週刊READING LIFE Vol.36

神様の女房になりたくて《週刊READING LIFE Vol.36「男の生き様、女の生き様」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
2011年10月頃、「神様の女房」というNHKドラマが放映された。
 
パナソニックの創始者、松下幸之助と、その妻むめのの生涯を綴った物語だそうだ。松下幸之助は「経営の神様」の二つ名で知られており、神様の女房とはつまりむめののことを指している。面白そうだなと思いつつドラマそのものは見逃してしまい、それから何年か経って、原作の書籍を見つけたので手に取って読んでみた(「神様の女房」2011年/高橋誠之助/ダイヤモンド社)。著者はむめの本人ではなく、夫妻の執事を務め、それぞれの最期を看取った高橋誠之助。
 
物語はむめのの生い立ちから始まり、幸之助と出会い、結婚するところから始まる。子供の頃からしっかり者で、来客用のお椀を鏡のようにピカピカに磨き上げていたむめの。いくつかあった縁談の中で、「何もないところからスタートしたい」と、地位も財産もない幸之助を選んだむめの。性に合わないと仕事を辞めてきてしまった幸之助を、やりたいことをやりなさいと焚き付けて起業させるむめの。起業したものの仕事の実入りが少ない時はやりくりや内職で支え、幸之助では行き届かない従業員のケアに心を砕き、時には自分で営業までしてしまうむめの。会社の規模が大きくなってからは、従業員の妻にまで心配りをするむめの。晩年は、幸之助に美味しいものを食べさせたいと料理を習うむめの……。エネルギッシュで、パワフルで、人が良くて面倒見がよく、礼節を重んじる大阪のおばちゃんが、夫と一緒にどんどん成功していくのは、読んでいて小気味が良かった。
 
松下幸之助のことは、パナソニックの創始者、程度にしか知らなかったが、薫陶する人がとても多くいることにも同著を読んで納得がいった。夫も著者や講演CDを持っていて、折に触れて読んだり聞いたりしているようだ。男裸一貫、大志を抱きながらも小さな町工場からスタートした男が、持ち前の高い技術で世界有数の企業まで成長していく。そしてその成長した企業を、自らの手で継続させていく経営手腕の鋭さ。カッコいい。シビレる。男が一旗揚げて勝負したい、と思った時、成功イメージとして松下幸之助を挙げるのは至極当然のことなのだ。その横で、従業員の食事の準備や、今でいうメンタルケアなど、幸之助では手が足りない部分をフォローし続けたむめの。時に従業員の意向を無視した幸之助の決定に対し、正面から反論し、従業員を守ったこともあったそうだ。執事の高橋氏をして、むめのがいたからこそ松下電器(パナソニックの前身)があるのではないかと思わせたのも頷ける。
 
「……社長夫人、かくあれかし!」
 
さて、この本を読んだのは、夫と結婚して一年するかしないかくらいのころだったと思う。ミーハーで影響を受けやすい私は、あっという間にむめののファンになった。当時、夫は起業して五年ほど。私はOLをしつつ、副業で夫の会社の経理も手伝っていた。仕事上の会席に同席し、経理であり、妻であると紹介されることも少なくない。社長夫人として恥ずかしくない振る舞いをしなければ、と鼻息を荒くしていた私は、むめののように夫を支え、尽くしていくことこそが本分であるのだと天啓を受けた気分だった。夫が腹を据えて仕事に挑むなら、妻はそれを陰に日向に支える。やっぱり、そうやるとうまくいくんだ。私も夫を支えて、夫の会社を立派な会社にする手助けをしてみせる、そんな風に考えていた。
 
目指せ、神様の女房!
 
そんなスローガンを掲げて私ががむしゃらに仕事に行き、経理処理をし、家事をしている横で、勿論のこと、夫も仕事をしていた。だが何かがおかしい。そもそも夫は殆どの仕事を在宅でできるようにしていたので出勤がなかった。家でのんびりと起床し、食事をして、仕事をして、息抜きに散歩などして、アポイントがなければそのまま家にいて、私のために夕飯を作ってくれたりした。大変ありがたいことだったのだが、夕飯を夫に作ってもらうなど、私の中のむめの像と比べるとあってはならないことだ。ごはんを作って、美味しいよ、ありがとうと言ってもらうのは私のはずなのに。毎日夫にお礼をいいつつ、罪悪感にも似たモヤモヤとした感情が腹のあたりに溜まっていき、芝居の見せ場だけ取られてしまったような気分で、皿洗いをしながら首を傾げていた。ダブルワーク状態で時間に余裕がないから、しょうもないことを考えてしまうのかとも思ったが、夫の会社に正式に転職しても、モヤモヤした気分はおさまらなかった。
 
天気のいい日は、夫は庭にガーデンテーブルといす、パラソルを設置して、ビール片手にのんびりと仕事をする。
 
「ああ、気持ちいいなあ。起業して良かったなあ」
 
そんな風に言っている姿は、松下幸之助が寝食も忘れて仕事に打ち込んだ姿とは似ても似つかない。かといってサボっているわけではない、ちゃんと必要十分以上の売上が立っているのだから。その横で、むめのを目指してあれこれ気を回していると、私ばかり空回りしているような心地になってくる。そもそも、むめのを目指しているから経理処理など担当することを受け入れたが、私はこの仕事は好きではないのだ。空回りするために、好きではない仕事をする。そして何よりも、自分の立場を誰かに説明すると、「旦那さんの会社を手伝ってるんだね~」とぬるい微笑みが返ってくることが、私を苛立たせた。
 
手伝いじゃない、経理担当だ。むめのになりたいから嫌々ながらもやってるんだよ! 手伝いなんて軽々しい表現しないでほしいんですけど!
 
確かに手伝いではない、私も在宅にはなったが共働きだ。その状態で私がむめのがしていたことを真似すると、家事の分担が不平等になる。私はそれで疲弊しているのだろうか? 松下幸之助は寝る間も惜しんで仕事に打ち込んでいたから、むめのも同じように全力を尽くした。一方、庭でランチビールを決め込んでいる夫はどうだろう、仕事をしろ、あくせく働け、私はむめのになるのだから、とこの人の尻を叩けばいいのか? どうもそういう問題でもないような気がする。いや、夫は料理が好きだと言って食事を作ってくれる、むしろ家事の負担が減っている。そして夫は常々、セミリタイアしたい、あくせく働きたくないと言って、今のようにゆったりと働けるように起業当初から種を蒔いていたのだから、そこを変えろと言ってもきっと聞きはしないだろう。
 
そんな折、NHKで、朝ドラ「あさが来た」が放映された。2015年のことだ。こちらは大阪の女性実業家、広岡浅子をモデルにしたフィクションだ。主人公の白岡あさは、江戸末期に京都に生まれ、大阪の両替屋に嫁ぐ。世の中は大政奉還が為され、他の両替屋が時代の奔流を捉えきれずに次々と倒産していく中、あさが嫁いだ加野屋は、あさの機転でいくつも困難を乗り越えていく。そして炭鉱事業、銀行の創設、女子行員の採用、女子大学の創立と、女性が活躍することを悲願とするあさの奮闘を見守っていくストーリーだ。
 
ドラマの見どころはもちろん主人公あさの活躍なのだが、もう一つの見どころは、登場人物たちによるいろいろな夫婦像の生き様だった。女実業家で奥の仕事、今でいう家事は苦手なあさと、仕事が嫌いな夫の新次郎。あさの姉で、奥ゆかしく理想的な嫁であるはつ。その夫の惣兵衛は、無表情で打たれ弱いがやがて更生する。あさとはつの両親、新次郎の両親、惣兵衛の両親……いくつもの夫婦が出てきては、対となるように真逆の状態の夫婦も描かれる。お互いの近況を知ると、あちらはあちらで……と言葉をつぐむシーンが何度もあった。
 
特に、あさの姉、はつはこれでもかというくらいあさと対照的だった。結婚前に伺われたそれぞれの婚約者の人柄。嫁いだ後の夫の様子。大政奉還を乗り切れたあさと、時代錯誤な姑が仇となり、借金取りから追われる身となってしまったはつ。夫と仲睦まじいが子供に恵まれないあさ、子供が出来た途端、夫が蒸発してしまうはつ……。誰に感情移入するかによって、がらりと印象が変わるのだ。物語の終盤まで、何度も何度も、あさとはつの対比が映し出される。そんな二人が、終盤の葬式のシーンの後、ボロボロになったお守り袋を持って微笑み合う。
 
「うちら、それぞれのやり方で、お家守ってきはりましたなあ」
「せやなあ」
 
お守り袋は、嫁入り時にそれぞれ母から持たされた思い出の品だ。
母業を多少諦めて女実業家の道を選んだあさ、家族に寄り添い、慎ましやかな暮らしの営みを支え、みかん農家になったはつ。二人のしみじみとした表情に、何故かむめのと、自分自身のことが思い出された。
 
松下むめのは、この二人のどちらのタイプなのだろう、どちらでもないような気がする。あさのように自分から進んで事業はしないけれど、はつのように自分の意思表示ができなかった環境というわけでもない。この二組の夫婦が全く違うけれど、それぞれ幸せを見出したように、松下幸之助と松下むめのも、二人の幸せを見出したのだ。では私はどうだろう、あさか、はつか、それとむめのなのか?
 
「……どれでもないんじゃないかな」
 
呟いてみて、妙に腑に落ちた感じが心地よかった。女実業家になろうと思うほど強い意志はない。みかん農家のように手のかかる家業があるわけでもない。ましてやむめののように、あれこれサポートしないと事業も生活も回らない夫がいるわけでもないのだ。私の夫は、仕事の傍らでランチビールをして、夜中にお笑い番組を見て笑い転げ、趣味の料理の腕を磨きながら、のんびり暮らしたいと考えている。松下幸之助の生き様とは全然違う。そんな夫の横で、むめのになろうとしても、ミスマッチでしかなかったのだ。
 
価値観が多様化する現代、男の生き様も、女の生き様も、実に多様になった。ちょっと調べればロールモデルに値するような偉人の物語をすぐに見つけることができるだろう。しかし、いろいろな価値観が混在する現代だからこそ、ロールモデルを探すのではなく、パートナーと手を取り合って、二人、あるいはそれ以上の仲間との生き様を創造するのもまた良いのではないだろうか。
 
ちなみに、脱むめのした私は、自分の人生について大いに悩んだ後、ライティングに入れ込むことになる。毎週の締切にヒーコラ言う私をサポートしてくれるのはもちろん夫である。最近は、ライティングの時に助けてくれると分かっているからこそ、普段は経理の仕事をやってもいいかな、という心境になってきた。これからも、そんな風に助け合いながら生きていける夫婦でありたいなと願っている。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

http://tenro-in.com/zemi/82065



2019-06-10 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.36

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