週刊READING LIFE vol,108

50超えのおっさんが、夢みてもいいでしょ?《週刊READING LIFE vol.108「面白いって、何?」》


2020/12/21/公開
記事:白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「いままでは、こちらからどんどん企業をご紹介できたのですが……。この時節です。求人する企業は減ってきています。むしろ、求職者のほうがどんどん増えてきています」
先日、訪れた再就職支援団体で、職員がそう言った。
 
新卒で入社してから29年間勤めた会社を辞めてから、半年が経とうとしている。
会社側が希望退職を募ったので、それに応募し退職した。
 
応募したことには、当然ながらそれなりの理由があった。
最大の理由は、家計の改善。
決して、贅沢してきたわけではない、が実情は逼迫していた。
20数年前に持ち家を購入したのだが、いろんな思惑が外れて家計の歯車が噛み合わなくなり、それが限界に近づいていた。
つまり、負債が膨らんでしまっていた。
そして、もうひとつの理由は、勤めていた会社や仕事に対する自分の熱量が下がったこと。
 
この二つのことが自分の中で大きく膨らみ、そして希望退職の応募のボタンを押した。
 
職を失った、という思い、不安は確かにある。
しかし、その会社を辞めたこと自体に不思議と後悔はなかった。
退職せずにそのまま仕事を続けていることを想像すると、心に疲れが襲ってくるような感覚を体に抱く。
「もう、いい。もう、充分だ」
そんなことばが浮かぶ。
 
その傍らで、負債を精算することができた。
その一掃感は半端なかった。
 
「生まれ変わろう!」
この一言に尽きる。
 
 
 
45歳を過ぎたあたりだろうか。
「定年」を意識するようになったのは。
定年以後、自分は何を持って生活したら良いのだろうか? と考え出した。
会社を辞めてからの、気持ちの拠り所。
自分の年齢であれば、年金を受け取るのは70歳から。
それまでは何を「糧」として暮らそうか?
それが浮かばない。
 
そもそも、その時点で実はもう気持ちの拠り所が、足元が、おぼつかない感じだった。
会社でもそれなりに管理職まで進んだものの、マネージメントというものがどうにも苦手というか、慣れない。
会社の方針、そして周りの流れにいかに合わせていくか、ということに、どんどん、どんどん意識が向かっていった。
自分の気持ちは置き去りになっていき、そこで自分の心と頭の歯車が噛み合わなくなっていった。
 
上司や、部下に恵まれたことも確かにあった。
細かい日常を切りとったとき、仕事のなかで達成感を感じたことも当然あった。
 
でも、総じてみたら、どうにも自分の気持ちに無理しているようなシーンが多かったように思う。
 
「生活のために、そんなことは当然」
「そこは我慢するところだ」
 
そう自分に言い聞かせることが、会社を辞めるまで続いていた。
ときどき、ふとしたときに、それがかなりしんどいなぁ、と感じたことが多くなった。
 
そもそもこの会社を選んだことは、自分やりたいことと符合していたからであることに間違いはない。
実際に、入社してから数年間は実に楽しかった。
しかし、時間が経つにつれて、やりたいことから遠ざかり、会社を取り巻く状況、会社自身の状況の変容とともに、気持ちが離れていった。
 
だから、希望退職の話が出たとき、それに応募することに迷いはなかった。
辞めざるを得ないという事態でもあったことも確かだが、それだけではない。
自分の気持ちもしっかりと符合した。
 
 
 
「必要な生活費をまず条件として設定しましょうか。それからターゲットを絞り込みましょう。時節のこと、年齢のこともあります。優先する条件を明確して妥協することも必要です」
最終就職支援団体の職員は、そうことばを続ける。
 
この時節、そらそうだろうな、ということはわかる。
コロナ禍が再燃し、経済の行先は不安の声ばかりだから。
でも、「妥協」ということばがどうにも引っかかった。
 
生活のために自分に「妥協」して働く??
仕事する、働く、ということには妥協や犠牲がつきものなのが一般的なのか??
 
いままでも再就職先を調べたことはあった。
いろいろ見るものの、自分の感覚にハマるものが見当たらない。
 
生活がかかっているからとはいえ、自分に嘘ついてまで応募をエントリーする気になれない。
上っ面だけで動いても、どうも自分が長続きしそうにない。
また前と同じことの繰り返しになりそう。
 
理想かもしれないが、自分がのめり込むことをこれからの糧としたい。
でもそれが見つからず、あれこれ模索していまに至る。
 
せっかく得た時間でもある。
金銭的に限度があるとはいえ、この機会を逃す手はないという感情がある。
できるかぎり粘ってみよう、そういう声が自分の中にある。
 
 
 
少し、話を遡る。
 
大学入るまでに1年間浪人したことがある。
このときに、自分に対する思いが大きく変わる体験をした。
 
家計が裕福でもなかったので、1年間だけという約束で、予備校に通わせてもらった。
小学校から高校卒業まで、学校の成績というものは、よくて「普通」どまり。
主要5教科などは、普通に届くほうがまれだった、と言ってもいいくらい。
大学模試なんて、どの教科も偏差値40台。
学業にいたってはコンプレックスの塊だった。
試験前にはそれなりに勉強しなかったわけではないのだが、なかなか伸びない。
 
そんな自分が、予備校いくことで希望の大学に行けるのかどうかはわからなかった。
だけど、このときばかりはとにかくがんばってみよう、と学業に全集中することを決めた。
数理系がどうしても苦手だったので、そこは最初から諦めた。
学費がかかって大変申し訳ないが、当時の私立文系のメインである英語、国語、日本史、に集中させてくれ、と両親にそんなお願いをした。
とにかく1年間やってみて、それであかんかったら、進学はあきらめて働く。
そう言い切った。
 
7月あたりの模試だっただろうか。
その結果を見て、我が目を疑った。
一番できなかった英語が一気に偏差値70台を超えたからだ。
それ以降、その偏差値が下がることはなかった。
何より、英語は自分独自の勉強方法を地道にやっていた。
だから、その結果がでてきたということを実感することができ、そのことがさらに喜びを与えてくれた。
もちろん、予備校の指導があったことも言うまでもない。
 
このときの英語の勉強法。
いたってシンプルで、とにかく長文読解と単語と熟語を覚えることを徹底的にやった。
まずは長文を読む。
そこでわからなかった単語をそのつど全て専用のノートに書き写す。
全て、だ。
試験に優先的に出るでない関係なく、とにかくわからない単語を全て書き出す、と決めてやった。
ことばなのだから、わからないことばとにかく知っておく必要があるだろう、というスタンスだ。
 
そして、意味や発音はもちろんのこと、その単語からの派生後や、まつわる熟語までを辞書で調べ上げて、自分独自の単語&熟語帳を作っていった。
それを徹底的に覚えこんでいく。
 
勉強のツールは、予備校の教科書、長文専用の参考書、辞書、そして自分の単語&熟語帳だけ。
その代わり、自作の単語&熟語帳はB5ノートで数冊にも及んだ。
ボロボロになるまで何度も繰り返し、読み、書きして覚えた。
 
そうして、やったことがちゃんと結果として出てきた。
しかも、自分なりの地道なやり方で。
そこから、自分の中で何かが芽生えていくののがわかった。
 
自分に対する自信。
眺める景色も変わっていった。
 
あれだけ嫌だった勉強というものが、とんでもなく楽しいものになっていった。
それこそ、もう図に乗るようにして、何時間でも図書館で勉強していたことを覚えている。
 
わからないところがでてくると、「まだそんなところがあったのだ」と思える。
「こんなことがまだわからなかったのか」という落胆ではない。
わからないところが新しい発見のように思えて、新しい鉱脈を見つけたように、それをどんどん発掘し潰していくことが面白くて楽しくて仕方がなかった。
そう、ゲームと言ってもいい。
 
 
 
この感覚。
わからないことがわかっていく感覚。
知らなかったことを知っていく感覚。
体を動かして得たその感覚が、体の中に染み込んでいく感覚。
自分が前に進んでいるだ、という実感、それを感じる楽しさ。
どうせセカンドキャリアを進むのであれば、この感覚を常に抱き続けられることをしたい。
それが今の望みであり、探しているもの。
 
単なる理想かもしれない。
「50を超えたおっさんが何を夢みたいなこと言ってんねん」
そんな声も聞こえてくるかもしれない。
 
自分でも、思うときがある。
 
そんな考えは甘いのではないか?
こんな状況でそんなことも言っていられないだろう? と。
 
でも。
でも、やで。
 
このことが「せっかくの機会」と思っている自分も間違いなくいる。
だから、できる限りチャレンジしたい、見つけ出したい。
その思いにも抗えない。
その思いを自分のなかに封じ込めることができない。
 
 
 
24歳の長女と二人きりで話す機会があったとき、聞いたことがあった。
 
「オレが仕事辞める、って言ったときどう思った?」
「おめでとう、って思った」
間髪入れず笑ってそう答えてくれた。
 
「え? そうなん??」
「だって、男の人が仕事辞めるってとても大変なことやん? それを辞められることができる、なんて『おめでとう』とちゃう? はたから見てても、がんばってるなぁ、て思てるで」
 
21歳の次女は、私が会社を辞めると言ったときには、こんなことを言って笑った。
「これで一家全員フリーターみたいなもんやなぁ」
 
家内にいたっては、
「よかったなぁ、こんな機会に恵まれて」
 
楽観主義というか、マイペースというか……。
だけど、そんなことを言ってくれる我が家庭はありがたい。
本当にありがたい。
 
そんな家族だが、実はそれぞれが同じように、自分のことを、いま、まさに探っている。
どうせ生きていくなら、自分に素直になれるもの、面白いと思い続けられるもの、それに携わっていこうという望みをもって、それぞれが探している。
同じような悩みを持っているからこそ、お互いにいろんなことを話し合って、共感し、励まし合っている。
そこに悲壮感なんてものは全くない。
むしろ、あるのは一体感。
 
さて、そんな我が家自体も、一体どうなっていくことやら。
不安に感じるときもあるが、どう変わっていくのか楽しみでもある。
 
このコロナ禍で、世間の先行きは見えない。
いつまでこれが続くことやら、世界の誰もがわからない。
だったら、いままでのようにあれこれ考えて何かしらの計画立てるより、いまの自分の気持ちに素直になって生きていくことだってアリだ。
 
許されるかぎり、納得いくまで、自分の「面白いって、何?」を探究していくこと。
予備校のときのように、いま、ただそれだけに集中していこうと決めている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

京都府在住。
「書くこと」を一番の苦手としていたが、「あなたの人生を変えるかもしれない」というライティング・ゼミのコピーに目を惹かれ、今年7月開講のライティング・ゼミに参加。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、セカンドキャリアを目下探究中。

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2020-12-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol,108

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