週刊READING LIFE vol.83

万能ではないがゆえの、万能の魔法具《週刊READING LIFE Vol.83 「文章」の魔力》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「文章」には魔力とも言えるような大きな力がある、というようなことは何と無く分かるが、同時に、私たちはそれが万能の魔法具ではないことも知っている。
 
私の最初の赴任先は「ろう学校」であった。すなわち、聴力に難がある生徒が通う学校である。
 
他の県はいざ知らず、私のところでは該当学校の教員免許があれば、特殊養護学校にも赴任する可能性があった。
よって、私は養護学校の免許は持っていなかったが、高校の教員免許で、ろう学校の高等部に配置されることとなった。
 
それゆえ、難聴の生徒に関して、全くと言って良いほど無知であった。
ただ、学校側もそれを承知の上であり、様々な研修会が開催されていた。
 
その中でいくつか衝撃的な事実を知ることとなる。
例えば、難聴の種類にも色々あって、大きな声で話せはいいという単純なことでもないらしい。補聴器が拾う音だけではなく、唇の動きも読んだりと、トータルでの聞き取りが必要となる。
 
また、音が聞こえないということは、ただ単にそれだけのことではない。
私たちは何気なく聞こえてくる音で、いわゆる「耳学問」をしているというのだ。
これがなかなかバカにできない。
小さなことでも毎日聞いていれば、それが積み重ねとなって習慣となり、「当たり前」の知識となる。いわゆる常識というものだ。私たちはこの身にけた知識で、世の中をうまく渡り歩いている所もある。
 
イントネーションも大事になる。例えば、「8時10分前」という字面を見て、あなたは何時を思い浮かべるだろうか?
「7時50分」だろうか? 「8時9分」などであろうか?
 
聴力に難があるならば筆記で、つまり筆談で何とかなると思っている人も多い。私も最初はその一人であった。だが、文字だけだと上記の問題も発生する。そう簡単に解決するわけではないのだ。
 
そしてもう一つ。これが致命的で、本当に目から鱗が落ちる思いであったが、私たちは、文章を読む時、「頭の中で音声を再生」して、読んでいるのである。
当たり前のように行なっている行為なだけに、私たちはこの事実に気づきにくい。
 
となれば、その音声が聞こえない人々はどうなのか。残念ながら、その脳内を知ることはできないが、とにかく私たちが行なっている「読み」とは異なるプロセスを踏んでいるのかもしれない。
 
実際、言葉を言葉通り受け取る生徒も多い。「行間を読む」ということはすこぶる苦手の様子だった。
言葉通りに受け取り、相手の真意を計りかねることが多いのである。
 
となれば、難聴の方々にとって、文章を読むこと、ましてや書くことは至難の技であるとも言える。もちろん、人によってはその限りではないが、少なくとも、健聴者が文章を読み書きすることとは、何かしら異なる部分がある。
 
その難解さは、健聴者が想像も及ばないことであるだろう。
そのためかどうか、難聴者の中には、絵や映像を創作することに力を発揮する方が多い。
 
実際、私もそう言った生徒を見たことがある。
実に見事な絵を描く生徒であった。
それこそ、言葉を紙面に埋めるように、絵を画面に埋めていく。
 
言葉で思いを伝えるように、絵画で思いを伝える。そういう人は大勢いるだろう。
 
ペンは剣よりも強し、というが、その実、全く無力という場面も多々あるのだ。
ペンは万能の聖剣ではないことも、また事実なのである。
 
私たちは、いわゆる健常者であるがゆえ、文章の力を盲目に信じている。
聴覚に障害がある人にとってはどうだろう? あるいは視覚に障害がある人にとってはどうだろう?
 
私たちは、大多数の意見を持って、その真偽を見定めてしまう。
文章に力があることを、何となく信じてしまう。
文章が無力である場面を、我々は容易に想像できるのにも関わらず、だ。
 
報道規制然り、戦争然り……文章に力があるならば、そもそも武力など必要ないではないか。
 
にも関わらず、我々は、文章の力を信じ、ろう学校でもまた、言葉および文章に対する教育には、力を入れている。
 
ならば、そこには確かに「力」があるのだ。
それは万能ではなく、無力だからこそ持つ力である。
 
例えばここに一つの文章がある。いや、文章という大層なものでなくとも良い。一文でも良いし言葉でも良い。
試みに、
 
「犬がいる」
 
という文とも言えないような文を挙げよう。
 
今、あなたの脳内に、様々なシチュエーションが展開されたことであろう。
犬の種類、場面、環境、そもそも犬が存在しないかもしれない。
ただの空間に何かが存在する、そんな世界を広げた方もいるかもしれない。
逆に一場面どころではなく、これはどこそこの景色で、この犬にはこういう生い立ちがあり、というように一つの物語を瞬時に組み上げてしまった方も、当然いることだろう。
 
文字の力とは、すなわち、無限とも言える「拡張性」にこそある。
「伝える」という伝聞性は、その副産物であると言っていい。なぜなら、多くの人がご存知の通り、また冒頭でも話した通り、文は創出した人の思惑通りに伝わらない可能性が大きいからである。
 
人によって千差万別ではあるが、私たちは文字から様々な情報を拡散させ、脳内に構築する。
その精度はいざ知らず、文字は文字だけのものではなくなる。
 
文字通りに受け止める、ということにしても、文字を自分の頭の中で解釈し、その内容を脳内で構築するのである。ここにも、その人ならではの拡張がある。
 
ならば、文字の集合体である文章は、世界構築への道標であるとも言える。
文章を書く筆者は、自らの世界をその中に描く。
読者は、その文字を読み、一つ一つを拡張して、その人自身の中で内容を構成していく。
 
次々と現れる文字に対して、読者は読者の中で、世界を構築していく。筆者の作った道筋に従って。
それが「読む」という行為であると思う。
 
すなわち、読むことで作られる世界は、読者に委ねられる。であればこそ、読む側が作った世界であるからこそ、文章は説得力を持つ。
自分が自分で作る内容であるからこそ。文章は力を持つ。
 
逆を言えば、読者自身が構築できない世界は、無力となる。それが、いわゆる「意味がわからない文章」であることだろう。
 
そこには書き手と読み手、双方の要因が関わってくるので、必ずしも意味不明な文章が駄文とは限らないし、名文と言われる文章も、読む人にとっては名文とはなり得ないかもしれない。
 
文字や文章が、筆者の思惑通りに伝わるとは限らない。
文章はそれ自体では不完全であるからである。
力を持っていても万能ではないからである。
時として無力となるからである。
 
だからこそ、文章は読まれることによって、初めて力を発揮する。
万能ではないからこそ、拡張性を持って世界を描くことができる。それこそが「文章」の力である。
 
この拡張性には確かに個人差がある。
経験や体の機能にも関係しているであろう。
だが、一つ確かなことは、その拡張された世界は、受け手であるその人だけのものである。
 
それが欠点となる場合もある。
書いた人が、事細かにその意図を伝えたい場合でも、その限りではなくなってしまうことがある。というかそういうことばかりである。
 
ゆえに、文章の力は正統な力ではない。
諸刃の剣となり得る力、言うなれば「魔力」である。
 
使う場所を間違えば、それこそ武力が物をいう世界に発展しかねない。
 
ならばこの不安定な力を、私たちは放棄するべきなのだろうか。
この文章を読んでいる皆さんならば、答えはとうに出ているであろう。
もちろん全力で「否」である。
 
これほどまでに簡易的でダイレクトに、己の意思を表現する方法が、他にあるだろうか。
 
それは方法の簡易性ではない。紙と鉛筆さえあれば、という簡単な特徴を言っているのではない。
この体の奥底から湧き上がる不確定なものを、数画(点字であれば数点)で表せられ、その連なりから、世界を構築できることにある。
 
文法等の制約はあるが、基本的に文章は自由である。それは読み手があることによってルールが作られるものである。
 
会話とも違う、絵画とも写真とも映像とも違う。
 
行為の対象が「文字を見ること」なので、受け手は制限のない世界を作り上げることができる。
 
こんなにも不完全で完全なものが、この世にあるだろうか。
 
文章は万能ではない。だがそれゆえ万能になりうる力をもつ。
筆者と読者、周りの人間、社会、それらを投影して、初めて力となる。
 
大勢がかかわることで力となる。
そんな文章の魔力を、今日も明日も精一杯噛み締めていくことだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-06-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.83

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