男にはどうしても戦わなければならない時がある《週刊READING LIFE vol.115「溜飲を下げる」》
2021/02/15/公開
記事:椎名真嗣READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
「お前、また俺のお客さんから受注したっていうじゃねえか。相変わらず汚いやつだな」
と先輩の奥山はいつものようにネチネチと俺につっかかってきた。そのネチネチした言い方、虫唾が走るんだよ。誰だよ、奥山にチクったのは?
「はい! 奥山さんが長年フォローしていただいたおかげで受注できました! ありがとうございます!」
と、俺。
「お前、本当にそう思ってんの? 『奥山、嫌味ばっか、いいやがって。うぜえなあ』って顔のかいてあるぜ」
その通りだよ。俺はお前のような性根が腐った奴が大嫌いなのだ。
「そんな事ないです。本心から奥山さんのお陰だと思っています」
「本当かな。まあいいや。お前、俺のお陰だと思っているのなら、今晩奢れよ」
うわー。また俺にたかる気か。本当に意地きたねえ奴だな、と思いながらも
「はい! 勿論です!」
と答えてしまう。
すかさず奥山は
「よし! 山田、上杉、今日は椎名の奢りだ。ギラギラガールズに行こうぜ!」
また、奥山得意のキャバクラか。4人で1セット50,000円はもっていかれるな。これじゃあ、折角コミッションをもらってもあっという間に奥山に吸い取られるだけ。奥山が会社を辞めるか、死んでくれない限り、この状況は続くのだろうな。
俺がこの会社、経理パッケージソフトの開発、販売しているICC株式会社に入ったのはちょうど1年前のことだ。入社動機は単純。給与水準がべらぼうに高いのだ。固定給は20万ほどだったが、営業実績に応じて支払われるコミッションを加えると、トップセールスともなると、年収は1,000万を超える。そこにすっかり目が眩んだのだった。俺はICCに入社する前、英語教材の訪問販売の営業だった。その会社で俺は営業トップを何度か取っていた。しかしある日、運悪くやくざの妾に英語教材を販売してしまった。激高したやくざに会社に乗り込まれて、えらい目に会ったのだった。この一件がきっかけとなり個人の訪問販売には嫌気がさしていた。その点ICCは個人相手ではなく、企業相手。やくざに乗り込まれるようなトラブルはないはず。しかも給与も高い。俺にとっては一石二鳥だった。
ICCの新入社員は俺を含めると10名。みんな中途で多額の営業コミッションに目が眩んで入った奴ばかりだ。新入社員10名に対して、営業部長が3日間経理の基本と自社製品の利点を叩きこむ。そのたった3日間で社員教育は終了だ。あとは担当区域ごとに分けられた電話帳を渡されて、1日中アポ取り電話をかける。俺たち新入社員は朝9:00~18:00までひたすら電話をした。しかしアポが取れるのはせいぜい1件か2件。運よくアポが取れたら、アポの取れた会社の周辺のビルに飛び込み営業をかける。電話と飛び込み営業が俺ら新入社員の仕事だ。電話アポの日は何件アポをとったか、飛込営業の日には何枚名刺を入手できたかで評価される。その当時、電話アポは1日10件。飛び込み営業は名刺20枚が最低ノルマ。はっきり言って無茶苦茶な目標だ。そんなめちゃくちゃな目標に耐えられなかったのか、入社半年後に残った新入社員は俺一人となった。
入社して半年間、俺は奥山とは全く話した事はなかった。トップセールスの奥山は入社半年の新人の俺にとっては天上人の存在だ。元々キャバクラの黒服だった奥山はICCに入社以来、5年間ずっとトップセールスの座をキープしている。鬼の営業部長も奥山だけは「さん」付けだ。しかし、そんな奥山はある事件を起こした。
その事件とは、こともあろうか業務時間内に歌舞伎町の風俗店からでてきた所を社長に見つかった、というもの。さすがの社長もトップセールスとはいえ奥山のこの蛮行を見過ごすわけにはいかなかった。社長は奥山から100社近くあった顧客を全てはぎ取った。そして他の営業への見せしめに、奥山の100社の顧客を入社半年の俺に担当させたのだ。社長は奥山に顧客100社を俺にすぐ引き継ぐように命じた。
社長の命令ではあったが、奥山は引き継ぐ顧客に関して俺に何の情報も与えなかった。俺に引き継ぐ予定の顧客から奥山宛に電話がかかってくると、
「私は御社の担当を外れてしまい、今度、期待の新人の椎名が担当させていただきます。椎名にはしっかり御社の事を引き継いでおりますのでご安心ください。今椎名に電話をかわりますね」
といって俺に電話を渡した。
俺は電話に出るが、引き継ぎを受けていないので受け答えに要領をえない。挙句の果てに電話口の顧客から
「君じゃ役にたたない。奥山さんにかわった」
と言われる始末。
俺はしようがなく、嫌がる奥山に電話を渡すと奥山は聞こえよがしに
「吉田様、すみません。しっかり椎名には引き継いておったのですが。私の指導不足申し訳ございません」
と謝った。
そしてその顧客との電話が終わると、他の営業にも聞こえるような大声で
「椎名さん、困るんだよね。あの程度の事も対応できないのは。しっかりしてもらえないかな」
と、叫んだ。
俺は内心では、畜生、今に見返してやると思いながら
「申し訳ございません」
と、謝った。
こんな理不尽な嫌がらせを受け続けたら、今までの俺ならさっさと会社を辞める所だ。しかし俺はグッと我慢した。何故なら最愛の長男がもうすぐ小学生になるからだ。小学生になれば、幼稚園児と違ってなにかと物入りになる。しかも共働きでこれまで家計を支えてくれていた女房は2人目を身ごもったばかり。これからは俺が大黒柱として家計を支えなければ。こんなクズの奥山の嫌がらせに屈してなるものか。
その後も奥山の嫌がらせは続いたが、休日に長男と一緒に遊ぶと嫌な事も全て忘れられた。公園で長男とサッカーやキャッチボール。家族3人で東京ディズニーランド、大阪ユニバーサルスタジオ。全てが楽しい。しかも来年にはもう一人家族も増える。俺は頑張るぞ!
奥山は俺には引き継いだ顧客の情報は一切よこさないまま引き継ぎ期間は終了した。それならしようがない。俺は
「大変申し訳ありませんが、御社の事を一から教えてください」
と恥を忍んで直接顧客から聞く事にしたのだった。
これが功を奏して、顧客からは素直な営業マンという印象をもってもらう事ができた。勿論顧客が言っていること全てを理解することは、まだまだ難しい新入社員の俺。必死に書籍や会社の仲の良い先輩に聞く事で自分自身の知識をつけていく努力もした。そうした努力が少しずつ実を結び、受注が取れるようになったのは入社して1年後であった。
初受注した3日後、女房は次男を出産した。そしてその日は長男の入学式でもあった。女房は当然長男の入学式をパス。俺と義母で入学式に出席した。入学式が終わり、初めて教室の机に座った長男は他の子と比べて、どことなく、不安そうな顔つきだった。
長男が小学校に入学して半年が経ったある日。長男と一緒に風呂にはいった。いつもなら快活に色々自分から話す長男が今日は無言だ。俺は気になって、
「小学校、どう?」
と、聞いてみた。
返答を躊躇する長男。
「どうした?」
と更に聞いてみる。
すると長男は意を決したように話を始めた。
「実はパパ、友達に毎日学校の池に落とされているんだ」
衝撃だった。
長男はいじめを受けていたのだ。しかも同級生3人からいじめられているとの事だった。多勢に無勢じゃないか。俺は担任の先生に相談する事も考えた。しかし、子供の世界の事。親が口出しするのはよくない。親が口出すことによって、親にチクったといわれたら最後。いよいよ長男は仲間外れにされる。さりとて、このまま6年間いじめを我慢させるわけにはいかない。そこで俺は学生時代にやっていた柔道の技を教える事にした。俺はこれでも初段だ。初段の技を伝授すれば何とかなるはず。ただ、相手は3人。技だけでは勝てないのが現実。そこで俺は長男に
「3人の中で一番強そうな奴の足をつかんで押し倒すんだ。そして首に腕を巻き付け相手が泣くまで、決して離すな」
と策を授けたのだった。
策を授けるだけではなく、俺は長男の練習台にもなった。練習を繰り返すうちに最初は力なく技をかけていた長男であったが、スムーズにそして力強く俺を倒し、首を抱えるようになった。
機が熟した。俺と長男はいじめっ子に対して戦う事を決めた。その日の朝、長男はいつになく清々しい顔で学校に向かった。
仕事の最中も長男がどうなったか気になったが、今更どうする事もできない。ただ長男の無事を祈るばかりだ。
夜帰宅すると長男がいた。
早速長男を誘って一緒に風呂に入って今日の様子を恐る恐る聞いてみる。
「パパ、やってやったよ。泣くまで僕は首を離さなかったよ。」
やったな。長男。それでこそ男だ。理不尽な事をやられて黙っているのは男のやる事じゃないんだ。そう思った時、自分はどうだろうと考えてしまった。
奥山に嫌がらせをされながら、ただ黙っている俺。これで本当に良いのだろうか? 長男には、いじめっ子と戦えと言いながら、自分は色々な理由をつけて奥山から逃げているだけなんじゃないか。そんな生き方を父親がしていてよいのだろうか? 奥山は俺に対してだけではなく、俺と同時期に入った新入社員にも相当の嫌がらせをしていると後から聞いていた。俺は長男がいじめっ子を退治した日から1週間後、ある行動を取ろうと決めた。
その日の朝、奥山は俺の机の前に来て
「おめえはいいよな。俺から顧客を奪って、何の苦労もなく、受注とってよ。本当お前が羨ましいよ。当然お前は俺に感謝してるよなあ」
と絡んできた。
いつもの俺なら
「はい、奥山さんのお陰だと思ってます!」
と、いう所だが、今日は違う。
社内に響くくらいの大声で
「奥山さん、俺はあなたから顧客を奪った事なんて一度もないですよ。あなたが顧客を失ったのはあなたが昼間から歌舞伎町のソープにいったのを社長に見つかったのが原因じゃないですか。身から出た錆です。しかも顧客の引き継ぎなんて俺に一切してくれなかったじゃないですか。お陰で俺は顧客とより親密にもなれたし、その結果受注もバンバン取る事ができましたがね。今ではあなたに嫌がらせされて本当に良かった、と思っています」
奥山の顔は俺のセリフを聞いて、みるみる赤くなっていった。奥山が俺に何かを言おうとしたその時
「奥山、ちょっと来い」
と黙ってやり取りを聞いていた社長が奥山を呼んだ。
次の日の朝奥山の机はすっかり整理され、奥山は会社を辞めていた。それから5年。
「椎名課長。課長から引き継いだ、山下商事の案件、お陰様で取れました!」
と、部下の吉岡。
「おめでとう! よくやった」
続けて吉岡は
「ところで、山下商事の伊藤部長がいっていた、今回新しく導入したいといっていた資金繰りシステムの事ですけど、資金繰りシステムってそもそもなんですか?」
と聞いてきた。
俺は
「お前、俺に聞く前に資金繰りの事は調べたのか?」
と尋ねる。
吉岡は首を横にふった。
俺は
「お前、人に聞く前にわからないことがあったらまずは自分で調べる。自分で調べた結果どうしてもわからない事は、上司とか詳しい人に聞くのだ。苦労して自分で調べる事で理解も深まるし、そもそもみんながみんな優しく教えてくれるわけじゃないからな。」
と言った。
その時俺は奥山の顔を思い出した。
□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。現在自身のライティングスキルを更に磨くためにREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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