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週刊READING LIFE vol.87

『よさのってる』は青春のタイムカプセル《週刊READING LIFE Vol,87「メタファーって、面白い!」》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ねぇ、あの映画見た?」
「見た! マジでヤバくない!」
「ね、めっちゃヤバかった!!」
 
街を歩けば、若い子たちのこんな言葉を耳にする。
ヤバい。
この言葉の意味する所は、すごい、すてき、おもしろい、楽しいとうポジティブなもの。そして、悪い、頭おかしい、気持ち悪い、危ないというネガティブな意味まで。何とも汎用性のある若者言葉だ。こういった言葉は、どこから発生するのだろう。たまたま、日本全国で発生し、一致した奇跡の産物なのか。それとも、ドラマなどTVの電波に乗って広がっていったのか。彼らと一回り以上年齢が離れた私にはわからない。
「最近の若者の言葉は乱れています。ヤバい、の『厄場(ヤバ)』というのは、牢獄や看守を現す言葉です。江戸時代に泥棒などの裏稼業の世界で使われていた隠語です。日常的に使うべき言葉ではありません。日本の若者の学習能力レベルの低下が危ぶまれます。一体、学校や家で何を教わっているのか!」
毎年、必ずと言っていいほど、さまざまな有識者が言う言葉だ。こういった現象は、平安時代に書かれた『枕草子』でも記述があるそうで、大昔から大人は若者の言動が気になって仕方がないのだ。
心配する気持ちもわかる。若者たちが、学校を卒業し、社会に出た時に問題を起こすのではないか。大人だけでなく、彼ら自身が何かしらの責をおうことになるのではないか。大人たちはそんなことを、先回りして心配しているのだ。
だが、自分に当てはめて考えると、どうだろう。10代のころ使っていたやんちゃな言葉を、今も使っているだろうかと。
彼らの世代が大人になり、偉くなった一人が首相官邸で、
「今回の改正法案、可決したけど、やっぱヤバいっすね。なしよりのなしだわ」
と言うはずもない。
学校を卒業後、社会の荒波に揉まれ、消失していくことが大半だと思う。
朝、目が覚めたら、あっという間に消えていく、夢の欠片の様。歳を経ていく内に、ポロポロと、頭から抜け落ちてしまうと思っていた。
言葉は生き物だ。
その時代ごとに、変容し、時にはまったく新しい言葉、複合した言葉が生み出される。
一時期話題に上がった「全然」という言葉もそうだ。
数年前、若者の間で「全然~ある」という形で使われていた。だが、多くの大人は、「全然~ない」という打ち消しの意味だろうと主張した。しかし、明治時代にも、「全然~ある」と使っていたという。文豪もそのように使っていたそうなので、本当に言葉の正しさというのはわからないものだ。
 
日本語は、美しい言語だと思う。ひらがな、カタカナ、漢字を意味や場合によって使いわける。表現も実に多彩だ。季節や天候を現す表現は、無数に存在する。先祖が狩猟民族であった欧州とは違い、農耕を生業にしていた日本人特有のものだ。天候を細やかに表現することは、農業をするものたちにとって大変重要なことだった。
私の一番好きな天気の表現は「狐の嫁入り」だ。
太陽の光が射しているのに、ぽつりぽつりとやわらかい雨が降る天気。
この言葉を聞けば、言語学者でなくても、その情景が脳裏に浮かぶ。
「旅行いかがでしたか?」
「ええ、午前中は晴れていたのですけど、午後が一時、狐の嫁入りでした」
お天気雨だったんだな、とその一言で伝わるだろう。
日本人は、短歌や俳句など、短い言葉で表現することが得意な民族だったように思う。一言で、感情や情景を伝えるのは、日本のお家芸だ。
 
中学生の時、古典の授業で、改めて日本語に触れた時は、衝撃を受けた。
風流な事物を見れば、「いとをかし」と微笑み、季語や言葉遊びを折り込みながら和歌に変えてみる。
心に大きな衝撃を受ければ「あなや!」と叫び気絶、時にはあまりのことに死んでしまう。
読みたかった本をついに手に入れ、感動のあまり「帝の后になるよりうれしいことだ」と日記に書き連ねる。
昔の日本人、情緒が豊かすぎやしないか。千年で、私たちは何か大切なものを失ってしまったのではないかと、驚きと共に少し物悲しくなった。
同じ国に生きた人間が、使っていた大昔の言葉。それなのに、10代の私の乾いた心に、春雨のようにやわらかく、でもしっかりと染みていった。
そして、この美しい言葉を使いたくてたまらなくなった。文系クラスの、のりの良い友人たちは、古語を話す私に合わせてくれた。
 
友人が、慌てて教室に入り、私たちの前に興奮気味に立った。
「明日、小テストらしいよ?」
「あなや!」
私は、そう叫び、仰け反って、机の上に突っ伏す。気絶したふりだ。その後ろで別の友人が、顔を覆う。
「なんと、なんということ。げに恐ろしきかな!」
しくしくと泣く、ふりをしてくれる。それを見て、周りの友人達は、ゲラゲラと笑っている。
 
お気に入りの漫画を貸し借りする時も、大げさに。
「まなみ殿、お貸しした、絵巻いかに?」
「ほんに、いとをかし」
「まことか!」
「特に、ここ、この場面のAさんの愛らしいこと。あまりのことに、和歌にしたためてしもうた」
「ほほ、良きかな、良きかな」
そう言って、漫画を貸してくれた友人に、感想をしたためた手紙と手描きのイラストを渡してみる。
言葉遊びという名の、知識の無駄遣いだ。
使っている内に、どんどん意味合いも、時代背景もむちゃくちゃになりつつあったが、細かいことは気にしない。秘密の暗号を使っているようで、おもしろかったのだ。
ごく一部で巻き起こった平安貴族言葉ブームは、私たちの間では大いに盛り上がった。だが、段々と物足りなくなってきた。この言葉は、平安京に生きた人物が使っていた言葉であって、私たちの言葉ではない。私たちの時代に合っていないのだ。
何か、私たちの言葉を作ってみたい、そう思うようになっていた。
 
そんな時、ある転機が訪れる。日本の紙幣に印刷されている、肖像画が一新されることになった。旧紙幣に描かれていたのは、夏目漱石などの文豪や偉業を成し遂げた著名人。新札には、野口英世などの人物が印刷されることになった。その中に、女性として初、詩人の樋口一葉が起用されることとなった。
肖像画の変更は約20年ぶりということで、日本中がその話題で持ちきりだった。現代国語の授業では、樋口一葉をはじめとした、著名な女性作家たちの著作をいくつか授業で取り上げた。現代文の授業を受けながら、ある作品の題名が、私の目に飛び込んできた。
口語では、めったに使わない表現。そして、美しい響き。この言葉を使ってみたい。
授業が終わってすぐ、友人に提案してみる。友人がニヤリと笑ってうなずく。
女流作家ブームに、私たちも乗っかることにした。
 
体育の授業の後、教室でのこと。友人の隣に立ち、私が彼女の頭を指差す。
「Aちゃん、『よさのって』るよ」
「え?」
彼女が慌てて、自分の頭に手をやる。手鏡で確認し、照れ笑いを浮かべる。
「あ、ほんとだ。めっちゃ『よさのって』た! ありがとう」
えへへと、お互い笑い合う。
よさのる。
この言葉は、主に、髪の毛がグシャグシャになっている時に使う。
そう、与謝野晶子の名著『みだれ髪』のタイトルから、派生した言葉だ。
この表現は、実に使い勝手が良かった。朝、学校に来た時。着替えの後。放課後、じゃれ合った時。一日中、一年中使うことができた。だから、みんな使いたくてうずうずしており、友人の髪が乱れているのを見るやいなや、指差して嬉々として叫んでいた。担任の古典担当の教師にも教えると、笑っていた。
「Aさん、『よさのって』ますよ?」
担任の教師も巻き込んでの一大ブームだった。
なので、ついそれが習慣化してしまっていた。
「お母さん、髪、『よさのって』るよ?」
「え、何て?」
「あ、いや、何でもない!」
怪訝な顔をする母から視線を、慌ててそらす。いけない、これは、私たちだけの魔法の言葉だった。常用表現ではなかったのだ。友人、先生も含め、10名程度の小さな世界での合言葉。
当時は、SNSがそれほど活発ではなかったから、外の世界に広がることはない。
もしも、そのツールがあったとしても、私たちは、それを広めたいとは思わなかっただろう。
有名にする必要も、知らない人たちにわかってもらおうとも思わなかった。
私たちだけが、使って、愛する、秘密の合言葉。
『よさのってる』は、私たちの青春の1ページだった。
 
あんなに、大切に使っていた言葉も、時とともに忘れていった。
学校から一歩踏み出してしまえば、世界は大きく広がっている。いかに、狭く、あたたかな世界に自分たちがいたのか思い知らされる。それぞれが、それぞれの道を歩んでいく。以前のように、毎日同じ人間に会い、同じ時間を過ごしていたことが、どんなに特别なことだったのかと大人になってから知った。
せっかくの共通言語も、共通の話者がいなければ意味がない。使われなくなった言葉は、急速に私の中で廃れていった。それを、悲しいと思う暇もないくらいに、じわじわと埋もれていく。社会の一員として、覚えることは多すぎて、大切な思い出の上に積み重なっていった。
 
あれから、十数年が経った。みんな、それぞれ勤め人や母親など、新しい役割に就いていた。それぞれの場所で、同じ時間を懸命に過ごしている。私は、ふと思い出し、みんなに聞いてみた。
「ねぇ、『よさのってる』って、覚えてる?」
みんなが首を傾げる。
「え、なんだっけそれ?」
「待って、待って、今思い出すから!」
「わかった、与謝野晶子のやつだよ!」
「あ~『みだれ髪』!? 言ってたね!」
「懐かしい~!」
みんながワッと笑う。私は、ホッと胸をなでおろした。
「そういえば、そのころさ、Aがさ」
「ちょっと、やめてよ!」
一つ思い出すと、それをキーワードにして思い出が、私たちの口から溢れ出す。ほこりをかぶって仕舞われていた宝箱の蓋を開けたよう。それぞれの口から、どんどん飛び出して来る。
みんなの顔が、疲れ果てた社会人の顔から、キラキラとした女子高生の顔に戻る。瞳の輝きも戻って来たきがした。会場に使わせてもらっている居酒屋に迷惑にならない程度に、声を上げて笑い、思い出で話に花を咲かせた。
 
『よさのってる』は、タイムカプセルだった。
「髪が乱れているさま」を現す、メタファー以上のものが詰まっていた。
その言葉を使っていた当時の時代背景、担任の先生の顔、受験、恋バナ、色々な事柄を時空を軽々と越えて思い出させてくれた。当時の何気ない会話が、みんなと過ごした時間がより大切に、鮮やかに蘇る。目を閉じれば、チョークと教室の木の香り、放課後こっそりみんなで食べたポッキーの味。何気ない、しかし、とても大切になってしまった宝物があふれるくらいに詰まっていた。
忘れてしまったわけではなかった。ただ、心の奥底に、大切にしまっていただけだったのだ。
 
言葉は生き物だ。
流行語大賞にノミネートするような、日本中の老若男女が多用し、知っている言葉。
旬を過ぎれば、廃れてしまうものもある。
中には、人々の心に殿堂入りして、時が過ぎても愛され、語り継がれている言葉もある。
「狐の嫁入り」のような、美しい日本の四季や情景を現す言葉。
「ドロンする」のような、辞書に掲載されている言葉もある。
 
『よさのってる』は、流行語大賞にノミネートされることはなかったし、辞書に載ることもない。美しい日本語でもないかもしれない。
でも、そこがいい。
私たち、たった十数人だけが知っている、青春の1ページをめくれる魔法の合言葉。
それだけで、十分だった。
 
「ヤバい」をはじめ、さまざまな言葉が、若者を中心にして今日も生み出されているだろう。
きれいな意味の言葉ではないかもしれない。
でも、その言葉には、私たち大人が知ることができない、彼らの青春が刻み込まれる。
その言葉を、大人になってふと思い出した時、彼らもまた、タイムカプセルを開けるのだ。苦い思い出、楽しい思い出、さまざまな感情がワッと胸にせまることだろう。
言葉の中に、みんなそれぞれの思い出が詰め込まれている。
 
日本人は、短い言葉の中に、たくさんの感情や情景を織り込むことが得意だ。今を生きる若者は、次はどんな言葉を生み出してくれるのだろう。その言葉を使う中で、どんな思い出を詰め込んでいくのだろう。
私が、彼らのタイムカプセルの中を知ることはない。
だが、楽しみで仕方がない。
大人になった私も、その言葉をきっかけに、また自分自身の新しい思い出を詰めていくことができるかもしれないから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、茶道、占い、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心で、「おもしろいこと」アンテナでキャッチしたものに飛びつかずにはいられない、全力乗っかりスト。

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2020-07-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.87

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