週刊READING LIFE vol.257

半世紀を経て刺さる、卒業歌の重さ《週刊READING LIFE Vol.257 忘れない》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2024/4/9/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
中高一貫校で学んだ私は、関係が濃い友人が多数居る。
母校は男子校だったので、そんな友人達が私の自慢だ。
 
12歳から18歳迄、同じ環境に置かれると何故か、人間は同化してくるものだ。
それは多分、指導を仰いだ恩師が同じだからという要素が大きいと思う。
何故なら、同窓の旧友達と逢った際、恩師の話題と為ると大いに盛り上がるからだ。
 
 
私達には、6年間続けて受け持って頂いた恩師が、3名だけ居る。
12歳の入学時、学年主任をされて居たO先生もその一人だ。当時既に40代後半だったと記憶している。
 
英語担当のO先生と、二人の若手教師(体育と国語)は、私等子供300余名を6年間かけて、青臭い若者に育て上げて下さった。
3人の先生は、個性が強い母校教師の中でも、一際存在感が強い方々だった。
丁度それは、テレビドラマ『水戸黄門』に登場する“黄門様”“助さん”“格さん”の様だった。
今思えば、私等の“助さん”“格さん”も腕っ節が強く、口より先に手が出るタイプだった。勿論当時は、それが許される時代だった。
生徒の私達だって、長々と説教されるよりは、頬を一発張られて済むなら有難いと考えていた。それも、許される時代だった。
 
 
戦前生まれO先生は、母校の先輩だった。その為か、他の先生より多くの話(勉強以外の)をして頂いた記憶がある。
もっとも、皆さんには信じられないことだろうが、授業の半分は余談とも付かない話だった。カリキュラム等は、完全に無視して居た様だ。
但しこれは我が母校の伝統で、校歌の歌詞にも、‘勉強とは自ら勤しみ励むもの’と在る位だ。
 
なので今でも、旧友達の間では、
 
「俺等が英語を話せないのは、O先生が無駄話ばかりしていたせいだ」
 
と、冗談とも本音とも付かぬ想い出話が出る始末だ。
 
しかし、私にはO先生の余談が、とても楽しく人生の勉強に為った記憶している。
例えば、学校をサボって新宿をブラついていて見付かった同級生が出た際、
 
「お前等も、色気づいてきた証拠だ。親と居るより、学校に来るより、友達とつるむ方が楽しい世代に決まってる」
 
と、言って下さった。
当時既に、親との折り合いが悪かった私にとって、何だかホッとしたものだ。
 
他にも、オイルショック(1973年)の際のこと。
暖房が自粛され、寒い教室で震えていると、
 
「若いから仕方ないが、粋がって薄着してるんじゃない! いつかきっと、長袖の肌着が有難くなるぞ」
 
と、予言めいたことも仰った。
O先生が亡くなった数年後、ユ〇クロから‘ヒート△△’為る暖取り用のアンダーウエアが発売された。多くのTVスポットが流れ、街中の誰もが着用する様に為った。
私は思わず、
 
『O先生の冗談(余談)が、本当に為った!!』
 
と、声を上げそうに為ったものだ。
 
 
O先生は、男子校の教師だったので、男気も持ち合わせていた。
或る時、学校の正門前で、O黄門様の格さん(若手国語教師)が、同級生の一人を怒鳴りつけていた。原因は何事か失念したが、ま、大した事ではなかったのだろう。僕等にとっては、日常の光景だったからだ。
 
しかし、その日は違っていた。格さんが生徒を叱っているところを、校長が見付けたのだ。
 
「通りに面した、通行人から見える所で、生徒を怒鳴るとは何事か!」
 
と、格さんを校長室に呼び出し注意したそうだ。
それを知った、O黄門様は、校長室に取って返し、
 
「預かった学年生徒に対する指導は、このOが責任をもって“助さん”や“格さん”に頼んでいる。生徒を叱るのもその一部だ。以降、ウチの“助さん”“格さん”に対する注意は、この、Oを通して頂きたい」
 
と、抗議したそうだ。
この噂は、学年中に一気に広がった。
そして、O黄門様に対する僕等の尊敬は、より一層増したものだ。
 
私にとってその時のO先生の行動は、後年、年下の者と付き合う際に大いに役立ったものだ。
 
 
冗談と言えば、O先生とはこんな想い出も有る。
20世紀最晩年のこと。
当時、80歳を超えていたO先生は、身体が不自由だった。長年の飲酒で、脳梗塞を発症し、その後遺症だった。
7月9日のこと、この日は僕等にとって年に一度の同級会の日だ。母校の79回卒業生だった(はい、伝統が在る学校なのです)ので、毎年7月9日は一堂に集うことにしているからだ。これは、還暦を過ぎた現在も、同級生の習慣に為って居る。
 
その年、久々に姿を見せたO先生は、御自身の体を気遣いアルコールには手を出さなかった。足が不自由だったので、壁際の席に座ったまま、心なしか元気が無いご様子だった。
私は、一人座っているO先生が、何だか可哀そうに感じた。O先生の隣に腰かけた私は、ひとしきり御喋りをしていた。
そして私は、或ることを思い出し、
 
「そう言えば、1973年に金大中(キム・デジュン)さんが、東京で誘拐された時、先生は、
『お前達は使用しないかも知れないが、あの方(金大中氏)は、世が世ならば韓国の大統領に為る逸材だぞ』
って、教えて下さいましたよね。覚えていらっしゃいますか?」
 
と、訊ねた。
御歳を重ねたO先生は、余りハッキリとした反応は為さらなかった。
私は続けて、1998年に韓国大統領に就任した金大中氏に触れ、
 
「先生の、予言は当たるのですね」
 
と、世辞めいたことを言った。
O先生は、正気の咲顔を見せて下さいった。
 
更に、その後の挨拶の際、
 
「そう言えば先程、山田が言うには『金大中氏が、韓国大統領に為るって言っていた』と、私が予言したらしいことを聞かされた」
 
そして、
 
「俺のホラ話も、聞いて置いて無駄ばかりではないだろう」
 
と、締め括った。
場内は、大爆笑と為った。
ホラ話の片棒を担いだ形の私も、何だか嬉しくなった。
 
 
英語教師であったO先生は、授業中というか登校すると常にスポーツウエアだった。テニスが得意で、硬式テニス部の顧問をしていたからだ。顧問をしていたからと言って特段、スポーツウエアを着用する必要は無い筈。
O先生は、暇さえあると壁打ちテニスをしていたのだ。その為のウエアだったのだ。
 
そう言えば、O先生は、とても小柄だったにも拘らず、右の二の腕だけは柔道部の顧問の様に太かった。
実際にテニス部の同級生に聞いたところ、
 
『O先生のスマッシュが、身体に当たったりすると、途端にアザに為る』
 
と、言っていた。
そればかりか、
 
『顔面にスマッシュが当たった生徒は失神した』
 
と、都市伝説めいた噂も有るそうだ。
 
 
テニス部の顧問だったO先生には、僕等よりも5級先輩で、自慢の生徒が居た。学業優秀で、毎年優等賞を受けた上に、テニスでインターハイにも出場したそうだった。
後年、私には、その自慢の生徒が、話題の一つと為ったのだ。
 
O先生の元を、僕等が巣立った8年後のこと。
私は、今のカミさんと結婚した。当然、互いの家にも行き来し、結婚式の相談もした。
そこで判明したのだが、カミさんの兄、即ち私の義兄は、私の同窓だったのだ。
しかも、ことも有ろうに、義兄はO先生が自慢していた優等生だったのだ! インターハイ選手だったのだ!!
当然、O先生と義兄は、卒業後も交流が有った。
 
そして問題が、起こった。
私の結婚式に、O先生も呼んで欲しいと義兄が頼んできたのだ。私にとって断り辛い頼みだった。
しかし、前提と為る問題が有った。
それは、39年前には一般的だった仲人を、“格さん”先生に頼んであったのだ。黄門様の前で、格さんが高砂席に着くのは躊躇われたからだ。
 
それでも何とか、“格さん”はO黄門様に出席して頂くことを快諾して下さった。それでも、
 
『遣り辛れぇーな』
 
の一言は残された。
 
 
結婚式の当日。
式場ロビーで私を見付けたO先生は、
 
『結婚おめでとう』
 
の一言も無く、
 
「まさか山田が、N君の妹さんと結婚するとわなぁ」
 
と、冗談とも本音とも付かぬことを言い出した。
私は、
 
『人生最高の晴れの席に、何を言い出すんですか!』
 
と、声を上げそうに為った。
しかし、公衆の面前なので思い留まった。
 
 
最近の結婚式では行われないだろうが、バブル期前後の結婚式では、御色直し後の‘キャンドルサービス’が一般的だった。各席では、出席して下さった来賓や友人達が、口々に、
 
『結婚おめでとう!』
 
と、言いながら拍手で迎えて下さった。
 
私とウエディングドレス姿のカミさんは、キャンドルサービスで各席を回っていた。
そして、友人達とO先生の円卓に来た。卓の真ん中の蠟燭に、炎を移す僅かの間、O先生が、
 
「山田。お前はビジネスで、何を売るか知っているか? 山田は、お前自身を売るのだ」
 
更に、
 
「お前ならきっと、高く売れるぞ! 必ず、高く買ってくれる人が現れるぞ!!」
 
と、エールにも似たことを言って下さった。
私は思わず、涙が溢れそうになったが、カミさんの手前、必死に堪えた。
 
それでも、39年前にO先生から掛けられた、
 
『お前ならきっと、高く売れるぞ! 必ず、高く買ってくれる人が現れるぞ!!』
 
の、言葉は、今でも私の背中を押し続け下さっている。
何が有っても、元気を失うなと応援して下さっている。
人生を歩む上で、礎(いしづえ)と為って下さっている。
 
 
実際の話。
現在の私は、家業であった事業を閉じ、幾つかのコンサルを生業としている。
顧客のどれもが、人脈を辿って繋がった縁だ。
 
これは正に、O先生が仰って下さった、私を高く買って下さった方が現れた証拠だろう。
 
私が頂戴したO先生の御言葉は、決して冗談でもホラでも無かったのだ。
 
 
そして。
高校を卒業して約半世紀、結婚して40年近く経った現在。
 
私は、高校の卒業式で合唱した『仰げば尊し』の歌詞が、やっと自分に刺さったと感じる様に為って来た。
師の恩が、尊く感じられる様に為ったからだ。
 
 
残された限りある人生を、O先生の言葉と教えに従い、邁進したいと思う。
 
私を高く買って下さる方が居るのだから。
 
 
それ以上に、O先生の御言葉を、冗談やホラにしない様に。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)


1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

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2024-04-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.257

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