人工骨から考える私のルーツ《週刊READING LIFE Vol.36「男の生き様、女の生き様」》
記事:藤原華緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
大好きだった祖母が亡くなった。
2年前に脳出血で倒れ、入院をしていたものの、なんとか頑張って令和を迎え、87歳で亡くなった。
大往生だ。
私が生まれたのは祖父母が40代のとき。初孫でもあった私は、実の子供のようにかわいがってもらった。
青函連絡船に乗せてもらったり、夏休みに海に連れて行ってもらったり。冬休みには1か月間湯治に連れて行ってもらったりもした。たくさん遊んでもらったし、いろいろなところに連れて行ってもらった。私は、祖父母のおかげでとても幸せな幼少期を送ったように思う。
ここ数年は、私もタイミングを見ては地元に帰省するようにしていたので、倒れる前の祖母ともよく会っていた。
昔に比べてずいぶん小さくなった祖母の姿は、なんとも言えない感情を呼び起こしたのだけれど、私が行くといつも楽しそうに笑っていた。いつもおしゃれに気を使っていた祖母は、80歳を過ぎても毎月美容院に行き、白髪を染めたり、自分の好きな洋服を選んで着るような人だった。
そんな祖母は、大きな米農家だった祖父の家に16歳で嫁いできた。春ごろから秋までは米の収穫のためにとにかく働いた。たまに遊びに行くと、田んぼから帰ってきた祖父母の姿を見ることも多かった。
農業は、想像以上に過酷な職業だと思う。特に米はほかの野菜と比べても作るのが難しいといわれているし、人手もそれなりにかかる。それでも祖父母は田植えと稲刈りの繁忙期以外はたった2人で米を作ってきた。今ほど機械化も進んでいなかった当時は、一日中、中腰で炎天下の下で作業することもあったと思う。体力的にもかなり負担の多い仕事だったはずだ。
祖母が息を引き取った次の日、私は妹と一緒に地元に帰った。
通夜で祖母の姿を見ると、私が記憶している祖母よりも一段と小さく、細く見えた。それでも顔はびっくりするほどきれいで色白で、声をかけたら、起きて私の名前を呼びそうな雰囲気さえあった。
私は、声をかけてみた。当たり前だけど、やっぱり起きることはなかった。
冷たくなってしまった頬に触ったことと、呼び掛けに反応がなかったことで、どこか信じきれていなかった祖母の死を私自身、そのときにようやく受け入れたような気がした。
次の日、火葬場に到着して、本当に最後のお別れとなった。
「またね」
私が言ったのはその一言だけだった。いつかまた会えると、私は本当に思っていた。
荼毘に付された祖母が戻ってきたのは、それから1時間後だった。
「それでは喪主様から順に、皆様で骨上げをしていただきます。これが喉仏ですね。そしてこちらが頭ですね……」
火葬場の係の人に説明されながら、祖母の骨を見ていくと腰のあたりに、20センチほどの鉄の大きなボルトのようなもの、そして膝のあたりに、片足2つずつのお皿のような形のものが残っていた。
「ねえ、あれ何?」
私は母に聞いた。
「大腿骨(だいたいこつ)を手術した時と、膝を手術した時の人工骨だよ」
私は母に持っていいか聞いて、骨上げ用の箸でそれを持ってみたのだけれど、とても持てるような重さのものではなかった。
「体を酷使して働いていたらからね、腰も膝も悪くしたんだよね」
小さく細くなった祖母の体の中にあんなに重いものが複数入っていたことに、ただ驚いていた私に母はそう言った。
16歳で嫁ぎ、祖父の両親と暮らし、農家の嫁として3人の子供を育て、働き続けた祖母。叔父が後を継ぐまでは、祖父とともに田んぼを守り続けた。私の中には、たくさん遊んでくれた思い出と同じくらい、田畑で働いていた祖母の記憶が今でも鮮明に残っている。
だから、あの大きなボルトと膝の人工骨は祖母の生き様そのものを表しているような気がした。
核家族が中心の現代とはずいぶん時代が違い、家のために働くことが当たり前であり、嫁の役割も想像できないほど大きかった時代だと思う。
それでもここ数年、祖母は自分のことを「幸せだ」とよく言っていた。
人が悔いのない人生を送るということは、目の前にあるせいを全力で生きることだと思う。
そして、祖母はそうして目の前の生を一生懸命生きた。だから、晩年自分のことを幸せだと言えたのだと思う。
足腰に人工骨を入れることになっても、それは彼女の決断だったし、それすらも祖母が目の前の生を一生懸命生きた証なのだと思った。そう、あの人工骨の重さは、祖母の人生の重さなのだ。
87歳まで目の前の生を全力で生き、何とかして令和を迎えてから亡くなったこともとても祖母らしい。
祖母は私のルーツだ。
祖母がいなければ私はこの世にいなかった。
当たり前の事実なのだけれど、私は祖母がいなくなった事実を通して、ますます自分のルーツが祖母にあることをとても気に入っているのだ。
火葬場を出て空を見上げると、まっすぐに伸びる飛行機雲が見えた。
それは、まるで祖母が天に上っていくための道筋のように思えた。
◻︎ライタープロフィール
藤原華緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1974年生まれ。2018年より天狼院書店のライティング・ゼミを受講。20代の頃に雑誌ライターを経験しながらも自分の能力に限界を感じ挫折。現在は外資系企業にて会社員をしながら、もう一度「プロの物書き」になるべくチャレンジ中。
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