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週刊READING LIFE vol.84

ささやかな取り柄《週刊 READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》


記事:東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
目の前には途切れないお客さん。後ろには怖い上司。
大学3年生のときに始めた初めてのアルバイトは、ターミナル駅にある大型書店だった。
 
シフトに入っていた17時から20時は、おそらく1日の中でもっとも忙しい時間帯で、レジに立っていた4時間の間ずっとお客さんが絶えることはなかった。
 
レジの機械というものを扱うのが初めてなのに、研修は嵐のようなスピードで全工程を説明されただけでメモを取る時間もなかった。細かなレジ操作の手順は仕事をする中で身に付けていくしかなかった。
バイト先のレジは特殊で、商品の打ち込みを私たちバイトの「子レジ」で行い、お金の精算を5つぐらいの子レジを統括している「親レジ」で行う。
子レジで商品を打ち込み、金額をお客さんへ伝えてお金を預かったら、お金の乗ったカルトンを持って親レジへ向かう。
「3番、6点、3600円です」
自分のレジ番号と商品点数、預かり金額を親レジの担当者へ伝え、担当者からお釣りを受け取る。
 
カルトンを持って親レジに向かうとき、私の胃はキリキリと痛む。親レジのNさんが怖かったからだ。
私が子レジの操作が分からなくなりマゴマゴしていると「何してんねん!」「いつまでモタモタしてんねん」と関西弁で怒号を飛ばしてきた。親レジ担当者は次々とやってくる子レジたちの精算の対応をしないといけないので、持ち場を離れることができない。だから私のマゴマゴが解消されるまで、怒号だけが飛んでくるのだ。
子レジでマゴマゴしていなくても、親レジでのお金の受け渡しのときに小言を言われることもあったので、親レジのNさんとお金の受け渡しをするほんの30秒はとても苦痛だった。
 
「もっと建設的な注意の仕方があるんじゃないのか?」
「ここは東京なんだから、関西弁で怒鳴るのはやめてほしい」
退勤後の帰りの電車でNさんを恨み、出勤前には今日はNさんが非番であることを願った。
 
おそらく30人以上いた他のアルバイトは私と同じ大学生だった。同じ年頃ということで「あの親レジの人怖いよね」なんて愚痴でもこぼすことができればもう少し気が紛れたのかもしれないが、当時大学の寮に住んでいた私は他のアルバイトの子達よりも一足先に退勤しており、誰かと駅までの帰り道で愚痴を言い合う機会もなかった。
 
愚痴を言い合えなかったのは私のバイトの退勤時間が早かったからだけではない。
休日にアルバイトに入ると休憩時間がある。休憩時間は休憩室で他のアルバイトの大学生と一緒にお昼を取っていたのだが、他のアルバイトの大学生の会話に上手く入っていくことができなかった。
他の大学生たちは関東出身の子たちが多く、私よりも垢抜けていたし、堂々としていた。都会の大学生ならではのふてぶてしさみたいなものがあり、私はそれに上手く馴染むことができなかった。
 
仕事がトロ臭い負い目もあり、私は声を発せず適当に相槌をうって愛想笑いをしていた。時間が経つのが遅く感じられて、手持ちぶさたと会話に入っていけない不安を誤魔化すように、ペットボトルの麦茶を何度も蓋を開けたり締めたりして飲んだ。
蓋をゆっくり開けて、一口足らずの麦茶をゆっくり飲み込み、蓋をゆっくり、しっかり締める。愛想笑いと相槌とぬるくなった麦茶。こうして同世代のアルバイトの大学生との気まずい休憩時間は過ぎていった。
 
今振り返ってみると、初めてのアルバイトなのに職場が忙しすぎることと、その苦労を誰とも共有できないことが原因だと思うが、当時の私は「働くことが向いていないのかな」としょげていた。
 
夏休みに入り、帰省のため実家の長野へ帰った。
夏休みの間は暇で、何もしないのももったいないので、地元でアルバイトをすることにした。親に頼んで申し込んでもらったのはアルバイトは地元の選果場だった。
 
「夏休みに地元の『せんかじょう』でバイトするんだ」
と言うと、多くの大学の同期は首を傾げた。
「『せんかじょう』って何?」
 
選果場とは各果樹農家が採ってきた果物を一箇所に集め選別にかける場所だ。特別な機械を通して、果物の大きさや糖度が出荷基準を満たしているかを測り、その場で箱詰めしていく。
果樹が盛んな農村で育った私にとって「選果場」とは他の地域の子たちが幼い頃から馴染んでいたであろう「デパート」「駅」「プール」ぐらい聞き慣れた施設の名前だった。
 
夏休みの選果場で仕分ける果物は2つ。桃と梨だった。
桃は表面が柔らかいので、もし誤ってぎゅっと握ってしまったり落としてしまったら傷が付き、出荷できなくなってしまう。
「なにしてんねん!」
東京のアルバイトで浴びせられる怒号を思い出して、「桃の担当じゃないといいな」と願った。
梨は表面が硬いので、少しぐらい粗相をしても商品としてダメにならないだろう。
「できれば梨がいいな」なんてことを思いながら、選果場へと赴いた。
 
私はまんまと梨の担当になった。
作業内容は選別にかけられて機械からはじき出される梨を箱に詰めていくというものだった。
幅60cmほどのコンテナへ、ベルトコンベアからはじき出された梨がその中にどんどん溜まっていく。1レーンに20個ぐらいのコンテナが並んでいて、配属されるのは4人。1人5つの箱を受け持つようになっていた。
 
桃じゃないと安心していたのだが、梨は梨でハードだった。
まずひっきりなし(梨だけに)にコンテナに梨が溜まっていく。素早く箱に詰めていかないと、コンテナが一杯になってしまう。受け持っているコンテナは5つもあるので、ひとつのコンテナだけに時間を取られていると、他のコンテナが一杯になってしまう。
更にどういうアルゴリズムなのか分からないが、絶えず梨が転がってくるコンテナとそうでないコンテナがある。油断をしていると、それが入れ替わっていたりするので、目の前のコンテナの梨を箱に詰めつつも、他のコンテナの様子も伺わなければいけない。
 
初めは梨のスピードに追いつけなかった。
コンテナに2箱分以上に梨が溜まってしまい、それをなんとか箱に詰め終わってよっこらしょと腰を上げると、違うコンテナが一杯になりかけていた。そんな調子で初日を終えた。
 
そこまで収穫量が多い時期ではないので、コンテナから梨が溢れることもモタモタしていて後ろから怒号が飛ぶこともない。工業作業でありがちな「失敗してレーンが止まる」という心配もなさそうだった。
しかしこのままひっきりなしに転がってくる梨にあたふたとするのは、なんだか格好悪いなと思った。2日目からは先回りをして梨を捕まえにいくぐらいの気持ちで箱詰めをしようと気合を入れた。
 
書店のアルバイトで「なにモタモタしてんねん!!」と怒られることがあるので、きっと私はトロ臭い人間なのだと思っていた。
しかし梨を相手にしたときの私は俊敏だった。「梨を捕まえにいく」この志が功を奏したのか、コンテナに10以上の梨を溜めることなく、凄まじい速さで梨を箱に詰めていった。
 
箱詰めされた梨に異常がない限り、誰かがレーンを見回りにくることはない。私の驚異的な箱詰めのスピードを知る者は私しかおらず、誰かに仕事ぶりを褒められることもなかったが、ただ単純に5つのコンテナを行き来し「梨を捕まえにいく」という梨との戦いが楽しかった。
 
その日は珍しくレーンに人が見回りにきた。選果場の人なのか、私と同じように短期で入っているベテランさんなのか分からないが、60代ぐらいのおばちゃんだった。
おばちゃんは私の俊敏な動きを見て、梨を一通り箱に詰めて一息ついている私に「あら。あんた良く動くねぇ。どこのお嫁さん?」と言った。
 
「どこのお嫁さん?」と聞くのは狭い田舎特有の身元調査である。「友之田の東の嫁です」と地名と嫁いだ先の名字を言うと、だいたい「あらそうなの」と納得してもらえる。
まだ大学生なのに「どこの奥様?」と聞かれたのであっては、老けて見られたのだろうかと心配するところだが、そのときはなぜかそう捉えなかった。きっと「この手腕はとても大学生のものではない」と思われたのだと思った。
というのも私と一緒にアルバイトで入っている帰省中の大学生たちは、とてものったりとした動きで梨を箱に詰めており、私とは仕事ぶりが格段に違ったからだ。
 
「友之田の東です……私大学生です」と答えたところおばちゃんは「あらそうなの」とちょっとビックリした様子でどこかへ行ってしまった。
いつも書店で叱られている私とは違う人間になった気がした。
 
選果場が稼働するのは午前中だけらしく、いつもは休憩をとることなく勤務が終わっていたが、その日はなぜか休憩時間があった。
 
突然レーンが止まり遠くから「お〜い。休憩にするに〜」という声が聞こえてきた。声のした方に寄ってくと、みんなが麦茶を飲んでいた。麦茶はどこでもらえるんだろうとキョロキョロしていると、目の前に麦茶の入った湯呑が差し出された。
麦茶は飲食店のゴミ箱として使われるような大きな青色のポリバケツの中に入っていた。まさか麦茶が入っていると思わず、目の前にあったのに気が付かなかったのだ。選果場のおじちゃんが巨大な柄杓をポリバケツに突っ込み、小さな茶碗に器用に注いでくれた。
「たくさん飲んでな。飴もあるに」と言って飴もくれた。
 
ポリバケツに入っていた麦茶はよく冷えていて美味しかった。
ただ冷えていたからというわけではなく、自分の仕事ぶりに満足して飲む麦茶は美味しい。東京のアルバイト先で飲む気まずい味の、ぬるい麦茶を思い出し「私はここでは梨の箱詰め女王なんだぞ」とほくそ笑んだ。
 
夏休みを終えて東京に帰ると、また書店のアルバイトが始まった。
梨の箱詰めが早くできることが分かったからといって、私の書店での仕事ぶりが変わることはなかった。相変わらず会計を手間取ることがあってヒヤヒヤしたが、その頃には私よりも後に入ってきた新人バイトがNさんの子レジに配属されるようなった。私の親レジ担当はNさんではない穏やかな人になりホッとしていたが、遠くから聞こえてくる新人バイトへのNさんの怒号にたまに胃がきゅうっとした。
 
相変わらず他のアルバイトと上手く馴染むことのできなかった休憩室で、こんな話を小耳に挟んだ。
「Nさんて、この書店に入ったときに振られる仕事がことごとくできなくて、だから結局親レジに落ち着いてるらしいよ」
なるほど。私にとっての梨の箱詰めが、Nさんにとっては親レジ業務なんだなと思った。
書店での仕事はレジ業務だけではない。売り場を作ったり、お客さんからの本の注文を担当したりと、大きな書店ではそれら全てが分業だ。色んなセクションを巡り「どうしてこんなこともできひんのや」とため息をつかれ続け、親レジに活路を見出したNさんの姿を想像した。
Nさんの怒号は彼なりのプライドだったのかもしれない。
 
大学を卒業して色んなアルバイトや仕事をしたが、うまくいかないことがあると梨の箱詰めのアルバイトを思い出した。
愚痴をこぼすときに「私、梨の箱詰めは得意なんだよ」と言うと「なにそれ」と笑われる。しかし一つでも得意に感じる仕事があったことは励みなった。
「梨の箱詰めをあんなに素早くできたんだから、今の仕事だってできないはずはない」と根拠になり得ない根拠で自分を鼓舞した。
 
私が書店のアルバイトを辞めた後、親レジがなくなり全て子レジでの精算になったと聞いた。その後その書店に立ち寄っても、Nさんを店内で見かけることはなくなった。
Nさんはどこに配属されて働いているのだろう。
私が仕事が上手くいかないときに梨の箱詰めのことを思い出すように、Nさんも上手くいかないことがあると、自分の得意だった親レジの仕事を思い出すのだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

湘南生まれの長野育ち。音楽大学を声楽専攻で卒業。フランスが大好き。書店アルバイト、美術館の受付、保育園の先生、ネットワークビジネスのカスタマーサポート、スタートアップ企業OL等を経て現在はフリーとして独立を模索中。

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2020-06-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.84

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