週刊READING LIFE vol.91

「愛想笑い」を武装解除する《週刊READING LIFE Vol,91 愛想笑い》


記事:菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「はは、そうですね……」
 
そんな言葉とうつろな視線で、それが愛想笑いだとすぐに分かった。
どうしても人の愛想笑いには敏感になってしまう。
 
「あ、この話題に興味がないんだろうな」
「そもそも自分に関心がないのかな」
 
そんなことを思い始めると、ついつい話す内容もおぼつかなくなり、そもそも話しかけることすら臆病になってしまう。
 
愛想笑いに敏感になのは、自分自身がよくしていたから。
日本人の場合、多かれ少なかれ誰もが愛想笑いをしているはず。特に社会人になれば愛想笑いなしには過ごせないと思えるくらい。
 
そんな愛想笑いが、いつのまにか意識しなくてもついつい使ってしまっているように、すっかり体に染みついてしまっている。
 
そんな風になってしまったのは、社会人になってから。
大学を卒業して社会人になったのは20数年前。当時はまだまだ「飲みにケーション」が当たり前。飲みに行くことこそが職場の人間関係を円滑にし、仕事を効率化するものと疑う余地はなかった。飲み会好きの上司や先輩に誘われれば、それを断る理由など存在しなかった。
 
ただ、そんな飲み会は私にとっては耐える時間以外の何物でもなかった。
体質的にお酒が飲めない、人見知りで話すのが苦手、その場のノリで盛り上がることができない、そんな3重苦を抱えていた。そんな私は、どうにかしてその時間をやり過ごす術を身につける必要があった。
 
そこで身につけたのが愛想笑い。
 
お酒を勧められても、興味のない話を延々と聞かされても、酔った勢いの意味不明なノリを強要されても、とりあえず愛想笑いでやり過ごす。2次会、3次会と進むにつれてその状況は厳しさを増していくものの、それでも愛想笑いの一手で何とか乗り切る。
 
この手法は別の場面でも使える。
例えば合コン。人見知りなので初めて会った人たちと話が盛り上がるはずがない。その場のノリにもついていけない。そんな時にも愛想笑い。
例えば取引先への訪問。仕事の話はソコソコに、雑談のお付き合いが必要な時も。中には1度の訪問で1時間半は覚悟することもある。「昔は飲み会で仕事を取ってきたもんだ」といった仕事に関する昔話から、「今の若者は……」と愚痴を聞いてみたり、時にはゴルフや将棋といったまったく興味のない趣味の話に付き合ってみたり。こんな時もひたすら愛想笑い。
そうやって、ことあるごとに愛想笑いを使うようになってしまっていた。
 
家族や学校内、バイト先といった限られた人間関係の中で生活していた学生時代は、同質性が高いので、愛想笑いを使うような場はほとんどない。お互いのことを知っているので、気を使うようなこともない。もちろん、そんな中でも先輩・後輩や、体育会系の上下関係も経験していたものの、周りの人間関係にも恵まれて苦労することは少なかった。
 
それが社会人になるとそうはいかない。
プライベートであれば付き合わないような人たちとも、時にはチームを組んで、時には取引先として付き合わないわけにはいかない。そんな人たちとの円滑なコミュニケーションを取るに身につけたのが愛想笑いだ。
社会人となり、社会の荒波を生き抜くための力強い武器、それこそが愛想笑いだった。
 
最初はぎこちなかった笑顔も、場数を踏んでいくとすっかり慣れてくる。さらに、たまにあいづちを入れるといったアクセントをつけることで、その場のコミュニケーションは円滑に進んでいく。
もちろん、飲み会や付き合いの場が辛くないと言えば嘘になるが、身につけた愛想笑いのおかげで、その負担感はかなり軽減されていた。この強力な武器のおかげで、大抵の場は乗り切れる、そんな自信も持つようにさえなっていた。
 
ただ、そんな自信はある日突然崩れ去ってしまった。
飲み会でも無理に飲まされたり、はしゃいだりしなくもて許されるようになってきた30歳半ばを過ぎたころ。ある後輩と話していた時のこと。
 
「はは、そうですね……」
 
うつろな視線、生気のない表情、乾いた笑い。それが愛想笑いだとすぐに分かった。
そして同時に気がついた。
 
「あ、これまで自分がしてきた愛想笑いもきっとバレていたんだ」と。
 
改めて自分がされる側に回ってみると、愛想笑いはすぐにそれとわかってしまう。そしてその態度はなかなり失礼なもの。
もちろん、そんなことに気づかない人、そもそも気にしないという人もいるだろう。
ただ、「自分の話は相手に伝わっているかな」「ちゃんと理解してもらえているかな」と相手の様子を注意深く見ている人であれば必ず気づいているはず。
きっとその態度に内心怒っていた人もいたはず。一生懸命話しているのに、愛想笑いで返されて悲しさを感じた人もいたはず。
そう考えると、今まで愛想笑いで受け流してきたことで、どれだけ多くの人たちに失礼な態度をとってきたんだろう。そんなことを考えると恐ろしくなってしまう。
 
さらに今になって分かったことがある。
それは、自分の人生や仕事の糧になるような多くのことを失ってきたということ。
 
自分には関係のない話、関心のない話と思い込み、愛想笑いで受け流して聞いた話は、後から思い出そうとしても「あれ、何の話だったんだっけ?」といった感じ。何も覚えていないのだ。
 
今になって分かったことだけど、自分には関係のない話、関心のない話と思えるような話にこそ、実は人生や仕事にとって大きなヒントが潜んでいる。そんなヒントを得るために、今ではお金を払ってまでして、自分の専門外や関心がない分野の講演を聞いたり、セミナーに参加してみたり。それと同等、もしかしたらそれ以上のものを得られるチャンスを、愛想笑いでみすみす逃してしまっていたのだ。
 
この損害はかなり甚大だ。
社会人になってから10年以上、そんなことを繰り返してきたのだから。もし、同じ状況で、真剣に話を聞いていた人と比べると、その成長にはとてつもない差が出ているはずだ。
 
最強の武器と思っていた愛想笑いは、相手に失礼な態度をとり、さらに自分の成長に繋がるものを失わせていたのだ。そう、愛想笑いは最強の武器ではなく、使えば使うほど自分自身をいためつけてしまう「呪われた」武器だったのだ。
 
愛想笑いが「呪われた」武器だということに気付いたからといっても、そう簡単に手放すことができない。もうすっかり体に染み込んでしまっていて、気がつけばまた使ってしまっている。
 
だが、この「呪われた」武器を使い続けても、自分に何のメリットもない。どうにかして、この武器を手放す方法を見つけなければならない。とはいえ、「愛想笑いを手放す方法」みたいなノウハウ本も見当たらない。
悩んだ挙句、始めたことが観察すること。
観察する対象は「人たらし」と呼ばれるような人たちだ。
 
なぜ「人たらし」を観察しようとしたのか。
それは、これまでを振り返ってみると、親密な人間関係をなかなか築くことができていなことに気づいたから。その場ではなんとなく会話をしたとしても、それきりの関係性。もう一歩踏み込んで、関係性を築くことができずにいた。
改めて考えてみると、そんな場で会う人たちには、きっと愛想笑いを多用していたはず。愛想笑いは、本当の表情と本音を覆い隠してしまう。そうやって、これまでずっと相手に対して愛想笑いでガチガチに心を閉ざしていたのだ。そんな心を閉ざしている人に、話している相手も親密な人間関係を築こうと思うはずがない。
 
であれば、「人たらし」と呼ばれるような人を観察すれば、愛想笑いという「呪われた」武器を手放すヒントが得られるかも。
そんな思いから、「人たらし」たちの飲み会や普段の会話の場で様子を観察しながら、どんな表情をしているのか、何を発言しているのか、話をしている時・話を聞いている時の態度を観察することにした。
 
そんな観察から、「人たらし」と呼ばれる人たちのいくつかの共通点を見つけることができた。
 
まずは思ったより笑っていないこと。
もちろん、笑顔は見せている。ただ、ずっと笑っているわけではなく、時には真剣な表情で、時には驚いたりしながら話を聞いている。そして面白い時には心から笑っている。愛想笑いでいつもヘラヘラとしているということはないのだ。
それは相手の話にしっかりと関心を持って聞いている証拠。決して受け流しているようなことはない。さらにその関心は、自分の成長の糧になるから、仕事のヒントになるからといった思いからではなく、純粋な好奇心からきているようだ。自分の知らないことを真剣に聞き、初めて聞く内容に驚き、そして笑う。
意識していなくても、自分の知らないことや新しいことに、ちょっとアンテナを高くしているんだろう。
 
もう1つは聞き上手なこと。
前のめりの姿勢、話している人の目をしっかり合わせた視線、驚きや楽しさを素直に表す表情、話を聞いていることをしっかりと相手にも伝える頷きやあいづち。そして時折見せる、「それでどうなったんですか?」「その時どんな気持ちだったんですか?」といった、話をさらに進め、深めていくような質問。
そのどれもが、話している相手に真剣に聞いていること、話の内容に関心を持っていることを示している。相手が気持ちよく話せるような、もっと話したくなるような気持ちにさせているのだ。聞き上手なことも、意識しているわけではなく、純粋な好奇心・興味に基づいているんだろうと思う。
 
「人たらし」と呼ばれる人たちを観察してみると、その根底には相手に対する好奇心があるようだ。
自分が関心のないこと、自分には関係のないことと思われるようなことにも興味・関心を持つ。そして、そこから何かを得ようというような意図はなく、今まで知らなかったことを純粋に楽しんでいる。
そんな好奇心があるからこそ、愛想笑いという「呪われた」武器を使う必要もないんだろう。
 
社会人になり、最強の武器のつもりで手にしていた愛想笑いは、10数年の月日を経て、実は「呪われた」武器であることに気がついた。だけど、その武器はそう簡単に手放すことは難しそうだ。ついつい気がつけば、愛想笑いを使ってしまう。
とは言え、「呪われた」武器を手放すために、現在は「人たらし」見習い中だ。
なんだかわざとらしいなと自分でも感じながらも、愛想笑いが時間をかけて染み付いてしまったように、「人たらし」のコツも時間をかけて身につける、それしかなさそうだ。
 
もちろん、すべての愛想笑いを手放すとことはできないんだろうとも思っている。
人間関係を円滑にするために、愛想笑いを勧める人もいるくらいだから。実際に、四六時中「人たらし」でいるのも辛そうだ。
愛想笑いを必要に応じて、手放し、そして使う。「呪われた」武器であることを理解しながら、うまく付き合っていく。そんな使い方ができるようになるのが理想だ。
 
そのために、今は手放せなくなった愛想笑いを一度手放してみる。
「呪われた」武器をいったん武装装解除する。
そんなことに今さらながらチャレンジ中だ。
 
それでもやっぱり気がつけば、また愛想笑いを使ってしまっている。
そんな時には頭の中で警報が鳴り響く。
 
「愛想笑いを武装解除せよ!」と。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
菅恒弘(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県北九州市出身。
地方自治体の職員とNPOや社会起業家を応援する社会人集団の代表という2足のわらじを履く。ライティングに出会い、その奥深さを実感し、3足目のわらじを目指して悪戦苦闘中。そんなわらじ好きを許してくれる妻に感謝しながら日々を送る。
趣味はマラソンとトレイルランニング。

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2020-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.91

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