週刊READING LIFE vol.250

胸の高鳴りは弓道の神さまからのプレゼント《週刊READING LIFE Vol.250 この高鳴りをなんと呼ぶ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/2/19/公開
記事:松本萌(READING LIFE編集部ライティングX)
 
 
意識がぶっ飛ぶくらい集中した経験がある人は世の中にどのくらいいるだろう。
 
いわゆるゾーンに入っている状態とも言える。ただゾーンに入っているときは意識が飛ぶわけではないのでその意味では違う。意識が飛んでいるイメージとしては、深酒をして記憶はないのに人との受け答えを問題なくこなし、気がついたらちゃんと家に帰ってシャワーを浴び歯磨きをしてパジャマに着替えてベットで寝ていた「酔っ払い」状態に近いかもしれない。端から見ていてなんの問題もないが、本人の記憶はない状態だ。
 
私は今までの人生で一度だけ経験したことがある。高校2年生の秋、16歳のことだ。

 

 

 

高校時代の思い出は部活一色だ。
もちろん毎日学校に通い授業に出席して体育祭や文化祭、修学旅行などの学校行事も楽しんだ。それでも「高校生活とは?」聞かれると「部活です。それしかありません」となる。
 
私は高校を受験する段階で「弓道部に入る」と決めていた。
理由は二つだ。「高校生活を謳歌するために部活を頑張りたい」という思いと「もっと日本のことを知りたい」と思っていたからだ。
 
中学時代の私は美術部に所属していたものの、ほぼ帰宅部状態だった。毎日家と学校の往復でつまらなかった。「未経験なことに挑戦したら楽しくなるんじゃないか」と考え、高校では部活を頑張ろう、できれば運動部に入って青春を謳歌しようと決めた。
 
そうとなるとどんな部活に入るかが重要だ。行き着いた答えが「日本の文化を学べるものにしたい」だった。
 
日本にこだわった理由には英語が影響している。
私は授業の中で英語が一番好きだった。世界共通言語である英語を学べば様々な国や文化圏に住む人たちとコミュニケーションが取れると思うとワクワクした。それに比べ日本語は世界では通用せず日本の中でしか使えない。「アメリカやイギリスで生まれたら苦労せずに英語を使えるようになったのに……」と、日本人であることに損した思いを抱くようになった。
 
そうは言っても日本人として生まれたことは変えられない。ならばもっと自分の生まれた国を知ろうと考えた。日本らしいものを連想する中で武道に興味を持つようになり、運動神経の鈍い私でも何とかなりそうだと辿り着いたのが「弓道」だった。
 
無事弓道部のある高校に入学し、迷うことなく入部した。
運動部そして武道の世界ということもあり、部活は完全なヒエラルキー社会だった。顧問や先輩は絶対的な存在で、1年生のころは自分の練習に集中できる環境ではなかった。ミスを連発して1時間正座しながら先輩に叱責されたこともある。
それでも楽しかった。土日や祝日関係なく毎日部活だったが苦にならなかった。弓道が性に合っていたことに加え、親や周囲の大人から「やりなさい」と言われたことではなく、「自分が本当にやりみたいことは何か」を必死に考えて導き出したことをできることが嬉しかった。
 
上級生が引退し、自分たちの学年が引っ張っていく2年生の夏頃には部内でもトップの的中率を出せるようになっていた。私含め3人が顧問に呼ばれ、複数の大会が開催される秋に向けて団体選手として練習するよう指示された。
 
インターハイ予選を除き、高校弓道では団体戦に出場する選手は3人となっている。
矢を4本持って射場に入り、前から順に1本ずつ打ち、3人目が打ち終わったら最初の人が次の1本をを打つという動作を繰り返す。これを各校2回目行い計24本の的中で争う。
トップバッターを「大前(おおまえ)」と呼び、大前の動作に後の2人がついていくというルールがある。大前にはチームの雰囲気を作る役割に加え、会場の空気にのまれず最初の1本目を当てる度胸が求められる。
二番目は「中(なか)」と呼び、大前に続いて当てることでチームの流れを加速させたり、大前が外せば中が当てることで立て直すというチームを安定させる役割を担っている。
最後の「落(おち)」はなんと言っても最後の1本を決められる精神力の強さが必要だ。会場中が固唾を飲んで見守るなか弓を引くのは、相当プレッシャーがかかる。
大前は私、中を部長、そして落が副部長という布陣で大会に挑むことになった。
 
団体戦と言っても他の競技のように戦略があるわけではなく、求められていることは各自が全ての矢を的に当てるのみだ。そのため各々で練習をしてもいいのだが毎日3人で一緒に練習をした。
的中においてメンタルの及ぼす影響は計り知れない。緊張からくる体のこわばりによっていつものように弓を引けなかったり、ちょっとした心の緩みや「当てられるだろうか」という不安感が矢を的から遠ざけてしまう。大会という緊張感漂う中で焦らず持っているものを全て発揮するには、平常心に近い状態で「いつもと同じことをする」ことが大切だ。そのため大会のときと同じ環境で練習することを心掛けていた。
 
10月に入り公式および非公式の大会が続くシーズンが到来した。
大前として「何としても最初の1本を当てる」ことを自分に課し、射場に入るたびにドキドキする心臓に「おさまれ、おさまるんだ」と言い聞かせた。
 
毎週のように大会に参加する中、不思議な経験をしたのは県内でも強豪として有名な学校で行われた非公式の大会のときだ。
 
さすが強豪校だけあり、道場は広く床はピカピカだ。
いつものようにドキドキし始めた胸の高鳴りを感じながら待機する。前の競技者が退場し、30メートル程先にある的と自分の間に障害になるものは何もない。いざ的に向かうべく「行くぞ」と気合いを入れ、左足を踏み出す。
 
私の意識はここでプツッと途絶えた。
 
2本目の矢が的にパーンッと当たる音でハッと意識が戻った。慌てた。どんな状況なのか瞬時に理解できなかった。
 
大会では大前、中、落の順に1本ずつ矢を引き、落が1本目引き終わってから大前が2本目を引くというルールがあり、自分の前の人が引き終わるまで矢を離してはいけない。後ろを振り返ることは許されないため、大前は落が離す音を聞き逃さないようにしなければいけない。
 
意識が飛んでいたため自分が落を追い越していないか不安になった。ただ追い越した場合は審判が声を掛けるので大丈夫だと自分に言い聞かせ、3本目の矢を弦につがえた。
1本目の結果がどうだったのか確認しようと的を見たら、矢が2本的に命中していた。
大前の仕事を果たせていたことにホッとしつつ、数分の間記憶がなかったことにドキドキした。緊張ではなく興奮からくる胸の高鳴りだった。
 
動揺していたのだろう。3本目は外してしまったが4本目は的の中に納めることができた。
 
3人とも4本引き終わったところで顧問のもとに向かった。顧問が話している間も上の空だった。「あのとき私はどうなっていたんだろう。いつもと同じだったんだろうか」
ボーッとしていた私の耳に、いつもは口数の少ない顧問がニヤニヤしながら「次10本当てたら総合優勝だな」と言う声が飛び込んできた。
 
非公式ではあるものの立派な優勝旗と優勝カップが準備されている大会だった。総合優勝した団体チームには優勝旗が、そして個人の総合優勝者にはカップが贈られるようになっていた。大会は男女別で運営されているものの優勝旗と優勝カップは性別関係なく的中数が多い人に贈ると定められており、現在団体総合優勝に一番近いのは開催校の男子チームだった。
 
持ち矢数は12本。そのうち10本当てなければいけないのは至難の業だ。「いやそれはちょっと……」と部長が食い下がるも顧問のニヤニヤは止まらない。
 
なぜ1回目は記憶が飛んでしまったのか分からないまま2回目を迎えた。
いつものドキドキが始まったが、緊張からくるものではないと気がついた。私の心はワクワクしていた。今まで感じたことのない「私は当たる」という確固たる自信が心の底から湧き出てくるのを感じた。
 
意識を的に向ける。
いつもなら離す瞬間「当たるだろうか。今離すべきだろうか」と思うのに、全く迷いは生まれなかった。的にパーンッと当たる音が響いた。
中、落が続けざま外す。後が無い。
2本目だ。1本目と同様迷いなく放たれた矢が的に吸い込まれていく。その後誰も外すことなく、顧問の予言通り10中し優勝旗を持ち帰ることができた。
「先輩達の気迫すごかったです。見ていて絶対当たるって思いました」と後輩が興奮気味に言ってくれた。
 
その後も大会は続いたが、意識が飛ぶことはなかった。
そして引退が近づくにつれ私の的中率はどんどん下がっていった。修正しようと必死になればなるほど崩れていった。見かねた顧問がアドバイスをくれたが、的中は戻らなかった。
引退前の最後の公式戦のとき、私の心臓は全くドキドキしなかった。はやる気持ちを落ち着かせようと必死だったのが嘘のように凪の状態だった。いつもと同じ距離にあるはずの的が遠くに感じられ、矢は的に届かなかった。悔しさと情けなさで感情をコントロールすることができなくなり、号泣した。
 
高校に入学する前から「自分は弓道をするんだ!」と意気込んで頑張ったのに、大雨や大雪の中でも必死に練習をしたのに、どんなに厳しく先輩に怒られても食らいついて続けたのに、最後は散々な結果で終わったことに意気消沈した。弓道に裏切られた気がした。
大学でも続けようと思っていたが、入学した大学に弓道部はなかった。ホッとしている自分に気がついた。「十分頑張ったよ。もう弓道しなくてもいいんじゃない」と言われてる気がした。
 
社会人になり2、3年経ったある日、何気なく社内誌を読んでいたら「弓道部」という文字が目に飛び込んできた。社内の部活紹介の紙面だった。弓道着を着て写る部員の姿を見たとき、16歳の秋の事が思い出された。
 
改めて空白の数分間のことを考えた。
あのときの私は極度の集中状態になっていたのではないだろうか。意識がない中でいつもと変わらぬ弓道ができたのは、ひとえに日々の鍛錬のなせる技だったのではないだろうか。もし弓道の神さまがいるならば、私の弓道への熱い思いをくみ取って新しい世界を見せてくれたのではないだろうか。
弓道にそっぽを向けられたと思っていたけど、そんなことはないのではないだろうか。最後の大会であんなに大泣きするとは思わなかった。そこまで強く思えるものを私は見つけられたんだと、弓道の神さまが教えてくれたのではないだろうか。
 
大会に出場するときに感じた胸の高鳴りを懐かしく思い出した。
当時は「また緊張でドキドキしてきた…… 嫌だな」と思っていたが、緊張だけではなかった。大会という独特な雰囲気に包まれた中で弓道ができることへの高揚感、練習の成果を発揮する場を与えられたことへの充実感、部の代表として出場していることへの使命感。大会のつど成長し、自分のステージがグッと上がるたびに私は胸の高鳴りを感じていた。
 
「弓道をしたい」という強い思いが溢れ出てきた。

 

 

 

高校時代からカウントすると、弓道歴はそろそろ通算20年だ。
高校時代は白と黒の円で交互にデザインされた的を憎たらしく感じていた。無機質なデザインの的に「こっちは大きさも距離も変わらずずっと同じところにいるのに、何で当てられないの?」と言われてる気がした。今では「おっ! 一週間ぶりの練習だね。変わらず待っていたよ」と言ってくれているような気がしている。
今では高校のときのような大会があるわけではないため、ドキドキすることは少ない。あんなにも嫌だったドキドキが実は自分の成長を歓喜する胸の高鳴りだったのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松本萌(READING LIFE編集部ライティングX)

兵庫県生まれ。千葉県在住。
2023年6月より天狼院書店のライティング講座を絶賛受講中。
「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。平日は会社勤めをし、休日は高校の頃から続けている弓道で息抜きをする日々。

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2024-02-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.250

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