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週刊READING LIFE vol.89

大人の香りは夏木マリで!《週刊 READING LIFE「おじさんとおばさん」》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ねぇ、おばちゃん」
 
私はその言葉に振り返った。声を投げかけてきた人物をロックオンし、瞬時に眉を吊り上げる。
この暴言を投げつけてきたのは、同級生の男子。そう、この当時、私は中学二年生にあがったばかりのピチピチの14歳だった。それなのに、面識しかない同じクラスの男子にこの呼ばれ方。私は、あっという間にその男子との距離を詰め、学ランの胸ぐらを鷲つかんだ。ニヤニヤしていた男子の顔が、青白く引きつる。
気がつけば、男子は床に転がり、私は自分の胸の前で腕を組みそいつを冷ややかな目で見下ろしていた。目を白黒させる男子を、氷のような視線で串刺しにして、思春期の女の子とは思えないような低い声でとどめを刺す。
「は? おい、誰に向かって言ってんだ、てめぇ」
クラスのみんなが遠巻きに見ているのが気配でわかる。幼稚園からの幼なじみたちは、見慣れた光景にあきらめたような微笑を浮かべ目をそらしている。
幼少期から思春期にかけて、とにかく私は凶暴だった。私には一歳上に兄がいる。だが、彼は穏やかそのもので、取っ組み合いのケンカなどはしたことはなく、主に舌戦を繰り広げていた。この兄が賢いものだから、私は口で勝てないと悟ると、暴力で勝とうとしたのだ。殴る、蹴る、そして噛み付く野生児。最終的に、私は口も出るが足も出る、最悪の生物に進化していた。母や先生たちに「女の子なのだから、もっとやさしく!」と口を酸っぱくして言われていたので、中学生に上がる頃には封印していたはずなのに。
それなのに、この男。
その封印、いや、堪忍袋の尾をブチ切ってしまったのだ。
初対面の方には、私は大人しい少女に見えるのだそうで。それに漬け込んで、からかおうとしたのだろうが。言って良いことと悪いことがある。私は記憶が飛んでいて覚えていないが「緒方さんが、A君をぶん殴って転がした」とのこと。そのくらい私は頭に来ていたのだ。
 
私は、幼稚園児のある時期から、死を極度に恐れるようになっていた。夜「まぶたを閉じて、もしかしたら二度と目を覚まさないかも」という強迫観念にかられるほど怯えていた。身内に不幸や、私自身に悲しい記憶があるわけではないのに。ただただ、死というのが怖かった。
だから、老いも怖かった。不慮の事故などの突発的事項がない限り人は生きていられる。だが、歳を取ればみんな平等に死ぬのだ。その世界の法則が恐ろしかった。死ぬのが怖い、老いるのが怖い。
幼稚園児の時、七夕の短冊に「時が過ぎても、親しい人の誰もが歳をとらずに、みんなが幸せに生きていけますように。死にませんように」というような無茶苦茶なお願いを母親に書いてもらったことを未だに覚えている。
私にとって、成長することは、死に向かうことだ。誕生日も友人たちのように指折り数えることもなかったし、小学校に上がることもうれしくはなかったのだ。新品の国語の教科書を読むのは楽しみだったけれど。大人の階段を登ることは、着実に棺桶までの歩みを進めていることに他ならなかった。
だから、軽い冗談だったのだとしても、私には許せなかった。
「おばちゃん」は「死ね」と同義語だった。
あんたも、いずれ「おじちゃん」になるのに。いつか死ぬのに。はらわたが煮えくり返りそうだった。
私は、同級生の中では老け顔のせいで、そういう風に言われることに敏感にもなっていたのだろう。10代の私は、凶暴で、神経質で、人一倍傷つきやすい、どこか達観した子どもだった。
子どもらしく無邪気に笑い飛ばしたり、はしゃぐこともできず。
でも、大人にはなりたくなくて。
思春期の私は、迷子だった。
 
もう一つ、歳を取ることを毛嫌いしていた理由がある。それは、周りの大人達を観察していたせいだ。子どもらしくない私は、大人と一緒にいることの方が楽だった。近所の子どもたちと遊ぶより、年の離れたいとこや、おじやおばと話をする方が楽しかった。だが、近所の大人たちは嫌いだった。
「Bさんとこの娘、出戻ってきたらしいよ」
「Cさんとこの息子、もう40過ぎてるのに結婚もしてないらしい」
「あんた太ったんやないの、みっともない」
「にこりともしない、あんたんとこの子愛想がない」
男女共に、口を開けば他人の、妬み嫉み、悪口、下世話な話。
私に向けられるものでなくても、聞いてて気持ちが良いわけがない。近所の集まりに参加すれば、幼い私の頭上を飛び交う汚い言葉。私が子どもだから、言っていることの意味などわからないだろうと思っていたのだろうけど。耳年増の私には、ほとんど理解ができた。でも、そんなことを言う気持ちはわからない。
大人って、汚くて、気持ち悪くて、怖い。
こんな風に、私もなってしまうのか。
絶対になりたくない、こんな生き物。
私は、大人になんてなりたくない。
 
そう思ったとしても、時間は過ぎていって。
私もあと数年で、受験をして高校生になって、大学生になって。同級生たちは、未来の話をうれしそうにするけれど、私はいまいちピンと来ない、というか考えないようにしていた。
でも、歳の近いおじが成人式の前に、祖父からお祝いの品として、立派な万年筆を贈られていた。それだけは、とてもうらやましかった。
国語の教科書と万年筆は欲しいけど、死にたくはなかった。
 
「え、25歳!? 見えないですよ」
社会人になって数年経った頃、会社の飲み会で上司が驚きの声を上げた。幼い時老け顔だった私は、いつの間にか童顔というカテゴリーに入っていたらしく。昔の様に「おばちゃん」と、罵られることはなくなった。だが、新しい不名誉な呼称で呼ばれていた。
「っていうことは、アラサーですね(笑)」
出た。その一言で、私の眉毛がピクリと動く。「(笑)」まできちんと聞こえた。
アラサー、アラウンドサーティーの略語。雑誌社が生み出した新しい言葉だそうで、25歳~の四捨五入して三十路になる人物の呼称だ。はじめはそんな意図はなかったのかもしれないが、この言葉はだいたい、未婚の女性に蔑みの意味を含んで投げつけられる。なぜ、ターゲットが女性にだけ絞られるようになったのか。
一体何がおかしいんだ。未婚で、もうすぐ三十路の女の何がおかしいのか。
おまえも床に転がしてやろうか?
いや、私も成長したので、さすがに上司に殴りかかったりはしない。どんなに、目の前の男のヘラヘラ笑う表情にむかっ腹でも。公の場で、右ストレートパンチは繰り出さないのだ。このセクハラ、パワハラ男より、私の方が随分大人だった。
どんなに嫌悪しても、みんな大人になる。歳月からは逃げられない。
上司を見ながら、私は目を鋭く細める。私も、もうすぐ、こうなるのかと、絶望の気持ちでいっぱいだ。
アラサー攻撃は、驚くことに、男性より女性からの方が多かった。
「もうすぐ30歳なのに、まだ結婚してないの! がんばりなさい」
「30歳なんてあっという間よ、はやく幸せになりなさい」
なるほど、世間では結婚していない、独り身の女はかわいそうな生き物らしい。いい人を見つけて、結婚して、子どもを生み育てることが最高にして、普通のことらしい。
20代後半の私は、「おばさん」の呪いと「アラサー」の呪いを背負うことになった。
自分で卑下しているならまだしも、なぜ、知人、他人にまで言われなければならないのか。怒りを通り越して、遠い目をして現実逃避することにした。
 
「え、おばさん? めっちゃ楽しいよ!」
会社の花見の席、私の教育係であり歳の離れた友人であるKさんが、ビール片手に笑う。
「楽しい、ですか?」
怪訝な顔をする私を見て、彼女と先輩女性社員たちが笑う。40~50代の彼女たちは人生の大先輩。結婚しお子さんがいる方も、未婚の方もいる。
「確かにね、20代ぐらいの時は、周りから色んなこと言われたよ。結婚しろ、自立しろって」
苦笑いするKさんに、みんなが同じ顔をしてうなずく。
「でもね、今は自由なの!」
他の女性社員も笑顔でうなずく。
「そうそう、子育ても落ち着いて、自分の二度目の人生がはじまったみたい」
「私は、結婚はしてない分、さらに自由ね。旅行したり、趣味に没頭したり。自分に時間とか投資してる」
みなさんが口々に語るのをぼんやりと見つめる。Kさんが悪い顔で笑った。
「緒方さん、つまんないこと言ってくるやつらは無視しな! 悩んでる時間の方がもったいないから。年齢を重ねる分私たちは、強くなれるし、行動範囲も広くなる。もっと、自分に素直に自由になればいいの!」
力強い言葉に、私は目を丸くする。
「自由に、素直になってもいいんですか? 自分のために生きてもいいんですか?」
Kさんがニッと笑いながら、私の肩を力強く叩く。
「そうだよ! おばさんは無敵なんだから。人生なんて一度切り、楽しんだもん勝ちだよ! 結婚しても、しなくても、それは自分が選んだ道。誇ってもいいんだから」
群青色の夜空の下、桜が舞う中でカラッと笑う先輩たちは、歴戦の戦士の様に勇ましく、かっこよかった。
 
Kさんたちのように自立した大人の女性になりたい。
だが、悪い見本しか見てこなかったので、どのように行動したら、どういう心持ちでいたらいいのか具体的にはわからなかった。試しに、今まで避けてきた大人っぽくて憧れていたことに挑戦してみることにした。デパートの広告で知った、香水を学ぶワークショップに参加してみた。
調香師のすてきな女性から、香水の種類や香りの原料について学ぶ。非常に奥の深い世界で、私は興味津々でメモを取っていた。
「最後に、お好みの香りで香水を調香してみましょう!」
調香師さんの提案に他の参加者のみなさんは、一斉に手を動かし始めた。だが、香水初心者の私は首をひねってしまった。自分が好きな香りはわかったが、それをつけている自分がイメージできなかったのだ。調香師さんが、私の傍らに立ち、資料を指差す。
「難しいようでしたら、なりたい自分のイメージで作ってみるのはいかがでしょう? 憧れの方でもいいんですよ」
私が目指したい、憧れの人。
「かっこよくて、でも女性的な人になりたいです」
もっと、具体的に、調香師さんにも伝わるイメージを。
自分も他人も肯定できて。
歳を取ることを受け入れて、それでも輝いている。
そんな大人の女性。
 
ふと、先日見たテレビ番組のことを思い出した。
その女性は、俳優であり、歌手だ。ファッショナブルな服をいつも着ている。洋装も和服もサラリと着こなしていて、60代だとは信じられないほど、ハツラツとしていた。
日本人が着こなせない鮮やかな配色の服もとても似合っていた。コメンテーターの方が苦笑いして、彼女に言う。
「でも、自分にはこれは無理かな、って思う色とかあるじゃないですか。勇気が出ないというか」
すると、彼女は艶やかな唇に微笑をたたえてこう言った。
「でも、それは、自分が幸せじゃないんじゃない?」
ファッションを、さまざまなことを自分のために楽しんでいいのだと、彼女はやわらかく肯定してみせた。
強くて、しなやかで、そしてやさしい、彼女の人柄がうかがえて、私は感動してしまった。
叶うなら、私もそのような人になりたい。
人を勇気づける魔法の言葉を呟く、無敵の大人の女性になりたい。
 
「夏木マリさん」
私は、調香師さんの顔を仰ぎ見た。
「この間テレビで見た、俳優の夏木マリさんが、とてもすてきだったんです。だから、私は夏木マリさんみたいになりたいんです!」
調香師さんは笑顔でうなずいた。
「では、あなたがお持ちの、彼女のイメージをもとに調香していきましょう」
「そうですね、女性的でやわらかく、でも、キリッと芯のあるような」
「すてきですね、でしたらこの香りを」
アドバイスをしていただきながら、イメージを形にしていく。10分ほどで、小さな香水が出来上がった。半プッシュ、テスターの細長い紙に香水を吹きかける。
はじめふわりと甘い香り。次に、爽やかで、印象深い、でもしつこくない。すれ違った後、思わず振り向いて視線で追ってしまうような。きっとその先にいるのはー。
「夏木マリさん! 夏木マリさんみたいな香りです!!」
興奮しながら、調香師さんに紙を渡す。彼女も笑顔で大きくうなずいた。
「確かに、これは夏木マリさんのイメージです!」
「うわぁ、いい女の香りがする~!」
二人で目を輝かせて笑いあった。
まだ、この香水は恐れ多くて、使っていない。
私には早すぎると思ったのだ。
このすてきな香りが似合うようなすてきな女性になりたい。
 
Kさんたちのように自由で、行動力があって、朗らかで。
夏木マリさんのように、しなやかで、やさしくて、魅力的な。
無敵の魔女のような、すてきな香り立つおばさんを目指して、私は前を向いて生きて行く。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、茶道、占い、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心で、「おもしろいこと」アンテナでキャッチしたものに飛びつかずにはいられない、全力乗っかりスト。

この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いてます。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-07-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.89

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