週刊READING LIFE vol.313

しんどい時は口笛を吹く人に遭遇したい《週刊READING LIFE Vol.313》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2025/7/3/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
朝8時の通勤電車。「余裕」という文字は存在しない。到着時間、乗り換えのタイミング、化粧の仕上がり具合など。全員、何かしらを間に合わせようとしている顔だ。焦燥感と平常心は共存できない。通勤電車の中で機嫌よく過ごすのはむつかしい。
 
人の密度が高い、座れそうな席がギリギリ座れない、カバンが邪魔。高さ150センチの世界からはすべてにおいて閉塞感、息苦しさしかない。頭1つ飛び抜けていたらもっと息がしやすいだろうに、などと考える。目の前の事柄から、自分の思考に意識が移ったとき、ちょっとだけ息ができる。でもすぐに引き戻される。あと数分の辛抱だ。そう言い聞かせながらも、心の中では何度も毒づいている。心が荒れていく。声にこそ出さないが、顔にはきっと出ている。
 
ひと駅ごとに人がぎゅっと増えていく。小さな毒づきやツッコミが積み重なって、いつの間にか、心の中が怒りで充満しているのがわかる。「ごめんなさい」が言えない人、「すみません」が聞こえない人、世界はそんな人だらけだと錯覚するこの時間帯。何でみんなこんなにも状況把握に無頓着なんだろう。降りる人がいそうなら道を空けるとか、前に詰めてきたら察してどける準備をするとかしたらいいのに。言いたいことは山ほどある。それら全部を飲み込んでますます苦しくなる。
 
 
 
そんな朝のイライラに風穴を開ける出来事があった。朝帰りのホストとおぼしき人とすれ違った時だった。私が乗り換える駅は、いわゆる夜の繁華街がある地域で、しかもその時間は、彼らの帰宅時間だったらしい。
 
朝の苛立ちが募る時。場合によっては、はしゃぎすぎる彼らに眉をひそめる人も多いだろう。けれど、私はそんな彼らの嬉しそうな楽しそうな様子に怒ることを忘れていた。誰かの機嫌がいいという、ただそれだけのことが、こんなにも救いになるのかと驚いた。それだけではない。彼らに親近感も感じた。理由は単純。自分がお酒好きだから。ほろ酔いの上機嫌、ふわふわした気分、どうでもいいことが最高におもしろく感じるあの感じ。私はそれを知っているし、共感できる。チラリと見ると、スーツのポケットに手をつっこみ、上着のすそをひらひらさせながら歩いていた。酔いが残っているのか、表情はゆるく、足取りも少し浮いている。通勤途中のギスギスした空気の中で、彼だけが別の時間軸を歩いていた。朝だけど夜。ほろ酔い気分がこちらにも伝播した。
 
 
 
疲れ切ってトボトボ歩いていた帰り道。どこからともなく口笛が聞こえてきた。こちらに向かってくるおじさんからだ。今の時代、道ばたで口笛を吹いている人に出会うこと自体が珍しい。口笛を吹きたくなる、思わず吹いてしまう状況といえば、機嫌の良いときだ。「誰かに聞かせよう」と構えてではなく、思わず勝手に出てしまう音。おじさんに何があったかは知る由もないが、「なんだか幸せそうだな」と感じ、こちらも嬉しくなった。ご機嫌のお裾分けをいただいた気分だった。
 
 
 
ご機嫌なときに勝手に出てしまうものと言えば鼻歌もそうだ。
それなのに「仕事中に鼻歌を歌って、先輩に怒られた」という人の話を聞いた。
「仕事中はアカン」と言われたという。鼻歌が出るということは、集中していて、機嫌が良くて、テンポも乗っていて、いわば仕事において「パフォーマンスめちゃ向上状態」ともいえる。だからこそ、私はその話を聞いて、しばらく唸った。たしかに、静かなオフィスに鼻歌は不似合いかもしれない。でも、「人がベストパフォーマンスを発揮するには、ご機嫌でいることが何より大事」という視点が欠けているように感じた。「静かであれ」と「効率よくあれ」は、必ずしも両立しない。それなのに、会社という場所では、どうしても前者ばかりが重視される。
 
 
 
「アンガーマネジメント」という言葉がある。怒りをコントロールする技術として、ビジネス書や社員研修でもよく使われる。怒りはこちらの準備や都合におかまいなしで、ある日突然やってくる。呼んでもないのに勝手に来ては大暴れ。そのくせ、嵐の後はこちらの責任にされる。「コントロールできないあなたが悪い」と。そんなことになるくらいなら、怒りの感情を爆発させずに済む方法を知っておくのはことさら大事だ。6秒間をやり過ごし、深呼吸して、状況を俯瞰し、冷静に対応する。みんなそんな風になれば、世の中は平和になるのだろう。でも私は、朝の満員電車で肩をぶつけられて、イラッとしたその瞬間に、「あ、これは自分の中にある一次感情が~」なんて分析する余裕は正直ない。怒りを沈めるのに必要なのは、「理屈」じゃない。
 
 
 
たとえば子どもが、火がついたように泣くとき。
お腹がすいたのか、眠いのか、暑いのか、寂しいのか。言葉をまだ持たないからこそ、生きるために必要な叫び。あれは怒りに近い。というか、ほとんど怒りそのものだ。でも、その激しさのわりに、子どもって、驚くほどあっさり泣き止むことがある。ずっと泣いていた子が、急にテレビの音に反応して、お気に入りのぬいぐるみが目に入って、外から鳥の声が聞こえて。ちょっと首をかしげた瞬間、泣いていたことすら忘れている。
 
その急変は、傍で見ている大人にとっては少し拍子抜けするほどだ。
でも、私はそこにものすごく大事なヒントがあると思っている。
 
泣き止むきっかけって、「納得」じゃない。
「理由を説明されたから」とか「気持ちが整理できたから」じゃなくて、もっと無意識に、何かの感覚に触れたとき、ふっと涙が引いていく。きっとそれは、怒りや不機嫌にも通じている。
 
 
 
私たち大人は、感情に理由を求めがちだ。「なぜイライラしてるのか」「なぜムカついたのか」その理由を突き止めて、消化しようとする。だけど、子どもの泣き止み方を見ていると、「理由にこだわるより、感覚に任せた方が早い」ってことを思い知らされる。子どもにとっては、冷たい麦茶のグラスに触れたときのひんやり感や、風鈴の音、クレヨンのにおい、足の裏に感じる畳の感触の方が、何よりも早く心を落ち着けてくれる。
 
怒りのテンションを一気に下げてくれるのは、きっと些細なことだ。私の場合は、ほろ酔いの朝帰りホストや、口笛おじさん。はたまた、レッサーパンダの動物園のポスターだったり、焼きたてクロワッサンの香りだったりもする。怒りって、実はすごく単純なものなのに、感情にいちいち理由を探しては、勝手に深刻ぶっている。そんな思考を捨てた先に、ぎゅっとくる本能に触れる何か。音、香り、ぬくもり、光。そういう、ただ「そこに在る」だけのもの。それだけで怒りはスルリとほどける、と感じている。
 
 
 
言葉より、体感。
説明より、感覚。
共感より、空気。
 
そうだ、空気がかわるだけでいい。
 
しんどい時は口笛を吹く人に遭遇したい。
そして、口笛を吹く人にもなりたい。
そんな風に思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。

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2025-06-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.313

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