どうりで本を読むわけだ《天狼院通信》
記事:三浦崇典(天狼院書店店主)
これを東京に向かう新幹線の中で書いている。
おかげさまで、仕事が忙しく、今現在、僕は1,067連勤中だ。
間違いではない。
2016年の1月2日から休んでいないので、1,067連勤中で「鋼の連勤術」続行中だ。
昨日も、池袋で会議があり、アポがあり、諸々やるべきことを朝早くからこなしていく中で、
「今日は、社長はこれとこれをやってください」
とスタッフから示された仕事は、別に東京でなくともできる内容だと気づいた。
年末年始は京都でフルスロットルで働くことが決定しているので、田舎に戻れるのは、このチャンスをおいて他にないかもしれない、と思った。
思い立ち、すぐに、決めた。
「ちょっと、故郷の宮城に戻ってくるよ」
その3時間後には、宮城県栗原市にいた。
父親がくりこま高原駅まで迎えに来ていたのだが、車が変わっていた。
小さいがテレビが観られる車だ。
夕方の時間帯にテレビを観るという当たり前のことすらやっていないことに気づく。
ニュースをやっていた。
ただ、やっていたニュースが、
元マラソン選手の女子がスーパーで300円くらいのお菓子を盗んだ話、
北海道のタンチョウヅルが、牛の餌を食べて困っている話、
東京で外国人が、スタバで他の客の財布から6,000円くらい盗んだ話、
で、つくづく、思う、いい国に住んでいると。
なんと、平和なことか。
それしか、ニュースがないのか。
数千万人の人に向けて、発信すべきニュースが10,000円未満の盗みの話(牛の草はいくらか知れない)しかないとは、この国も幸せを極めたのではないかと思った。
家に着くと、母親と祖父と祖母がいて、なんか、ツルが牛のエサを盗っちゃったんだってね、と言うと、この話題でも、それ観たとくらいついてくる。
なんと、平和なことか。
ツルが牛のエサを食べたって、いいじゃないか、それはその農家の人は困るだろうけど、僕らが知ったことではない。
そして、夕食を食べながらのニュースでも、元マラソン選手が記者会見をしていて、いいじゃないか、晒し者にしなくともといたたまれなくなる。
それは、盗まれた人や盗んだ本人にしてみれば、大事件かもしれないが、少なくとも、元マラソン選手は知り合いじゃないし、知ったことではない。
しかし、それさえも、話題になるほどに、今の日本は平和だ。
そして、田舎は平和である。
たまに田舎に帰ると、よく、政治や芸能人のことを知っている。
もう、みんなが評論家になっている。
ほとんどは自分とは関わり合いのないことなのに、自分の何かが脅かされるかのように真剣に話している。
時間を浪費している。
クイズ番組を真剣に観て、当たった外れたとやっているうちに、寝る時間が来る。
クイズに当たろうが、外れようが、出演者以外のほとんどの人にとって、関わり合いのないことだろうに。
あ、これが田舎だと、感覚的に思い出す。
これが幸せなのではないかと思った。
そして、僕にはそれが無理なのだとも、醒めた気持ちで思った。
僕は政治などに、ほとんど一切、興味がない。
ワイドショーや、ほとんどの平和なニュースにも、もっと凶暴なニュースにも、正直興味がない。
業界が不況で、どこどこが潰れて、どこどこが潰れそうだという話や、
芸能人の誰々が、誰々と不倫したという話にも、興味がない。
怒られるかもしれないことを承知で言ってしまえば、僕にほとんど関わり合いがないことだからだ。
関わり合いがないことで、時間を浪費されることが何より嫌な性分で、自分の人生のかけらである自分の時間は、ほとんど100%近い割合で、自分でコントロールできればと思っている。
そのコントロールという意味の中には、予測不可能性との出合いというものも入っていて、それは旅先だったり、面白い人との仕事の中で、あるいは映画館や本の中で、多くの場合、表れる。
都会では、案外、みんなが忙しく仕事をしていて、そうでない人もいるけれども、結構、ほとんど関わり合いがないことで時間を浪費されることを強要されない。
そういう意味で、都会は、優しい。
僕にとって、住心地がいい。
とても、安息を覚える。
もっとも、PTAとか、町内会とか、否応なく入らざるをえないところに身をおく場合も出るだろうが、家族がない今の段階ではその心配もなく、今のマンションにもう5年以上住んでいるが、管理組合とか、面倒なことに参加しなければならない局面もなかった。
振り返ってみると、東京に出るまでは、そうではなかったようにも思う、状況的には。
でも、学校で友達と話すのは楽しくはあったけれども、トイレに一緒に行ってまで話すことなんてなかったはずだ。
必ず、話題が切れて、自分に関わりのない話にならざるを得ない。
ツルが牛のエサを盗んだらしいね、とか。
本当にどうでもいい。
だから、僕は自然と本の世界に没入するようになったのだろう。
学ランの両方の内ポケットには、文庫本が差し込まれていた。
外のポケットにも、両方入っていたので、学ランにはまるでライフルの弾倉のように、4冊の文庫本が常時さされていたのだろうと思う。
僕にとって、本の中が、自由だった。
かといって、いじめられていたわけでもない。
先生に嫌われていたわけでもなかったと思う。
スクールカーストと言われるような圧力システムの、およそ、埒外のところに僕の居場所があったのだろうと思う。
誰も、僕の自由に干渉せず、かといって、あらゆるグループへのアクセスも開かれていた。
ある種の「サンクチュアリ」を、僕はどこでも形成していたわけだけれども、死に物狂いの闘争の末に、作り上げた覚えもない。
ただ、そうしたいから、したというだけの話だったと思う。
僕のサンクチュアリは、ほとんど、本の中にあり、僕の教師は、中学を超えるとほとんど本の中にいた。
ただ、夜、見上げれば、寒空の上に、輝く星があったことは、幸いだったのだろうと今思う。
広大な自然との接点が日常的にあると、同時に自然の恐怖と魑魅魍魎の類を思ってしまう。
都会では、光が途切れることはないが、ぼんやりとでも、どこかの光を感じられるが、田舎ではそうではない。
朝を迎えるまで目覚めることのない、深くて濃い闇が降りてくる。
それに対するえも言われぬ恐怖のようなものが、言葉にしなくても、誰もの胸の中にあって、田舎の人は、それを紛らせるために、テレビを観て、恐怖をそらすために、ツルが牛のエサを盗んだ話で、時間を浪費するのかもしれない。
恐怖に苛まれるよりは、たしかに、くだらない時間を過ごしたほうがマシなようにも思える。
人は、そうして、本当の恐怖が迫りくるときまで、ごまかしながら、生きていくものなのかもしれないと、ふと、今回の帰郷で考えた。
すべては、刹那のことだ。
そう思うと、人間、つまらないことをしている暇などないように思う。
■ライタープロフィール
三浦崇典(Takanori Miura)
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』(ポプラ社)を出版。ソニー・イメージング・プロサポート会員。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。
NHK「おはよう日本」「あさイチ」、日本テレビ「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。雑誌『週刊ダイヤモンド』『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」講師、三浦が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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