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週刊READING LIFE vol.87

あの時、ディープインパクトは本当に「飛んで」いた《週刊 READING LIFE「メタファーって、面白い!」》


記事:タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「勇気の翼を両手に、ディープインパクトがはばたいた!」
実況アナウンサーは思わず叫んだ。
2006年11月27日、東京競馬場。
その日はジャパンカップという大レースが行われていた。
そのジャパンカップで、真っ先にゴールを駆け抜けたのは、
ディープインパクトという馬であった。
今思うと、大袈裟な比喩だ。
だいたい馬は走るものだ。飛ぶものではない。
そんなことは幼稚園児でも理解できる。
「勇気の翼って何だよ」
今となってはそう思うかもしれない。
ただ、あの時僕は、
いや、僕達競馬ファンは確かに見ていた。
曇天の空の下、傷だらけのディープインパクトが
大空にはばたいていくのを。
ディープインパクトはメタファーを現実に変えてしまう。
そして現実と非現実の間を曖昧にしてしまう。
そんなディープインパクトという馬の走りに皆魅了されていたのだ。
 
僕が初めてディープインパクトの走りを見たのは
2005年の1月、「若駒ステークス」というレースだった。
薄曇りの京都競馬場。
7頭という非常に少ない出走馬。
テレビ越しにも寒さが伝わってくる中のレースであった。
全馬がスタートすると、
ぽんと2頭が勢いよく飛び出して行き、
他の馬を置き去りにして飛ばして行った。
肝心のディープインパクトはその2頭をよそに一番後ろから
悠然とレースを続けていく。
「向正面、先頭の2頭が離して行きます、先頭から後ろまで
20から30馬身くらいあるかもしれません」
実況アナウンサーが呟いている。
1馬身というのは馬1頭分の距離のことだ。
そう考えると30から40メートルほど離れていたのではないだろうか。
そしてレースは最終コーナーへ、
先頭の2頭は流石にバテたのか、後ろとの差が詰まり始める。
さて、ディープインパクトはどこか。
僕が画面の中を探し始めたその時であった。
画面の一番外側から、一頭の影が姿を現した。
その影はまるで再生速度が倍速になっているかのように動いていた。
ディープインパクトだ。
「外からディープインパクト!
あっという間に先頭だ! 7馬身、8馬身リード!」
衝撃であった。
最終コーナーを回ってもまだぽつんと後方。
そこからあっという間に他の馬を抜き去り、しかも大差をつける。
バケモノだ。
すごい馬が現れた。
同じことは画面の向こうの観客も感じていたのだろう
レースが終わっても、ざわざわとどよめきが続いていた。
 
「まるで飛んでいるような走りでしたね」
ディープインパクトに乗っていた騎手、武豊はそう答えた。
2005年4月、クラシックレースの第一弾、
皐月賞をディープインパクトが制した後の
インタビューでのことだった。
武豊といえば、競馬に詳しくない人でも知っているような
レジェンドジョッキーである。
それこそ数多の名馬の背中の感触を知っている男だ。
その武豊が「飛んでいる」と表現する。
彼は一体何を感じ取ったのだろうか?
このレース、ディープインパクトは生涯最大のピンチを迎えていた。
スタート直後のことだった、
「あっ!」
スタンドにいた僕は思わず声をあげた。
つまずいた。
ディープインパクトがスタートした瞬間にバランスを崩したのだ。
幸い落馬には至らなかったものの、
一番後ろからレースを進めることを余儀なくされる。
それでもディープインパクトと武豊は全く焦ることなく
悠然と一番後ろを走っていく。
そして、最後の直線、武豊がゴーサインを出すと
ディープインパクトは急加速し、
全馬をあっという間に抜き去って行った。
この時の感覚を武豊は「飛んでいる」と表現したのだ。
皐月賞が行われた中山競馬場は、ゴールまえに急勾配の坂がある。
どんどん加速し、その急坂を登っていくと
あたかも青い空へ向かっているような感覚がしたのかもしれない。
そして、この後「飛んでいる」は
ディープインパクトの走りを形容する言葉として
多くの人々に広がっていったのだ。
 
ディープインパクトの「飛んでいる」走り。
このことに関して、別角度からの証言もあった。
陸上選手がランニングシューズをはいてレースに臨むのと同じように
競走馬が走る時に「蹄鉄」というものを蹄に着けているのは
ご存知だろうか。
体重が400kgから500kgの馬が全速力で走ると
相当の力が蹄にかかってくる、
そのため、蹄鉄はレースが終わると摩耗するため
交換をしなくてはならない。
その時の蹄鉄の耗り方がディープインパクトと他の馬では違うようなのだ。
ディープインパクトの蹄鉄を作り、
実際に履かせていた装蹄師の西谷氏の談話では
「ディープインパクトは前足の蹄鉄の摩耗と比較して、
後ろ足の蹄鉄の摩耗が非常に少ない」
とのことであった。
強い馬は大抵蹴る力が強いため、
「蹄鉄の減りが速い」という話はよく耳にする。
また、名馬の走り方に特徴があることもよく知られている。
例えば昭和時代の最強馬の1頭であったシンザンという馬は
前足と後ろ足の蹄がぶつかってしまうために
特殊な蹄鉄を使って蹄を保護していたというエピソードもある。
それらと比較してもディープインパクトの
この蹄鉄の耗り方は異質であった。
蹄鉄が減っていない、ということは、
足が地面についていないということだ。
あながちディープインパクトが「飛んでいる」というのは
間違いではないのかもしれない。
 
もう一つ、興味深い証言がある。
こちらは日本装蹄師会の青木氏による講演での話題だ。
青木氏はディープインパクトが本当に「飛んでいる」のかを
画像解析で調べたのだ。
青木氏らは2005年の菊花賞というレース中、
ゴール前を定点観測し、その画像から
ディープインパクトの一歩当たりの進行距離を推定し、
他の馬と比較した。
菊花賞のゴール前、逃げるアドマイヤジャパンを
ディープインパクトは並ぶ間もなく交わして
青木氏のカメラの前を通り過ぎ、見事に優勝。
これで、皐月賞、日本ダービー、菊花賞という
その世代最強を決める3レースを全て制覇。
史上6頭目の「三冠馬」となった。
青木氏らはその三冠馬誕生の余韻に浸る暇もなく
画像を解析した。
すると面白いデータを見出すことができた。
まず、ディープインパクトの一歩当たりの進行距離は
他の馬より1mほど長いことがわかった。
もう一つ、興味深いのはディープインパクトの走行フォームだ。
ディープインパクトは他の馬に比べ、
走っている時の頭の位置が低く、さらにあまり上下動しないというのだ。
重心が低いまま、揺れずに他馬よりも優れた推進力で進んでいく。
そのため、乗っている騎手としてはあまり「地面を走っている」
感覚が得られないのではないのだろうか。
ディープインパクトの「飛んでいる」というのは
彼の走り方そのものから見ても、決して間違っていないということが
青木氏の証言からも窺える。
 
大空を駆ける馬、ディープインパクト。
誰もがその走りに衝撃を受け、魅了されていった。
この馬の走りは、現実で起きている事実よりも
大きな衝撃を見ている人に与えている。
例えば、先の「若駒ステークス」。
実況アナウンサーは「7馬身、8馬身離した」と言っていたが
実際の差は4馬身程度である。
また、ある時は、
実際に前の馬を交わす少し前に実況が「先頭に立った」と言っている。
あまりにもディープインパクトの走りの印象が強すぎて
見ている人が錯覚を起こしているのだ。
そしてその錯覚は、大きすぎる期待に変わっていく。
「世界のホースマンよ、これが近代日本競馬の結晶、
ディープインパクトだ!」
「今日も翼を広げた、夢を叶える馬、ディープインパクト!」
ディープインパクトが勝ち続けるたびに
実況アナウンサーの台詞が大袈裟になっていった。
なぜか。
そこには日本の競馬関係者、ファン全ての悲願があったからだ。
その悲願とは、「日本調教馬による凱旋門賞制覇」であった。
 
凱旋門賞。
フランスのロンシャン競馬場で行われる、世界最高峰のレースだ。
過去にも何頭もの日本馬が挑戦して行ったがいまだに一頭も勝てていない。
まさに日本馬に立ちはだかる大きな壁であった。
確かにディープインパクトなら勝てるのかもしれない。
しかし、フランスの芝コースは日本の芝コースとは全く異なる。
芝が深く、地面もならされていない、
パワーとスタミナが要求されるコースだ。
さらにサラブレッドはとても繊細な生き物である。
長いフライトと検疫は馬にとって非常にストレスである。
海外遠征から帰ってきて、そのダメージが戻らないで
引退してしまう馬も少なくない。
ディープインパクト陣営にとっては勇気のある決断であった。
2006年10月1日、フランスのロンシャン競馬場に
ディープインパクトの姿はあった。
レースがスタートすると全馬団子状態で進んでいく。
これがヨーロッパの競馬スタイルだ。
ディープインパクトはどこにいるだろうか。
馬群の真ん中。
いつもと同じか少し前にいる感じだ。
淡々とレースは流れ、最後のコーナーから直線に入る。
直線コースの内から外まで馬群がばらっと散らばった。
ディープインパクトがコースのど真ん中からスパートをかけて来る。
そしていつものように先頭に立った。
早い。
先頭に立つタイミングがいつもよりワンタイミング早い。
そんな気がした。
残り100メートル。
そんなディープインパクトの外から
フランスの3歳馬が襲いかかる。
飛ばない。
ディープインパクトは何も抵抗できずに交わされてしまった。
このレース、ディープインパクトの翼は開かれることがなかった。
「馬が本調子ではなかったですね。飛ばなかった」
武豊はレース後ポツリとそう呟いた。
3着。
ディープインパクトの力を持ってしても
凱旋門賞の扉は開くことはできなかった。
しかもさらに悪いことが追い討ちをかける。
ディープインパクトがレース前に体調を崩し、
その時に使用した抗生物質から
禁止薬物が検出されてしまい、ディープインパクトは
このレースを失格となってしまったのだ。
リスクを承知で、勇気の翼を持って挑んだ凱旋門賞。
ディープインパクトは翼をもがれ、
傷だらけで帰国することになってしまった。
 
そして迎えたのが、冒頭のジャパンカップだ。
本来はディープインパクトの凱旋レースとなるはずだったこのレース。
しかし思わぬ結果となってしまい。
迎えるファンもどう振る舞って良いかわからないような
ふわふわとした雰囲気が競馬場を覆っていた。
凱旋門賞の疲れが取れていないのではないか?
調教の動きも今ひとつではなかったか?
ディープは勝てるのだろうか?
燃え尽きてしまったのではないか?
誰もが言葉には出さないが、
今までディープインパクトに対し
誰もが思いもしなかったような
迷いのようなものが、僕の中にも、誰の胸の中にもあったような気がした。
いつものようにディープインパクトはスタートすると
定位置の一番後ろを陣取る。
他の10頭が様々な思惑のなか、しのぎを削るのを尻目に
我関せずと言わんばかりにディープインパクトは
淡々と最後方でレースを続けている。
そして最終コーナーをまわり、直線へ。
コースの内から3歳馬のドリームパスポートという馬が先頭に躍り出る。
追いかけて来るのはイギリスのウイジャボードという牝馬。
この2頭の争いなのか?
そう思った瞬間、スタンドがどっと沸いた。
ディープインパクトだ。
コースの一番外から、歓声とともに物凄い勢いで加速して来る。
曇天の中、ディープインパクトが走る道だけ光がさしているかのように、
東京競馬場の長い坂道を駆け抜けて来る。
飛んだ。
これがディープインパクトの走りだ。
「勇気の翼を両手に、ディープインパクトがはばたいた!」
皆が待っていた、ディープインパクトが帰ってきたのだ。
 
驚き、喜び、希望、失望、すべての言葉を
ディープインパクトは自らの走りに変えて行った。
メタファーを現実にしてしまう、そんな馬がディープインパクトだった。
そして彼は昨年の夏、突然この世を去ってしまった。
彼は今度こそ本当に大空へ旅立ってしまい、伝説となってしまったのだ。
しかし、その伝説はまだ終わっていなかった。
2020年5月30日。日本ダービー。
ディープインパクト以来の無敗の2冠馬が誕生した。
その名はコントレイル。
「飛行機雲」を意味する名前を持ったその馬は
ディープインパクトの息子であった。
「まだまだ子供っぽくて、先頭に立つと気を抜いちゃうんですよ。
でもそんな状態でこの圧勝ですからね。楽しみです」
騎手の福永祐一はそう語っていた。
父親とはタイプが違うものの、
その実力はまさに三冠馬のDNAを受け継いでいるかのようであった。
それにしても、三冠馬のDNA。
そんなものがあるのだろうか?
科学的には絶対にそんなものは存在しない。
でも。
ディープインパクトならありうるのかもしれない。
その答えがわかるのは、今年の10月。
コントレイルは親子での三冠制覇へ挑む。
その名のごとく、コントレイルも空を飛び、
飛行機雲を描くことができるのか?
その答えは大空にいるディープインパクトだけが
知っているのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。競馬観戦歴は30年。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と競馬観戦。

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2020-07-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.87

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