週刊READING LIFE vol,108

「面白い」を喰い尽くす《週刊READING LIFE vol.108「面白いって、何?」》


2020/12/21/公開
記事:秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
庭の木と電線を結んで、蜘蛛が大きな巣をかけている。
あの高いところからどうやって降りてきたのか。綺麗に網の目を作って、青空にギラギラと光っている。その中央に、ぎょっとするほどの大きな蜘蛛。長い脚をのばして、黄色と黒の縞模様がやたらと目立っている。糸につながれてしまった葉が上に引っ張られて苦しそうだ。気持ち悪いから、枝をひろってサッと巣を払ってしまった。

 

 

 

母が死んだのは私が高校3年生の春だった。
受験生の私はゴールデンウィークのその日も、昼食が終わってすぐ机に向かっていて、急に玄関から大きな声で呼ばれたのだ。
 
「梨沙、救急車呼んで!」
 
父の声だった。
頭が真っ白になって、慌てて握った子機の番号すら押すことができない。ただウロウロとするばかりで、見かねた父がひったくるように電話を奪い、代わりに救急車を呼んだ。
 
うつぶせに母は倒れていた。意識はない。大きないびきのような音がしている。
隣にしゃがみ込んだ私は、その姿を見て、「あぁ、もうダメだ」と悟ってしまった。
くも膜下出血に違いない。脳の血管が切れたんだ。祖父もそれで死んだと言っていたじゃないか。
 
きっと……母も死ぬ。
 
予感ではなく、確信。
母に必死に声をかけながら、頭の一部が酷く冷めていった。
ぐちゃぐちゃと波打つ心からプツンと切れて、どこか高くて遠いところから、もう一人の私が見下ろしているようだった。
 
これから、どうなるんだろう。どうすればいいんだろう。
 
救急車に運ばれる母に、父は付き添っていった。
私と小学4年生の妹は家に残された。母は妹の目の前で倒れたという。ただ二人で小さく寄り添って、テレビを見ることしかできなかった。どんどん空は暗くなる。妹が泣かないように、いつも通りのバラエティ番組を、ケラケラと笑って見ていた。いつ病院からの連絡があるかと怯えながら、必死に笑って待っていた。

 

 

 

そして、
 
電話は鳴った。

 

 

 

病室で最期が告げられる。
よくテレビなんかでみる、ベッドにすがりついて泣きじゃくるっていうのは嘘だなと思った。3人は静かにうつむいて、唇をかみしめた。深いため息と、哀しみだけが部屋中に広がる。若い看護師さんがたまらず泣いてしまって、なんであんたが泣くんだよ、と思いながら、ただ、涙だけがとめどなく流れた。
 
葬儀にはたくさんの人が来てくれた。
なんだかんだと世話焼きでお茶目だった母。年齢もまだ43歳と若かった。母の友人はもちろんのこと、私たち姉妹の友人やそのお母さん、学校の先生。長い列ができて、母との別れを惜しんでくれた。その間、私はずっと前に立って、頭を下げ続けていた。
 
来てくれてありがとう。
母を慕ってくれて、ありがとう。
コップいっぱいの水が少し揺らせば溢れるように、歩くたびにボロボロと涙が落ちた。
 
でも、不思議とだんだん腹が立って来た。
哀しいのは私だ。家族だ。
 
一番哀しい家族がずっと頭を下げているなんて、なんて葬式とはアホらしいのか。高校生の未熟な私は、泣きながら怒り狂っていた。
 
もう、静かにしてくれ。

 

 

 

すっかり哀しみと怒りを使い果たして、日常は戻って来た。
母はいない。専業主婦だった母の仕事を父と私とでやらねばならなかった。それは大きな変化だったけれど、心配したよりも簡単に、今までと同じように日々が過ぎていった。
 
朝起きて、学校へ行く。
勉強して、友人とふざけて帰宅する。
受験勉強の合間に妹とゲームをして遊ぶ。
 
今までと同じ。
 
変わったことといえば、父が早く帰ってくるようになったことと、私が他人に「お母さん」「お父さん」という単語を使わなくなったことくらいだろう。代わりに「うちの親はね」と言うようになった。たぶん誰にも伝わらなかったけれど、私の前で「お母さん」の話をするなよという無言の圧力でもあった。まだ、不意に揺らされたら泣きそうだった。
 
そして、志望校は地元の大学に変更した。仕方のないことだった。
 
案の定、受験はボロボロだったけれど、大学には受かった。
憧れのキャンパスライフ。部活とかサークルとかどうしようかなぁと浮かれていたら、父に言われた。
 
「それは、やっても早く帰ってこれるの? 妹もいるし、夕飯お願いしたいんだけど」
 
ショックだった。
私は普通の大学生活を送ってはいけないのかと。考えてみれば、受験生だったから父はなんとか早く帰って、家事の負担を減らしてくれていたわけである。無事に大学生になったのだから、もっと手伝ってくれと言うのも当然かもしれなかった。サークルに対して、父を説得するほどの熱意も持ち合わせていなかった私は、反論することもなくその言葉に従った。仕方ないよね、そりゃ。
 
何かと制約は多かったけれど、大学生活はそれなりに楽しんでいた。
新しくできた友人と講義の合間に話したり、帰り道のちょっと背伸びしたカフェに入ったり。もちろん恋愛もした。憧れていたキャンパスライフの7割は楽しめていたんじゃないかと思う。もう簡単にコップの水は溢れなくなったし、「楽しい」も「嬉しい」もたくさん転がっていた。

 

 

 

それなのに

 

 

 

どうやら様子がおかしい、と思ったのは、大学に入学して2年が経ったくらいだった。
 
「面白いって、なんだっけ……」
 
理系の学生は忙しいのだと聞くが、文系の3・4年生はとにかく暇である。大学へ行く頻度も減ってきた。週に2日も行けばいいところ。とにかく一人の時間が増えてしまった。毎日ダラダラ過ごすことにすら飽きてきた。こういう暇な時間は何してたんだっけ?
 
そういえば、あれだけ好きだった本もめっきり読まなくなったな。
最後に映画を見たのはいつだっけ?
そして、やたらと毎日ねむたかった。
 
「楽しい」も「嬉しい」もそこにあるのに、いくら食べても腹に溜まらない。
景色は薄らいでいて、ちっとも満たされない。私はどうしちゃったんだろうか。
 
壊れたのかな。
母を亡くした自分は穴が空いたのだ。
ならばまぁ、仕方ないのかもしれない。
そういうことにして、納得させてしまった。
 
穴の空いた心と妙に冷めた頭で、これは大人になったってことかもね、なんてカッコつけていた。
 
壊れた自分のままでも、毎日を上手に過ごせればいいと思っていた。
だって、「楽しい」ことはちゃんとあった。
面白いと何が違うんだ。
 
よく、分からなかった。
 
面白いと思えることがなくても、私は普通だった。
ちゃんと語り合える友人はいたし、大学をつつがなく卒業し、無事就職もした。いい人を見つけて結婚すれば、もう心配なことはない。ゴールまであと少しだ。そう思っていた。
 
だから、結婚を決めていた彼に言われたセリフであんなに泣くとは思わなかった。

 

 

 

その日は二人で旅行に行っていた。付き合い始めてある程度の時間が経ち、結婚するならこの人だなぁと感じていた。彼も将来のことは真剣に考えてくれていて、私の家族のことも含めてとても理解してくれていた。だからこそ、彼はこのとき言ったのだ。
 
「結婚は、妹さんが高校を卒業してからだよね」
 
優しさに溢れた彼の言葉がグサリと胸に突き刺さった。
8つ歳の離れた妹は、この時高校2年生だった。来年には受験が控えていたから、その大切な時期にお姉ちゃんがいなくなるわけにはいかないでしょう? と、気遣っての言葉だった。たぶん、これまでに私自身も、そう彼に話したことがあったのだ。絶対にそうすると決めていたわけではなかったけれど、なんとなく、そうしなければいけないと思っていた。母のいない受験は大変だと、私が身をもって実感していたものある。
 
「あと、1年以上あるね……」
 
そう、答えたら、もうボロボロ涙が止まらなかった。
駄々をこねる子どものように、座り込んでワンワン泣いた。
 
「わかってるけど、そう思ってたけど……!」
 
仕方ないと思っていたはずだった。
けれど彼の一言で心のコップは完全に割れてしまって、私は泣きながらどうしようもなく怒った。優しい言葉をかけてくれたのに、「何もわかってない!」と真っ赤な顔で睨みつけた。もう、感情の落ち着かせ方も分からなかった。
 
床に座り込んで、30分も1時間も、泣いたり怒ったりしながら感情を吐き出し続けた。
 
「私は大学で一人暮らししてみたかったのに!」
「部活やサークルだってやりたかったのに!」
「結婚だって好きにしたいのに!」
 
もはや彼には全く関係ないことまで全部ぶつけた。
彼はだた、幼子をあやすように「そうだね」と聞いてくれて、ようやく気がついたのだ。
 
私、我慢してたんだ。
 
日常が戻ったふりをして、自分の感情が揺れないように、心の奥底にしまい込んでいただけだったんだ。高校3年生のあの日から時は止まったまま、ずっと冷凍保存していたのか。
 
「なんで、お母さん死んじゃったんだよ!」
 
私が一番叫びたかったセリフだった。
自分のお父さんは母の結婚式を見ずに死んでしまったんだって、いつも悲しそうに話してたじゃないか。私なんて、結婚式どころか、成人式だって、卒業式だって、お母さんはいなかったじゃないか。
 
受験だって、結婚だって、これから話したいことは山ほどあったのに。
 
なんで、なんでいないんだよ。
 
「おじいちゃんが生きてたら、たくさん遊んでくれたと思うよ〜」
って、いつも私に話していたじゃないか。子育てだって、聞きたいことがたくさんあったのに。こんなに早くいなくなるなんて、聞いてない。
 
あの日、病院でこらえた分の声が、苛立ちが、全部ぐちゃぐちゃになって飛び出してきた。
収まりそうだった感情が再爆発して、泣いて泣いて、怒って、泣き疲れて……私はそのまま眠ってしまった。
 
母の夢を見たような気がする。
 
翌朝、泣きはらした顔は最悪の出来だったけれど、あぁ、私は生きてるんだなぁと思った。プツリと切れていた心と頭が、ちゃんと今日は繋がっている気がした。
 
「結婚は、再来年ね! しっかり式の準備できるじゃん」
 
自分で、決めた。彼は本当にそれでいいのかと何度も聞いてくれたけれど、大丈夫。今度は、ちゃんと心と繋がって考えたセリフだ。
スッキリした声で言うと、彼は疲れた笑顔で優しく笑ってくれた。

 

 

 

大きな蜘蛛の巣が、またかかっている。
昨日、壊したばかりなのに懲りもせず同じ場所に大きく網を張っている。しぶとい。不気味な縞模様が空に映えている。心なしか、前より大きくなった気がする。
 
でも、今日はそのままにしておいた。
大きく広げた網の目だから、引っかかるのだろうと面白く思った。
あれだけ大きい巣なら、餌には困らなさそうだ。
 
私も蜘蛛みたいに生きてみようか。
喜怒哀楽の感情を大きく広げたら、何か絡め取れるだろうか。
 
いつしか諦めて小さな巣を作っていた私。
巣を壊されて、ひっそりと隠れていた私。
糸を掛け直すこともせずに、何かが引っかかるはずもなかったのだ。
 
ならば私も、しぶとく網を張り続けてやろう。
怖がらず、糸を信じて飛び降りよう。
風が吹いても、糸を切られても、何度だって糸をめぐらそう。
 
この世の「面白い」を喰い尽くしてやろうじゃないか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
2020年8月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年12月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
頑張る誰かの力をそっと抜いてあげられるような文章を書けるようになることが目標。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-12-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol,108

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