週刊READING LIFE Vol.36

彼の様に、格好良く活きたい。彼女の様に、慕って欲しい 《週刊READING LIFE Vol.36「男の生き様、女の生き様」》


記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「用が有ったら口笛を吹け(If you want anything, all you have to do is whistle.)」
 
これは、ハリウッドの名優ハンフリー・ボガートの墓碑に書かれている言葉です。実に格好良い。キザではありますが、こんな言葉を残してこの世を去るなんて、男の本懐ともいうべき生き様だと思います。彼の愛称は『ボギー』。
ハンフリー・ボガートといえば、“シブい”男の代表的存在としての認識が有ります。決して、男前であったり二枚目であったり、見た目が格好良い存在ではありませんでした。しかも、ハンサムでないばかりか、背丈もあまり無く(一説では168cmという説もある)、ジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブルといった、190cmを超す大柄な男優が多い傾向にあった1930~50年年代の映画界では、珍しい存在でした。それでも、アカデミー賞作品の『カサブランカ』でボギーが演じた主人公のリックの衣装、白いタキシードをはじめ中折れ帽にトレンチコートといった扮装は、格好良い男の典型的コーディネートとなりました。それは、トレンチコートのベルトを、バックルでしっかりと締めるといったボギー独特の着こなしから来ています。かくいう私も、ボギーに憧れて、似合いもしないのにトレンチコートを何着も所有し、各シーズンに合わせて中折れ帽を所持しています。
 
『三つ数えろ』(監督ハワード・ホークス、原作レイモンド・チャンドラー)という映画の主役を演じたボギーのセリフに、
「(見た目を驚かれて)あぁ、ハンサムでも無けりゃ若くも無い、背だって思っていたより低いはずだ」
という、自虐的なものが有ります。しかし、そういったセリフを言って除けるところが、ボギーのシブさを証明していると思うのです。自分を下げても、周りからの評価が変わらないのが本物の男とでも言う様に。
 
1899年生まれということは19世紀の生まれのハンフリー・ボガートは、NYで父親が医者という比較的裕福な家庭に育ちました。良い育ちのせいか、性格的にも余裕が有り、立ち振る舞いも都会的でスマートだったそうです。自宅から通える名門イェール大学への進学を勧められましたが、反抗し軍隊(海軍)に入隊してしまいます。除隊後、ブルックリンで舞台に立ち、その後俳優を目指すことになります。
ここまでの経歴だけで、男としての格好良い生き様を示す基礎が見えてくる様な気がします。何事にも余裕が有り、学が有り、体力が有り、自分の進む道を選ぶ決断力と行動力をも持ち合わせているところがです。
ボギーはその後、ワーナーブラザーズ(映画制作スタジオ)所属の俳優となりますが、40歳を迎えるまでギャングの敵役を多く演じることとなります。これは、ハンサムでは無かったので、二枚目の役は回ってこなかっただけですが、確かな演技力で印象に残る敵役を任されたからだと思います。要するに、役者としてはすでに他に替え様が無い存在となっていたという証明です。
またその頃から、プライベートな場面では辛辣な毒舌が有名だったそうです。これは、若い頃培った教養と、一本気な性格がそうさせたのでしょう。
40代になって、フィルム・ノアールと呼ばれる虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画が多く制作されるにつれ、ボギーは主役を多く張るようになりました。『三つ数えろ』のレイモンド・チャンドラーや、『マルタの鷹』のダシール・ハメットといった作家の原作が、ハードボイルドな内容が多かったので、ボギーにぴったりと合ったことも、彼の生き様に一役買ったと言えるでしょう。
 
実は冒頭のセリフですが、映画の中で使われたものです。その映画は、ハワード・ホークス監督の1944年製作(日本公開は1947{昭和22}年)『脱出(TO HAVE AND HAVE NOT)ですだ。原作はなんと、アーネスト・ヘミングウェイ。数多く映画化されたヘミングウェイ作品の中でも、3作目にあたる比較的新しい作品です。ノーベル文学賞を獲得したヘミングウェイに関しては、改め説明の必要が無いと思います。ただ、世の文学好きのライフスタイルに多大な影響を与えたヘミングウェイと、世界の映画好きを虜(とりこ)にしたボギーが、同じ1899年生まれなのは何かの因縁かも知れません。
また、監督のハワード・ホークスは、時には都会的コメディを撮ることもあったのですが、本来は男臭い西部劇やギャング映画を得意とした監督として知られていました。
ハードボイルドな作品も得意としていましたが、ボギーを出演させたのは意外なことに『脱出』と『三つ数えろ』の2作品だけでした。
むしろ、ホークス監督の隠れた功績と言えば、この2作品にボギーの相手役としてローレン・バコールという、新人女優を抜擢したこととも考えられます。
ホークス監督は、ことのほかローレンを高く評価していて、ボギーとの共演作以外にも『紳士は金髪がお好き』というミュージカル映画に起用しました。ブロンド・ブルーアイでクールビューティなローレンを、同じくお気に入り女優でセクイシーキュトの代表格、マリリン・モンローのお姉さん的役柄(実際はローレンが年下)で出演させたくらいです。
 
冒頭のセリフであり、ボギーの墓碑に残された言葉は、ボギーが喋ったセリフではなく、相手役のローレンのセリフなのです。だから正確には、
「~口笛ふいて」
と語尾が違った字幕が付いています。文字だけを追うと、大人の女性が年下の男の子に向かって諭すようなセリフと思えます。ところが、『脱出』出演時のボギーは45歳。一方のローレンは、何と驚くなかれ20歳だったのです。勿論、現代の20歳(一先ず、広瀬すずちゃんを想定して下さい)とは違って、当時(1944年)の20歳は、完全に大人でローレンは色気満載でした。
しかも画面では、自分に一目惚れしたことがアリアリと解かるボギーの膝に乗り、軽くキスしてから意味深な表情で、そのセリフを言うのです。しかも、ホテルの部屋を出て行きしなに。そして、続きのセリフに、
「口笛の吹き方知ってる? 唇をすぼめて(キスをする時の形の意)息を吹くのよ」
とある。完全に上から目線のセリフなのです。とても、大人の男性に向かって、たとえ色気は有っても20歳の小娘が言い放つセリフとは思えません。
映画では、ローレンが去って一人取り残されたボギーが、思わず口笛を吹き頭を振りながら“参ったなぁ”の表情を見せるのです。私は、『脱出』を初めて観た45年前から、このシーンが頭を離れたことは一時(いっとき)も有りません。
まさに、大人の女の生き様を見た気がしたからです。
 
『脱出』にはその後の物語が有って、主演のボギーとローレンは、映画の役柄さながら実生活でも恋に落ち、25歳の年の差を乗り越えて、二人は結婚します。
若いローレン・バコールは勿論初婚でしたが、45歳のハンフリー・ボガートは4度目の結婚でした。風変わりな結婚が多かったハリウッドでも、
「何であんな若い美女が、オッサンと一緒になるんだ」
とか、
「いい歳して、若い女に入れあげた」
と、やっかみ半分の批判が飛び交ったそうです。実際のボギーとローレン夫婦は、一男一女にも恵まれ、ハリウッドきってのベストカップルとして数えられる様になりました。
夫婦としての二人の生き様も、注目に値するものが有ります。1940年代後半から50年代に掛けて、ハリウッドにも“赤狩り”の嵐が吹き荒れます。戦後、全米に広まりつつあった共産主義シンパを狙い撃ちにし、社会的に排斥しようとする“マッカーシズム”のことです。ハリウッドの映画界でも、数多くの人が政府の委員会に呼ばれ、自らが共産主義者では無いと証言させられる事態になってしまったのです。
「赤狩りは、個人の自由に反するものだ」
との意見も出始め、“反マッカーシズム運動”のシンボルとして、当時すでに中核俳優の地位にあったボギーが祭り上げられました。妻のローレンも、当然の様に同調しました。
大人のボギーが、若い妻を自分の政治的思想に同調させたと考えるのが、通常の段取りと思われます。ところが、この夫婦の凄いところは、先に政治的な姿勢を強く持っていたのはローレンの方で、ボギーはそれに同調したに過ぎなかったのです。まるで、映画『脱出』の例のシーンそのままの生き様を、ボギーとローレンの夫婦はしてのけていたのです。
ただし、ローレンは妻の生き様としてでしょうか、自分が運動の先頭に立つことは無く、必ずボギーを表に出しました。現代と違い、当時のアメリカでも女性が社会的に自立出来てはいない時代だったからです。
ローレンは、賢い生き様の女性でした。
 
ボギーとローレンの夫婦は、1957年に58歳の若さでボギーが天に召されるまで添い遂げました。晩年は、食道癌で闘病するボギーに、仕事をセーブして付き添いました。
ローレンはボギーの死後、再婚します。日本的な考えでは、未亡人で一生を終えることが美徳とする風潮が有ります。ところがローレンの場合、ボギーに死なれた時、まだ自身が30代の若い時でした。子供を抱え、一人で生きて行くには長過ぎる人生が残っていました。再婚したとしても、薄情とは言い切れないでしょう。
その上ローレンは、再婚によってボギーへの想いの強さを証明したとも考えられます。何故なら、ローレンが選んだ再婚相手が、俳優のジェイソン・ロバーツだったからです。後に『大統領の陰謀』、『ジュリア』の2作品でアカデミー助演男優賞を獲得し、演技派の名優と称されるジェイソンですが、ローレンとの結婚当時は、やっとメジャーデビューを果たした俳優に過ぎませんでした。
ただ、デビュー当時にジェイソンに付けられたニックネームは“ハンフリー・ボガート2世”でした。ローレンは選ぶのももっともです。
ここでも、ローレンの生き様を垣間見ることが出来た訳です。
 
ジェイソン・ロバーツとボギーの因縁は、付けられたニックネームだけではありません。ボギーが『デッドライン~USA』という小品映画で演じた新聞の編集長は、ジェイソンが『大統領の陰謀』で演じたワシントンポスト紙の編集長の若い頃がモデルと言われています。また、『ジュリア』で演じたのが、ボギーの出世作『マルタの鷹』の原作者ダシール・ハメットだったのです。単なる偶然とは思えません。
 
私は、ファッションだけでなく仕草もボギーの影響を受けています。今でも喫煙者なのですが、先日友人にタバコの持ち方を指摘されました。友人曰く、スマートなたばこの持ち方は、人差し指と中指に挟む方法とのことです。私の持ち方は、人差し指と親指双方の指先で摘まんでいます。友人に言わせると、
「ヤンキーの兄ちゃんじゃ有るまいし」
だそうです。
「品良く見えない。誰の影響なんだ」
と叱責を受けました。思い当たる節が有りませんでした。ところが、友人の疑問への答えが見付かりました。この記事を書くに当たり、いくつかのボギーの映画を検索したところ、ヘビースモーカーだった彼は常にタバコをくゆらせており、人差し指と親指で摘まんでいたのです。
いつの間にか私は、ボギーの仕草を真似していたのでした。多分、若い頃にボギーの仕草が格好良いと感じたからでしょう。
 
ハリウッドに、チャイニーズ・シアターという映画館が在ります。ここは、その名の通り、スタッフ全員が中国風のユニフォームで出迎えてくれる映画館です。もっと有名なのは、劇場前に有名俳優や映画関係者の手形・足形があることです。通常は、あいさつの一言や劇場オーナー(シド・グローマンという人)に向けたメッセージが書き添えられています。別格なのは、ハンフリー・ボガートのそれで、そこには、
「Sid, May you never die, Till I kill you.」
と在ります。訳すと、
「シド。俺が殺すまで死ぬなよ」
となります。御礼には相応しくないかも知れませんが、残したのが毒舌で有名なボギーだと考えると、妙に格好良く粋に感じてしまうから不思議です。
私もいつか、こんな格好良い言葉を残したいと思います。
 
そしてこれからも、ボギーの生き様を人生の手本として生きて行きます。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
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2019-06-10 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.36

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