週刊READING LIFE Vol.38

個が確立しなけりゃ成り立たない《週刊READING LIFE Vol.38「社会と個人」》


記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

『社会』を辞書で調べてみると、
「生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々のまとまり。また、その人々の相互の関係」
とある。または、
「同種の生物の個体間の相互関係や、それらのまとまり」
ともある。さらには、
「同じ傾向・性質、あるいは目的をもつ人々のまとまり。世の中。世間」
となる。
一方、『個人』も辞書で引いてみると、
「国家や社会や種々の集団に対して、それを構成している個々の人。一個人。私人。また、地位・身分などと切り離したひとりの人間」
とある。(共に、三省堂・大辞林)
『社会』も『個人』もそれぞれ、“society”と“individual”の訳語として、明治時代に登場した。
 
先に書いておくが、日本で一般的に『個人』の英訳として使われることが多い“person”は、『人』または『人間』としての意味合いが強く、複数人に用いる時には、“people”を用いるのが普通だ。“person”の形容詞形が“personal”。したがって、“person”は、個人的事情の場合に使われることが多くなる。個人的に使うコンピュータを『PC』を略すのがその典型だ。
 
『社会』も『個人』も、明治時代に登場した言葉であるなら、文明開化されるまでは、日本に於いて言葉以前にその感覚すら存在しなかったと思われることに驚きを隠せない。
しかも、辞書通りの言葉の意味からすると、『社会』を構成する要素として『個人』があり、『社会』よりも『個人』の存立が先立つと考えるのが順当だと思われる。
 
しかし、日本では、
「出る杭は打たれる」
「郷に入っては郷に従え」
「雉(キジ)も鳴かずば撃たれまい」
といったことわざが示す通り、社会の中で個人を目立たせることを嫌う傾向にある。社会のいう集団の中で、自分を主張することを控え、周りを忖度し空気を読み、波風立たせないことを美徳と考えているようだ。
ただその反面、歴史上の好きな人物等というアンケートでは、必ず、織田信長・坂本龍馬・源義経といった、個性的な人物が上位に来る。自分から率先だって何かを成し遂げた人物ばかりだ。
その反対に、表には出ないものの、裏方や縁の下で無類の実力を発揮した人物も居る。例えば、本田技研工業の副社長・藤沢武夫氏や、SONYの創業者・井深大氏がその代表者だ。本田宗一郎氏や、盛田昭夫氏のことは皆さんご存じだろうが、藤沢氏や井深氏のことご存知無い方も多いのではないだろうか。
 
この様に、日本では個人的に目立つ行動はたしなめられるが、実は、個性的で目立つ人物に憧れる矛盾を含んでいるように感じる。しかも、何を考えて行われているのか理解し難いが、10数年前から小学校で“個性を伸ばす”教育が行われている。
元々、人様(ひとさま)に引き出し伸ばして頂いたものが、本当の意味での個性かどうか疑わしい限りだ。何故なら、個性とは個々の人間が持って生まれた固有の物であり、本来、放っておいても伸びるはずの物だからだ。
しかも、個性を伸ばすことと、我を張ることを履き違えている者も多く、それが、今日日本の言い難い閉塞感を国民全体が持ち合わせる結果となったように感じるからだ。
 
ただ、私の様に自分を仕舞い込んでおくことが苦手な老人からすると、シェアハウスの様なプライバシー空間が少ない住居で快適そうに暮らしている若者は、既に人種はおろか生物学的にも別種になってしまったように感じたりもしている。
私等は、ホテルの相部屋でも大変苦痛なのに。
 
先に、『社会』も『個人』も外来した言葉であると書いたが、歴史の授業で習ったことを顧みても、国家や藩・領土といった集団的傾向は覚えているが、個人から発せられる地方の特色・文化といったものをあまり記憶に留めてはいない。
これは、常に正解を求め記憶する教育が、長い間行われてきたことの弊害であるのかもしれない。何故なら、自分で考えることが苦手な日本人が多いからだ。
勿論、20世紀までの日本の社会・教育は、世界的に見ても最先端を行っていたのかもしれない。その証拠に、バブル期の日本には、その経済的成功によって世界中の富が集まったのかと思えるほどであったからだ。
しかし、21世紀に入りデフレとなり、社会全体がどことなく下を向いている傾向に至った現代では、これまでの成功例(正解)に頼っていた日本のやり方では、全く対処出来なくなってしまった。自ら正解を導き出し証明を試みる教育の米国や、米国の教育を躊躇無く受け入れた中国が、どんどんと答えを出しそれを正解にせんと証明に力を注いでいるのにだ。
多分このままでは、日本は取り残されていくのは避けられない状況なのだろう。
 
このまま指をくわえて見ている訳にもいかないので、私なりに解決策を考えてみた。
先ずは、『良い・悪い』を口にする前に『好き・嫌い』を空気読まずに口にしてみよう。『良い・悪い』には反論が出るが、個性・感性が前面に出る『好き・嫌い』は、反論されることはない。時に冷たい視線が来るかもしれないが、意外と同調してくれる仲間も出現するかもしれないのだ。
また、『好き・嫌い』を聞かされた側は、それが発言者の個性として取らえ、たとえ自分と好みが違っていても、それを聞き入れる多様性だけは持ち合わせる様にしたいものである。
 
そうすれば、たとえ少々出しゃばったことを言ったとしても、社会から打たれることも無く、独自の『個人』を個性として発揮出来ると思うのだ。
また、自らが『社会』を構成する一員としての自覚が、他人に対する多様性となるであろう。
 
もし少しでも、それに近付くことが出来たとすれば、現代日本の閉塞感も少しは軽減されると私は考えるし、信じ抜きたいと思う。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))(READING LIFE編集部公認ライター)

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

http://tenro-in.com/zemi/86808



2019-06-24 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.38

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