週刊READING LIFE vol,110

小さなスーパーウーマンは、ゴロゴロしてる暇などございません!!《週刊 READING LIFE vol.110「転職」》


2021/01/11/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
大人になると、あぁ、私って世間知らずだったのだなぁ、と気づく場面に遭遇する。
「あなた、こんなことも知らないの!?」
と、いう風に他人に責められたことは幸いない。
だが、学校を卒業し、社会という大海原に放り出された時に知る機会が多い。
例えば、接客業にはじめて就いた時。不特定多数の他人と出会い、業務する。数時間の内に、ベルトコンベアーで商品が流れてくるように、お客がどんどん目の前に現れる。それは、店員の意思では止められない、一方的な流れだ。
顔なじみのお客さんなら、あいさつや雑談を楽しく交わす、癒やしの時間も極稀にある。
それは、一日の内の数%に過ぎない。
大抵は、一期一会の一瞬の流れだ。その激流の中で、困ったことに、特異な人物も混ざっている。まだ未会計の物を投げてよこす人、視線が一度も合わず問いかけても無視する人、すでに激怒してる人。
 
レジにたどり着く、そこまでの道のりの間に、一体何があったんだ。
 
突然の攻撃に、思わず目を丸くして固まってしまうことも多々あった。しかし、事実、そのお客の身に何か嫌なことがあったとしても、店員には関係のないことだ。それは、あなたの人生であって、私の人生ではなのだから。
お客様は、神様です。
なんて、そんなわけない。ただの同じ人間だ。どんなにすごいことを成し遂げた偉人でも、某会社のCEOでも同じ。死ねば、灰になる、タンパク質などの有機物で構成された、ただの塊だ。自分が年功であったとしても、高給取りだったとしても、赤の他人にえばり散らし卑下しても良いという、そんな権限はどこにもないのだ。スティーブ・ジョブズさんだって、アップル社のエントランスから一歩出れば、とても有名なだけのただの人間だ。もっとも、スティーブ・ジョブズさんは、社員に対しても家族に対しても、深い愛と手を差し伸べる人格者だったそうだから、突然スーパーのレジで青筋を立てて怒鳴り散らすことなど、なかったであろうけれど。
学生時代を含めてうん十年、アルバイトや転職を行い、さまざまな職業を実体験した私は、そう思うのだ。
泣きたくなるようなことも、頭が真っ白になるようなショックなこともあった。だが、その中で、この先、生きていく上で背中を押してもらえるような尊い経験も、本当に酸いも甘いも、さまざまな職業人の視点、そこで出会った人々の言葉で知ることができた。
その分視野も、心も広くなったように思う。
職業体験以外にも、大きな気付きを与えてくれた体験がある。
それは、著名な偉人でも、世界的有名な俳優などではない。
 
彼女たちは、小さなスーパーマン。いや、スーパーウーマン、と呼ぶべきかもしれない。
世界中どこでも、どんな小さな村にでも居る、ごくありふれた、しかし、かけがえのない人物たちだ。
 
専業主婦、と聞いて、世間一般の人は何を想像するだろう。
平成前半ほどまでのテレビドラマやアニメの中では、暇そうな人々のように描かれていた。
朝起きて食事の準備をして、子どもと旦那に食べさせる。玄関でお見送りして、食事の後片付けとその他の家事。それから自分用の簡単な昼ごはんを作って食べる。午後は、ゴロリと寝転がってお煎餅をかじりながら、芸能人のスキャンダルやメロドラマを見て一人で大騒ぎ。夕方、スーパーへ買い出しに出かけ、帰ってきたら晩ごはんと風呂の支度。家族が帰ってきたら、食事を食べさせ、片付けて。風呂上がりは、またゴロリと寝転びながらドラマを見る。そして、旦那や子どもに「お母さんってば、トドみたい!」と笑いものにされる。
ハイソな主婦の場合だと、同じ境遇の専業主婦たちと集まり、銀座の高級ランチを優雅に食べる。
家事をこなしてしまえば、自由時間を満喫できる、とても自由でマイペースな女たち。
これが、昔の世間の専業主婦のイメージだった。
大人向けでも子ども向けでも、メディアがそう発信するものだから、私もすっかり洗脳されてしまっていた。
 
お母さんたちって、自分の好きなことして楽しそうだな、うらやましい。
 
そう、思っていたのだ。
主婦は、旦那に働かせて、そのお金で遊び、悠々自適な暇な人々。
それが、フィクションであることを、友人たちが教えてくれた。
 
20代を越えるころから、多くの女性たちは、人生の分岐点に立たされる。
仕事に人生をかけてバリバリ働くキャリアウーマンか。
退職、結婚、妊娠、出産して、家族を守るか。
私の時代は、大まかに二つに分かれていた。
私は前者、友人は後者を選んだ。私の周囲には、後者が圧倒的に多かった。
中には、念願の正社員になり役職も持っていた女性もいた。性格も口調も、キッパリとしていて、専業主婦に収まるのは、もったいないと私は感じた。
友人Aの子どもが、保育園に預けられる歳になった時、つい私はそれを口に出してしまった。
「専業じゃなくて、働きに出てもいいんじゃない?」
それを聞いて、Aは、視線を遠くに向けたまま、首を横に振る。
「いや、そんなキャパないよ。もう、いっぱいいっぱいだから」
私は、首を傾げた。家にいて、主婦業だけなのに、なぜそんなに追い込まれているのだろう。なぜ、そんな、儚げな目と、こけた頬をして、力なく笑うのだろう。未婚の私は、理由がわからなかった。
別の日、級友たちと集まり小さな女子会をすることになった。場所はどうするか、となった時、Aが自宅を提供したいと申し出てくれた。前回の彼女の焦燥しきった顔に不安を覚えつつも、他の友人とお邪魔させてもらった。
Aの部屋は、女性の部屋、というより、おもちゃ箱のようだった。
ちびっこが大好きな、音がなるおもちゃ、ぬいぐるみ、絵本、子ども用の布団、さまざまな物が広げられている。原色とパステルカラーで、目にもにぎやかだ。
みんなで持ち寄ったお菓子、Aが出してくれたホットコーヒーをいただきながら、女子会が開幕する。Aの膝の上には、息子君がちょこんと座っている。まだ少し、見知らぬ私達を警戒しているようだった。しばらくすると、息子君が打ち解けてきた。立ち上がり、よちよちと、Aを拠点に私達の周囲を物珍しそうに歩く。
私は、今までの人生で、赤ちゃんや幼児と触れ合った経験が少ない。彼女たちと話をしながら、息子くんを横目で興味深く観察していた。
みんなが話に夢中になっている時だった。プラスチックの知育玩具を目指して、息子くんが歩き始めた。その時、段差も何もないのに、息子君の脚がカクリと曲がった。私の目の前で、スローモーションで前のめりに転けそうになる。
このままの軌道ならば、硬いおもちゃに頭をぶつけてしまう。
「ほうっ!?」
人間とっさの時、声が出ないものだ。私は、慌てて息子くんに手を伸ばす。だが、友人たちに顔を向けていたはずのAが、サッと息子くんの腰に手を回し、抱き上げた。
そして、何事もなかったように、息子くんを抱えたまま、話を続けている。私は、まだ、ドキドキしていた。
女子会の間、息子君はわんぱくに動き続けた。ある時は転けそうに、またある時はホットコーヒーに手を突っ込みそうに、またある時はおもちゃをぶん投げそうに。それらすべてを、Aが遮る。まるで、エスパーか、千里眼でもあるように、予見したかのような行動で自分の幼子を制止または、危険から守り続けた。
「……す、すごいな」
思わず、私は感嘆の声を出す。
子どもから片時も目と手を話さないA。そして、ずっと活発に動き回り小さな騒動を起こす息子くん。両者に。
「子どもって、こんなじっとしてないもんなんだね?」
「え? うん、そうだよ」
Aが事も無げにうなづく。
「太陽電池搭載してんのか、ってくらいずっと元気で、もう夜寝かすのが大変!」
子育て中の他の面々がうなずく。
「そうそう。もう、片時も目を離せないよ。子どもが生まれてからゆっくり風呂に入ったことなんてないし。化粧するとか、そんな時間もメンタルもないね」
「服はおしゃれ、より、機動力重視だから。パッと脱げてパッと着れるやつね。あと、破れても汚れてもいいやつ」
「そ、そうなんだ」
後ほど、ネットで調べた所によると、小さな子どもを抱えるお母さんたちは、膀胱炎になりやすいそうだ。出産という大仕事の影響だけではない。トイレに行く時間も確保できないのだ。
産後うつ、などは聞く機会が多かったが。まさか、寝る時間だけでなく、トイレすらままならないなんて。
「子どもの世話だけじゃなくて、旦那の世話もあるからね」
「そうそう、朝、晩の食事、片付け、その他諸々の家事ね」
みんなが一斉に渋い顔をする。メディアでは、イクメン(育児を積極的に行う男性の呼称)が増えている、などと言っていたけれど。どうも現実は厳しいようだ。旦那さんが育児や家事に意欲がない、単身赴任で別居中など、さまざまな理由で男手が足りないらしい。また、県外に嫁いだ場合、両親、義理の両親の力も借りれないケースもある。
 
子どもを一時保育や、学校に預けたとしても安息はない。
突然の発熱、怪我など、さまざまなイレギュラーが発生する。育児休暇から復帰した先輩たちが、スマートフォンを耳に挟んで、保育所や自分の旦那に切羽詰まった様子で話している様子を会社でも幾度となく目にした。
 
彼女たちは、その一つの身体で、何役もこなしていた。
お母さん役、妻役、仕事の役職……。一番後回しにされているのは、個として、一人の女性としての存在だろう。
育児「休暇」なんておかしい。気が休まる時間なんてないではないか。
主婦が家でゴロゴロしてるなんて、ファンタジーだ。
戦場だ。
彼女たちが居るのは、イレギュラーな攻撃が飛び交う激戦区だ。
 
彼女たちが自由になれるのは、いつなのだろう。
子どもが手を離れた時だろうか。
いや、まだ旦那がいる。旦那の世話が残っている。
昭和の男性の多くは、家事を一切しないのがスタンダードだ。現に、私の父は、コップ一個すら洗わない。
「ねぇ、コップがないんだけど?」
お菓子をボリボリ食べながら、そう、母に言ってる姿を幾度となく見てきた。
 
主婦にジョブチェンジしたら、こんな奴隷のような生活が待っているのか。
 
そこに思い至って、はっきり言って、絶望にも近い気持ちになった。
WEBニュースが言っていた。主婦の時給諸々を元に計算すると、約400万もの年収に値すると。
悲しいことに、日本の現代社会で年収400万円もの収入を稼げる女性はごくわずかだ。それがリアルだ。
 
いいじゃないか、たまの息抜きに、家でゴロゴロして。ちょっと高いランチ食べたって。
主婦は充分働いているではないか。
24時間の地獄のフルタイム。365日、目配り心配りして。
家族を支えるスーパーウーマンじゃないか。
 
別日、大学時代の旧友たちと子連れ女子会を商業施設で開催した。その日集まったメンバーの8割が既婚者、子持ちだった。
「子ども遊ばせてるから、買い物してきていいよ!」
彼女たちが、未婚の私達に気を使ってそう言ってくれた。
君たちこそ、こんな時くらい、自由に羽を伸ばせたらいいのに。
 
遠巻きに彼女たちを見つめる。私にできることはないのだろうか。
途方に暮れていると、同じく独身のBが私の隣に並ぶ。
「お母さんって偉大だよね」
「そうだね、私、ああ成れる自信も、手助けしてあげることもできないよ」
肩を落とす私をみてBが首を横に振る。
「そんなことないと思うよ? ただ愚痴とか世間話とか、聞くだけでもいいんだよ」
私は、目を丸くした。
「そんなことでいいの?」
「お母さんとしての顔をさ、一瞬でも休ませてあげられるだけでもいいんだってさ。悲しいけど、私達は、主婦のみんなの本当の苦労はわかってあげることはできないかもしれない。でも、心だけでもより添えたら。みんなの個を大切にできたらいいんじゃないかな?」
「そっか、私達までお母さん扱いしなくてもいいんだね」
みんなを見つめる穏やかなBの横顔を見つめる。彼女の言葉で、少し肩の力が抜けた気がした。
 
「今日は遊んでくれてありがとう! 学生時代の話とか、家の愚痴言ってすっきりしちゃった!」
「良かった、また女子会しようね!」
「もちろん!」
笑顔で手を触り合う。みんなそれぞれの家へ帰っていく。一人の女性の顔から、主婦の顔に変わっていく。
それぞれの事情を持ち、それぞれの戦場に向かって、歩いて行った。
 
それから、彼女たちに会った時は、微力ながら手伝いをしている。子どもと遊んだり、母親である彼女がトイレに行く間に目配りしたり。
不安に思ったらまず、経験者に確認をして、出過ぎない程度に手を差し伸べている。
彼女の立場を代わってあげることはできない。だから、目線だけでも。なるべく同じ物を見て、心配りをできるように。
 
私の子ども時代は、女性は結婚をして主婦になり、子育てを主体的にするのが当たり前だった。
しかし、時代は代わった。出産後、職場復帰をする女性が増え、共働きがスタンダードになった。
家事も育児も同じ。
育休の取得や、育児に積極的に関わる男性も、増えつつあるそうだ。
そもそも、お母さんだけの役割・問題ではない。夫婦二人、二人三脚で取り組むものだろう。
一人で抱え込まなくてもいい。
複数の役割と責任の重圧に押しつぶされる必要はないのだ。
家族は一つのチームだ。業務を分担し、効率化しなければ、あっという間に潰れてしまう。
家族や、友人、行政など、さまざまな力も借りて、個人負担が減ることを願う。
365日、24時間のスーパーウーマンタイムから、離れ。
羽をうんと伸ばして、彼女たちの個としての、すっぴんタイムを取り戻せますように。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。学生時代のアルバイトを含め、和菓子屋、巫女、CADオペレーターなどさまざまな職業を経てフォトライターに至る。カメラ、占い、ドイツ語、茶道、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を持つ、自称「よろず屋フォトライター」。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-01-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol,110

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