週刊READING LIFE vol.22

がんで妥協を学んだ《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:なつき(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 

現在アラフォー、今まで生きてきた中で、自分の思いを通したこともあったし、妥協してきたこともあった。少し前に人生最大の妥協を経験する機会があった。「妥協」と聞くとネガティブイメージに傾倒するかもしれない。私もそうだった。でもあることをきっかけにポジティブイメージに切り替わった。そのことをお話ししたいと思う。
 
「卵子凍結するか、考えてみてね」
究極の選択を迫られた。
卵子凍結? え? 一体何のこと? どういう意味? 頭がフリーズする。
私には子供がいない。それを気遣っての言葉だってことはわかってる。わかるんだけど、卵子凍結と言われても意味が分からない。混乱が顔に出ていたのだろう。言葉を発した女性である担当の外科医は説明をしてくれた。こういうことだった。
 
がんの治療では、抗がん剤の投与が重要な位置を占めていて、私の治療計画にも盛り込まれている。でも40代になってからの抗がん剤は閉経を招くことがある。閉経したら子供はできない。閉経しなくても抗がん剤が身体に残っているうちは、奇形児の可能性が高くなるので、出産を勧められない。だから子供を産みたいと強く思うならば、いまの時点で卵子凍結も考えておいた方が良い、と。1か月後には抗がん剤を始めるので、考える猶予は1か月しかない。
 
そして、詳細が書かれたパンフレットを渡された。
手術後数日経ったときのことで、入院中だった。この時の年齢は40代に入っていたので他人ごとではなくなった。卵子凍結という言葉は今まで全く身近にないものだった。
 
ええと、少し整理してみよう。
結婚したのが40代手前。この時点で高齢出産になるだろうし、と夫婦で子供を作らないことを想定したビジョンも考えていた。でもそれは、頑張れば産めるかもしれないとの希望がまだ少しあった状態での考え方。選択肢の一つくらいにしか思っていなかった。それが、まだ先だと思っていた「閉経」という言葉が大きく迫ってきたのだ。閉経したら一縷の望みもなくなる。
 
子供が大好きだった。子供時代から歳の離れた妹の面倒をよく見ていた。それもあって、子供が伝えたいこともなんとなくわかるまでになっていた。見ているだけで幸せな気分にもなる。小さい時から高校生までの将来の夢は保母だった。20代か30代で結婚して、子供を産んで、とよくあるストーリーを頭の中に描いていた。ところが気づいたら39歳。このままでは高齢出産になってしまう。噂では高齢出産は奇形児の確率も高くなると。それは子供に申し訳ない。私が我慢すればいいだけのことだ。でもやっぱり子供欲しいなあ。
 
そんな時に、子供いなくてもいいよと言う男性に出会った。あれよと言う間に数か月で結婚した。子供いなくてもいいよねと夫婦で話したにも関わらず、私自身がぐらぐら大きく揺れ続けていた。夫はいなくていいのかな。とても楽しそうに姪と遊ぶ夫を見ていると少し心苦しくなる。そして私自身もやっぱり子供が好きだ。
 
そんな中での「閉経するかも」という言葉だった。今なら元気な卵子を留めておけるのだろうか。手術後数日間は、頭がまだ、ぼやっとしていて渡されたパンフレットもあまり理解できなかった。卵子凍結の意味がいまいちわからなかった私は再度担当外科医に聞いた。卵子凍結した場合、出産の可能性について。「卵子凍結はダメだった時のことも考えて、できるだけ多く凍結する人が多いわね。抗がん剤治療が終わって身体から薬が抜けきったあと、体外受精の形で受精した後お腹に戻す。抗がん剤が抜け切るのに1年くらいかかるかな。あとは通常の妊娠と同じで自分のお腹で1年育てて出産、子育て」
 
ああ、そういうことだったのか。手術しただけでも一気に体力落ちてふらふらなのに、この上抗がん剤をやった後に1年待って、それから子供をお腹で育てるのか……ちょっと気の遠くなる話だな。更に追い打ちをかけたのが、卵子凍結1回につき40~50万円掛かると言うことだった。できるだけ多く卵子を取る。通常何もせず1回で取れる自然の数は1個。取れる卵子の数を増やすために排卵を誘発させるための薬や治療も必要。妊娠の可能性を上げるためには数十個の卵子が必要。誘発しても1回で10個程度しか取れない。必要数が取れるまで抗がん剤の延期もありえる。病院に通う期間も長くなる。凍結保存の年間費もかかる。
 
ノックアウトされたのは、凍結したからと言って必ずしも妊娠できるわけではないということ。希望を持ったことで、打ち砕かれた時、自分は立ち直れるのかということ。がんは取った。でも再発が無いとは言えない。産んでも再発した時の子育てへの影響……。
 
それでも子供欲しい?
 
自問し続けた。夫にも相談した。私のいいようにと言ってくれたけど。正解なんて見えない、わからない。これから始まる抗がん剤の副作用など諸々考えてみてもわからない。そりゃそうだ。抗がん剤治療をしている人を身近で見てはいたけど、経験したことはないのだから。
 
子供をもちたくてもこのリスクは……。
 
抗がん剤が始まるまで1か月しかない。時間がない。手術後の頭で考えるには重すぎる話だ。できればのらりくらりと避けたい重たい話だ。でも今後の人生を左右する問題、避けては通れない。
 
妥協するしかないのかな……。
 
ここで妥協するのはかつてない大きい決断だ。生きてきた中で一番大きい妥協だ。でも正直ヘトヘトだった。自問し続けた期間は理想と現実の狭間でもみくちゃだった。ギャップに苦しみ続けた。そんなに無理難題を望んでいるわけでもないのに。ここまで苦しめられなければいけないの? 今後この選択肢を後悔することがあるかもしれない、それでも。
 
卵子凍結はしない、そう決めた。
 
「子供いなくても、まあ、いっか」そう思ったことで肩の荷が下りた。あれ? なんだかスッキリした。どれだけ重たく考えていたんだ私。苦渋の決断をした、妥協を余儀なくされた、そう思っていた。仕方ないと思っていた。でもこの時の私には違う感情が芽生えた。苦しんで妥協したことで、心が解放された。妥協って実は悪いものじゃない? ちょっぴりネガティブイメージからポジティブイメージに変わった。
 
1か月後、始まった抗がん剤治療は今まで経験したことが無い痛みがあるものだった。自分なりに痛みを分析してパターンが見えてきて、何とか乗り切った。抗がん剤治療は1年半ほどで終わり、数か月経ったけどまだ月経はない。抗がん剤が身体から抜けきるのは1年かかるらしいので現状で閉経したかはわからない。閉経してないかもしれない。でも今はどっちでもいい。
 
子供を諦めたことで抗がん剤のスタートが遅れることなく始まった。治療期間中に途中で少し軽い薬に変わり少し身体が楽になった。入院以外は仕事もほぼ休むことなく続けていた。それも会社が色々配慮してくれたからだ。もっと仕事を頑張らなければと思った。と同時に仕事に役立つスキルを身につけたいという気持ちが湧いた。そして文章の勉強を始めた。それが今とても役に立っている。自分を見つめなおす機会にもなっている。あの時妥協しなければ得られなかったものかもしれない。人生には色々な道がある。一本だけではない。妥協ってうまく使えば人生の転機に役立つのかもしれないと思った。

 
 

❏ライタープロフィール
なつき(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
東京都在住。昨年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。

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2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

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