週刊READING LIFE vol.22

真の「妥協しない」を知ったとき《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:國正 珠緒(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 

小学1年生の1年間、学校に行った日は私は毎日泣いた。
「カラスが泣かない日はあってもたまちゃんの泣かない日はない」
と陰で言われていたらしい。
しかも泣き方が半端なかった。何時間めに泣き始めるかは、その日によって違うが、一旦泣き始めると火がついたように
「わぁ〜ん」と泣き始めると、止まらない。給食は食べるけど、食べながら泣いていた。
散々泣いて、帰る頃には泣き疲れるのか、止まって普通に帰宅していた。
泣いていた理由を全部覚えているわけではないが、記憶に残っている範囲でいうとそのほとんどが「妥協できない」ことによるものだった。
 
小学校1年生くらいまでの私は「加減」や「程度」という塩梅が全くわからない子だった。いつも完璧に揃った環境で完璧に課題をやれないとどこかで泣き出す! 秀才でも天才でもないのだから、当然一日の授業のうちで完璧にできないことなど多発する。だから「わぁ〜ん」
になってしまうのだ。よく言えば完璧主義者、負けず嫌い、なのだろう。でも泣いていたら当然もっと授業から遅れをとるから結果としてはどんどん悪循環だ。
 
しかもほとんどの「泣く原因」は勉強以前の問題。「揃えて来たはずの赤鉛筆が折れていた」お道具箱の中に算数の「数え棒」というのがあったが、それが一本でも足りないと「わぁ〜ん」だった。

 
 
 

要は融通が利かないのである。

 
 
 

幸いそんな状態でも成績は問題になる程悪くなかったのとまだのんびりした時代だったので、私は特に問題児扱いされることもなく、いじめられることもなく、無事一年間を終えることができた。(暖かく見守ってくれた先生、クラスのみんなには感謝している)
 
さてそんな私だったが、2年生になった途端自覚が芽生えたのか、ピタッと泣かなくなった。
私は2年になって急に完璧主義者をやめたのだった。きっかけは覚えていない。
 
鉛筆が折れてても、こっそり鉛筆削りを使えばいいこと。教科書を忘れたら隣のクラスに借りに行けばいい。周りの様子を見ながら、少しずつ融通を利かせることを覚えて行った。
当然だけど、わからない問題があることはむしろ「普通」なのだ。ということもわかって来た。
一旦妥協を始めるとそれは止まらず、あんなに完璧主義者だった私は次第に忘れ物や遅刻なども平気な、悪く言えばだらしない、よく言えばおおらかな子になって行った。卒業式の日まで一度も泣かなかった。妥協をすることで学校生活が楽になったし、泣かないので授業が頭に入る効率も良いのだろう、成績がどんどん良くなって卒業するときは学年で1番か2番だったと記憶している。
 
少し時間をすっ飛ばすが、それから大学に入る頃までは私の「妥協」はどんどん増えて行って、高校入学くらいまでは良かった成績もどんどん下り、とうとう二浪してやっと大学に拾ってもらえるまでは「妥協の嵐」だった。
 
しかし! 妥協の嵐で奈落の底に落ちていく生活は大学入学とともに止まった。
 
「建築」という好きな学科に入学できたからだ。さて、ここで私はあることに気づく。
「妥協する」分野と「妥協しない」分野のメリハリをつければいいのではないか。
勝手に自分の好みで振り分けて「妥協しない分野」つまり設計の課題や造形演習などの講義はいつも一番前で課題もフルスロットルで向かい、妥協しないで受けた。それ以外の授業はほとんど出席日数ギリギリという有様。サボっている間は「勉強」といい、いろんな「新しい建築物」を見に行った。そういう勉強道具はだいたい六本木や渋谷にあるのだから「勉強」というのはほぼ「遊び」だったのだけれど。
妥協をうまく割り振って、好きなことだけ気合を入れてやるというスタイルはその後社会人になってからも、ずっとそのまま来た、ように思っていた。
 
仕事は相手もあることで、自分の考えを押し通すだけではまとまらない。予算もある。だから形上の「デザイン」という面ではある程度妥協することもあったけれど、それは施主や一緒に仕事をする仲間との話し合いの末生まれた結果であり、みんなの真剣が集まったものだから「妥協」ではない。
 
だから仕事においてはほぼ「妥協ゼロ」だった。つもりだった。4ヶ月前までは。
 
でも4ヶ月前、自分の職業を一般のほとんどの方は知らないということに気づき、「エクステリアデザイナー」とか「外構デザイン」という言葉の認知度の低さを改めて思い知らされた。
それから「自分の職業を一言で表現する」ことについて一切妥協せずに、考えて考えて考えぬいてみた。
 
最初は2000字ほどでわかりやすく文章にしてみた。(一言の真逆だが)SNSで比較的評判が良かった。初めて私が何をやっているのかわかったという人もいた。
それから2000字を縮める作業が始まった。まだ同業者の誰も使っていない、わかりやすい表現を考え続けた。
 
仕事をしてるとき、ご飯を食べてるとき、お風呂で、トイレで。ほぼ四六時中考えていた。
 
泣きこそしなかったが、気分は小学校1年生の頃に戻っていた。苦しかった。息が詰まりそうになることもあった。
 
そう。「妥協しない」ってこういう気分だ! 妥協しないって苦しいことだった! 47年ぶりに「真の妥協しない」ということを味わった。苦しいけど気持ちが良かった。ある種のランナーズハイだったかもしれない。
 
妥協しないで考え続けて4ヶ月。 ある朝、ふっと湧くようにある言葉が浮かんだ。
 
「門と庭 設計士」
 
これ以上の言葉はない! あまりにも当たり前すぎて拍子抜けするような言葉だけにもしかすると独りよがりかもしれない。そう思ってSNSにあげてみた。
 
好評だった! いつもの倍くらいのペースで「いいね」がついた。言葉の専門家にも「良いですね」とコメントをいただいた。
 
考えに考えた末に実にシンプルな答えに行き着いた。 この言葉に一切の妥協はない。
 
妥協の嵐から卒業し「振り分け妥協」をしていると思い込んでいた。でも、それらの「妥協してない」はなんと偽物だったことか!
今回久しぶりに「真の妥協しない」を体験した。
 
仕事とはこうあるべきだ。こういう生き方をしたい。 なんと今までだらだらと来てしまったのだ! 一度「真の妥協しない」を体験したらもう戻れない。
 
これからは新しい肩書きに恥じぬよう仕事面では1mmも妥協しないで行こうと決めた。
 
47年前と同じかそれ以上の完璧主義を徹底し、「完璧に妥協しない」で苦しもう。
 
これが私の「妥協しない論」だ。

 
 

❏ライタープロフィール
國正 珠緒 READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部

東京都生まれ東京都在住

門と庭 設計士
モットーは「住んでる人が素敵に見える門構え、手入れよりも豊かに過ごす時間が長くなる庭を作ります」
自社のホームページを少しでも読みやすいものにしたくて、ライティングゼミに通い始めて「書くこと」の奥深い魅力にはまっています。
エクステリアコーディネーター 公認講師

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/70172


2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

関連記事