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週刊READING LIFE vol.69

「晴子さんと私」《週刊READING LIFE Vol.69 「とにかく私を泣かせてくれ」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
(この記事はフィクションです)
 
 

「ここなんです」
 
指さされた先にあるのは、小さな一軒家だった。玄関先の小さなスペースには壊れかけの自転車、割れた植木鉢。その上に積み上げられているのは粗大ゴミ置き場から拾ってきたようなガラクタ。なぜか子供ようの三輪車、おもちゃの風車。あとでわかったことには、それらは実際に粗大ゴミから拾ってきたものがほとんどだった。
 
「晴子さんいるはずですけれどね」
 
何度押しても、音がする様子がない玄関の呼び鈴。玄関をノックしても音がしない。
 
「晴子さーん、晴子さーん」
 
同行した地域包括センターのスタッフが大きな声で何度も呼ぶと、もう一つの勝手口からガタガタ物音がした。
 
半透明の波板でつくられた手作りの勝手口は自転車の鍵で施錠がされていた。波板に空いている穴からニュッと手が伸びた。その手が自転車の鍵の番号をカチカチと合わせると、バタンと勝手口があいた。
 
「あんたたち、なんやね!」
 
不機嫌な口調で仁王立ちになっているのが晴子さんらしかった
 
「晴子さん、こんど成年後見人さんやってもらえる、司法書士の青木さんを連れてきましたよ」
 
地域包括センターの人の言葉にも耳を貸さずに、こちらをにらみつけてくる。
 
成年後見人とは、認知症など判断能力がなくなった人のために、その人に変わってお金の管理や、契約などのやりとりをする人のことだ。司法書士になってから、私は成年後見人の仕事を複数掛け持ちをしていた。晴子さんの成年後見人に、裁判所が私を選んだという連絡をうけて晴子さんの自宅訪れたのだった。
 
ああ、これは困難案件のはじまりだ。心の中で思わずつぶやいた。司法書士になって引き受けた10人目の成年後見の仕事。もちろん成年後見人の仕事は楽な仕事ばかりではないが、晴子さんとの出会いは、最初から波乱の幕開けではじまった。
 
晴子さんは一人暮らしだ。結婚もしたことがない、お子さんもいない。一人でこの小さな一軒家に住んでいる。もともと気性があらく、成年後見の申し立てを引き受けてくれた、遠方の甥っ子さんは
 
「この申し立てだけですからね。叔母にはずっと迷惑をかけてられてきたので」
 
とその後は全く連絡をとってくる様子もなかった。
 
晴子さんの後見人の仕事は予想したとおりだった。まず1日に何回も電話がかかってくる。
 
「わしの生活費を返せ」とか「まだわしは今月の金をもらっとらん」とか。
 
認知症からくる思い込みや被害妄想もあるだろうが、今朝、今月の生活費を渡したところで「まだわしは今週の金をもらっとらん」と言われてもどうすればいいのだろうか。
 
結局、生活費を毎週に分けて持って行くことにした。
 
ある夏の朝。仕事前に晴子さんの家を訪ねても本人がいない。「行方不明?!」と警察に連絡をし、地域の民生委員さんに連絡をし、大騒動しているところに、晴子さんはひょっこりと帰ってきた。聞けば近くの公園に行っていたという。
 
「あそこの公園には〇〇さん、こっちの公園には△△さん、みんな朝からまっとるんだ」
 
はぁ……。勘弁してくださいよ。それでなくても、携帯の履歴には毎日5件以上の晴子さんからの着信がはいっている。私の口から出るのはため息しかなかった。
 
晴子さんの家のまわりでよく見かける野良猫がいた。うす茶色の縞模様で、人なつっこい。身体が大きい猫だった。
 
「この子、きなこっていうのよ。ほら、きなこみたいな色でしょう」
 
地域の人たちが餌をあげているらしく、耳の先がカットされているので、だれかが避妊手術をしてくれたのだろう。道ばたにしゃがみ込んで名前を呼ぶと、小走りにこちらによってきて、こちらの足下に頭を擦り付けてゴロゴロと喉を鳴らす。晴子さんの家に行くときには、このきなこと合うのが小さな楽しみのひとつだった。
 
ある日の夕方、晴子さんの家に行った。この日も朝に生活費を渡す約束をすっぽかされて(またきっと公園に行っていたのだろう)私は、一日の仕事を終えて夕方にまた出直してきたのだった。
 
家の路地の奥で晴子さんがしゃがみ込んでいた。気分が悪い? 大丈夫? 心配になってそっと近づいた。晴子さんの身体の向こうから猫の尻尾がみえた。きなこだ。晴子さんはきなこに向かってひとりごちていた。
 
「まあな、もう誰もよりつかんでな」
 
「きなこ、おまえもいきたいところにいかなあかんぞ」
 
「無理して、わしのところに来んでもええから」
 
自分に言い聞かすような声の調子だった。その足下にきなこはいつものように頭を擦り付けて喉をごろごろならしているのだった。
 
晴子さんの背中をみながら、私は声がかけられなかった。そのまま夕暮れの路地をそっと車の方に戻ろうとした。
 
「なんや、来ておったんか」
 
足音がしたからだろう、晴子さんの声がした。
 
「あ、はい」
 
ドギマギして私は答えた。
 
「生活費か、早うくれ」
 
生活費の封筒を受け取る晴子さんはいつもと少し雰囲気が違っているようだった。夕日が差していたせいだろうか。そのとき、この晴子さんという女性がどんな人生を歩いてきたのだろう、と思った。
 
ある年のゴールデンウィークに私の電話が鳴った。出てみると警察からの電話だった。
 
「晴子さんの成年後見人の方ですね。晴子さんが交通事故に遭われました」
 
のんびりしていたゴールデンウィーク気分が一気に吹き飛んだ。救急車で運ばれたという病院名を聞くと、車で慌てて駆けつけた。
 
「もう、家に帰りたいわ」
 
病院でつまらなさそうに寝ている晴子さんがいた。私の顔をみるなり文句をいう晴子さんは元気そうだった。片側3車線の大きな道路をふらふらと自転車にのってわたろうとしたらしい。危ないからといって、止まった自動車にぶつかって自転車が倒れただけですんだらしい。その自動車の運転していた若者が、わざわざ救急車を呼んでくれたという。それを聞いて一気に緊張の糸が解けた。
 
それから晴子さんは自転車に乗らなくなった。自信がないし、腰痛で自転車には乗れないという。いつも通っていた公園にも行かなくなったし、それから少しづつ弱音を吐くようになった。
 
そして晴子さんはある日、グループホームに入ることになった。グループホームに入ってからの晴子さんは、人が変わったように、朗らかになった。人が一緒にいることが楽しかったのだろうか。
 
私が月に何回かグループホームに顔を見に行くと、リビングの大きなテーブルで、ほかの入居者の人たちと一緒に塗り絵をしたり、パズルをしたりしていた。
 
「あんた、誰だっけね?」
 
ほら、青木ですよ。成年後見人の。晴子さんの顔を見に来ましたよ。
 
「おーおー、青木さんやね」
 
わかったかわかっていないかわからないが、ほかの入居者の人たちから、顔を見に来てくれる若い人がいるっていいわね、と口々にいわれると晴子さんはまんざらでもない顔で笑うのだった。
 
そして1年半が過ぎた。晴子さんは自室で寝込むことが増えていた。入院こそしないものの、持病の悪化もあり、往診の先生からは体力がかなりなくなっていることを告げられていた。
 
リビングで笑う姿の晴子さんではなく、小さな自室のベットに寝ている晴子さんを見舞うことが多くなっていた。ベットの横の丸椅子にすわって、晴子さんとたわいのない話をする。突然ぽつりぽつりと始まる晴子さんの昔語りを聞く。結婚をせずに生きてきたこと、自分が嫌われているのはしっているということ、はっきりものを言うから友達が少なかったこと。どこまでがほんとで、どこまでが嘘かはわからない。私はその話に身近な相づちをうって耳を傾けるだけだった。
 
「また、来ますからねー」
 
話に疲れたのが、晴子さんが静かになった。昼寝の時間だろうか。晴子さんのベット脇から立ち上がってドアを開ける私にふいに声がした。
 
「来てくれて、ありがとな」
 
突然に投げかけられた言葉はどこか空中から聞こえたような言葉だった。振り向くと、晴子さんは、もう目をつむっていた。晴子さんから「ありがとう」の言葉を聞いたのははじめてだった。昼寝の邪魔をしないように私はドアをそっと閉めてグループホームを後にした。
 
それから3日後のことだった。晴子さんが亡くなったのは。秋のはじまりのような空の澄んだ日のことだった。
 
晴子さんの死に顔は安らかだった。どこか微笑んでいるようにも見えた。あれだけわがままをいって、周りを困らせてそして風のように逝ってしまった。
 
身寄りがない晴子さんの葬儀を出す人は誰もいなかった。裁判所から許可をもらって、私が葬儀をすることになった。葬儀といっても直送という直接火葬場にいくスタイルの葬儀だったが。
 
「来てくれて、ありがとな」
 
晴子さんの言葉が聞こえてきた。あの「ありがとうな」は私にいわれた言葉ではなかったのかもしれない。多くの人に迷惑をかけて、そして孤独に生きてきた晴子さんが、この世の中に向けて最後に言った言葉が感謝の言葉だったのかもしれないと思った。
 
人は人生のうちに何人の人とであうのだろう。人は人生のうちに何人の人と言葉を交わすのだろう。人は行きてくる時代や、親は選べない。その中で懸命に行きていくしかないし、良いも悪いもない。わがまま放題に見えた晴子さんの生き方が、すこし羨ましいとはじめて思った。
 
火葬場からの帰り道、見上げた空にはうろこ雲がどこまでも広がっていた。

 
 
 
 

◽︎青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)
愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2020-02-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.69

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