と死んでいる状態、その両方が混ざりあった存在だといわれています。その奇妙な猫の名は「シュレディンガーの猫」。

20世紀初頭に作られた「量子力学」という理論があります。この理論は、電子機器に使われる半導体技術など、様々な技術の基礎になっています。「量子力学」は、現代の科学文明を支えるとてつもなく重要な理論です。
「シュレディンガーの猫」は、その「量子力学」の議論の中から生まれた想像上の猫なのです。
 

量子力学~ミクロな粒子の奇妙な性質


量子力学は、電子や原子などのとても小さいミクロな粒子を扱う学問です。このミクロな粒子には、あるとても奇妙な性質があることが知られています。この奇妙な性質が、「シュレディンガーの猫」を生むキッカケとなるのです。

ミクロな粒子は、粒子という字の通り、小さな「粒」です。1つ2つ、と数えられる存在です。ところが量子力学によると、ミクロな粒子は「粒」としての性質と同時に、「波」としての性質も持っている、といわれています。「粒」なのに「波」とは、いったいどういうことでしょうか? 一見矛盾しているように聞こえますね。

世の中にはいろいろな波があります。水の波や、空気の波である「音」、あとは「光」も波です。「波」には「干渉」という面白い現象があります。

シャボン玉の表面や、鉱物の表面に、きれいな虹色のしま模様を見たことがあるでしょうか? あれは「波」である光が「干渉」してできているのです。
簡単に言うと、シャボン玉などの表面に光がぶつかって跳ね返ります。跳ね返った光の波が複数重なり合うと、強めあったり弱め合ったりして「干渉」し、しま模様を作るのです。

この「干渉」が原子や電子などミクロな粒子でも起きるというのです。それは、例えばこんな実験で観測できます。
特殊な鉱物と、写真フィルムのような働きをする板を用意します。そして鉱物の表面に電子をたくさんぶつけて跳ね返らせます。跳ね返った電子は写真フィルムのような板にぶつかります。

 

 

板は電子がぶつかった場所に白い跡がつくようになっています。そのため、板のどこに電子がどれだけぶつかったか、見てわかるようになっています。実験の結果、板に「干渉」したようなしま模様ができるのです。

 

 

「干渉」は波に特有の現象です。電子が「干渉」したということは、電子は「波」の性質を持っている、ということになります。他にも様々な実験で、ミクロな粒子に「波」としての性質があることがわかっています。

ミクロな粒子の「波」には、さらにとんでもなく不可解で、意味不明な性質があります。
先程紹介した実験では、跳ね返ってきた電子を観測しているだけでした。そこで、実験装置を改良して、電子が鉱物にぶつかった瞬間を観測するようにします。波の干渉は、電子が鉱物にぶつかって跳ね返る瞬間に起きています。そこをとらえようというのです。

ところが不思議なことに、その観測をすると電子の「波」の性質は、こつ然と消えてしまうのです。今まで板に現れていた干渉のしま模様が、出なくなってしまうのです。電子は「波」ではなく、ただの「粒」に戻ってしまうのです。

このように、ミクロな粒子は確かに「波」の性質を持っています。しかしその「波」は、詳細に観測しようとすると消えてしまう。まるで蜃気楼のような、つかみどころのない存在なのです。

 

 

粒子の「波」ってなに?


この奇妙な、粒子の「波」とはいったいなんなのだろうか? この「波」は科学的に何を意味しているのだろうか? 20世紀初頭、量子力学の研究者達は様々な議論をし、いろいろな学説が出てきました。
その中でも一番メジャーな説が、量子力学研究の第一人者である、ニールス・ボーアの唱えた「コペンハーゲン解釈」でした。それはこんな奇妙な説でした。

ミクロな粒子の「波」とは何か。それは、1つのはずの粒子が、まるで分身の術を使ったかのように、様々な場所に同時に存在している、ということだ。粒子が波のように広がって存在しているのだ。それが粒子の「波」の性質を生んでいるのだ。
そして、その波を人間が観測すると、分身の術がとけ、たくさんあった粒子は消え、1つの粒子に戻るのだ。

 

 

何を言っているのかよくわからないかもしれません。それは無理もありません。わからないのが普通です。当時の科学者達もこの説明に納得ができず、激しい論争が起きました。かの有名な天才科学者、アインシュタインも納得ができず、この説を批判しました。
粒子が分身して複数同時に存在している。そして人間が観測したとたんに、分身の術がとけて1つの粒子に戻る。こんなバカなことがあるはずない!

それら様々な批判の中で特に有名なのが、物理学者エルヴィン・シュレディンガーによる「シュレディンガーの猫」なのです。

 

 

世にも奇妙な「シュレディンガーの猫」


(※わかりやすさのため、本質は変えず若干実験の設定を簡略化して説明します)

シュレディンガーは、この奇妙な「コペンハーゲン解釈」を批判するために、次のような例え話を考えました。

毒ガス発生装置が備え付けられた箱に、猫が一匹入っています。毒ガス発生装置には2つのボタンがつながっています。赤いボタンは毒ガス発生ボタンで、青いボタンは毒ガス発生装置の電源を切るボタンです。

 

 

箱の上部から電子を1つ投げ入れたとします。この電子は進んでいき、赤いボタンか青いボタンにあたります。箱には窓がついていないので、入れた電子がどちらのボタンにあたったかは、箱の外からは見えません。電子が赤いボタンに当たれば、毒ガスが発生し猫は死んでしまいます。電子が青いボタンに当たれば、毒ガス発生装置の電源が切れ、猫が死ぬことはありません。

さてこのとき、「コペンハーゲン解釈」によれば、箱の中を人間が観測するまでは、電子は分身の術を使っているため、赤いボタンを押しながら、同時に青いボタンも押している、ということになります。その両方の状態が同時に起こっていることになります。そうすると、毒ガスが発生しながら、同時に発生していないことになります。そして、猫は死んでいながら、同時に生きている、ということになります。

そして実験者が箱のフタを開け中を見た瞬間に、電子の分身の術がとけ、電子が1つになります。そうすると、電子がどこにあったのかが決まり、どちらのボタンが押されていたのかが決まります。そして、猫の状態も決まり、死んでいるか生きているかどちらか一方に決まります。

もし「コペンハーゲン解釈」が正しければ、箱の中を見る前は、猫は生きながら死んでいる。そんなわけのわからないことが起きてしまう。そんなことがありえるのか? ありえないはずだ!

シュレディンガーはこの例え話によって、「コペンハーゲン解釈」を痛烈に批判しました。この話を聞いた多くの科学者たちも、たしかにおかしいと考え、別の理論を作れないかと考え、実験を重ね、議論を重ねました。しかしいくら実験しても、議論しても、「コペンハーゲン解釈」以外では、実験で観測される電子の振る舞いを、うまく説明することはできませんでした。

「コペンハーゲン解釈」は、今では量子力学の標準的な説明として、広く認められています。

シュレディンガーは、ありえないことの例えとして「シュレディンガーの猫」の話を作りました。しかしこの猫の存在を科学的に否定することは、今になっても結局できていません。シュレディンガーの猫は存在し得るのか? という議論は、100年たっても決着がついていません。生きているのに死んでいる、そんな奇妙な猫は、量子力学的には、充分存在し得るのです。

今ではむしろ、「シュレディンガーの猫」の話は、量子力学について紹介する際に、積極的に使われるようになっています。当初のシュレディンガーの意図とはまったく逆です。シュレディンガーも天国で驚いているかもしれません。

 

 

シュレディンガーの???


最後に、「シュレディンガーの猫」をさらに発展させた、有名なお話を紹介して終わりにしましょう。

さて、あなたはある大学の物理学科の学生だとします。教授の指示であなたは「シュレディンガーの猫」の実験をすることになりました。実験はあなたが実験室で一人で行います。

実験が開始されました。毒ガス発生装置が備え付けられた箱の中に、猫が入っています。箱に電子が入りました。電子は赤いボタンを押すのか、青いボタンを押すのか。猫は助かるのか、それとも死んでしまうのか?

しばらくしてあなたは箱を開けます。猫は無事生きていました。あなたはホッとします。
「よかった、猫が死ななくて。猫がかわいそうだから、本当はこんな実験やりたくなかったんだよ。それにしても教授は何で実験に立ち会わないんだろう?」

それから20分程して、教授が実験室のドアを開けて入ってきました。あなたは教授に言います。
「教授、来るのが遅いですよ。実験は20分も前に終わっています。毒ガスは発生せず、猫は生きていましたよ」

教授は言います。
「いや、量子力学によれば、私が研究室のドアを開けるまでは、猫は死んでいる状態と生きている状態の両方を同時にとっていたはずだ。今私がドアを開けた瞬間に、生きていることが決まったのだ」
あなたは反論します。
「いえ、そんなことはありません。私が箱を20分前に開けた時からずっと、猫は生きていましたよ」

すると教授は少し困ったような顔をして、こう言いました。
「なるほど、確かに君はそう言うだろう。では少し言い方を変えることにしよう。量子力学に従うならば、私が研究室のドアを開けるまでは、”生きている猫を見ている君”と”死んだ猫を見ている君”がそれぞれ同時に存在していた。君が2人同時に存在していたわけだ。そして私がドアを開けた瞬間、”死んだ猫を見ている君”は消え、”生きている猫を見ている君”だけが残ったんだ。どうだい、理解できたかね?」

あなたは驚き、戸惑います。
「そんな馬鹿な! 私が2人いて、その片方が消えた? 何をいってるんですか教授。私はずっと1人でしたよ! そんな馬鹿なことがあるわけが……」

そんなことがあるわけがない、と現代の科学では言い切れないのです。量子力学が正しいならば、もしかするとこの世界には、たくさんのあなたが同時に存在し、消えたり、現れたりしているのかもしれません。

 

【参考文献】
「趣味で量子力学」 広江克彦 理工図書
「ニュートン別冊 現代物理学3大理論」 高森圭介 高嶋秀行 株式会社ニュートンプレス

【ライタープロフィール】
増田 明(READING LIFE公認ライター)
神奈川県横浜市出身。上智大学理工学部物理学科卒業。同大学院物理学専攻修士課程修了。同大学院電気電子工学専攻修士課程修了。
大手オフィス機器メーカでプリンタやプロジェクタの研究開発に従事。

父は数学者、母は理科教師という理系一家に生まれる。子供の頃から科学好きで、絵本代わりに図鑑を読んで育つ。
学生時代の塾講師アルバイトや、大学院時代の学生指導の経験から、難しい話をわかりやすく説明するスキルを身につける。そのスキルと豊富な科学知識を活かし、難しい科学ネタを誰にでもわかりやすく紹介する記事を得意とする。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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