週刊READING LIFE vol.52

生産性を産むのは安心感《 週刊READING LIFE Vol.52「生産性アップ大作戦!」》


記事:侑芽成太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

僕は小さい頃から決まった時間以外で食事をするのが苦手だった。
我が家は食事の時間はきっちりしていて、それが極端に遅くなることはほとんど無かった。
だから僕も、食事の時間に対してはかなり強い意識を持っていた。
例えば「昼食」とは僕の中で昼の12時から14時30分の間に食べる食事であり、何らかの理由で昼食がその時間を過ぎると例え空腹でも食べる気がしなくなり、実際食べないことがほとんどだった。
それが僕の「リズム」だ。
 
気持ちが悪いのだ。14時30分を過ぎて昼食を食べるということが。
昼食がそんな時間になるということはその日の進捗具合がいつもと何か違っているということであり、時間を物凄く損した気分になる。仕事に欠かせない休憩をとることができていない。心の中にあったはずの「今日も何がっても大丈夫」という安心感が消えていく。その原因を作った人や出来事を憎む気持ちが心にどんどん湧いてくる。
 
そういう時に限って仕事でいつもなら考えられない細かいミスをしてしまったりするから、尚更やりきれない気持ちになる。逆に、いつも通りの時間に食事が出来ていたらきっとそんなことは起きなかったと言える自信がある。
 
良く言えばきっちりしている、悪く言えば固定概念に縛られていると言える。だけど、規則正しさに誇らしい気持ちも持っていた。
 
幸いにもこれまでの人生で昼食の時間が極端に遅れることは今まであまり無かった。今の仕事に転職するまでは……
 
これは僕が「自分自身」の生産性を上げる方法を見つけるまでの出来事だ。
休憩の時間が少ない、あるいは不規則だという人に効果があると僕自身の体験から提唱する方法だ。
 
「今から昼の食事してください」
車に付けられた無線から指示が出た。
「了解……」
不機嫌な感情を悟られないように、平静を装って僕は返事をした。
時刻は午後4時30分。どう考えても昼とは言えない時間だ。
 
適当なコンビニまで車を走らせる。
それだけでいくら時間を使うだろう?
買い物をして、食べて、休憩もなくまた客先へ車を走らせないといけない。
この時間だと例え客先を離れても、休む間も無く会社まで戻らないといけない。
 
ただでさえ過酷な忙しさで失われていたやる気がさらに失われていった。
 
何でこの仕事を選んでしまったのか。
何で上の人間は昼に少しだけでも昼食の時間をくれなかったのか。
何で自分だけがこんな目に合わなければならないのか。
 
心の中にやり場のない苛立ちと虚しさが沸き上がってきた。ようやく在りつけた食事も味がしない。
溜息が止まらずに出てきた。
 
僕の昼休みの時間は一定していない。顧客の都合によってその日のスケジュールが変わるからだ。全ての指示は会社の上の人間から来る。多ければ二時間近く休む日もあれば、10分もない日もある。
昨今の世間の事情に照らし合わせれば色々と問題のあることだろう。だけど、生きていくためには今はこの仕事を続けないといけない。顔を覚えてくれた顧客も増え、その人たちのために頑張らねばという思いもあった。
 
自分なりに誠実に仕事に向かい合おうとした。だから食事の指示が出るまでは隙間の時間を見つけて食べることもしなかった。それが当然だと思っていた。
 
だが、昼食を食べながら赤く染まり始めた空を見ていると悲しくなってきた。
 
何でこんな仕事を選んでしまったのか
こんな仕事しかできない自分自身が憎い
 
忙しいことはありがたいことなのだと心ではわかっていても、マイナスなことばかりが次々と脳裏に浮かんでは消える。そして、最後に僕は全てのことがどうでもよくなってきた。
 
そして、その日はミスをしていた。会社に持ち帰らねばならない商品を忘れてくるというミスを。
悔しかった。情けなかった。何でこんなことになったのか……
大ごとにはならなかったが、僕は自分を責めた。ろくに休憩も取らせない無茶な指示を出した人間を責めたい気持ちにかられたが、ミスをしたのは僕自身なのでただ現実に耐えるしかなかった。
 
その日は考えた。何故そんなミスをしてしまったのか、どうしたらそれを繰り返さないようにできるのかを。
チェックを今まで以上に厳密にするとか、会社の指示を一言一句全てメモに取るとか色々と考えた。
 
気が付けばまた僕は苛立っていた。本当に少し前に昼食を食べたばかりなのに、もう夕食の時間だった。あまり食べる気がしない気持ちと、食べなければという気持ちが心の中でぶつかり合う。
心はひたすら疲れていった。
 
「もういい、指示がなくても隙間の時間を使って14時30分までには食事をとろう」
悩みぬいた末、僕はそう決めた。
そして、時間に余裕がある時を見越して隙間時間を利用して食事をした。
 
気持ちが晴れ晴れとしていた。その日も昼食の指示は夕方になったが、心の中には以前のような苛立ちは無かった。
代わりに僕の心にあったのは「安心感」だ。昼に食事をしたという安心感が僕の内面を満たし、心に余裕を持たせていた。
その日は上手く仕事を終わらせることもできた。また、顧客の要望を冷静に聞いてそれに対して適切な返事をすることもできた。全ては隙間時間にとった食事のおかげだった。
 
自分の生活リズムに合わせた時間に食事をとることは「空腹を満たす」と同時に「心に安心感を生み出す」効果があると僕は考える。安心感とは僕の場合「自分は休憩時間を確かにとれた」という気持ちだ。
夕方に食事をとった日に僕が苛立っていたのは、それが積み重ねてきた僕の生活リズムと異なっていたからだ。
だから、それを修正した時に心に安心感が生まれた。良いパフォーマンスができるようになった。自分自身の生産性が上がったのだ。
 
恐らく大多数の働く人にとって休憩時間とは食事をする時間だ。
 
休憩=食事
 
それ故に口に物を入れない休憩時間は意識が休憩と認識しないのではと僕は思う。
それではどれだけ長く休憩したとしても非効率的だ。体を休めるために食事をする時間を省いて昼寝にその時間を使うというやり方を試したことがあるけど、あまり気持ちがすっきりしなかった。だから、そのやり方を僕はお勧めしない。
 
もちろん、食事をする時間は人それぞれによって違うだろう。食べる時間のことなど気にしないという人もいるかもしれない。まったく食べないという人もいるだろう。それは個人の考え方がる。
それでも、食べるということは生きていくためには必要不可欠の行為だ。食べることが嫌いという人はそうはいない。
忙しすぎる日々の中で、食事が楽しくないと感じることは自分の心が危機を叫んでいるサインだと僕は知った。そういう状態の時にいかにパフォーマンスが発揮できないのか、その結果どれだけ他人に迷惑をかけてしまうのかも。
 
もう一つ生産性を上げるために僕が考えたことは、固定概念を手放すということだ。
もっと噛み砕いていえば、少しばかり仕事に対してずるをする気持ちで臨むということだ。
 
最初、僕は休憩時間になるまで絶対に食事はしなかった。眠気覚ましにガムなどを口にすることはあったが、時間に遅れないためにも車を止めて食事をすることはなかった。
結果は先に述べたように、心に苛立ちが募っていっただけであった。
 
適度な時間を見つけて食事をすることに最初は抵抗と恐怖があった。誰にも見られていないとは言え、もしも「遅れている、何をしているんだ?」と無線が入ってきたりでもしたら何と言い訳をしたものか……
 
そう考えると、とても指示に外れた行動はできなかった。
だけど、結果的には「必ず指示通りに食事をとらないといけない」という固定概念を捨てたことが生産性のアップに繋がった。
少しばかりずるをして隙間時間を使わせてもらうことで気持ちに余裕が生まれた。
何を拘っていたのだろうと、後になって考えたくらいだ。
 
仕事とは何も言われた通りだけに行うものではない。実際にやってみる中で、自分が良いパフォーマンスを発揮できるやり方を見つけていくものだ。
自分のことを自画自賛するつもりはないが、一般的に生真面目な人間ほど指示通りに正確に仕事をすることを心がけるし、日本ではそれが美徳とされている。
それを否定するつもりはない。しかし、それだけでは上手くいかない。
ずるくなっても構わないのだ。不真面目になりさえしなければ。
固定概念にとらわれて考えることをやめることはとても恐ろしいことだと思う。
上手く仕事が回らなくなった時に、原因を憎む以外の見方ができなくなる。
僕がこの仕事を選んだ自分自身を責めたように。
 
僕たち人間は決してロボットではない。いくらやらなければならない仕事があったとしても、いつも全力で臨めるわけではない。
柔軟性が必要だ。
それに必要なものはただ勇気をもって今まで持っていた固定概念を「手放す」ということだけだ。
例えば仕事を効率的にするために最新のデバイスを購入するとか、新しいアプリを使ってみるとかそういう考えもあるだろう。
だけど、道具以上に大切なのは自分の心の在り方だ。「自分は仕事が上手く回せない」と悩んでいる人は一度自分を縛り付けて苦しめている自分で決めたルールがないか、よく考えてみて欲しい。
もしあったなら思い切ってそれを手放して欲しい。新しい発見が必ずできる。行き詰った時に新しい自分になることはとても簡単なことだ。
そうして心に余裕が生まれれば生産性は上がる。自分のためになるのだ。
 
生産性が高いか低いか、他人を見て客観的に判断するのは難しい。僕たちにわかるのは自分自身の在り方だけだ。
シンプルに今のやり方で自分の気持ちが苛立っていたら生産性が低い。自分の気持ちが安心感に溢れていたら生産性が高い。僕はそう思う。
人間は不満やふてくされた状態では力を発揮することは出来ない。
泣き叫んでいた赤ん坊が抱っこされると泣き止んで機嫌を直すように、僕たち人間の意識の中には安心感が欠かせない。それを自分に与えるための方法として
 
休憩したという意識を持つために自分の良い時間に食事をする
固定概念を手放す
 
ことを僕はあげた。
 
人間一人にできることは大きくない。どんな仕事でも、あるいは仕事ではなくても必ず誰かと繋がっている。
良い結果を生み出すためには一人一人が良いパフォーマンスができるように自分の状態を作り出さないといけない。
 
個人における生産性とは、個人が最高のパフォーマンスを発揮できる状態のことだと僕は考える。
そのために必要なのは安心感。
 
実際、科学的にも食べることは脳を働かせるためには欠かせないことだ。
 
いつもギリギリまで頑張ってギリギリまで踏ん張り自分を追い詰めてしまう方、もっと自分自身を大切にしよう。
ずるくなる自分のことを認めてあげよう。
結果的に状況が良くなればそれが一番いいのだから。
上手くいった出来事や良くなった出来事を体験したらさらに心に安心感が生まれる。
そうしたら、さらに人はもっと前より進めるはずだ。僕はそう思う。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
侑芽成太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

ゆうがせいたろう。
サラリーマン生活を送る一方、煮え切らない日々の中で天狼院書店に出会う。だけどやっぱり煮え切らずに悩むこと一年。やっとゼミに通いだす。
ライティングゼミを経てライターズクラブを受講中。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-10-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.52

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