週刊READING LIFE Vol.33

海で風に乗る《週刊READING LIFE Vol.33「今こそはじめたいスポーツの話」》


記事:なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ひと夏だけ、私が熱中したスポーツがある。ウィンドサーフィン。それ以前には、聞いたこともないスポーツだった。始めた理由も、言ってしまえばミーハー気分だった。でも、本当に楽しかった。
 
大好きな声優さんがいた。初めてファンクラブにも入った。彼のイベントがあればホクホクと出かけ、彼の声が入った商品は新しいものはもちろん、古いものもオークションサイト等で集めた。彼がオリジナルでCDを出すと言った時の喜び様ったらなかった。彼はとてもフレンドリーで、イベントを開催すると必ずファンとツーショットを取ってくれる気前の良さがあった。そしてサインが入った小物を必ず彼から手渡しでプレゼントしてくれるのだ。私は、近所の友人の様に接してくれる気前の良さと、素敵かつ面白い声、面白い話、どんどん彼に心酔していった。
 
ある時、彼が海の男だということを知った。海が大好きで海の傍に住んでいることを聞いた。確かにいつも真っ黒だ。体格もいい。腕の筋肉も結構ありそうだ。その彼がずっと前から好きで、仕事以外は没頭しているものの話をした。彼が愛して止まないスポーツ、それはウィンドサーフィンだった。私はその名称を初めて聞いた。サーフィンって海でボードに立って波に乗るものだよね。じゃあウィンドって、英語では風だけど、風と波乗り? 当時はパソコンもそこまで普及していなかったので検索なんて簡単にできなかったし、その時は謎なまま家に帰った。
 
彼の言う「ウィンドサーフィン」が頭から離れない。連日のイベント、初日の舞台で「ウィンドサーフィン」という言葉が出た。翌夜もチケットがとれたので参加した。この回も「ウィンドサーフィン」という言葉を聞いた。今日は謎なまま帰りたくない。ファンクラブイベントに参加しているうちに友人もできていた。友人に聞くと「サーフボードにヨットの帆みたいなセイルが立っていて、風に乗って海を走るもの」と言うことだった。風に乗る……、響きがいい、かっこいい。
 
後日再開したこの友人は、その声優さんの話をしているとき「あの人の話で気になってウィンドサーフィン始めた」と切り出した。聞くと、最初はその声優さんに会えるかもと、始めたが何度か通ううちにウィンドサーフィン自体が楽しくなったのだと言う。毎週末通っているのだと言う。鎌倉の隣、逗子駅から徒歩で行ける場所に彼女は通ってるとのことだった。上手く風に乗れるとボードがスイスイ進んでとても楽しいらしい。それを誰かと分かちあいたい。私もやってみないかと声がかかった。
 
体を動かすことは大好きだけど、逗子ってどこ? 鎌倉は高校時代行ったことがあるけど、かなり遠かった気がする。でも話す彼女はとても楽しそうだ。目がキラキラしている。そして、調べると、電車で2時間くらいで行ける場所で、乗り換えも2回で済むことが判明。次の週には彼女と一緒に逗子に行く電車に乗っていた。
 
この日は体験教室を受けることにした。説明を受けた後、長袖のウェットスーツを渡される。初めてのウェットスーツ。実はこのウェットスーツを着てみたかった。このウェットスーツを着ている人ってボディラインが美しくかっこいい。以前沖縄に行った時は着用する機会がなくちょっと残念だったことを思い出した。念願のウェットスーツが着れる! 着用すると全身ぴっちりしてきつめ、体がしまる。ウェットスーツと呼んだが、正確にはラバー素材でできているドライスーツと呼ばれるもので、かなり蒸す。ぴっちりしている方が海では動きやすいらしい。なるほど、この締まり方がボディラインを美しく見せるコツだったのか。かなりきついので近くの砂浜に移動するにもロボット歩きの様になる。
 
準備体操をしっかり行い、砂浜に置かれたボードで立つ時のバランスのとり方を習う。講師から波と風でバランスを崩しやすくなるのでしっかり腰を落として足で踏ん張ることが大切だと教えられた。次にボードにセイルと呼ばれる帆を立ててボードに固定する。セイルには横にバーが渡してあって、これを手で持ってバランスをとる。風にセイルがとられてバランスを崩すとセイルが横に倒れる。海の上でセイルが真横に倒れると、再び立ち上げるのはかなり力とコツが必要になる様で、バランスのとり方に30分くらいは使っただろうか。
 
説明が終わりボードにセイルを立てた状態で浅瀬に繰り出す。波にボードが浮く、ボードが浮くと重量が無くなり軽くなる。と、その時サァァァァっと横から風が吹いてきた。立てていたセイルにあたる。腕にズシッっと急に重みがかかった。重たくてとても支えきれない。セイルと一緒に倒れそうになる。講師から「手を放して!」と声がかかる。はっとして両手を離す。セイルがパタンと横に倒れた。驚いた。さっきの説明で、風は重いので初めのうちは逆らわないで手を離して、と指導を受けていたが、これほどまでとは思わなかった。
 
今度は水に倒れた時のセイルの起こし方を習う。真横に倒れたセイルを平らなまま力づくで引っ張り上げるのは、表面張力が働いて至難の業。そこでセイルに渡したバーを持ちセイルを翻すように斜めに引っ張るとスイっと楽に立てられるらしい。両方自分で感じてみましょうと言う講師に従い、まずは平らな状態で引っ張ってみる。なるほど、セイルが水に張り付いたようにびくともしない。強力な糊で接着されているような感じだ。次にセイルを少し斜めにして起こしてみる。こちらはさっきの接着が嘘の様に、スッと滑らかに美しく弧を描きセイルが立ちあがった。面白い、セイルの立て方ひとつ、知ると知らないのとではこんなにも違うのか。
 
浅瀬で少し練習した後、今度は少し深いところまで移動する。何度かセイルが倒れ、起こし、を繰り返しながら水と戯れているうちにこの日の教室は終わった。一緒に行った友人はもっと水位の深い沖の方で風に乗ってきたらしい。満足げな表情で帰ってきた。帰りに寄ったモスバーガーで友人に「どうだった?」と聞かれた私は「楽しかった!」と即答していた。
 
翌週末、この日は一人だったにもかかわらず、逗子行きの電車に乗っている私がいた。正直物足りなかった。体験ではセイルの重みを知って、バランスのとり方、セイルの立て方をやっただけだ。肝心のウィンド、風に乗ってない。声優さんも友人も、「風に乗るのが気持ちいい」と言っていた。その感覚が私にはまだない。風の気持ち良さを私も知りたい。
 
先週と同じように準備体操を終え、セイルを立てたボードを浅瀬に浮かべた。今度は自主的にセイルを倒す起こすを繰り返し練習した。この日はもう少し深い位置まで行けることになった。それでもまだ普通に立てば腰丈くらいの水位だろうか。ボードに立ってみて浅瀬とはかなり違う感覚に驚かされる。浅瀬より波が強いためボードが常に上下に揺れている。それでも足を踏ん張って立たないとあっという間に倒れる。膝がガクガクと震え笑う。波の上に立つってこんなにも大変だったのか。この日も風に乗ることはできずに家に帰った。
 
また次の週も電車に乗って逗子に行った。今日こそはちゃんと立って風にも乗るぞと意気込んで出かけた。嬉しいことに浅瀬でも立つコツが少しつ掴めてきた。浅瀬から始め、少し深いところに徐々に移動し、ボードの上に立つ。肘を伸ばし、セイルに渡したバーを握る。背筋を伸ばしセイルを後ろに引っ張るような姿勢をとる。頭で講師の話の一つ一つを唱えながら立った時だった。サァァァァァと風が吹いてボードが滑り出した。速い、速い! 風を受けたセイルが重みを増すが前傾にならない様に注意しバランスを保つ。後ろに引っ張る、後ろに引っ張る、と唱えながら必死で操縦する。気づくと少し離れた波打ち際に来ていた。さっきの場所から200m位は移動しただろうか。
 
とてつもなく速かった。一瞬で移動した気がした。波の上を滑った。何だろうこの感覚は! 周りの景色を見る余裕などみじんもなかったが、風と一体になった感覚は味わった。
 
そして欲が出た。もう少し深いところからスタートしてみよう。セイルを倒し、ボードを押しながら泳いで足がつかない場所まで移動した。ボードは巨大なビート版の様なもので押して泳げる。足のつかない場所は更に波が強くなる。その波を受けながらボードの上に立つ。先ほどと同じような風が吹いてきた。また風に乗る。今度は周りを見る余裕が少しできた。と思った矢先に体が前傾になりバランスを崩す。手を離した瞬間海に投げ出される。ガボガボと塩水をたらふく飲む。足が全くつかない、怖い! 必死に水をかきボードを掴む。ボードを掴んだことの安心でしばしそのまま波に揺られた。泳げるし、足がつかなくても大丈夫と思っていたが甘かった。そういえば海で泳いだのは初めてだった。こんなにも塩辛いのか。目も開けられないものなのか。体制を立て直し、ボードに立ってセイルを起こし、最初にいた波打ち際まで戻った。海は甘く見てはいけない、この時に痛感した。
 
海では慎重に、と思いつつもあの風の気持ち良さは忘れられない。また乗りたい。そうして5月に体験教室に参加してから2か月間毎週末通った。片道2時間かかっても、帰り道くたくたになってもそれを上回る楽しさがあった。急に体に負荷を強いたからだろうか、足首を痛めてしまった。くるぶしの辺りから甲にかけて紫色に腫れてしまった。医者にかかったが原因不明と言われてしまい、数か月コルセットを付けることになった。痛くて歩くのがやっとだった。数か月後腫れは引いたが、紫になったままの状態だ。これなら翌年には再開できたかもしれないが、歩けなくなっても困るし、と再開することはなかった。
 
以前、友人から声優さんのセイルの模様を聞いていた。一度だけ、多分そうだろうと思うセイルをかなり沖の方に見たことがあった。他にはあまり見ない模様だった。あんなに沖で自由に風に乗れて、波を滑って。危険と隣り合わせながらも楽しいんだろうなあと思った。仕事以外は風に乗っていたい、その言葉の意味がやってみたことで垣間見ることができた。だから彼はあんなに体ががっちり鍛えられていたんだ。常に風と波と真剣勝負をしているんだ。
 
夏、スポーツの季節がやってくる。海で何かスポーツをしてみたいと思っているなら自信を持って薦めたい。ウィンドサーフィンはおもしろい。あの風の気持ち良さを、波を滑る心地よさ、体験すればきっとわかるはずだ。私だって、足の怖さから抜け出せたなら、その時にはきっとまた始めるだろう。

 
 
 

❏ライタープロフィール
なつき(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。
 


この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/82065



2019-05-21 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.33

関連記事