週刊READING LIFE vol.82

生き方は風が示してくれる《週間READING LIFE Vol.82 人生のシナリオ》


記事:東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「これからの人生でやりたいことがないなら、今死んでも寿命が来て死んでも一緒な気がする」
大学を卒業したてのころ、高校の同級生がSNSに書き込んでいた言葉だ。当時その同級生は国立大学を卒業し、埼玉の企業に務めていた。SNSに綴られる彼の日記は毎日仕事が大変そうで、「辞めたい」と「でも頑張らないと」という気持ちを往復しているように思えた。
「『やりたいことがない』なんて信じられない。そんなこと絶対にないよ。なにかやりたいことが本当はあるはずだよ」心の中でそう思い、コメントも「いいね」も付けずにページをそっと閉じた。「やりたいことがないなら、今死んでもいつ死んでも一緒」。当時、やりたいことがありすぎた私は、その言葉があまりに信じられなかったと同時に、自分にもそんなふうに思ってしまう瞬間が、ある日突然来るのだろうかと怖くなった。そうなったときに自分はどうなってしまうんだろうかと思うとますます怖くなった。このままホームドアの設置されている地下鉄沿線に住み続けようと思った。
 
それから10年。仕事帰りの環七の信号待ち。夜風の中に同級生の言葉がふと立ち上ったのは去年のことだ。当時、前年の春から正社員として会社勤めをしていた。痛みを忘れるために麻薬を打ち続けるような日々を送っていた。
 
高校の同級生がせっかく就職した企業で「やりたいことがない」と嘆いていたときに、私はやりたいことがあふれていた。音楽大学を卒業してオペラ歌手になりたかった私は、アルバイトと日々の練習とレッスンに明け暮れていた。「音楽家としてのスタートは大学を出てからです」卒業式の学長からの式辞の中でも、周りの師匠たちからもそう言われた。音楽家になりたい。そのためにもっと勉強をして、もっと上手く歌えるように頑張るんだ! という純度100%のやりたいことの中で生きていた。音楽が生きる糧だった。
しかし夢で飯は食えない。日々の生活にお金はかかる。給料日まであと1週間なのに、財布に150円しかない。預金も3桁。おろせるお金もない。音楽の方も順調とはいえなかった。自分の演奏の録音を聴いて、あまりの不甲斐なさに泣く日々だった。練習をしていても、思うように歌えずに泣きながら練習をした。それでも何か一皮むけたいと足掻いて、オペラ団体付属のオペラ研修所にも通った。ここで何かが掴めるかと思っていたが、当然他の研修生は強者揃い。講師の先生からは首を傾げられ続け、演出家からは毎度怒鳴られた。研修所は自分を歌手としてアピールする場所だと教わったのに、毎週「私は使い物にならない歌手です」ということをアピールするためにお金を払って通っているようなものだった。
 
生活の不安と、夢への不安。そんなものからいい加減に逃げ出したかった。そんなタイミングで受けた企業に、正社員として内定をもらった。それまでずっと音楽をメインに生活していきたいからという理由で、正社員として働くことは避け続けていた。しかしせっかく拾えてもらえたのだし、正社員として働くことを決めた。就職先はイケイケのベンチャー企業。会社は成長期で、働いていて誇らしかった。同僚たちも同世代で、話していて楽しかった。会社帰りに同僚たちとよく飲みに行った。収入も安定して、気持ちが楽になった。
しかし、それはいつも楽しい飲み会帰りにいつも起こる。最寄り駅の地下鉄の階段を登りきると、涙が溢れてくる。私は泣きながら家まで帰るのだ。どうして涙が出るのか自分でも分からなかった。いや、本当は薄々気づいてたのだが、気づかないふりをしていた。中途半端に夢に背を向けて、目の前の楽しいことでごまかそうとしていることへの拒否反応だった。会社勤めの楽しい日々は、夢に目を背けている現実を忘れるために麻薬を打ち続ける日々だった。そんなときに、帰り道で同級生の言葉をふと思い出したのだ。私は将来もこの仕事をやり続けていたいのだろうか。この仕事をする上で、将来の夢はあるのだろうか。同級生が言っていた通り、今死んでも、80歳で死んでも変わらないと思った。
 
「楽しい飲み会終わりに泣きながら帰る」という奇行と一緒に、不思議な感覚があった。風向きが変わったと感じるようになったのだ。心の風向きである。生活や精神の中心にあった音楽を無視し続けた結果、心の地形が変わったのだろう。心に吹く風の風向きが変わったのだ。
「私はやりたくないことをやっているんじゃない。この仕事を自分のやりたいことにするんだ」という気持ちで働いていた。本当にやりたいことを無視しようとしていることに気がついていなかった。
しかし心の風向きが変わったことに対してはひどく敏感で、同僚と笑ったり、帰り道を歩いているときにふとその風が吹くのだ。そのたびに「どうして?」という思いで、不安な気持ちになっていた。
 
その風模様が更に変わることになったのは、皮肉にも会社をクビになったからだ。なんの前触れもなく呼び出された会議室で、「明日から会社に来なくていいです」と言われた。突然身に降り掛かった理不尽さに心の中は疾風怒濤だった。怒りと悲しみで身体の震えが止まらなかった。一晩泣きつくして空が白み始めたときには、疲れ果てて心が凪のようだった。「今やっていることをやりたいことにする」という無理矢理な目的で形成しかけていた地形は崩れ、更地になった。なんの風も吹かなかった。
 
新しく楽しいことを見つけられなければやっていられなかった。突然降って湧いた自由時間を有効に使おうと、何回か足を運んでいた、大好きなフランスへ行くことにした。渡仏期間は、今までの中で一番長い2ヶ月という期間を設定した。
それまでに数年間フランス語を勉強していたのだが、現地へ行って言葉を話すとなると、まともに伝えられることが「おいしい」「きれい」「あれがしたい」「これがしたい」ぐらいだった。3歳児ぐらいの言語能力しかなかったと思う。しかし、それがまた良かったらしい。使える言葉は思考を支配する。難しい言葉を知っていると、感情を言葉に当てはめて複雑なものにしてしまうことがある。言い表せないと思っていた感情に、ぴったり当てはまる言葉があると知ったときにスッキリすることもあるが、言葉を知っているからこそ、感情よりも言葉が先行してしまうこともあると思う。フランス語の難しい語彙をあまり知らないせいで、滞在中の心境がとてもシンプルなものになった。東京の複雑で継ぎ接ぎだらけの街の風景とは違って、フランスの整然とした美しい街並みも影響していたと思う。自分が使えるフランス語の「きれい」「素敵」「楽しい」「おいしい」の感情だけで毎日を過ごすことができた。
それでもたまに泣きたくなることがあった。日曜の朝に街を散歩しているときだった。あまりにも楽しくて、幸せで泣き叫びたかった。今自分は幸せなんだ、来たかった場所に来ているんだと確かに感じて出そうになる喜びの涙だった。夜の環七を歩いているときに流れる原因不明の涙とは別物だった。
 
「それでさ、あんた歌はどうするの?」
パリに住む音楽留学中の先輩と会った。正直自分の音楽の話はしたくなかった。先輩の充実した留学生活の話を聞くだけにとどめたかった。近所を少し歩けば音楽家の住居跡や、ゆかりの地にたどり着いてしまう街で、一度逃げようとした夢と向き合うのは苦痛でしかなかった。
「あんたは音楽で何がしたいの?」
だんまりを決め込めないと気づいた私は、絞り出すように音楽でしたかったことを言葉少なに話した。
「一人でリサイタルがしたいとか、コンクールに入選したいとかではなくて、音楽で人と繋がりたいです。誰かと一緒に演奏するとか、一緒に舞台を作り上げるとかそういうことがしたいんです。でもそのための実力がないんだろうなって思ってます」
先輩は自他共に認める努力の人だった。私と同じ音楽大学を卒業した後、10年間一人の師匠のもとで修行をした。私がわりとすんなり入れたオペラ研修所も、先輩は入所までにとても苦労をしたらしい。しかし最終的にはトップに近い成績で研修所を修了した。
そんな先輩から、あんたは努力が足りないと言われた。ここでいう努力とは、もっと自分に欠けている技術を埋めようとする努力だ。サッカー選手に例えると、基礎体力づくりや、体幹づくりのようなものだ。そういう身体を動かすための基礎ができて初めて、試合中にコントロール良くパスを出せたり、キーパーに止められないシュートが打てるというものなのだ。振り返れば、パスやシュートといった、分かりやすいパフォーマンスのことばかりを追い求めて練習していたように思う。しかし基礎的な技術がないためうまくいかず、焦るばかりだったのだ。
「私が長くお世話になった先生を紹介してあげる。とても素敵な先生だから、あんたもそこで努力したらちょっとは変われるかもよ」
「今更」という思いもあったが、せっかくそこまで言ってくれる人がいることをありがたいと感じ、日本へ帰ったら、その先生のレッスンを受けさせてもらうことになった。
 
帰国後、あっという間にコロナウイルスによる外出制限が出て、世間的にも音楽レッスンのオンライン化が定着しつつあった。
パソコンの画面越しに初めてお会いした先生は、ふんわりとした印象の方で、先輩がこの先生のもとで10年間お世話になった理由がなんとなく分かった気がした。
その日のレッスンの最後に、先生が一言言った。
「頑張っていればね、いい出会いもきっとあるから」
音楽を通して人と関わりたいと言った私の言葉が、先輩を通して先生の耳に入っていたのかは分からない。おそらく先輩はそこまでは先生に伝えていないと思う。偶然出た言葉にせよ、一人でこれ以上空回りすることが不安で、音楽のことを忘れようとしていた私にとって、その言葉ははっとさせるものだった。
「もう少し歌を頑張ってもいいのかもしれない。同級生や後輩たちとはかなり差がついてしまったから、追いつけるなんて思わない。けど、やっぱりこのまま中途半端に放棄することだけは、やっぱり嫌だ」
この1、2年、自分の中から追い出していた「音楽がやりたい」という風が戻ってきた。
 
そんなときに高校の同級生が久々にSNSに近況をアップした。「これからの人生でやりたいことがないなら、今死んでも寿命が来て死んでも一緒な気がする」と投稿していた彼だ。女性との2ショット写真で、二人は婚姻届を持っていた。「突然ですが結婚しました」と書かれていた。
「『将来やりたいことがないから今死んでもいつ死んでもいい』って昔言ってたのに良かった! おめでとう!」とコメントした。
すると「ありがとう! そんなこと言ってたっけ? 人生何があるか分からないから死んだらいけないね!」とコメントが返ってきた。
「人生何があるか分からない」月並みな言い方だが、彼に言われるととても説得力があったし、ここ数年の自分を振り返っても確かにそう思えた。
「そうだね」と思い、いいねを押した。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

音楽大学を声楽専攻で卒業。フランスが大好き。外出自粛があまり苦になっていないインドア派。

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2020-06-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.82

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