楽しくもないのに笑えない《週刊READING LIFE Vol,91 愛想笑い》
記事:吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「楽しくもないのに笑えないよ」
思春期の頃、何度この台詞を口にしただろうか。穴があったら入りたい。面白おかしいことがあって笑い転げてばかりなのに、はい笑って、とカメラを向けられて微笑むのが苦手だった。好きなものに遭遇するとニヤニヤするのが止まらないのに、朗らかに人と話すことが苦手だった。愛想笑いをしている大人は、自分を嘘で塗り固めて生きているようで大嫌いだった。オシャレばかり気にするクラスメイトも、表面だけ飾り立てて本質を分かっていない、とどこかバカにして遠巻きに眺めていた。笑顔とは、喜怒哀楽で言う喜と楽の発露なのだから、わざとらしく作るのは不自然だ。そんな風に考えて、友人におどけてみせ、大人や知らない人には不愛想な少女、それが思春期の私だった。
だがそれは大いなる間違いだった。
人は楽しくなくても笑うべきだった。微笑みを求められたら微笑むべきで、愛想はできるだけ振りまいておいた方がいい。もちろん喜怒哀楽の発露として笑うのも大いに良いことだが、できるだけ笑う回数が多いに越したことはない。笑顔はとっておきではなく、毎日自分と共にあるものとして過ごしていくべきなのだ。
私はそのことを、大学であるサークルに入ったことで思い知ることになる。
大学一年で入ったアカペラサークルは、規模が大きすぎて人間関係やオーディションに疲れて一年の終わりに辞めてしまった。だがこの先どこのサークルにも属さず勉強ばかりする大学生活というのも味気ない。せっかくだから、ちょっと変わったサークルに入ってみようかな。そんな風に考えて、有志団体が発行しているサークル案内誌のページをめくっていく。マンモス大学と言われる母校は、サークルの数が多すぎて、サークル選びにはサークル案内誌が必須なのだ。中には「なぞ部」と称し、すべてのサークル情報が伏せられている、本当に謎のサークルもある。ヒントはサークル誌内にちりばめられたダミー情報を詳細に検証すると分かるらしいが、知人含めてなぞ部の謎が解けたという人には一度も出会ったことがない。とにかく私はサークルを探していて、とある案内にふと目が留まった。
マジッククラブ。
筆記用具のマジックではない、手品の方のマジックだ。ステージマジックから対面マジックまで、幅広く取り扱っている。新歓時期にはブースやイベントで先輩の手品も見ることが出来るらしい。手品なんて、テレビの中でMr.マリックがやってるのしか見たことがない。それを目の前で見られるなら、それだけでも面白そうだな。そんな風に考えて新歓ブースを覗いてみたら、あとはもう先輩方の思うつぼだった。マジックというのは何かを勧誘するにはもってこいなのだ。目の前のおちゃらけたお兄さんの口から、滝のようにトランプが吐き出されてくる。先輩の手の中で、潰れていたはずの空き缶がみるみる膨らんでいって、布でこすると空いていたはずのプルタブが復活し、パカッと開けて美味しそうに飲む。手のひらからスポンジ製のウサギが沸いて出たと思ったら、そのウサギが次から次へと分裂していく……。すごい、面白い、もっと見たい。ちょっと覗いて検討してみようという気持ちはあっという間に吹き飛んでいて、気が付いたら入会していた。
サークルに入会すると、まずは先輩方のステージの裏方だ。道具の取り扱いやステージの進行、何より手品の仕組みを覚えていく。先輩のステージのシーズンが終わると、つぎはいよいよ自分たちの番だ。演目を決め、その演目の経験がある先輩と師匠と弟子という形のペアになり、マンツーマンで指導を受ける。ここで私を含めた新入生は、一つの大きな壁にぶつかることになる。
手品をするためには、笑顔がほぼ必須だったのだ。
新入生の手品は全員例外なく、ステージ上で行うステージマジックだ。音楽に合わせて振り付けが決まった踊りを踊るように、あらかじめ決められたルーティーンという手順の手品を演じる。ステージ上では派手な照明と大音響の音楽が流れているので、「はい不思議! 拍手~!」なんていうことはできない。だが、ショーとしてのステージマジックのルーティーンは、観客が不思議な現象に驚き、その余韻を楽しみ、マジシャンに称賛を送るための間がふんだんにとられている。称賛、つまり拍手。ステージに登った新米マジシャンが声を出さずに観客から拍手をいただくために、不思議な現象が起きた後、にっこり微笑んでみせなければいけなかったのだ。
ステージの上から、観客に向かってにっこり微笑む。
私達新入生にとって、手品の技術とは別に、自然で朗らかな笑顔を作ることが喫緊の課題となった。ちなみに演技の雰囲気として微笑まないルーティーンもあるにはあるのだが、その際はギロリと客席を睨みつけたり、格好良さげなポーズをビシッとキメなければいけないので、笑顔と比べても恥ずかしさは同等かそれ以上だった。思春期こそ終わったものの、面白くもないのに人前で笑顔になるのはまだどこか抵抗がある。飲み会や同期とのバカ話で毎日笑い転げていて、その笑顔イイネといわれるけれど、練習になるとそれがどうしても再現できなかった。当時はまだスマホが台頭していなかったので、サークル所有のビデオカメラで練習を撮影し、師匠と一緒に確認する。その時、技術的な未熟さと一緒に、笑顔のぎこちなさもたくさん指摘された。
「そんな自信なさそうな顔じゃ、拍手したいって気持ちにならないよ」
ビデオの中の私は、技術が下手なこと以上に、ぎこちなくひきつった笑顔で、自分でも見ていて不気味だった。この子、すごくつらそうな顔をしているけど、無理してやってるのかな? それとも何か失敗してしまったのだろうか。ビデオ越しの自分自身や師匠、近い未来の本番ステージの観客にまで、私の不安が伝染してしまうような不気味さだった。
そうか。ぎこちない笑顔は、観客を不安にさせるんだ。
私以外にも笑顔が苦手な同期は何人かいたので、皆で試行錯誤した。家では表情筋を鍛える顔面体操とやらに精を出し、鏡の前で微笑む練習をしてみた。そうしてようやく何とか微笑むことが出来るようになり、手品の技術もまあまあ様になるようになってくると、ビデオ越しに見る私の姿も見違えるようだった。みてみて、今の不思議なお花! 声に出して話していないのに、笑顔で振り返るだけで、観客に語りかけているのがよく分かる。自分では語りかけていたつもりはなかったのだが、代々受け継がれているルーティーンとはよくできたもので、間の取り方、身振り手振りなどがそのような印象となるようになっているのだった。
マジシャンとして笑えるようになると、不思議と日常生活でも笑えるようになった。
目上の人と話す時。アルバイトの接客中。笑顔がいいね、と褒められることが多くなった。友人の話を笑顔で聞いていると、友人が生き生きとしてきて、楽しそうにずっと喋ってくれるのが心地よかった。ついでに言うとモテるようになって彼氏もできた。笑顔ってすごい。笑顔って最強の武器だ。マジックをやって、笑顔が出来るようになって良かったな。そんな風に思っていた時、ある日鏡の中の自分の笑顔を見て、突然閃いた。
私、喜怒哀楽の喜でも楽でもないけど、ものすごく笑ってる。
「……これ、愛想笑いだ」
笑えば笑うほど周囲が良くなっていくのが楽しかったのだ。それに愛想笑いという名前を付けてみると、突然自分がとても薄っぺらい人間のように感じてしまい、戦慄した。だがもう社会人になって数年経っている、戦慄したからと言ってそこですぐに笑う事を辞めたりしない。まずは自分の衝撃をしっかりと受け止め、どんな時に私は笑っているのか、分析してみることにした。
まず仕事をしている時に笑っている。先輩や上司に何か話をする時、笑顔を忘れて仏頂面だと、相手に私が怒っていると誤解させてしまうことがよくあった。私は怒っていない、貴方に賛同している、そんなサインを出すために私は微笑んでいた。
続いて、友人や家族と過ごす時にも時々微笑むようになった。気が抜けていると無表情になるのだが、話しかける時は口角を上げることを意識している。これも、突き詰めると相手の存在は私にとって友好的なものであることを示すために微笑んでいた。
それからもちろん、仕事などで客先に出る時は満面の笑顔だ。ウェルカムの気持ち、賛同の気持ち、もてなしの気持ち、そんなものをくどくど口で説明しなくても相手に一発で伝える方法、それは笑顔を置いてほかにない。
全部、思春期の頃には愛想笑いで、気持ち悪いと感じていたものばかりだ。
だが大人になった今、これらは私の立場や思いを表現するために、なくてはならないツールとなっている。これこそが笑いの重要なはたらきで、世間の大人は皆それを理解して愛想笑いをしていたのだ。非言語的な、そして世界共通のコミュニケーションたり得る笑顔。笑顔なしで大人の社会を乗り切っていたら、それこそしんどくてノイローゼになってしまうかもしれない。
思えば思春期の頃、笑顔が上手くなかったのは、笑わなかったせいで表情筋が乏しかったせいに他ならない。ぎこちない笑顔が苦手でますます笑わなくなっていく、そんな悪循環に陥っていた。
現在三歳になる息子は、カメラを向けて笑って、とお願いすると、恵比寿様のような笑顔を向けてくれる。そしてそのシャッターチャンスを逃すと、彼曰く「へんがお」らしい、間抜けな表情の写真を撮る羽目になる。笑顔はとても上手だし、変顔をたくさん究めれば表情筋がどんどん豊かになりそうなのでぜひともたくさん変顔をしてほしい。
そして、思春期に入るよりも前に、笑顔こそが一番大切なコミュニケーションツールなのだとしっかり教えておこうと思う。
□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company
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