週刊READING LIFE Vol.36

超絶カッコつけアラサー女の生き様《週刊READING LIFE Vol.36「男の生き様、女の生き様」》


記事:森野兎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

学生時代の友人に会ったときの、「最近、どう?」が億劫で仕方がない。
「実はついにプロポーズされました! 夏に両家の顔合わせを済ませて、年内には入籍予定」
だとか、
「いやー仕事が忙しくてさあ。初めてプロジェクトのリーダー任されて、毎日てんてこ舞い! ほんと大変だよ~。でも自分の裁量で進められるって楽しい」
だとか、
「登山にはまっててさ、この前登った山で熊に遭遇して超焦ったんだけど、意外と意気投合しちゃって。お土産に鮭までもらっちゃったよ」
とか言いたい。
 
わたしの中で、「最近、どう?」は、何かしらで充実した生活をしていないと、非常に答えにくい質問だ。
やっかいなことに、わたしはこれまで、「しっかりしている」と言われて生きてきた。真面目で面倒見が良い方だとは思う。だからか、中高大どのグループにいても、「ときにみんなを叱咤激励し、ときに母なる包容力でみんなを受け止める」風のポジションにいた。みんなわたしによく悩みを相談してくれたし、よく頼ってくれた。わたしの方も、偉そうに話を聞いて、アドバイスを送ったりしていた。何者でもないくせに、「人様に意見できるような人間」として生きていくことが成立していた。
その感覚が抜けないのか、今でも「しっかりしている人」「いろいろ上手いことやっている人」だと思われたい節がある。しかしわたしは、そんなによくできた人間ではない。最近にいたっては、トントン拍子で物事が進むことなんてなくて、何かとみんなより出遅れている。
友人の多くは、どんどん結婚していき、子どもだっている人が多い中、自分にその予定はない。結婚していなくても、仕事に邁進し、それなりのポジションに昇りつめたりしている友人もいるが、自分は仕事を無難にこなすばかりで、大きな成果も上げれていない。プライベートを充実させるような大した趣味もない。つまりいまのわたしは、何も成し遂げられていないし、何も充実していないし、非常につまらない人間なのだ。
一応働いて税金は納めているので、国民の義務は果たしている。法的にも道徳的にも人の道を踏み外すようなことはしていない。客観的に見れば、そこそこ平凡で普通に生きているのかもしれない。でもいまの自分は、なりたい自分ではない。本当は、生涯をともにするパートナーがいてほしいし、やりがいや自信を持って仕事に打ち込みたい。せめて普段のストレスを吹き飛ばすような趣味があってほしい。恋愛も仕事も趣味も充実させたい理想があるのに、実現できていないことがもどかしい。自分で自分に納得できていないのだ。なりたい自分とは違うのに、今の自分を他人に誇ることなどできない。
そのくせ面倒くさがりだし、疲れたら何もしたくなくなる。いまの自分が納得できなくて、変わりたいのに、圧倒的に努力が足りない。こうやって自分で書いていて「どういうつもりだお前は」と言いたくなる。
 
そんな思いを抱えて生きていると、学生時代の友人と会うのが、なんとなく億劫に感じるようになってきた。中途半端で、つまらない自分が嫌なので、自分の話をしたくない。「最近どう?」と聞かれても、「うーん、特に何もないよ。平凡に暮らしてる」と逃げてしまう。それもモヤモヤして、最近は学生時代の友人に誘われても、断ることが多くなってしまった。
学生時代の友人はたまにしか会わないので、いまのわたしの現状をよく知らない。きっとイメージは学生時代のまま、「しっかり者」で「なんか上手いことやっている」なのだろう。わたしがあまりに自分のことを語りたがらないため、「しっかり者なあの子のことだから、何かしらの事情や考えがある」と深読みする友人さえいる。本当はただの努力不足で何も成し遂げられていないから、自分の話を避けているだけなのだが、それを素直に言うことができない。
しっかり者(だと思われているやつ)がつまずいていると、みんなが反応に困るような気がしてしまう。学生時代の友人たちの前では、あのころのように、誰かにアドバイスをできるぐらいしっかりした人間でありたい。わたしはきっと、みんなに気を使われるのは御免だし、格好悪い自分をさらすのも御免なのだ。いわば超絶カッコつけなのだ。きっとわたしの友人たちは、わたしを馬鹿にしたり、見放したりなんてしないだろう。それなのに、弱いところや格好悪いところを素直に出せない。「ちょっと聞いてよ」と言えたら楽なのだが、自意識やプライドが邪魔して、ありのままをさらけ出せない。一体誰のために、何のために格好つけているのか自分でもわからない。
昔はもっと根拠なき自信があって、未来の自分に期待していた。だけど現実には、期待していた自分はいなくて、何もできていないくせに、カッコだけつけようとする自分がいる。そんな自分が一番御免だ。
超絶カッコつけているアラサー女の生き様は、全然カッコよくない。むしろダサい。ここまで書いて、わたしの生き様ってめちゃくちゃダサいじゃん、という事実に震えている。
 
カッコつけて、できているように見せるより、何もできていなくたって、もがいてがむしゃらに生きている方がカッコいい。
人に誇れなくてもいいから、自分で自分のことを誇りたい。自分のことを、胸を張って誇れる生き方をしたい。
カッコつけなくても、ありのままで格好良く生きていけるような人になりたい。
 
なのに焦りや不安ばかりが大きくて、努力も根性も足りない。
なんとなく流されて、ボーッと生きているだけでは、時間だけが過ぎていく。
 
超絶カッコつけから、本当に格好良い人間になれるか。
本当の自分を取り繕わないで生きていけるか。
いつまでもダサいままではいられない。
「これがわたしの生き様よ!」と胸を張って言えるその日まで、頑張るんだ、わたし。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
森野兎(READINGLIFE編集部 ライターズ倶楽部)

アラサーのOL。2018年10月より、天狼院書店のライティングゼミに参加。ライティング素人が、「文章で表現すること」に挑戦中。

http://tenro-in.com/zemi/82065



2019-06-10 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.36

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