週刊READING LIFE vol.68

美味しい紅茶の入れ方の実際《週刊READING LIFE Vol.68 大人のための「自由研究」》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

嗜好品でありながら毎日の食生活に欠かせない、と勝手に思っている飲料がある。
 
「茶」である。頷いていただける方々も多いのではないだろうか。
 
私なぞは365日毎日飲んでいるクチであるが、だからこそ、できるだけ美味しく飲みたいという願望が大いにある。
 
ただこの場合、茶と言えば緑茶を想像されるかと思われるが、今回の主役は紅茶である。
 
緑茶ならまだしも、紅茶を毎日飲む習慣がある方は割と少ないのではないだろうか。
毎回の食卓に上がるようなものでもなく、かと言って日本においてはおやつの時間に供されることも稀である。
しかし、いやだからこそ、紅茶を愛する身としては、どうせ飲むなら本当に美味しい飲み方をしたいと思うのである。
 
紅茶を愛してから20年ほど経つが、常に美味しい淹れ方をするのが難しい。やたらと淹れてもある程度の味になる緑茶と違い、紅茶には美味しく淹れるための要素が多いのである。
 
今回はこの紅茶について、よく言われている淹れ方が本当に美味しい淹れ方なのか、実証しながら、紅茶の美味しさについて追求しようと思うのである。
 
さて、紅茶を美味しく淹れるための要素は様々あるが、よく言われているのは、淹れる湯の温度である。
 
同様によく聞く、「まずはティーポットやカップを温める」というのは、この湯温を下げないため、もっと言えば変化させないためである。
 
では理想の湯温は何度だろうか?
インターネットや専門誌、あるいは趣味の本など、今では紅茶の淹れ方が書いてあるものは結構多い。
 
皆さんも検索なりなんなりしていただきたい。すると、大体が「熱湯で」と出てくるのではないだろうか。
 
そう、原則として、紅茶を淹れる湯は熱湯でなければならない。
先ほど言ったように、ポットやカップなどの茶器を温めておくのは湯温を下げないためだし、ポットに被せる保温のためのカバーも存在する。
最近は「ティーウォーマー」と言って、耐熱性のポットをキャンドルや燃焼剤等で温める器具も出てきた。デザインと機能性を両立したものでもあるので、ぜひ試したいところである。
 
さて、では熱湯なのだから沸騰させなければ、と思うのだが、これもまた厳密に言うと違う。
紅茶に限らず、茶の旨さを最大限に引き出す要素として、水中の酸素がある。これが入っていることが大事であるのだが、グツグツと沸騰させてしまうと、その水中の酸素が消えていってしまう。
沸騰する泡を見れば視覚的にも分かるであろう。
したがって、熱湯でありながら沸騰しないギリギリの温度。すなわち97〜98度が理想と言われている。
 
ただ、そこまで綿密にする必要もあまりない。極端に長時間沸騰させ続けなければ、水中の酸素は保たれる。
 
なんだそうか、と安心してお湯を沸かそうとしているあなた、少し待ってほしい。その紅茶、どういう紅茶であろうか?
ティーバッグか茶葉か、ということではない。種類を確認してほしい。多くの場合は特に気にせず、熱湯を注いでいただきたいところだが、例外がある。
 
皆さんご存知「ダージリンティー」の春摘みである。
インドの東北部ダージリン地方で採れる紅茶をダージリンティーと呼ぶが、この茶摘みの機会は年に3回ある。春と夏と秋である。
そのうちの春摘みのお茶は、いわば一番茶である。新芽も含んだ若々しく花やかな香りが特徴的である。
 
この紅茶は沸騰した湯ではよろしくない。それより低い70〜80度くらいで、旨味を出すのが良いとされている。
 
良いとされているのだが、最近はどうも怪しく感じてきた。
というのも、この温度を正確に測り、尚且つ最適と言われる茶葉の量と湯量を正確に計り、しっかりとタイマーをかけ、丁寧に淹れたはずの茶が、正直、あまり美味しくないのである。
いや、そういうと語弊がある。美味しいには美味しいが、感動的に美味しさではない。
これは好みなどの個人差がどうこういうものではない。
なぜなら、時として最高の美味しさに出会えるからである。その場合茶葉も同じものなので、他の要素(時間や量など)が関係しているのだろうが、湯温については全く疑わずにいた。
 
そこで、今回はこの疑念にけりをつけるべく、実際に比較をしてみた。
 
ここに二つのカップを用意する。ペアで買ったものなので、サイズや素材は寸分違わず同じものである。
ポットは流石に同じものがないので、なるべく早く、順番に淹れることにした。
 
湯量は一人分150ml
ティーバッグではなく、茶葉を3グラム使う。使うのはもちろん春摘みのダージリンティー。ただし特定の名前がついているものではなく、ブレンド品だ。葉の形状が残っている「フルリーフ」と言われるタイプを使う。
 
そして一方のカップには、沸騰した湯を一旦別容器に入れ、湯温を下げたもの(これで20〜30度くらいは下がる)で淹れたものを、もう一方には沸騰した湯をそのまま注いで淹れた茶を注ぐ。
もちろん、時間も同じ1分30秒とした。紅茶は大体が2分〜3分となっているが、この紅茶は短時間で良いらしい。
 
外観的には、熱湯で淹れた方が、やや色味が深い感じである。ちなみに淹れた茶の色のことを水色(すいしょく)という。
そして肝心の味であるが、低温で淹れた茶はいささか薄く感じた。香りは申し分ないのだが、茶の味を味わいたいというときには、少し物足りない気がする。
 
一方、熱湯で淹れた方であるが、正直にいうと、熱さが邪魔して味わうどころではなかった。味が分からないのである。低温で淹れた方がいいというのは、まさかこのせいではあるまいが……
ともかく味がわからないのでは検証にならないので、少し冷めてから飲むことにした。
するとどうだろう。低温で淹れたものより、圧倒的にしっかりした味になっている。しっかりと茶そのものの味がするのである。
ただ、しっかりしているだけあって、やや渋みが感じられるのも事実である。
ちょうどいい味を作り出すのは、やはり微妙な加減が必要ということであろうか。難しい……
 
ともかく、低温推奨の紅茶を熱湯で淹れるのも、案外不正解ではないのかもしれない。
試しに、紅茶のパッケージがあれば見ていただきたい。
 
「お湯の温度や量はお好みで」
 
という身も蓋もない文句が書いてあるのではないだろうか。
まあ、そう言われてしまうとそうなのだろうが……
 
美味しさを追求するために試行錯誤するのは楽しいことであるが、例えば、
 
「大切な人に想いを込めて淹れれば美味しくなる」
 
なんて言われると、どうしていいのか分からなくなる。そもそも自分で味わいたいのだし。
 
たくさん淹れていくうちに上達する、という言葉も、私の現状を鑑みるにあまり正解ではなさそうだ。
 
となれば、あとは機材や材料にもこだわることぐらいか。いや、それもある程度はやっているとは思うが……
 
結局茶の美味しさにおいては、一期一会の味になる、というのが真の言葉なのかもしれない。
茶道にも通ずる言葉だが、毎回毎回で味が違う、ということは、見方によってはたくさんの味わいがある、とも言えなくもない。
 
そんな考えを言い訳に、今日も私は少し渋くなった紅茶をすする。
仕方ない。これはこれで味がしっかり出ているし、苦味が気になるようならば、そうだ、とっておきだったプリンを取り出そう。
こんな思いつきも、一期一会の効能であろう。
安定した正解が常に出されるよりも、なかなか面白い。(ちなみにプリンは家族の誰かの手によって消し去られていた)
 
結論として、毎回毎回の淹れた紅茶が、あなたの正解の味である。
というのはダメですか?

 
 
 
 

◽︎黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校で、国語科と情報科を教えている。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-02-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.68

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