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週刊READING LIFE vol,103

大好きとも大嫌いとも言えない《週刊READING LIFE vol,103 大好きと大嫌いの間》


記事:記事:中川文香(READING LIFE公認ライター)
 
 
「新米が出来たの、いただいたから」
と、実家の母から荷物が届いた。
段ボール箱を開けると、約束通り新米の包み。
それに箱の隙間を埋めるように柿やらサツマイモやら、季節の野菜や果物をぎゅうぎゅうに詰めて入れてくれていた。
いつも通りの母の感じの詰まった、いつも通りの荷物で、中を開けてなんだかほっとした。
 
いつも通りの荷物の中に、違和感のあるA4サイズの冊子が入っていた。
……アルバム?
不思議に思って中を見てみると、私が幼い頃の写真を集めたものだった。
 
荷物のお礼で電話すると、
「アルバム、見た? 昔の写真が出てきたから、厳選してアルバム作ってみたのよ。懐かしいでしょう」
家の中でハイハイする写真。
叔母さんに抱かれている写真。
どこか色あせた感じの、昔のフィルム写真の質感がなんとも言えない。
その時の自分の記憶なんて残っていないのに、なんだかすごく懐かしい感覚があった。
ページをめくっていくと、お宮参りと思われる写真があった。
母に抱かれる私と、その周りに祖父母が並ぶ。
おばあちゃんに目が留まる。
若いなぁ。
今の私の母くらいの年齢だろうか。
写真の中のおばあちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

私は父方のおばあちゃんに大層可愛がられて育った。
父は男二人兄弟で、女の子を育ててみたかったおばあちゃんにとって、念願の初孫でしかも女の子だった私はまさしく愛情を一心に注ぐ対象だったのだろう。
おばあちゃんは、私が幼い頃酒屋を営んでいた。
タバコ販売の免許もとっており、酒やタバコ、駄菓子に簡単な日用品などを揃えた小さなお店を、私の実家の近くで切り盛りする、働く女性だった。
年の近い妹が出来てからは、妹にかかりきりの母にへそを曲げてよくおばあちゃんのお店で遊んでいたのをおぼろげながら覚えている。
一度、母に叱られて、暗くなってからおばあちゃんのお店まで一人で歩いて行ったことがある。
お気に入りのリュックに家出道具のお気に入りのタオルとおもちゃを詰めて、暗い道をひたすら小走りで急いだ。
徒歩5分くらいの道のりではあるけど、小さい私にとっては大冒険だった。
無事に店に着くと、おばあちゃんは「一人で来たの?」と大層驚いていた。
(何年も後から分かったのだけれど「あんな小さい子に一人で夜道を歩かせて!」と母はその後、大変怒られたらしい)
 
すっかりおばあちゃんっ子になった私を、おばあちゃんはいつでも迎え入れてくれた。
何か困ったときは、すぐにおばあちゃんを頼るようになった。
おばあちゃんは私を可愛がってくれたけれど、叱ってもくれた。
幼稚園で運動の時間にのぼり棒をしたとき、クラスの中で私だけが登れなかった。
おばあちゃんにそのことを話すと、
「みんなが出来て自分だけ出来ないなんてことがあるものか」
と言って、練習しようと私を外へ連れ出した。
といってものぼり棒なんて家には無いので、お店の外の道路に立っていた道路標識の白いポールで練習した。
「出来ない」と言って私がべそをかいても、練習すれば絶対できるようになるんだ、と言い聞かせ、ちょっとでも上まで登れると褒めて何度も練習させ、ついに標識にタッチできるくらいまで登れるようになった。
幼稚園ののぼり棒は、道路標識のポールよりも細かったけど、練習したことを思い出したらするする登れた。
“やれば出来るんだ” ということを身をもって体験させてくれたのはおばあちゃんだった。
 
私が小学生の時に体を壊したおばあちゃんは、健康の為早朝の散歩を始めた。
私も行く、とせがんで一緒に朝の散歩に出かけた。
小学校の授業参観で、理由は忘れてしまったけれど、親ではなくおばあちゃんが来てくれたことがあった。
図工で “お互いの顔を描きましょう” というのがその授業での課題で、私はおばあちゃんの、おばあちゃんは私の顔を「下手なのに……」と恥ずかしそうに描いてくれた。
いまでも、その時の絵はおばあちゃんの家に飾ってある。
 
高校生になった時に、おじいちゃんが死んだ。
おばあちゃんとおじいちゃんは仲の良い夫婦で、よく二人で旅行に出かけていた。
「自分は病気をしているから、先に死ぬだろう」と思っていたのに、おじいちゃんに先立たれたのがショックだったようだった。
火葬の直前、おじいちゃんの棺にすがって泣いていたのを覚えている。
棺が炎の中に納まると「さあ、もう別れだ」とどこかさっぱりしたようにも見えた。
女は強い、とその時思った。

 

 

 

大学進学のため家を出てからも、他県に就職してからも、夏休みや正月休みは必ず実家に帰り、おばあちゃんにも会った。
違和感を感じ始めたのは、私が体調を崩し、実家に戻った時だった。
 
それまでも、久しぶりにおばあちゃんに会うときには「しばらく会わないうちに年を取ったな」と思うことはあった。
けれど、三年前に実家に戻った時、耳が遠くなって以前よりも聞こえなくなっていたり、体が思うように動かず、庭の草むしりも好きなように出来なくなっていた。
ひとつひとつ、少しずつ、出来ないことが増えていくようだった。
生まれて大きくなっていくにつれて、出来ることが増えていくのとまるで反対だ。
ひとはどこから、そんな風になるのだろうか。
 
おばあちゃんは私が実家に帰ってきたことを喜んだ。
私も当時心身ともに疲れていたので、しばらく実家で休養させてもらえるのはありがたかった。
おばあちゃんは私の実家の隣に住んでいるので、毎日顔を出して、毎日一緒にご飯を食べた。
初めのうちは良かった。
けれど、私が会いに行くとそのうちに母のことを愚痴るようになっていった。
 
おばあちゃんは2日に一度通院しなければならないのだけれど、そのお世話を嫁である母がずっと行ってきていた。
父は普段は仕事だし、土日はたいていゴルフに出かけていて、通院の世話はほぼ丸々母の仕事だった。
「歩くのが早くてついていけない、なんでもう少し合わせてくれないんだろう」
ということから始まり
「お母さんは結婚したころ何も出来なかったから、私が色々世話したんだ」
という30年も昔の話まで持ち出して、母のことを悪く言っていた。
なぜ、娘である私に母の愚痴を言うのだろうかと疑問だったけれど、おそらく小さい頃たくさん可愛がった私のことをもう娘のように思っていたのだろう。
まあ、毎日一緒に過ごしていれば愚痴も出るかな、とあまりしっかり聞くともなく聞いていた。
そのうちに私が結婚していないことをやたらと心配して、あれこれ口を出すようになってきた。
どこかに出かけるとなると、相手が男なのか、誰なのかしつこく聞いてくるし、ただ一緒に遊びに行っただけの、まだ付き合ってもいない人の家のことを色々探るようになった。
結婚とはこんなにいいものなのなんだ、早く結婚しなさい、お前の為を思って言っているんだ、というお決まりの文句を並べ立て、私がのんびりしていると、しびれを切らしたのか次第に結婚しないことを責め立てるようになった。
自分の嫁の悪口をあれだけ言っておいて、よくも孫に「さっさと結婚しろ、結婚はいいものだ」なんて言えるもんだ、と不思議な気持ちで眺めていた。
子供の頃の思い出の中のおばあちゃんと、今現実にそこにいるおばあちゃんの姿にギャップがありすぎて、驚いた。
そこにいたのは、もう強くて優しいおばあちゃんではなかった。
その頃になると、もう干渉されることに辟易してしまって、私は再び実家を出た。
別々に暮らしてたまに会う、くらいの距離感が私にはちょうど良かったのだ。

 

 

 

今、離れて暮らすおばあちゃんとはしばらく会っていない。
コロナウイルスの関係で、帰省を見送っているためだ。
子供の頃に知っていたおばあちゃんは、なぜこんなに変わってしまったのだろう、と今でも考える。
おばあちゃんは、きっと迫ってくる老いが怖かったんじゃないかと思う。
それまで出来ていたことが次第に出来なくなって、誰かの力を借りなければ生活がままならなくなってきた。
そのことに恐怖を感じて、縮こまってしまっていたのではないかと思う。
これからも、老いは速度を速めながらおばあちゃんの背中に覆いかぶさってくるに違いない。
それがどのくらいの恐怖なのか、私にはまだ分からない。
分からないけれど、分からないなりに、おばあちゃんの怖さに少しずつ寄り添っていけたら、と思っている。
 
大好きだったおばあちゃん。
あの小さかった頃の、ヒーローみたいに強いおばあちゃんとは、もう会えないのだろうか。
 
 
 
 
❏ライタープロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)
鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
 
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
 
興味のある分野は まちづくり・心理学。

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。

Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。

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2020-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol,103

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