週刊READING LIFE vol.239

本当に美味しいものって何だろう?《週刊READING LIFE Vol.239「これ絶対食べてみて! 人生で最高の一品」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/11/13/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「今まで食べたもので一番美味しかったものって何ですか?」
 
と聞かれてあなたは即答できるだろうか?
 
「そういうお前はどうなんだ?」
 
と問われれば、もちろん選べません。
だっていっぱい食べたもの、美味しいものは。
 
そう聞かれて最初に心に浮かぶのは、やはり海外で食べた珍しいものだろうか。初めて行った海外は留学に行ったイギリスだ。
 
「イギリスで美味いものを食べたければ、三食全部朝食にすればいい」
 
なんていわれちゃう国だけど、そう捨てたものではない。昔、『イギリスはおいしい』(林望、文春文庫)なんて本があったけど、私も同感だ。
 
確かに「フルイングリッシュブレックファスト」と呼ばれる朝食は、ボリュームもあって美味しい。カリカリに焼いた薄めのトーストにベークドビーンズというケチャップ煮込みのような豆をのせて食べる。これまたカリカリのベーコンやスクランブルエッグなどが添えられていて、もちろん飲み物はポットで出てくるミルクティーだ。
 
イギリスの水は硬水だからか、かなり濃いめの色で抽出される紅茶はミルクティーにするのが一番似合う。日本の軟水向けの紅茶とはブレンドが違うのだそうだ。
 
そしてやはり、イギリスのスコーンは格別だ。
 
スコーンと聞くと、
 
「やっぱりアフタヌーンティーでしょう?」
 
と思われる方も多いと思うが、あんなに上から下までスイーツやサンドイッチがてんこ盛りになったティータイムをイギリス人が毎日楽しんでいることは、ない。私がお気に入りだったのは、ロンドンのフォートナム&メイソンという高級デパートのティールームでいただく特別なお茶ではなく、どこの小さな町にもありそうな、お店の二階の片隅にちょこっとスペースが設けてあるようなティールームだった。何の気兼ねなくスコーンとお茶を楽しめるようなところだ。
 
東京でいうなら、帝国ホテルのティールームなんてそうそう行けるもんじゃないけど、コージーコーナーや不二家ぐらいなら気楽に寄れるでしょう? という感じだろうか。
 
そういうわけでイギリスだって美味しいのだ。
 
他にも私の心の琴線にふれた美味しいものはたくさんある。イギリス以外でもヨーロッパに行くことが多く、特にドイツには好んでよく行った。
 
ここでお酒をよく嗜まれる方なら、
 
「じゃあ、ビールね!」
 
というところだろうが、あいにくと私は下戸の生まれ。ドイツで標準の「アインマス」(1Lに相当)のジョッキなど逆立ちしても飲めやしない。酒好きの友人に連れられてミュンヘンの「オクトーバーフェスト」に出かけた時は、その「アインマス」をなんとか飲み干したはいいが、後で完全に意識が飛びかけてしまったほどだ。
 
しかしかの国はソーセージが美味い。
パンもチーズも格別だ。
 
ソーセージはドイツ語で「ヴルスト」というが、ドイツ国内あちこちで違う種類のヴルストが作られている。どこでもけっこう見かけるのが日本にもありそうな赤めの色合いの「ブラートヴルスト」、これはいわゆる焼きソーセージだ。立ち食いスタンドのようなところで買い食いするときは、ソーセージをつまむ持ち手の部分だけ挟むパンと一緒に買うことができる。
 
やはり、熱々の立ち食いはたまらない。
 
まず、匂いで嗅覚に訴えてきて、それから味覚に直撃するうま味。今でこそ、日本でも本場ドイツ仕込みのソーセージ、というのも手に入るようになったが、本当に美味しいソーセージを食べたのは、ドイツが初めてだった。
 
「ああ、いろいろ食べてきたなぁ。あれもこれも美味しかったなぁ」
 
と、今まで自分が食べてきた美味しいものを振り返ると、自分にとって美味しいとはいったいどういうことだろう、との問いが浮かんでくる。世の中美味しいものが好きな人はたくさんいるが、別にそこまでしなくても十分よい、という食べることにそこまで情熱を注がない人だってたくさんいる。
 
でも。
だからこそ、「食べる」という行為は自分にとって、また人間にとってどういう意味を持つのか、ということを考えてしまう。
 
まず、人間は生物だから食事を摂らないと死んでしまう。この場合の食事は生命維持のための食事だ。人間、という有機生命体がいのちを繋ぐために食事によってエネルギーその他必要なものを摂取しなくてはならない、という現実がある。
 
仙人じゃないのだから霞を食らって生きていけるわけじゃないし、吸血鬼みたいに人の血だけで事足りるはずもない。人間は物理的に食事を摂らなければいけない。
 
しかし、私の食遍歴でも見たように人間は楽しみとしても食事をする。食べることは人生の楽しみである、と感じる人もたくさんいるだろうし、私もその意見には賛成だ。だが、それが行きすぎると、お金を出せば出すほど美味いものが食べられる、ということになってしまうこともある。いわゆる「美食」と呼ばれるものになると、食べることに執着し過ぎて、大切なものを損なうこともあるだろう。
 
その大切なものとは、「健康」だ。
 
「美味しいものって身体に悪いよね。脂肪と糖質のかたまりじゃん、スイーツなんて」
 
という声も聞こえてきそうだが、はたして本当にそうだろうか?
 
「美味しいし、身体にもいい食事」
 
そんな食事を目指したい、と私は思うように変わっていった。
 
外で食べる食事、家で作る食事、その食をどう組み立てたらいいのか、現代の食にどういう問題があるのか、などいろいろ調べ始めると実はキリがない世界だった。その探求は今でも続いているが、マクロビオティックという簡単にいえば玄米菜食を土台にした食事法に出会ったのもこの頃だったし、雑穀料理を主にベジタリアンな食事を提唱していた「つぶつぶ料理」の料理教室にも通ったりしていた。
 
まず、加工食品が多すぎる。それはつまり添加物という化学成分が気を付けていないとあちらこちらから大量に入ってきてしまう、ということになる。何か食べものを買う時に裏返して成分表示を見てみたことはあるだろうか。結構な量のカタカナが書いてあることも多い。
 
和菓子を買ったつもりなのに裏には「マーガリン」と書いてあって、「えーっ!」と思うこともある。市販の加工品には思わぬ保存料、甘味料などが添加されているのだ。一度気付いてしまうともう、解決策はできる限り自炊をするしかないように思えた。
 
ちょっと窮屈だけど、
 
「健康のためにはしかたない」
 
と思っていたものだ。
 
ところが、そんな風に健康的な毎日の食事、それが自分のテーマになった矢先に母が病気になり、亡くなった。ガンだった。
 
私と一緒にいろいろなものを食べて、そして同じように健康的な食生活を、と想いを同じくしていたのにそんな努力をせせら笑うかのように死神にあっという間に連れ去られてしまったのだ。
 
その時は、いったい何が悪かったのか、とかなり考えた。だが、直接の原因など医者に聞いても分かるはずはないし、分かってもどうしようもない。健康に多少配慮したところで、人間どうせ死んでしまうんだ、とその時は思った。
 
だけど。
 
だからといって、今さら「何を食べてもどうせ最後には死んじゃうもんね」と開き直る訳にもいかないではないか。その頃は自分の子どももいたし、その子や家族に「食べたら悪影響がある可能性のあるもの」は食べさせたくはない。かといって、がんじらめに厳しく、外食の楽しみまで制限するのは、どうも違うような気もした。
 
何が違うと思ったのかは、やはり
 
「食べることは楽しい」
 
という意識だろう。自分が生まれ育った環境で学んだことだ。家族に楽しく食事をして欲しいと思うなら、自分が楽しんで料理を作らないと始まらない。
 
考えてみれば、私が海外で見つけた美味しいものはどれも高級なものではない。安価で手に入り、その土地で伝統的に食べられてきたものが多かった、と思う。まあ、学生の頃はお金もないから高い物は買えなかったのだとしても、贅沢なものが美味しいと感じる訳でもないのなら、何が「美味しい」の決め手になるのだろうか?
 
そこで思い出すのが、ドイツ南部のガルミッシュという小さな町で泊まったホテルのレストランで食べた時のことだ。ホテル、といっても家族経営の宿でとてもこじんまりとしたところだった。食事そのものはもちろん美味しい。日本とは違い、肉の料理方法に長けている料理は食べたことのない味わいで大いに堪能したことを覚えている。
 
しかし、一番心に残っているのはその時給仕をしてくれたお姉さんが実に楽しげに料理を運んでくれたことだ。
 
「ふふん、ふんふ〜ん」
 
といった風情で常にニコニコした表情を浮かべていて、こちらの様子にも逐一気を配っていてくれた。そして最後にはシェフ(多分お姉さんのお父さん?)があいさつに出てきた。当時はあまり日本人観光客が来ない場所だったこともあり、私は珍しい東洋人観光客だったようだが、最高のもてなしを提供しよう、という気持ちがカタコトのドイツ語と英語による会話で感じられた。
 
今ならそれは、いわゆる「ホスピタリティ」では? とでもいって済ませる話かもしれない。でもそんなカタカナで表現できるようなことではなく、そのときはもてなしの「心」を受け取った、という気持ちだったと思う。
 
何かが本当に美味しいかどうかは、物質的な成分だけの話ではない。そこに気持ちが裏打ちされていてこそ、美味なのだろう。おふくろの味が心に残るのは、母の愛が込められているから、というと陳腐に感じるが、実際はそれが正しいのかもしれない。
 
人によって好みは違う。
 
文化、習慣的に、
または体質的に、
もしくはそのときの体調的に、
 
人が美味しいと感じるものは画一的なひとつのものではない。そんなものはありえない。そこに心が込められているのかどうか、が重要な点なのだろう。
 
もし私が死に際に何を食べたいか、と問われれば、何と答えるだろうか?
末期の水ならぬ、末期の食は、いったい何がよいだろうか。
 
今までで何が一番美味しかったかと聞かれてもひとつに絞ることはできないが、こういう質問になら、答えることができる。
 
「熱々の塩むすび」
 
それ一択だ。
 
心を込めて私のことを思って握ってくれたおにぎり。鮭も昆布も、海苔だって要らない。少しきつめに振った塩だけでいい。
 
それこそが私にとって「最高に美味しい」食事になることだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2023-11-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.239

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