週刊READING LIFE vol.91

愛想笑いは、心からの笑顔のもと《週刊READING LIFE Vol,91 愛想笑い》


記事:ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
横浜は、快晴だった。
空はこんなにも明るく青いのに、わたしの気分はとても鬱々としていた。
 
笑顔でふるまっていたけど、やはり心のどこかで少し落ち込んでいた。仕事をしているとうまくいかないことがたくさんある。
 
訪問終わりに先輩と赤レンガ倉庫でオムライスを食べた。それはかつて、付き合っていた彼と旅行で横浜に来たとき、閉店間際にかけこんで食べたのと同じオムライスだった。赤レンガ倉庫で一番有名なオムライス。美味しいはずなのに、味がしない。それはもう、わたしの気持ちの問題だった。
 
先輩は「大丈夫だったよ」と言ってくれたけど、わたしは全然納得していなかった。今日はわたしが場を取り仕切っていたのだけれど、全然うまく会話をすることができなかったのだ。取引先の方がペラペラとよく話す人だったから欲しい情報をもらうことはできたが、もしそうではなかったら、今日は完全に失敗に終わっていた。
 
「そうなんですね!」
「すごいですね!」
「さすがですね!」
 
わたしは、いわゆる「さしすせそ」をただ相手に向けて使っただけ。自分のことでいっぱいいっぱいになって、聞かなければいけない質問を投げかけるだけ投げかけて、肝心の返答はあまり頭に入らないままとりあえず愛想笑いをしていた。ある種「さしすせそ」のプロではあるのかもしれない。不安だった。焦っていた。ちゃんと進められるか、聞くべきことを聞けるか、そればかりを考えていた。
 
人にどこまで踏み込んでいいかということ、どれぐらい話したらいいのかということ。基本的に受け身姿勢が強いわたしには、すべてがとても難しい。今日も踏み込むのが怖くて、せっかくのお話をテキト―に笑って流してしまっていた。楽しく丁寧に会話をしようと思っても、気づけば一方的に話を聞くだけになっていたり、はたまた自分が話しているだけになったりしている。そしていつのまにか時計を見るのを忘れて、時間がぎりぎりになってしまう。
 
彼と赤レンガ倉庫に来た時も、予定を時間通りに進めることが全然できなくて、結局ぎりぎりになってしまって、モヤモヤしたままオムライスを食べたことを覚えている。あの頃のわたしも、自分のことでいっぱいいっぱいだったっけ。成長してないなあ。
 
「はるちゃん、今日よかったよー。食べなよ」
 
先輩はあくまでそう言ってくれる。嬉しいけど、ありがたいけど、気を使ってくださっているとしか思えなくてつらかった。とりあえず笑ってみた。笑うしかなかった。
 
「ありがとうございます。オムライス美味しいですね」
 
がっかりしただろうな、と思う。いつまでたっても成果を出せないわたし。自分に自信がなくて期待に答えられないわたし。ずっとそうだ。相手に時間を割いてもらうというのはすごく特別なことなのに、わたしは人に踏み込むことができない。どんなに手厚く面倒を見てもらっても、心を開いてもらっても、そこに入り込んでいくのがわたしの仕事なのに、それがいつまでたってもできないのだ。
 
できることは、表面上の付き合いだけ。相手に合わせて、相手を持ち上げて、愛想笑いをうかべることだけ。それだけでは、本当に信頼される人にはなれないだろう。
 
上手く笑えていないな、と思うと、いつも心がちくりといたむ。誰も何も言わないけどきっと、取引先の方もご同席してくださっている先輩も、わたしが集中して話を聞かずにただ愛想笑いをうかべていることに気づいているだろうな。そう思うと、切なくなった。
 
結局、オムライスの味はよくわからなかった。
それでもわたしは、「ごちそうさまです。美味しかったです!」と店員さんに伝えて、お店をあとにする。
 
オムライスを食べたあと、少し横浜を散歩してから帰った。
海が広がっていて、観覧車があって、空が広い横浜の景色はとても美しかった。
 
「横浜、いいところですね」
 
風が吹いて気温も心地よくて、わたしの気持ちはほんの少しだけ明るくなった。
 
「ねー!! アポで来れるのいいよねー!!」
 
わたしがそういうと、先輩は明るくハキハキと答えを返してくれた。わたしに気を使って、とかではなく本当に楽しそうだった。人への気配りが上手で人が話したいことを引き出すのが得意で、よく笑う先輩。こんな風に、ちょっとした会話にも幸せそうな笑顔で返せる人にどうすればなれるんだろう、と心底思った。
 
一度気持ちが落ちると、わたしはなかなかまた笑う、ということができない。人と会話をしていても、とりあえず表面上だけ笑って場の空気を保とうとするだけだ。落ち込んだとしてもすぐに復活して、楽しくコミュニケーションをとれるようになればいいのに。心から笑えればいいのに。そう思っている。
 
いつも、こういうときどうしてたっけ。
 
帰りの電車のなかで、スマホを使ってSNSの過去の投稿をさかのぼる。
学生の頃は少し気分が落ちても、すぐに心から笑えていたような気がしたのだ。
あの頃のわたしは、どうやっていたんだろう。
 
その答えは、意外とすぐに見つかった。
 
『無理やりでも笑っていれば、だんだん本当に楽しくなってくるものだと思う。
その感情はホンモノだって自分で思い込めばいい。マイナスの感情は消して、それがホンモノだって思い込めば、愛想笑いでも苦笑いでもホンモノの笑顔になるってわたしは思う。』
 
一緒に赤レンガ倉庫に来た彼のことで悩んでいた日。
自分だけが見られるようにしていた非公開のブログで、わたしはこんなことを書いていた。
 
予定通りに時間が進まなくて閉店時間に追われながらオムライスを食べたこと、すごく嫌だったけど、わたしのなかではそこまでマイナスな想い出にはなっていなかった。今思えば彼が東京の人ごみに疲れて一方的に機嫌が悪くなったり、彼の行きたいところにだけひたすら付き合ったのに「思っていたのと違った」とか言われたりしていたけど、わたしのなかでそれは「楽しい思い出」として今日の今日まで記憶に残っていたのだ。
 
どう考えても楽しい思い出ちゃうやろ……。といまの冷静なわたしは思うが、そのときはそういう風に自分の感情を塗り替えていた。
 
わたしは自分で自分のことをだましていたのだ。
 
それはどちらかといえば、悪いことなのかもしれない。
自分の感情に自分でフタをして、無理やり楽しい気持ちにするなんて。
笑い続けることで笑顔をホンモノに塗り替えるなんて。
でも、そりゃ暗い気持ちでいるよりは簡易的にも明るい気持ちを持てている時間が長い方が人生は楽しくなるともいえる。愛想笑いがホンモノの笑いになれば、それに勝てるものはもうない。
賛否両論あるかもしれないが、ニセモノの笑顔もホンモノの笑顔のもとになると思うと、とりあえず笑う、だけでも全然違うなと思えてくる。
 
「ねー、ムヒとかもってないよね!?!」
 
ひとり感傷に浸っていたら、先輩に突然そう声をかけられた。
 
「たぶんあると思いますが、なんでですか?」
 
「めっちゃ虫に刺された。横浜海沿いだから虫ヤバイのかも……はるちゃんは刺されてない?」
 
言われてみれば、かゆい。とにかくかゆい。
見事なほどにめちゃめちゃ刺されている。
こういうのは一度気づいてしまうともうそれまで。ずっとかゆい。
 
「……わたし8か所刺されてました、地獄ですね」
 
数えると数が膨大でびっくりした。
たった1日でこんなに刺されるなんて聞いていない。
せっかく散歩で少し気持ちが明るくなって、毎日無理やりでも笑おうって決意を固めたところなのにこれじゃ台無しだ。
 
「はるちゃん、触っちゃだめだよ!」
 
「わかってます! うわーーー、でもこれだいぶしんどいですね、わーー」
 
予想外のことに、わたしは完全にテンパっていた。
かゆい。とにかくかゆい。
早急に薬を塗ってカバーしなきゃ。そしてかゆいことを忘れなきゃ。
 
そう思うとそこからは早かった。
手持ちのムヒを秒で塗り、絆創膏を貼る。これでカバーされるし、かゆいことも忘れられるし、あとに残ることもないだろう。
 
こういうのはできるだけ早いケアが大切。
じゃなければいつまでもかゆいし、いつまでも残ってしまうのだ。
 
「あーいったん落ち着いた。ありがとう」
 
塗り終わって少し時間が経つと、先輩はそう言った。
わたし自身のかゆみもだんだん収まってきている。
 
ちょっとした小旅行の横浜。
赤レンガ倉庫の美味しいオムライス。
一見楽しそうでイベント性のあるアポの代償は、上手くいかなくて落ち込んだ気分と虫刺されだった。
 
捉え方によっては楽しくもなるはずなのに、なんだこれは。
今日一日のことを考えているとなんだかばかばかしくなった。
 
愛想笑いだってなんだっていい。笑っていれば楽しくなる。
そして本当に心から楽しい気持ちになることができれば、周りの人のことも楽しい気持ちにさせてあげられる。
これまでの自分のあまりのマイナス思考を反省して、一気にふっきれた。
 
虫刺されにだって気休めでムヒを塗ってカバーして、かゆいことを無理やり忘れて過ごそうとするじゃないか。
笑うことだって同じ。たとえそれが愛想笑いでも無理やり笑ってカバーして、楽しい感情だけを自分に残せばいい。
 
そう思えた瞬間、急に楽になったきがした。
 
数日後、わたしはまた、別の取引先の方としっかりお話しする機会が訪れた。
 
「そうなんですね!」
「すごいですね!」
「さすがですね!」
 
やはり「さしすせそ」は使ってしまうし、それとともに愛想笑いを浮かべている。「えーすごいですね!」と言っていても、何がすごいのか正直あまりわからないまま話している自分もいる。それでも、わたしが笑っていると楽しそうにお話を続けてくださることが嬉しくて、そのまま笑い続けた。するとなんだかわたしも楽しい気持ちになってきて、少し心の余裕を持つことができた。
 
やはり、どんなかたちであれ笑い続けることはポジティブな感情を与えてくれるのだ。
愛想笑いや苦笑いをうかべることを、恥じてはいけない。
それはホンモノの笑顔のもととなるものであり、決して悪いモノじゃない。
 
自分のなかに「これはポジティブな気持ちだ!」と思い込ませるのはなかなか難しいことかもしれないけれど、世の中で「どんなことも笑っていればたいがいなんとかなる」と言われることが多いのは、笑うことでポジティブな気持ちが高まってくるからだろう。
 
だから、わたしはとりあえず、気負いすぎることなく、どんなかたちであれ笑うことを大切にしようと思う。
そうすることでもしかしたら、取引先の方ともっと親密になれるかもしれない。
先輩みたいにいつも心から楽しそうにしていられるようになるかもしれない。
苦しい思い出も楽しい思い出に切り替わって、オムライスの味がしなくなるみたいに、損することもなくなるだろう。
 
笑うことだけで人生が楽しくなるのであれば、万々歳である。
 
今度もしまた横浜に訪問で行くことができたときは、快晴の空や美しい景色、美味しいごはんももっと楽しみたい。訪問そのものも成功させたい。
欲深いかもしれないけれど、そう思っていることが大切な気がした。
 
愛想笑いは、心からの笑顔のもと。
そう思って私は、これからも笑っていこうと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西出身、東京在住。24歳。社会人2年目。
Webメディアで広告制作の仕事をしている。
趣味はアイドルを応援すること。
幼少期から文章を書くことが好きで、2020年3月からライティング・ゼミを受講し始め、現在はライターズ倶楽部にも所属している。

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2020-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.91

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