週刊READING LIFE vol.89

そしてシャネルの口紅を捨てた《週刊READING LIFE Vol,89 おばさんとおじさん》


記事:竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「きょうからは“オバ活”だ!」
そう呟いて、シャネルの口紅をゴミ箱に捨てた。
本音を言うと、色は可愛いけど、唇の皮がカピカピになるのが嫌だったんだ。
長くつけていると痒くなるシュウウエムラのアイシャドウも、
なかなか落ちなくてイライラするランコムのマスカラともサヨナラ。
30歳になって、少し経った頃のことだ。
 
同居する祖母にべったり甘えて育ったせいか、
幼い頃から憧れ、魅力的にうつるのは
決まって10も20も年上の女性ばかりだった。
 
小学校を卒業する頃には
ドラマ「やまとなでしこ」で松嶋菜々子演じる主人公が
トップメゾンの洋服を次から次へと着こなす姿に憧れ
「いつかジバンシィのコートを着てみたい」と夢見ていたし、
中学の頃は海外ドラマに出てくる女性弁護士が
スタバのカップ片手にヒールで歩く姿に一目惚れし
「将来はあんなキャリアウーマンになる!」と息巻いていたものだ。
 
それから約10年。
“キャリアウーマンになる”べく、総合職で入った会社は一にも二にも体力勝負。
スタバのカップは持てても、ジャージにスニーカーでダッシュがお約束。
ヒールを履く機会が無さすぎるせいで、たまに履いたら足がつるようになったし、
ジバンシィのコートを買えるだけのお金が貯まっても
「で、それ買っても、どこに着ていくのよ?」という毎日が続いていた。
 
私、ちっとも“憧れていたオトナ”じゃない……
うなだれて鏡を覗きこむと
目の下にはいつの間にか深々とシワが刻まれ、顔色もどんより。
 
このまま20代が終わるのは嫌だ!
もっとちゃんと、“綺麗でオトナの女性”にならなきゃ!
焦って百貨店の化粧品売り場に駆け込んでは、
大して出番もないアイテムを買い求めるのが常だった。
 
若さや見た目なんて、ほんの一時の価値しかない。
頭では分かっているけれど、そう言い切って
儚い価値を自ら捨て去る勇気もない。
 
「なんか私、もがいてるなぁ……」
 
間もなく30歳、
出口の見えないモヤモヤに答えをくれたのは
揃って60代、2人の“おばさん”だった。
 
「この家も、今食べている餃子も、その器も、全部手作りなの。
季節に合わせて、自分たちの暮らしを、自分たちの手で仕立てるって
とっても贅沢で幸せなことだと、私は思うの」
 
“素敵な人生”って、“豊かな生活”って、なんなんだろう。
自分にはどうやら、若さや美しさといった価値は
およそ活用できそうにないらしい、と薄々悟り始めていた私。
新たな“憧れ”を探し求め、農村民泊に出かけた先で出会ったのが、キミコさんだった。
 
福岡県と大分県の県境にある、小さな里山。
のんびりと、どこまでも広がる棚田、脇をさらさらと流れる小川。
青い空と山の緑の圧倒的なコントラストが目に染みる。
恐ろしくゆっくりと時間が流れていく土地に、キミコさんの別荘はある。
 
ご主人と息子さんが地面を均すところからはじめ、少しずつ建てたという別荘は
拾ってきた石を並べて作った、まるで温泉宿のようなお風呂があったり
トムソーヤが住んでいそうなウッドデッキがあったりと趣向が凝らしてある。
おまけに、料理上手のキミコさんのご飯が食べられるとあって
週末のたび、ひっきりなしに誰かが訪れていた。
 
「さぁ! 今日は餃子パーティーよ。
普通のと、緑色のと2種類作るから、野草を摘まなきゃね!」
 
キミコさんの掛け声に、慣れた様子で訪問客たちが動き出す。
小麦粉を捏ねる人、野菜を刻む人……
おろおろしていると、竹ザルを持ったキミコさんに手招きされ、別荘の裏庭に出た。
 
「これはイノコヅチって言ってね、血流を整えるのに良いのよ。
こっちはユキノシタ、これも身体に良いの」
 
見分けのつかない私には、どちらもただの“草”にしか見えないが、
キミコさんは慣れた手つきで摘み取っていく。
ほう、見る人が見れば、ここは食材の宝庫なのか。
 
「野草なんて初めて食べます」感心しきって呟くと、
「こういう所に暮らしているとね、お金って案外価値の無いものなのよ。
野草だって何だって、手をかければ美味しく食べられるし」と返って来た。
 
幸せの秘訣は、いつもの暮らしに、手間をかけること。
言われてみれば、キミコさんの手はいつも水に濡れて少し赤い。
道に落ちた花を拾って来て器に活けたり、漬物の樽をかき混ぜたり。
次々やってくるお客さんのために、お茶を出しては湯呑みを洗う。
 
ひっきりなしに動き続ける小さな赤い手は小じわも多く、
お世辞にも宝石が似合いそうな手ではなかったけれど、
“満ち足りた暮らし”が刻み込まれたように見えて
素直に「綺麗な、良い手だな」と思えた。
 
「自分が手をかけた、大好きな場所に
大好きな仲間が集ってくれることほど、嬉しいことはないじゃない」
 
化粧っけのない目じりに沢山のシワを寄せながら、キミコさんが笑う。
くっきりと深い、笑いじわ。
あぁ、こんな“幸せの証”みたいなシワなら、全然嫌じゃないな。
どうやって美しい顔を作るかよりも、
どうしたらいつも笑顔でいられて、“良い顔”になれるかを考えて生きていきたいな。
 
すっかりキミコさんの虜になった私は、
“笑いじわの見える、可愛いおばさん”を目指すべく
背伸びして買った高級化粧品たちを、喜び勇んでゴミ箱に葬ったのだった。
 
ところが。
歳を重ねるというのは実に奥深いもので
私はこの数カ月後、価値観を大きく覆されることになるのである。
 
「ちょっとあなた! 何考えてるのよっ!」
 
やや低い、その場の空気をスパっと切り裂くような声。
あぁ、この声は…
フロアの奥の方に目をやると、案の定。
ヨーコさんが電話口で誰かを叱責していた。
 
60歳の定年を過ぎ、嘱託職員として会社に来ていたヨーコさん。
グレイヘアをアシンメトリーにカットし、
真っ赤な口紅をキリリとひいたヨーコさんは確かにカッコいいのだけれど
ちょっと眉間に皺があるし、
仕事に不手際があれば容赦なく怒られるみたいだし、
出来れば“会釈程度のお付き合い”で済ませておきたい相手だった。
 
「あれ、ヨーコさんソ・ジソプ好きなんですか?」
 
声をかけてから、しまった、と思った。
韓国の俳優がプリントされたマグカップを持っていたし、
その俳優が出演していたドラマを何本か見たことがあったので
つい何の気なしに声をかけたのだけれど、ヨーコさん、目が笑っていない。
そういえばこのフロアに来てから1年、部署が違うからまぁ良いかと、
彼女にきちんと「はじめまして、宜しくお願いします」と挨拶したことはなかったのだ。
ヤバいな、怒られるかも……
ピシャリとした叱責を恐れて、片目を閉じようとした瞬間だった。
 
「あら、あなたも韓国ドラマお好きなの?
そんなに有名な人じゃないのに、よく知ってるわね」
 
笑っている……かどうかは微妙な表情だけれど、明らかに声のトーンはいつもより高い。
もしかして、ちょっと歩み寄った?
 
「はい、今はそんなに観ていないんですけど、7-8年前までは大好きだったので。
ぜひオススメの作品があれば教えてください!」
 
その日を境に、ヨーコさんは
旅先のお土産をくれたり、お弁当をお裾分けしてくれたりと
ちょこちょこ私のことを気にかけてくれるようになり
私も、多少の緊張感は残りながらも
ヨーコさんの話を聞くのが楽しみになっていった。
 
なにせ彼女、60歳を過ぎているとは思えないほどアクティブなのだ。
韓国へ1人旅に出かけ、
現地で右往左往している日本人大学生の集団を見かねてご飯をご馳走してあげたとか、
ふらりと名古屋へ遊びに行き、
商店街で見つけた、いわゆる“ヤンキーファッション”のお店でスカジャンを買って帰って来たとか。
 
「人生を謳歌している、ってヨーコさんのためにあるような言葉ですよね」
その日はヨーコさんお気に入りの韓国料理に舌鼓を打ち、
〆にサッパリとハイボールを飲もう! と2軒めに入ったところだった。
 
確か、お気に入りの韓国スターに会えるかもしれないから
釜山で開かれる映画祭に行こうと思う、というプランを聞いていた時のことだったと思う。
目をキラキラさせているのがとても素敵で、羨ましくて、つい口を滑らせた。
いや、心の底から漏れ出た本音だったし、私は褒めたつもりだったのだ。
けれど私の一言に、ヨーコさんの眉根はキュっとあがり、視線はにわかに厳しくなった。
 
「あなたねぇ。人生楽しめるかどうかは自分の責任でしょう?
そんな、“自分には出来ない”みたいな言い方をしてるのは“甘え”だって分からないの!?」
 
おっしゃる通り。
痛いところを突かれて、返す言葉も見つからない私に
ヨーコさんの言葉は容赦なくふりかかる。
 
「あなた大体、自分の仕事はどうすれば面白くなるか。
どうすれば楽しくなるかって考えながらやってる?
主体的に働きもせず、ただデスクに座っているだけで毎日が楽しいはずないでしょう!」
 
この人は、全てお見通しなのだ。
上司に怒られたくない、先輩と波風を立てたくない、
日々、平穏に過ごすことを第一に考えてしまう日和見主義な私のことを。
 
「確かに、漫然と仕事をしている自覚はありました。
でも、誰にも指摘されないから、結局そのままズルズルと来てしまって……」
悔しいけれど言い返すこともできず、やっとのことで声を振り絞る。
 
「長くいれば、人と衝突することは当然あるけど
一番大切なのは“自分がどうしたいか、自分は何を思っているか”でしょう。
もちろん、嫌われることだってあるかもしれないけど、
時を経て理解しあうこともあるかもしれない。
そこに自分で責任を持てなきゃ変わらないでしょう!」
 
無理に周囲に迎合することなく、自らを貫く覚悟。
ヨーコさんの眉間の皺は、
幾多の荒波にのみこまれそうになりながらも
自分の足で立ち、乗り越えてゆくうちに刻み込まれた
勇気と強さの証だったのだ。
 
いつだって背筋を伸ばし、
鋭いけれどキラキラと光る目で世の中を見つめるヨーコさん。
キミコさんのような笑いジワは無いけれど、
ヨーコさんもまた、十分に魅力的だ。
 
「大切なのは、“自分のありたい姿”に近づいているかどうかなのかも……」
 
キミコさんとヨーコさんを見ていると、
年齢を重ねるのは、高級な日本酒を醸すのに似ている気がする。
吟醸、大吟醸……グレードが上がれば上がるほど、材料となる米は削って磨いて、細くなっていく。
極限まで磨きあげると、香り高く、雑味のないお酒となるという。
 
彼女たちも同様、年齢を重ねるごとに
その個性や生き方が研ぎ澄まされていくように感じられるのだ。
それはきっと、彼女達が核となる“自分の幸せとは何か”を理解・追求して
それ以外のものには潔く、別れを告げてきたからなのではないだろうか。
 
それはおそらく男女に関係なく、
“素敵だな”と思う表情のおじさんやおばさんはきっと
長らく培ってきた“自分”という存在を信頼し
その自分が築いている“今”に満足しているのだろう、という考えに思い至った。
 
「かっこいいなぁ。私も“良い顔した”おばさんになりたい!」
 
あれから2年。
素敵なおばさんを目指す“オバ活”は地道ながらも何とか続いている。
 
興味を持ったことにはすぐチャレンジできるよう、
“資金調達”と称して会社勤めを続けながら
せっかくの機会なので、業務内容に関わるwebセミナーを受講してみたり
“フットワーク軽い身体づくり”としてジムに通ってみたり。
最近は「自分の想いや考えを、的確に言葉で伝えられるようになりたい」と
ライティングの勉強も始めてみた。
 
まだまだ“自分の幸せ”が何なのか、
ちっとも絞り込めてはいないけれど。
 
大丈夫、あの時のキミコさんとヨーコさんの年齢になるまで、あと30年ある。
美味しいお酒を造るための“磨き”は未来の自分に任せて、
今はまだ、“おいしいお米”になるべく栄養を蓄えよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

生まれてこのかた福岡県から出たことのない、生粋の福岡人。
趣味は晩酌、特技は二度寝と千鳥足。

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2020-07-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.89

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