週刊READING LIFE vol,115

小石川家、女たちの物語《週刊READING LIFE vol.115「溜飲が下がる」》

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2021/02/15/公開
記事:小石川らん(Reading life編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私が幼い頃からずっと、母と祖母の折り合いは決して良いものではなかった。我が家は父方の祖父母と同居する3世代が暮らす家庭だった。
 
母は祖父母の一挙手一投足、言動の一つひとつに常にピリピリしていたし、何かあれば不機嫌になった。母が笑顔で受け答えするのは上機嫌なときに限られており、母と祖父母が一緒にいる空間は大体が少し居心地が悪かった。「一緒に暮らす家族なんだから、もう少し仲良くできないものかね」と思っていたが「他人なんだから無理よ」とばかりに、母はその態度を軟化させることはなかった。
 
祖父が亡くなり、祖母がついに寝たきりになってしまい、排泄も食事も家族の手を借りることになった。母は看護師なので、そのあたりについてはエキスパートである。技術的な面については心配はいらないが、問題は精神的な面である。昔から折り合いが良くなかった祖母に対して母はどんな介助をするのだろうか。
 
帰省したときのこと、デイサービスから帰ってきた祖母が車椅子からベッドに移動するのを母と一緒に手伝うことがあった。
 
祖母は膝を3回骨折しており、自力で立つことはできない。足は使えないものと思って良い。ベッドの然るべき位置に収まるには、祖母の腕力が必要だ。祖母が介護ベッドの手すりにつかまり、よっこいしょと体を動かす必要がある。
 
「それじゃ全然動けないでしょ」
 
祖母の手すりの持ち方を見て、母が冷たく声をかける。
 
「動く気あるの?」
 
声を荒げる訳ではないが、心底あきれた声色に、娘の私でも胃がキュッとする。
 
「おばあちゃん、こうやって持ったほうが良いかも。そうそう。それで『よっこらしょ』ってできる? そうそう。できたね」
 
氷水の中に熱湯を混ぜて湯加減を調節するように、母が醸した空気を緩和させようと、なるべく優しい声色で祖母に声をかけた。
 
祖母がベッドの然るべき位置に落ち着いて、私と母は祖母の部屋を離れた。何か言いたげな私の気配を察して、母はため息と一緒に言った。
 
「優しくなんてできないのよ。私だって『されてきたこと』があるんだから」
 
母の名誉のためにフォローするが、それはおそらく事実なのだと思う。母は県外の都心の街に生まれ、短大を卒業して看護師として3年ほど働いて、父と知り合い結婚した。私が生まれると、孫と一緒に住みたいがために祖父が両親夫婦を田舎に呼び寄せた。「仕事なんていくらでもある」と祖父は言っていたのに、専門職である父の望むような就職先が見つからず、なかなか苦労をした時期があったらしい。
 
婚姻は山に囲まれた谷の中で繰り返されるような閉鎖的な土地である。都会からやってきた母は長い間、よそ者として扱われた。祖母もそういう見方や扱いを、母に対してもきっとしたのだろう。祖母も悪い人ではないけれど、根っからこの土地の人なのだから仕方がない。
 
若くて、友人もおらず、生活習慣も言葉も異なる田舎に越してきて、母はどれほど心細かったのだろう。父はその辺りをうまくフォローできる人ではなかったと思うので、母の心労を想像するに余りある。
 
母の言葉に「でも」と反論なんて、とてもできなかった。

 

 

 

母が許すことができない「されてきたこと」が何だったかを私はつい最近知った。
 
母の実家で母方の祖母と母と私の直系の女3人で話していたときのことだ。その年、父方の叔母の夫が亡くなり、話題は亡くなった義理の叔父と叔母のことだった。
 
「叔父さんと叔母さんには子どもがいなかったでしょ。だから叔父さんは叔母さんを本当に大切にしたのよ」
 
叔父と叔母の仲が良かったのは、遠方に住んでいる私たち家族にも見て取れていた。叔母夫婦に子どもがいないのは、叔父が学生時代にサッカーをしている最中に睾丸を傷つけたからだと親戚の間では言われていた。子どもがいない理由を、親戚や家族といえども、他人がどうのこうの言うのはあまり上品なことではないが、40年余昔の田舎だったから仕方がない。
 
しかし子どもを産めない女性を呼ぶ「石女」なんてひどい言葉がある中で、叔母がそういう扱いをされなかったことが救いだった。叔父のサッカー部時代の話は少し誇張されて、親戚の間では「そういうこと」としてみんなで納得させているのだと思っていた。ところがそうではないらしい。
 
「叔母さん、検査も受けたんだって。でも異常はなかったみたいでね。やっぱり叔父さん側の原因だったのよ。叔母さんの結婚式の披露宴で、新郎新婦がお色直しで中座しているときに叔父さんの友達が『あいつは種無しだから』って言ってるのが聞こえたって。おばあちゃんが聞いたんだって」
 
その時の心境を、祖母は「冷水を浴びせられたようだった」と母に語ったことがあったらしい。祖母は口数が少なく、あまり心の内を話さない人である。そんな祖母が「冷水を浴びせられたようだった」という言葉を選んだことが、祖母がどれだけショックだったかを窺い知ることができる。金屏風の飾られたおめでたい席で、それは叔父の大学時代の友人たちの悪意のこもった冗談だったのだろう。叔父は医者で、怪我をしたときは医学部の学生だった。叔父の怪我の状態から叔父にどんな後遺症が残るのか、容易に想像がつく友人たちだったのだ。
 
遠縁の親戚にあたる叔母へ縁談が持ち込まれたのにも納得がいく。縁談を提案したのは、叔父の祖父の後妻だった。彼女は叔母の大叔母でもあり、おそらく叔父の後遺症のことも知っていたのだろう。今では人権侵害で考えられない発想だが、不具かもしれない身内をあてがうには、相手もまた身内なら文句も出るまいという考えがあったのではないかと母は推測していた。
 
そんな思惑から成立した結婚だったが、叔父はとても叔母のことを大切にしていたし、叔母もまた叔父のことを愛していたと思う。結婚の決定打となったのは叔母の大叔母からの発案だったが、叔父は以前から親戚の集まりがあると叔母に気のある素振りを見せていたらしいし、決して本人たちの好意なしに決められた結婚ではなかったと補足したい。
 
だからこそ、子どもができないことをきっと本人たちも悲しんだはずだ。祖母だってきっとそうだったに違いない。
 
叔母、叔父、祖母の心境に思いを馳せてしんみりしていると、母が驚くようなことを言い出した。
 
「だからね、おばあちゃんが、私に3人目ができたら叔母さんの家に養子にやるなんて言い出したのよ」
 
犬や猫じゃないんだから……と驚いたが、もう30年ほど昔の田舎のことである。しかも祖母も昭和一桁生まれで、子どもはいればいるほど労働力になった田舎で育った身だ。子どもができないなら、いるところから補充すればいいという考え方になる理由もわからないでもない。驚きつつも口には出さず「そういう時代だったから」と自分を納得させようとしていると、母が言葉を繋いだ。
 
「そんなの信じられる? 叔母さんが帰省したとき、私の産んだ子を自分の子として連れてくるのよ。どんな顔して会えばいいのよ」
 
母は子どもが大好きで「3人産むつもりだった」と漏らしていた憶えもあったのに、どうして産まなかったのだろうと、昔からほんのりと疑問だった。
 
「それが嫌で3人目なんて作らなかった。そんなこと言われたから、おばあちゃんには優しくできないの」
 
母方の祖母はその話を知っていたようで、口元には笑みを浮かべつつも悲しそうに目を伏せていた。
 
母の祖母に対する態度の全ての溜飲を下がった気がした。もちろん私の知らない揉め事は他にもあっただろう。しかし、自分の子どもを他の家にやりたいなんて提案される以上のトラウマがあるだろうか。母はとても愛情が強く、プライドもある人である。どれだけ傷つき、腹が立ったのだろうか。
 
母、祖母。生まれてから長い間一緒に暮らしてきても、私の知らない彼女たちのストーリーはたくさんある。そんな話を聞かれて、私はどうすればいいのか。祖母の発案を軽蔑すればいいのだろうか。それは違う気がする。今の常識に照らし合わせればびっくりするようなことだが、当時の倫理観からすると、特別におかしなことではなかったのかもだったしれない。身動きが取れない祖母に対して、昔のことを許せない母を責めればいいのだろうか。それもまた違う。母が「許せない」と思ってしまったことに対して、私がたしなめる権利などない。誰も悪くない気がする。
 
家族が円満仲良しでないことがずっと嫌だった。祖父母も父も母も、みんな悪い人ではない。ただ全員が集まるとピリピリとして苦しかった。私のせいなのかもしれないと、いらない責任を感じていたこともあった。だから家族の前ではなるべくおどけようとしていた。しかし無理をしているから、たまにそれが爆発した。自分の感情を抑えられられず、それによって家族の空気が悪くなることが苦しかった。もしかしたら「らんはお母さんに似たんでしょ」と祖父母が呆れるのではないか、母まで貶めることにことになるのではないかと思うと、自分が許せなかった。母が祖母に冷たく当たるときも、2人をどう取り持てばいいのか分からなかった。子供だから、大人ではないから、「中立」なんていう態度は取れなかった。
 
高校卒業と同時に家を出た後もずっと、もしかしたら私の振る舞い次第で家族がもっと仲良く暮らせたのではないかと後悔した。今もしている。家族の夢をよく見る。
 
今になって思うのは、全てが仕方がなかったということだ。誰かが強烈な悪意を持っていたわけではない。
 
母は都会育ちで、自分をしっかり持った人だった。
祖父母は閉鎖的な田舎育ちで、古い人たちだった。
父は母を上手に守ってあげられる人ではなかった。
弟は母のことが大好きだったから、いつでも100%母の味方だった。
私は家の中のピリピリを感じすぎた。そして自分だって器用な人間ではないのに、なんとかしなければと思ってしまった。
 
「家族が仲良くないのは私のせいだ」と思っていた自分に溜飲を下げるとするなら、残念だけど、家族の相性が良くなかったと思うことだ。ただし、それぞれに、私には愛情を注いでくれていたのは確かだ。
 
祖母に優しくできない母のことは、今後はハラハラしつつも静かに見守ろうと思う。その代わりに帰省したときだけになってしまうが、祖母には優しく接しよう。ずっとベッドの上で過ごしている祖母の手を握ってあげよう。母のことも責めたりはしない。暮らしにくい嫁ぎ先で、私と弟を一生懸命育ててくれたのだ。ずっと嫌だった愚痴っぽい母の文句にもていねいに耳を傾けよう。
 
それだけを想って、家族と過ごせたらと願っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小石川らん(Reading life編集部ライターズ倶楽部)

華麗なるジョブホッパー。好きな食べ物はプリンと「博多通りもん」。

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2021-02-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,115

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