伝記に載られなくても、「記憶に残る仕事」はできる。《週刊 READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》
記事:ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
小学生の時、偉人の伝記を読むのにハマったことがある。
野口英世、マザー・テレサ、手塚治虫、ナイチンゲール……。
世界にはこんなに多くの人々に貢献して、その名前を歴史に刻み付けてきた人がいるのかと、いろいろな偉人の伝記を読むたびに感動していた。
その頃、学校の図書室で伝記を読み漁るのが流行っていて、わたし以外の同級生もみんなやたらと偉人の伝記を読んでいた。みんなはどのような気持ちで伝記を読んでいたのだろう。少なくともわたしは、伝記を読むことでこんな夢を抱いた。
「伝記に載るような人になりたい」
いま思えば、当時のわたしは極端だったと思う。
人は必ず死ぬから、こんな風に亡くなってからも人の脳裏に焼き付くような、そんな偉業を果たす人生にしたい。むしろ、人の記憶に残れないんだったら生きている意味なんてない。本気でそう思っていた。
わたしは「与える側」の人になりたかったのだ。
研究に勤しんで画期的な発明をする。医療で人を救う。心を揺さぶる小説や漫画を描く。
方法は何でもある。とにかく、自分の行うことで人に夢や希望を与えられるような、そういう人になりたかった。
『書評委員を募集しています』
そんな時、初めて自分で見つけた仕事。
それが購読していた小学生向け新聞の書評委員だった。
書評委員は、自分のおすすめの本の書評を書いて、新聞社に書評を送るのが主な仕事。載らないこともあるけど、面白ければ掲載される。ときには作家さんにインタビューをしに行ったり、出版社から執筆の仕事をいただいたりすることもあった。
新聞に掲載される文章を書く。
それはまぎれもなく「与える側」の仕事だと思った。わたしの書いた文章がきっかけになって、新しい本に出会う人がいるかもしれない。その本に影響されて、人生が変わる人がいるかもしれない。考えるだけでワクワクした。そういう風に、多くの人々に何かを与えることを積み重ねていけばいつか、わたしも伝記に載っている人みたいな偉業を果たせる気がした。
でも、偉業を果たすためには、自分がその分野のなかで最強にならなければならない。
「また、猿山兄弟載ってる。今回は弟」
ほかの書評委員にはひとりも会ったことがなかったけど、わたしには勝手にライバル視している兄弟がいた。忘れもしない、猿山・兄と猿山・弟。(ここでは仮名とさせていただく)この2人は抜群に掲載率が高かった。新聞を開いて書評コーナーを見ると、この2人のどちらかの名前が高確率で載っている。しかも、彼らの書評は本当に面白かった。「この本読んでみたい」と思わされる文章を、彼らは毎回きっちりと書いていたのだ。
彼らに負けたくなくて、わたしは毎日毎日書評を書いては出した。それでも、掲載率はマチマチ。数値を図っていたわけではなかったけど、猿山兄弟には負けている気がした。今思えば、その本が小学生向け新聞の毛色にあっているのかとか、そういうところもしっかり考えて出せばより一層掲載率もあがったのかもしれない。でも、小学生のわたしにそこまでの発想はなかった。
そんなある日、新聞社の担当さんから電話がかかってきた。
小学4年生の夏休みのことだった。
「新しく発売される本の書評を書いてほしくて。800字ぐらいの文量で、読書感想文と同じような感覚で書いてもらいたいと思ってるんだけど、お願いできますか?」
飛び上がるほど嬉しい依頼だった。
その本は、オーストラリアの作家さんが書いた本だった。
女の子が妖精の国に迷い込んで、冒険をするファンタジー。
キラキラした可愛い世界観と、主人公の女の子が様々な困難に出会いながらも勇気をもって頑張る姿に心を掴まれて、夢中になって読んだのを覚えている。
小学生の女の子向けの本だったから、わたしに依頼が来たのだろう。
特別な理由はなかったのかもしれないけど、選んでもらえたのが誇らしくて、わたしはこれまでになく熱意を込めて書評を書いた。
まずは一回、ざっと書く。
読み返して、表現の仕方を調整する。
お母さんに気になったところを赤入れしてもらう。
修正して、内容を調整する。
これをひたすら繰り返した。
まるで家は編集部。お母さんはわたしの担当編集のようになっていた。
結局、わたしは貴重な夏休みの半分をこの執筆に費やした。新聞社の担当さんに書評を送って、掲載される日を待ってドキドキして。ついに掲載されたときは、高揚感と満足感でいっぱいになった。
紙面には、わたしの写真と名前と、書いた書評が堂々と載っている。
本の装丁に合わせてピンクをメインにデザインされた、カラー紙面。
すごくかわいくて、胸がキュンとした。
「はるかちゃん、ありがとうございました! 出版社の方にもすごく好評だったよ」
後日、担当さんからお礼の電話がかかってきた。
担当さんが弾むような声でわたしの書評を褒めてくれるのが嬉しくて、心から幸せだと思った。
そのとき書いた書評は本の帯にも一部を抜粋して掲載してもらえることとなり、わたしの宝物となった。本にわたしの書いた文章と名前が載る。それだけでとても嬉しかったし、猿山兄弟よりもすごいことをわたしは果たせたのかもしれない、と思った。
それからは書評委員の仕事に誇りを持てるようになって、より積極的に書評を書けるようになった。本もたくさん読んだ。自分の書いた文章があらゆるところに掲載されることで、誰かの記憶に残っていく。続けていればまた、こういう大きな仕事のチャンスが舞い込んでくるかもしれない。そう思うとただひたすら楽しかったのだ。
でも、猿山兄弟はもっともっとすごかったのである。猿山・兄は、小学生にして本を出版した。それは堂々と新聞に掲載され、話題のニュースとして取り扱われていた。本を出す、ということはわたしが成し遂げたことよりも、圧倒的に大きな仕事に思えた。
「小学生なのにこんな面白いものが作れるの!?」
そういう声を耳にするたびに、負けた、と思った。もちろんその本も購入して読んだが、やはり面白かった。猿山・弟も相変わらず書評の掲載率は抜群だし、この兄弟はなんなんだ。最強じゃないか。もしかしたらこの兄弟は、2人でこれからの出版業界を引っ張っていく存在になるかもしれない。ライト兄弟みたいに、兄弟で名を残していくのかもしれない。
やっぱり自分は最強にはなれない、と思うとなんだか悔しかった。結局そのモヤモヤを抱えたまま、わたしは小学校を卒業し、書評委員も満期を迎えることとなったのだが、猿山兄弟のことはいつまでも忘れられなかった。
書評委員を辞めてから、書評を書く機会は全くなくなった。わたしの手元に残ったのは、あの時、本の宣伝で書評を大きく掲載してもらった新聞のコピーと、自分の書いた書評が載っている本の帯だけ。これだけでも小学生にしてはかなり大きな仕事を果たしていると思うのだけれど、残念ながらわたしはとても理想が高かったのである。
だって、わたしは伝記に載る人になりたい。
これだけじゃだめだ。
もっともっと世の中に大きな影響を与えられるような、何かを成し遂げないと。
猿山・兄ぐらいインパクトのあることをしないと、わたしの名前は忘れられてしまう。
焦っていた。ただ、ただ焦っていた。
このまま何もできないまま、大人になっていくのは嫌だと思った。
その言葉に出会うまでは。
「えっ! その本、わたし読んでたよ!」
中学校で仲良くなった友達に、何気なくあの時書いた書評の話をすると、こんな言葉が返ってきた。びっくりした。その本は、そこまで有名な本ではなかったから。
「面白いよね。もともとこの作家さんのほかの本が好きでさ。このシリーズも全巻持ってる。わたしも小学生向けの新聞とってもらってたから、そこで知って買ってもらったんだよ。書評読んで面白そうだなと思って」
「それ、もしかしたらわたしが書いた書評載ってたやつかも」
「ほんとに!? そうだったらすごすぎる!」
その子は、キラキラした目でそう言ってくれた。わたしの知らないところで、わたしの文章が目に留まって、本を買ってくれている子がいる。夢みたいな話だった。本当に夢かと思った。だけど、これは実際に起こったことだ。
小学生向けの新聞をとっている家庭はそれなりに多いし、別におかしな話ではない。でも、直々にそれを見ていたという報告を受けて、ましてやそれきっかけに本を買ってくれていた話が聞けるなんて。信じられないことだった。当時はSNSも流行っていなかったし、こんな風に自分の書いたもので誰かが影響を受けてくれるところを目にすることは、今よりも少なかったように思う。
史上初の快挙! 歴史的な記録!
そういう言葉はどうしても魅力的に感じる。でも、インパクトのあることを成し遂げられていなくても、発信し続けていればこうやって受け取ってくれて、記憶に残してくれる人がいるということに、この時初めて気づかされた。
猿山・兄はイチからお話を作ってそれが本となり出版されたことで話題をかっさらった。『小学生なのに本を出した』という快挙はきっと多くの人々に夢や希望を与えただろう。そして、わたしみたいに十年以上の月日が経っても、彼の快挙を忘れていない人だっている。それは間違いなくすごいことだ。
でも、大きな記録を残すことだけが、必ずしも人々の記憶に残り続けるための方法となるわけではない。飛びぬけたものではなくても、ある一定の人に刺さるものを提供できていれば、その層の人たちの記憶に残るものを作り上げることができる。
小学生の女の子をターゲットにした本の書評を、小学生の女の子目線で書いたわたし。物語のなかにあった、女の子が憧れるようなキラキラとワクワクをすべて詰め込んだその文章は、当時小学生の女の子だったわたしの友達に刺さったのだ。
わたしの書いたもので、一人の女の子の心を動かして本を買ってもらうことができたという事実。そういう風に、人の記憶に残るものを作って、世の中に提供していきたい。それで人を動かしたい。心からそう思った。
そんなわたしが、大人になって広告業界に足を踏み入れたのはごく自然な流れのような気がする。
「企画、考えてみて」
「はい!」
広告を作る仕事についたわたしは、日々新しい広告企画を一生懸命考えている。もちろん案が通ることもあれば、通らないこともあるのだけれど、自分の作ったものが誰かの記憶に残って、もしかしたらその人の人生を変えるような行動を生み出すかもしれない、と思うとドキドキして、面白くてたまらない。
ただ、人々の目に留まるのはあくまで広告であり、広告から興味を持ってもらえるのは商品。そこで覚えてもらえるのはわたしじゃない。でも、魅力的な広告を作り続けている人は、多くの人にその名前を覚えられている。もう昔みたいに、「伝記に載る人になりたい」までは思わないけど、人々に商品と出会うきっかけを「与える側」の人として活躍できるようになりたいとは思う。
とはいえ、人々に行動を起こすきっかけを与えたり、人々の記憶に残ったりする仕事は、必ずしもわたしがついた広告の仕事だけではない。アパレルで接客をしているあの人も、ビルで掃除をしているあの人も、必ず誰かの毎日をちょっとずつ幸せにしている。だって、似合う服を店員さんに選んでもらえたらそれだけで気持ちが明るくなるし、オフィスがピカピカだったら楽しく快適に働くことができる。自分の日常がいつもより少し良いものと、嬉しくなるし、記憶にも残る。世間一般的に偉業とされるようなことを成し遂げなくても、日々のなかで誰もが人の心に何かを残す仕事をしているのだ。「与える側」とかそういうものなんて本当はなくて、誰しもが人に何かを「与える側」の人であり、「受け取る側」の人でもある。そういうものだと、今は思う。
猿山兄弟は、今頃何をしているのだろうか。
ペンネームで活動していない限り、結局彼らは業界にムーブメントを起こすようなことはしていない。でも、わたしの心には彼らの存在と、彼らが書いていた書評のこと、その書評を見て読んだ本のことが今でもしっかりと記憶に残っている。
わたしの作っているものも、こうやって誰かの記憶からなくならないものになっていればいいな。まだそんなに大きなことはできていないけど、そういうものをもっとたくさん作れるようになりたいな。そう強く思う。忙しくても毎日楽しく働けているのは、自分の根底にこのような思いがあるからだ。
日々のちょっとした仕事も、誰かにとっての最高の仕事となるように。
それがある種の偉業とされるものになるように。
今日も、わたしは一生懸命働き続けるのだ。
□ライターズプロフィール
ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
関西出身、東京在住。24歳。社会人2年目。
Webメディアで広告制作の仕事をしている。
趣味はアイドルを応援すること。
幼少期から文章を書くことが好きで、2020年3月からライティング・ゼミを受講し始め、現在はライターズ倶楽部にも所属している。
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