夢破れても《週刊READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》
記事:大森瑞希(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
その凛とした横顔に見覚えがあって、思わず目をそらしてしまった。
彼女に気づかれたくなくて、私はマスクを鼻の上あたりまでしっかり押し上げた。
福岡から羽田へ行く飛行機の中。私の席は後ろの方だった。
彼女は、前方から、ブランケット片手に、乗客一人一人を見渡しながら歩いてくる。
スカートから伸びる、そのほっそりとした足にも既視感があった。
あの足でランウェイを歩いていたのが、つい昨日のことのようだ。
彼女が近づいてくる。
「ブランケットいりませんか?」
私は下を向いたまま、無言で、ふるふると首を横に振る。
顔は見なかったが、おそらくにっこり笑ったのだろう。
私には気づかず、ゆっくりと彼女は歩いて行った。
よかった。ばれなかった。
そりゃそうか。私はほぼすっぴんだし。マスクだし。
仕事で疲れていて、寝不足で、髪はぼさぼさだし。
5年前、同じランウェイを歩いていたころから、私は5キロも太った。
けれど彼女は今でも綺麗なままだ。
あの頃から私と彼女で何が違ったのだろう。
私は20歳の頃、ミス・ユニバース日本代表になることを目指していた。
最初は憧れているだけだったモデルの仕事はいつしか私の夢になっていた。
人から美しいと思われる仕事がしたい。
人から嫉妬されるくらい名声を手にしたい。
雑誌の読者モデルやミスコンにでる女性たちを見ては、モデルの仕事が楽しいものであると信じて疑わなかった。
美容の本を読み漁り、食事を節制し、トレーニングをし、色々なコンテストに応募する日々を送っていたが、いつまでたっても思うように結果は出なかった。
最初は、苦しい日々も自分の夢の為だと思えば、苦労を苦労とも思わず前向きに取り組めていたが、こうも失敗続きだと、自分のあまりの実力の無さを自覚し、希望は少しずつ絶望に変わる。
その時に、ミス・ユニバースの挑戦を最後にしよう、と自分の中で決めた。
これでだめだったら、もう自分には一ミリも才能がないと判断し諦めよう。
終わりを決めると、心が吹っ切れて、一心不乱に突き進むことが出来る。
じたばたと散々もがき、なんとかミス・ユニバース神奈川決勝の切符をつかむことが出来た。
最初にして最後の大きな成果である。
決勝までたどり着いたコンテスタントは13人。
その中に、彼女はいた。
彼女はいわゆるビューティコンテストと呼ばれるものの常連で、数々の大会に入賞してきた猛者だった。
身長180㎝とコンテスタントの中でも群を抜いて長身でスタイルの良い彼女は、
もちろん顔も美しく、英語が話せて、ダンスが踊れる、快活でとてもフレンドリーだった。
「私今まで、ずっと2位とか3位にしかなれたことがないの。だからこの大会に賭けてるんだよね」
彼女は万年2位・3位止まりなのを悔しがっていた。
しかし今までの戦歴を踏まえると、今回の大会の優勝候補であることは間違いない。
私は実績なんて何もないけれど、絶対に負けたくないと思った。
今後、もしモデルとしてやっていくなら、この大会で成績を収める事は、大きなステータスになる。
ここまで来たんだから。私にだってできる。
「ミス・ユニバース神奈川代表は高橋未来さんです!」
審査員が叫んだその名前は、私のものでも、彼女のものでもなかった。
観客がスタンディングオベーションしているのに、私にはなぜだか、その音は聞こえなかった。
落ちたんだ、私。
事実としては理解できても頭が追い付いて行かなかった。
自分の好きなことを仕事にしたくて、自分なりに努力を重ねたつもりだった。
でもこれ以上は無理だよ。私、限界だもの。
好きなものなら、無限に頑張れるなんて嘘。
好きだからこそ、上手くできないのが苦しい。
成功するモデルは、身に纏うオーラが違うと言う。
モデルの世界なんて、狭き門で、やってもやっても上には上がれなくて、私に見たいな所詮平凡な女は、生まれついての美女になんか勝てない。全然楽しくなんかない。
私は彼女の顔をちらっと見た。彼女は泣いていた。またしても3位だったからだ。
入賞できなかった私が言うと、負け惜しみのように聞こえてしまうかもしれないが、
1位と2位・3位は大きく違う。
一番の理由は、人の記憶に残らないからだ。
日本で一番高い山が、富士山なことは日本人なら誰でも知っている。
では二番目に高い山は、と尋ねられたら答えられる人はどのくらいいるだろう。
実は、富士山の次に高い山は北岳と言う山で、私は登った事がある。
八ヶ岳連峰にそびえる綺麗で険しい山だ。
しかし、どれだけ美しい山であっても、二番目であることで、これから先、一生、知る人ぞ知るというレベルの知名度を背負っていくしかない。
目立つことがなんぼのモデルの世界で、知る人ぞ知ると言うステータスでは生きていけない。
私はランク外だったからまだしも、常に惜しいところで優勝できない彼女は、他の人とは違う挫折感があるに違いなかった。
大会が終わり、夢を絶たれた多くのコンテスタントたちは、またそれぞれの現実の世界に戻っていった。
何人かはテレビドラマのエキストラ役に出ていたり、他のコンテストに出場していたりしたようだが、モデルとして脚光を浴びている人はいないようで、みんながどんな人生を送っているのは全く分からなかった。
3位の彼女の消息も、分からなかった。
私は大学卒業後、保険会社に就職が決まった時、親は喜んだ。
外資系の大手で、いわゆる安泰路線だと思ったのだろう。
友人からも羨ましがられることが多かった。
私としては、本が好きだったため、出版社に入りたいと思っていたのだが、軒並み不採用だった。
就職浪人する気はなかった為、視野を広げて就職活動を続けた結果、やっと採用通知を手にしたのだ。
モデルの夢を諦め、出版社に就職出来なかった私でも、保険会社に入社した時、希望に満ち溢れていた。
思い描いていた理想と違っても、毎日懸命に働いていればそのやりがいを見いだせるに違いない。
全く畑違いの場所に飛び込んで、自分のまだ見ぬ可能性が開花するかもしれない。
周囲から認められ、信用され、成功して、スポットライトを浴びることが出来るかもしれない。
入社してからは、怒涛の毎日だった。
営業に配属され、毎日毎日くるくると取引先を訪問する。
取引先の理不尽な言葉にも必死に頭を下げ、お昼ご飯を食べる暇もないまま一日が過ぎていく。
月日は飛ぶように流れていく。
入社して二年半を過ぎたあたりから、自分の心の中の小人が何かを叫び始めた。
「おーい、瑞希。君は幸せなのかい?」
特にうるさいのは夜である。
仕事から疲れて帰宅し、簡単な食事をとり、お風呂に入ったら、もう自分の時間は無くて、明日の出勤時間までのカウントダウンをしながらベッドに潜り込む瞬間。
「今日やり残したことはないかい?目一杯人生を生きたかい?」
かりゆしの歌にも似た節で、小人は耳元でそっと呟く。
やり残したこと?そりゃいっぱいあるよ。
もっと本が読みたい。
文章を書くことにもチャレンジしたいと思ってたけど、そんなことする体力がない。
あんなに頑張っていた美容も、今は全く気を使ってない。
ブクブクと太り、肌も髪もガサガサだ。
仕事して、食べて、寝るだけの生活。
モデルになりたいともがいてた時や、出版社に入りたいと思ってた時期の熱量を今は思い出すことができない。
私のパッションはどこへ行ったの。
ぐるぐると頭が回りはじめ、眠れなくなる。
あぁ明日も早いのに。早く寝なければ。
小人がうるさい時、私はそいつをなだめる方法を知っていた。
それは自分が恵まれていると自覚することだ。
仕事は忙しくても、給料は同世代の平均以上はもらってるし。
福利厚生もしっかりしてて、社宅だから家賃いらないし。
会社の人もいい人ばかりだし。
こんなことで悩んでちゃだめだ。
毎晩私は小人を諫めて、安眠に入る。
いつからだろう。
立ちくらみや頭痛が多くなり、会社を早退したり、休む日が増えた。
そして毎日のように鼻血が出て、1~2時間止まらない
それもちょっとずつ出るのではないドバドバ出るのだ。
営業先でも急に出てしまい、周囲にびっくりされた。
とある夜、あまりにも鼻時が止まらず、貧血になったため救急車を呼び、急患で治療してもらった。
「貧血や頭痛は頻繁に起きますか?」
医師は私の鼻の穴に金属の棒を突っ込みながら聞いてきた。
応急処置として鼻の中の切れている部分をレーザーで焼き、強制的にかさぶたを作り、血を止めるという荒療治だ。
痛すぎて涙を流しながら、「最近は多いです」と答えた。
「でしたら、原因はストレスかもしれません。自律神経がやられているのかも」
医師の診断によると、「鼻の中の切れている部分からして、白血病とか重い病気ではない」とのことだった。
それ以降、やはり鼻血と格闘しながら、なんとか仕事をこなし、年末を迎えた。
実家に帰る飛行機に、三位の彼女はいた。
そうか、モデルを辞めてCAになったのか。
羨ましい、そう思った。
と言うのは、私自身がCAになりたいと思っていたということではない。
彼女が、自身の好きなことを仕事にしている。そのことを羨ましく思ったのだ。
楽しい仕事の定義は、人それぞれかもしれない。
しかし、彼女を見ていると、楽しい仕事とは、自分の自己実現ができるものではないかと思う。
お客さんを喜ばせるとか、周囲を笑顔にするとか、そういうことはとても重要だが、
第一には、自分が自分らしくいられるかが大事なのかもしれない。
彼女の仕事っぷりは、まさしくそうであった。
少し勝気に見えるその笑顔は、仕事へのやりがいと、自分はCAであるという自信にあふれていた。
CAとモデルは違う職業である。
しかし、「美貌を一つの武器として戦う職業」と言う意味では同じカテゴリーだ。
このカテゴリーをピラミッドにして、その頂点をモデルや女優が占めるのだとしたら、CAはモデルや女優より下位に位置するのかもしれない。
全国アイドルを目指す地下アイドル然り。
料理人を目指すホールスタッフ然り。
ピラミッドの下の方に位置し、夢と現実の折り合いをつけながら、それでも自分のしたいことの大枠は外さない。
夢にしつこく喰らいつき、もがく姿が見える。
この世界で、彼女は自分らしく居られているんだ。
それに対して自分はどうだろうか。
夢から逃げてはいないか。
夢破れても、「自分は腐っても○○だ」と言えるプライドを持っているだろうか。
自分は恵まれているんだという暗示をかけて、本当にやりたいことから逃げていた。
ピラミッドの頂点に立てないことに音をあげ、畑違いのフィールドなら正功出来るかも、と淡い期待を抱いていた。
けれど世の中そんなに甘くない。
どんな世界でも、頂点に立つのは才能のある人間か、弛まぬ努力をし続けた凡人のどちらかなのだから。
CAの彼女に出会ってから、私は文章を書き始めた。
今度こそ、自分の夢から逃げないのだ。
ピラミッドの下から頂点を仰ぎ見ながら、ゆっくりでいいから登ってみせる。
自分が思う、楽しい仕事に就くために。
□ライターズプロフィール
大森瑞希(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
横浜生まれ横浜育ちの25歳。福岡県在住。
剣道、空手、ミス・ユニバース、ジャズダンス、登山など様々なものに手を出した結果、広く浅く習得を果たす。休日はもっぱら登山と読書。書くことに興味があり2020年2月からラィティング・ゼミを受講。現在はライーターズ倶楽部で修行中の身。
この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いてます。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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