週刊READING LIFE vol.50

泥臭く、やってみる《 週刊READING LIFE Vol.50「「書く」という仕事」》


記事:樋水聖治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「あなたはまずもっと日本語をしっかりさせたほうがいいよ」
 
大学時代に、交換留学の留学者選考のための面接で面と向かって僕が言われた言葉だ。事前に書いた留学志望動機書を見て、面接官の方が抱いた感想だった。前日に慌てて書いた内容とはいえ、何度か目を通しチェックした内容に言われた言葉は、僕の心にグサリと刺さった。
 
特に「文章を書く」という行為に対して特別な感情は抱いていなかったけれど、その出来事以来、「書くこと」に強烈な苦手意識を覚えるようになった。もっと言えば、僕は文章を書くことが怖くなった。
 
同時に、僕の中で「書くこと」が上手な人、つまり「書くことを仕事にしている人」は、文章の論理的展開力、接続詞の使い方、助詞の使い方、洒落た言い回しとかが格別にうまい人というイメージで固められた。

 

 

 

そんな苦い経験から数年経った2019年、僕はもう一度「書くこと」と真正面から対峙するきっかけを自分で作り出した。天狼院書店の主催する「人生を変えるライティング・ゼミ GW特別講座」に参加することを決めたのだ。講義を受け、毎日の課題として2000字相当の記事を書くことにチャレンジした。そんな経験を経て、今、僕はその上級クラスにあたる「天狼院ライターズ倶楽部」に所属している。
 
約4ヶ月、「書くこと」と向き合ってきた。
 
その過程で、自分の書いたいくつかの記事が「WEB天狼院書店」に掲載されるという経験をした。単純にとても喜びを感じることのできる経験だった。ただ、最初は「自分が認められた」という感覚から来る種類の喜びだったと、今振り返ってみて思う。しかし、その先にはまた別の種類の喜びが待っていた。
 
僕の書いた記事を読んだ人が、僕の伝えたかったことを受け取ってくれて何かしらの形で僕の記事に反応したときに感じた喜びはまた格別だった。
 
読書をすることで得られる喜び、感動を伝えたくて書いた記事を読んだ家族や友人が、「読書ってそんなにいいものなんだ。読書ねえ、してみようかな」と言ってくれたときの感動を僕は忘れないと思う。
 
机に小さな植物を置くだけで、インテリアとしての華やかさ以上に自分の心のあり方に影響を及ぼした驚きを伝えたくて書いた記事を読んだ高校生の子が「虫がよってこないタイプの植物でオススメの植物って何がありますか?」と、メールで聞いてくれた日のニヤニヤした自分の顔の気持ち悪さと、その時の嬉しさを僕は忘れないと思う。
 
そして、「あ、なるほどな」と思うに至った。
 
書くことに必要なものは文法や言い回しの知識とか、洒落た文章を生み出す技巧ではなくて、「伝えたい!」という情熱だった。
 
「卓越した文章技術があるから、書く」のではない。
 
「伝えたいものがあるから、書く」なのだ。
 
そうやって伝えたい思いを発露として、その情熱がちゃんと届くべき人のもとへ届くようにするために文章技術などを向上させていくのだと思う。
 
当たり前といえば、当たり前だと思う。でも、少なくても、過去の僕の中では順番は逆だった。だから、過去に、文章を書くことを上達させたいと奮起したとき、まず僕が取った行動は「文章力向上」と銘打たれた書籍だった。
 
まず、向き合うべきは自分の中にある「書きたい」という思いを向けられる何かが何かを見つけることだった。当初、自分の中にそんなものはないと思っていたけれど、探してみると意外とあってびっくりした。
 
「書くことは辛い部分もあるけど、楽しいな」
 
そう思うようになった。思えるようになった。
 
しかし、僕の場合は言ってしまえば「そこまで」だった。
 
ここまで書いてきた「書くことへの姿勢」には「自分」と「読者」という要素しか入っていない。もし仕事として書いて報酬を貰おうという場合、3つ目の要素が入ってくる。「依頼人」という要素だ。
 
実際、プロのライターを目指すことを目的として参加している「天狼院ライターズ倶楽部」では「依頼人による記事執筆」を想定して、毎週の記事作成の課題にテーマが決められている。そして、それは必ずしも「書きたい」と思うようなテーマばかりではなかった。そもそも自分が飛び込んだことのない世界がテーマになることもあった。
 
その時、依頼人の意向を無視して自分の思いを優先させる行為を仕事とは言えないと思う。自分という存在を頼って、媒介として、読者に届けたいと思っている依頼人の思いを大切にできる人が「書くことを仕事にできる人」だと思う。
 
しかし、いくらクライアントの意向が大事といえど、やはりそれを自分自身が「書きたい」と思えるかどうかは大事なことだ。
 
「『書きたい』と思える状態まで自分自身をなんとしてでも運んでいく“執念”が必要なんです」
 
一言一句同じではないが、ライターズ倶楽部で、天狼院書店店主の三浦さんの言っていたことが思い出される。
 
自分自身が馴染みのないテーマなら、勉強したり体験してみたりするという努力。興味を持てないテーマでもなんとか取っ掛かりを探して、必死にもがくという努力。書くという仕事には、情熱ももちろん必要だが、「泥臭い努力」もまた必須なんだと思う。
 
僕自身は、まだ「書く」ということを「仕事」という姿勢で取り組めていないのが現状だ。本当にまだまだだなと思う。だから、この記事のテーマ『「書く」という仕事』は、僕にとって辛いテーマだった。よりによって、ライターズ倶楽部の最後の課題のテーマである。
 
一応、他のテーマに逃げることもできなくはなかった。でも、最後くらいは“泥臭く”、なんとか書こうと思った。今、それを書き上げようとしている。
 
「泥臭く、あがいてみる」
 
悪くないかもしれない。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
樋水聖治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち
首都大学東京 歴史考古学分野(西洋史)卒業
在学中にフランスに留学するも、卒論のテーマは『中世イタリアのユダヤ人金貸しとキリスト教徒の関係について』
囲碁が好きでネット碁が趣味。(棋力はアマ5段ほど)
好きな漫画はもちろん『ヒカルの碁』
2019年GWの10日間で行われた、天狼院書店ライティング・ゼミで書くことの楽しさ、辛さ、必要性を知り、ライターズ倶楽部でさらなる修行を積んでいる

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-09-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.50

関連記事