週刊READING LIFE Vol.39

ルーム・イン・ルーム 心を潤す部屋づくり《週刊READING LIFE Vol.39「IN MY ROOM〜私の部屋の必需品〜」》


記事:千葉 なお美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
金曜日。
今の私の部屋には、必需品であるべきものが、ない。
そろそろ限界のようだ。
私の部屋の必需品。それは、私の心のバロメーターでもある。

 

 

 

必需品をはっきりと自覚したのは、ワーキングホリデーでカナダにいたときだった。
はじめの1ヶ月はホームステイをしていたが、生活費をもっと安く、かつ門限に縛られない自由な暮らしがしたいと思い、2ヶ月目以降はシェアハウスに移り住むことにした。
移民が多いカナダでは、シェアハウスはごく一般的だ。
物件数も多く、インターネットの掲示板は常に入居者募集の掲載であふれている。
しかし、いざ希望条件を満たすものを探すとなると、運とタイミングによるところが大きい。私はたまたま、その運に恵まれカナダに到着して1ヶ月で希望のシェアハウスをみつけることができた。
 
選んだシェアハウスは、トロントのクリスティーという街にある一軒家。
繁華街からのアクセスがよく、お洒落なパン屋やスコーンのお店が立ち並ぶ人気のエリアだ。沿道には花壇、街灯にはハンキングバスケットが飾られ、見渡すと上も下も花でいっぱい。いかにも海外というような、とても可愛らしい街だ。
 
シェアハウスのオーナーはカナダ人の男性で、名前をマイクといった。彼は、他にも何軒か物件を所有しており、使っていない家をシェアハウスとして貸していた。
カナダではシェアハウスにオーナー自身が住んでいることが多く、空き部屋を1〜2部屋貸すケースがほとんどだ。故にシェアハウスといっても実際住める部屋はとても狭く、地下にある薄暗い部屋だったりすることもよくある。
そんななか、一軒家をまるまる住人たちで自由に使える今回のようなシェアハウスは、とてもありがたいことなのだ。
 
さらに私の住む部屋は、シェアハウスの中でも一番広い部屋だった。
通りに面した日当たりの良い2階の部屋で、窓からは電線を伝う野生のリスが見えた。
小さなベッドと勉強机、さらに3段チェストが2つ。
ひとりで住むには十分すぎるくらいの備え付けと広さだった。
 
一緒に住むハウスメイトは、4人。
ベネズエラ人の女性が2人、アフリカ人の男性が1人、私以外に日本人の女性が1人。
男女共同ではあるが「アフリカ人の彼はゲイだから、女性専用のようなものだよ」とマイクが入居前にこっそり教えてくれた。
 
素敵な部屋に心を躍らせてはいたが、いずれ日本へ帰る私にとってはこの部屋はあくまで仮住まいでしかなかった。
スーツケースひとつで来た身。あまり荷物を増やしたくない。
親の反対を押し切って来た私は、どんなにカナダの魅力に取り憑かれようと、素敵な男性に巡り合おうと、絶対に永住はしないと決めていた。それもあって、常に帰国を意識した生活をしていた。
どうせ帰国するときには、またスーツケースひとつだ。
そう思い、生活に必要なもののみを買い足すだけで、洋服も小物も必要最低限で生活していた。
それでも特に不便は感じなかったし、ものの少ない生活は意外と快適だった。

 

 

 

事件は突然起きた。
その日私は、語学学校に通っていた。
 
授業中、ハウスメイトから電話がかかってきた。
いつもはLINEで済ませるのに、電話をかけてくるとは珍しい。なにか緊急の用だろうか?
そう思って電話に出ると、電話口の相手はなんと警察だった。
 
「クリスティー3番地のシェアハウスに住んでいるナオミさん?」
「はい、そうですが……」
 
警察はそのまま電話で簡単な取り調べを始めた。
この家に住んでどれくらいか、仕事はしているのか、いつから学校に通っているのか。
海外の警察と話しているという事実に緊張しながら、なにがなんだかわからないまま質問に答えた。
事情聴取されているうちに、だんだん状況がつかめてきた。
 
シェアハウスのことで通報が入ったらしい。
内容は明らかにしなかったが、住人全員に取り調べをしているので、あなたも学校から帰ったら部屋を見せて、というものだった。
 
大変なことになったぞ。
そう思いながら、授業が終わった後すぐ家に向かった。
 
家に帰ると、男性と女性の警察官が合わせて3人ほどいた。
まるで海外ドラマのような光景だ。
事件にでも巻き込まれたらただじゃすまないぞ、という怖さ半分。
これから何がはじまるのだろう? という好奇心半分。
いろいろなドキドキが入り混じりながら、様子を伺っていた。
 
他のハウスメイトは午前中ですでに取り調べを終えたようで、残るは私一人だった。
オーナーのマイクも到着し、女性警察官とマイクの2人で私の部屋を見ることになった。
 
部屋に問題があったらどうしよう? と若干不安に思いながらドアを開ける。
 
ガチャッ。
 
荷物が少ないおかげもあって、部屋は綺麗に片付いていた。
 
よかった。醜態を晒さずにすんだ。
 
そんなどうでもいいことを考えていると、私の部屋を見るなりマイクが叫んだ。
 
「Wao, you have room in your room!」
 
えっ?
 
英語力が乏しい私は、最初なにを言っているのかさっぱりだった。
 
一瞬、私の部屋に何か問題があるのかと思ったが、マイクの表情を見る限りそういうわけではないらしい。
女性警察官はマイクを無視して淡々と部屋を調べていく。
 
今、部屋の中に部屋があるって言った?
いや、怖いこと言わないで!
私、借りぐらしのアリエッティも飼っていないし、シルバニアファミリーもない。
それともなに? あなたには私の部屋になにか別のものが見えているのですか?
 
そう聞こうとして、やめた。
実際何かいたら、それこそ大問題だ。
 
そんな私を見かねてか、マイクはまた繰り返した。
 
「You have room in your room!」
 
やけに意気揚々としている。
なにがそんなに嬉しいのだ。
 
そのときはよくわからないまま、パンドラの箱を開けてしまわないよう心のモヤモヤを封印した。
警察の取り調べも無事終わり、一旦私たちは元の生活に戻れることになった。
 
ひとまず、よかった。
一段落した後、先ほどのマイクの言葉が気になった私は、マイクに直接聞く前にハウスメイトに聞いてみることにした。
 
一連の状況を説明し、私の部屋にはアリエッティもいないしシルバニアファミリーも置いていないことを伝えると、彼女は笑い転げてこう言った。
 
「その〝room〟というのは、空きスペースのことよ」
 
彼女がいうには〝room〟には二通りの意味があり、「部屋」という以外に「余白」という意味がある。
つまり、私の部屋には余裕があるね、と言っていたのである。
いわば、ちょっとしたカナディアンジョークだ。
 
なんだ、そういうことだったのか。
あまりに目をキラキラさせていたから、何事かと思った。
そのときは特に気にしていなかったが、すぐにその目を輝かせていた理由を知ることになる。

翌日。マイクはまた私の部屋を訪ねて来た。
なんだろう? もう取り調べは終わったはずなのに。
そう思ってドアを開けると、彼はまた「You have room in your room!」と繰り返したあとで、お願いなんだけど、と続けた。
私の部屋は余裕があるから、デスクをもうひとつ置かせてほしいというのだ。
余っていた大きなデスクを屋根裏に置いていたのだが、非常時の通り道を塞いでしまうので退かすように、と警察に指摘されたそうなのだ。
 
部屋が狭くなるのは嫌だったが、問題を解決しないとこの部屋に住み続けられないというので、渋々了承した。
それに一番広い私の部屋は、デスクを入れたところでまだ余裕はある。
十分な広さは保てるのだから、まあいいだろう。
そう思っていたのだが、いざデスクを運び入れると、びっくりするほど居心地が悪くなった。
デスクが増えることで、その分収納スペースも物を置く場所も増えたのに、なぜか居心地が悪い。
時間が経てば慣れるかと思っていたが、一週間経っても一ヶ月経っても、居心地の悪さは変わらなかった。
 
なぜだろう?
 
そう思ってハウスメイトに話すと彼女はこう言った。
 
「あなたにとっては、その〝room〟が大切だったのね」
 
そうか。
 
私は、「なにもない空間」に価値を見出していたのだ。
 
特にこれといった用途があるわけではないが、私にとって「余白」は部屋の必需品であったのだ。
 
最近は「ミニマリスト」や「断捨離」という言葉が流行っていることからも、この「なにもない空間」に価値を見出す人が増えてきたように感じる。
「なにもない空間」は、思考をシンプルにさせ、心にゆとりを持たせてくれる。
ものを持たない暮らしをすることで、自分にとって本当に必要なものを見つけやすくするのだ。
 
帰国して日本で一人暮らしをする今でも、私はこの〝room〟の大切さを実感している。
それは、心のゆとりによって大きさを変化させる。
予定を詰めすぎて忙しくなれば狭くなるし、ちょうど良いバランスで生活しているときには広くなる。
週末にかけて狭くなっていくのが慣習となってしまっているが、気づいたところで改めて自分の生活を見つめ直すバロメーターともなっている。
 
今日は金曜日。
今週は少し忙しくしすぎたかな。
部屋を見渡して、一週間を振り返る。
 
「ルーム・イン・ルーム」。
 
マイクが気づかせてくれた、私の部屋の必需品。
 
さて、この記事を書き終えたところで、私の部屋の必需品〝room〟を生み出す作業に取りかかるとするか。
 
 
 
 
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2019-07-01 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.39

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