週刊READING LIFE vol,115

私は貴方に呪いをかけた《週刊READING LIFE vol.115「溜飲が下がる」》

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記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
忘れもしない、大学四年の夏休み。
就活が終わり、卒論はまだ本腰を入れておらず、彼氏とは付き合い始めたばかりで浮かれていた私に、ある日こんなメールが届いた。
 
[はじめまして。私、山崎浩太くんの彼女です]
 
当時はまだスマホは登場しておらずガラケーだ。メール着の通知があるなとガラケーをパカリと開いたら、こんな出だしから始まる長文メールが届いていた。山崎浩太は間違いなく私の彼氏のフルネームだ。三度の飯より寝るのが好きな私でもさすがに目が覚める。
 
「…………」
 
当時の女子大生のメールは何かと長文になりがちだった。今のLINEのような手軽なコミュニケーションとは違い、長々と想いをしたためるのに、メールはちょうどいいような気がして、私もよく女友達と長文メールを交換していた。メールの文面の中で、この名前も知らない差出人は、私の彼氏のはずの男とは高校の頃からの付き合いなこと、もうずっと同棲していること、私の存在を彼から聞いていること、私が可哀そうだけど彼が好きすぎて身を引くことが出来ないこと、それから謝罪の言葉がまるで小説のようにずらずらと書き並べられていた。
 
「…………」
 
何度も文面を読み返すが、内容がしっかり頭に入ってこない。そうだ、まだ補講の授業があるから大学に行かなきゃいけないんだった、もう起きて準備しないと間に合わない。当時まだ実家暮らしだったので、母の焼いたトーストと卵焼き、りんごを食べ、身支度をして家を出る。ぎりぎりの時間に家を出たので、初夏の朝の駅までの道のりを小走りすれば、すぐに汗だくになる。周りに申し訳ないと思いつつ、なんとか電車に乗り込む。ガラケーを取り出し、いつもならミクシィの友人の投稿チェックやインターネットサーフィンに興じるのだが、今日はとてもそんな気分になれなかった。
 
何度も何度も、あのメールだけを見返してしまう。
身体はエアコンですっかり冷え切っているのに、手に滲む嫌な汗は止まりそうにない。
 
大学に着き、授業に出る前に山崎浩太を捕まえ、授業が終わったら会う約束を取り付けた。心のどこかで頭の可笑しいストーカー女の仕業じゃないかと期待していたが、彼の顔色がみるみる変わるのを目の当たりにし、これは真実なのだと悟ってしまった。彼氏だと思っていた男には高校の頃からのつきあいの彼女がいて、同棲していて、その彼女から私にメールが来ている。授業、昼食、また授業と空き時間。待ち合わせの時間になるまで信じられないほど時間が過ぎるのが遅い。何かの冗談であってほしいという気持ちと、覆しようのない真実なのだという実感が私の中でせめぎ合っている。友人が心配したが、自分から何か言葉を発してしまうと、ぎりぎりのところで保っているせめぎ合いの均衡が崩れて気が狂いそうで、何でもないよ、と引き攣った笑いを返すしかできなかった。
 
待ち合わせの時間、校門で山崎と顔を合わせ、すぐ近くのカフェチェーンに入った。校門からカフェまで、注文して商品が届くまで、異様なほどの重い空気と沈黙。その重さが、沈黙が、何も言わない山崎が、あのメールを肯定しているのだと裏付けているようで、じっとりとした手を握り締めるしかできなかった。結局私から話を切り出し、ガラケーのメールをそのまま山崎に読ませた。山崎は内容を否定せず、どちらが好きかという問いにも、どちらと別れるのかと言う問いにも、善人ぶった雰囲気で衝撃を受けた表情をするだけで、明確に応えることはなかった。
 
山崎の顔を見て、何となく、分かってしまった。
私は、選ばれることはないのだと。
 
「じゃあ、おしまいだね」
 
覆ることがないと分かっていることに、じたばた足掻いて醜態を晒したくない。
 
「短い間だけど楽しかった、ありがとう」
 
私は渾身の笑顔を浮かべると、自分の注文分の代金を置いて席を立った。呆気にとられている山崎を見下ろしながら背筋を伸ばす。目を合わせず、真っ直ぐ出口へと向かって、選ばれなかった女の去り際がみっともなくないように。強がりが持ったのは店を出て最寄り駅につくくらいまでで、帰りの電車でわんわんと泣いた。山崎と付き合ったのは一か月強。悲しいけれど、アルバイトや卒論をこなしているうちに忘れられるだろう。家に帰って親に何か追及されるのが嫌だったので、乗換駅で夕飯を済ませ、帰るなり自室の布団にくるまって泣き腫らした目を隠していると、またガラケーが鳴った。半ば無意識にパカリと開き、未読メールを確認して、私は息をのむ。
 
[須藤千絵です。浩太くんと別れてくれてありがとう]
 
我が目を疑うとはこのことか。
 
「…………」
 
メールはまたも長文だ。私は布団の中で光る小さなディスプレイを食い入るように見た。そこには須藤と山崎の出会いから今までのこと、特に異性関係でいかに山崎がだらしなく須藤を悩ませてきたかが赤裸々に描かれていた。須藤にとって浮気はもはや当たり前のことらしく、精神的にも物理的にも多大なる傷を負わされながらも、それでも自分は山崎が好きで、山崎しか考えられなくて、私には申し訳ない、別れてくれてありがとう、そんな心情が錯綜した文面で綴られていた。
 
焦燥して泣きまくって消耗しきっていた身体が、更に冷えて重くなっていくのを感じる。
 
「…………」
 
時間にして深夜1時。山崎が須藤の待つ部屋に帰宅して、事の顛末を報告して。須藤はその後このメールを作った。山崎に断ってから送ったのだろうか、それとも独断で? 選ばれたはずのアンタが、どうして私にこんなメールを送ってくるのだ、山崎を選ばなくて正解だったとでも言いたいのか? 私が何とも思わなかったとでも思っているのだろうか?
 
何なんだ、この女。
何なんだ、あの男。
 
「……許さない……」
 
布団の中で声に出した言葉は、私を重く縛り付けるようだった。どこまで人をコケにするんだ。潔く別れるのを自分で選びはしたが、山崎の行いを認めたわけではない。割り切れない、煮え切らない、納得がいかないことばかりだが、もう足掻かずにゆっくりと消化していこうと思っただけだ。だからこうして布団にくるまって不貞寝してるんじゃないか。山崎がそんな男だとは微塵も思わなかったし、だいたいそんだけ私に謝るんだったらお前が山崎を諦めろよ、謝って済むなら警察も法律もいらないんだぞ。
 
お前の感情のごみ箱になんてなってたまるか、須藤千絵。
 
私はフンと鼻息を鳴らすと、須藤千絵への返信メールを作り始めた。山崎の交際遍歴や須藤の心情には一切コメントせず、精神的によくない状態の彼女を気遣う内容だけの文面を作って送信した。数分後、おそらくメールを読んですぐさまの返信がガラケーに届く。大量の謝罪と感謝、新しく出てくる山崎の過去の話。どうやらメールを私に送っているのは山崎には話していないこと。私は般若のような顔をしながら、それでも須藤を気遣う文面を更に返信した。やりとりは翌日、翌々日になっても続き、須藤が私に精神的に頼り始めている雰囲気が文面から見て取れる。私はここ数日食欲もなくげっそりとしていたが、つとめて明るい雰囲気の絵文字を選びながら、ずっと用意しておいた一文を送信した。
 
[よかったら、一度お会いしませんか]
 
その方が須藤さんの気持ちも落ち着くでしょうから。もちろん山崎抜きで。
 
追加の一文の効果もあってか、須藤は二つ返事で了承した。日程を決め、場所を決め、店を決める。ちょうど私の乗換駅にある、さほど高くはないが雰囲気あるダイニングカフェを指定する。須藤からは楽しみにしている雰囲気のメールが届き、私もそんな雰囲気を醸す返信をやりとりした。メールのやりとりを始めて二週間ほどだろうか、盛夏のうだるような暑さが夜になってもむっと残っているような時期だった。
 
精一杯のオシャレなぞしていかない。敢えて中性的な雰囲気のブラウスとパンツを合わせるが、私はそれこそが自分の魅力を最大限に引き出すのだとよく知っている。
 
「…………佐藤さんですか?」
 
出で立ちをあらかじめメールで伝え、待ち合わせの30分も前から店の前で待ち構えていた私に、待ち合わせ10分ほど前になって声をかけてきた女がいた。攻撃的なまでの高さのヒールサンダルを履いた166cmの私が悠々と見下ろせるような、小柄な女だった。目ばかりが大きく黒目がちで、身長のわりに肉付きが良い、コロコロとした体形。くっきりしたアイラインとマスカラ、肌のあちこちがラメできらきらしている入念な化粧。大変可愛らしい、意匠をこらしたブラウンのワンピースを着ているが、似合っているというよりは、おどおどした表情とのミスマッチを強調しているようにしか見えない。
 
歯は見せずに、口の端だけを引き上げて、微笑んでみせる。
 
「須藤さんですか?」
「は、はい」
「私も今来たところですよ、入りましょうか」
 
須藤はおどおどと頷いた。
薄暗い店内に案内される女子大生二人。テーブル席に向かい合って座り、カクテルと前菜を注文すると、いつかの山崎と対峙した時と同じような沈黙が落ちた。私は視線が強くなりすぎないように気を付けつつ、おどおどしっぱなしの須藤を正面から見据える。
 
「……その後、どうですか、浩太くんとは」
 
話を切り出せないのは山崎そっくりだな。そんなことを考えながら、天気の話でもするように口を開くと、須藤はギョッとして息を呑んだ。
 
「はい、あの、おかげさまで……」
 
終始怯えるように話す須藤、意識的に余裕があるそぶりで聞く私。須藤の話はメールで聞いていた話と大差なかったが、話を聞くにつれて、私の余裕は虚勢から本物へとすり替わっていく。一所懸命、自分がどれだけ山崎に泣かされてきたか、それでもどれだけ山崎のことが好きなのか、そして私が女神のような対応をしたことに、どれだけ感謝してもしきれないかを語る須藤。
 
「私、けいさんには、恨まれても仕方ないって思ってました……」
「……そうですか」
 
いつの間にか、苗字呼びから名前呼びに変わっている。話を進めるにつれて、須藤の緊張もほぐれてきたのか、話す内容は同じなれど、柔らかな笑顔も見えてきた。私に刺されるとでも思っていたのだろうか。そうではないと分かった安心感、自分は山崎に本当に選ばれたという安心感から来る笑顔だろうか。ぽつぽつと投げかける私の問いに、須藤は実に素直に応えてくれた。出身高校、今通っている大学、所属しているゼミやサークル、内定した企業に卒論のテーマ……。
 
「本当に、本当に、けいさんには何と言ったらいいか……」
「…………まあ、いい機会だと思っています」
「いい機会?」
 
聞き返す須藤に、もう何度目か知れない作り笑いを返してみせる。
 
「短い間ですけど、浩太くんとは楽しい時間を過ごせたので……」
 
ダメだよ、そんなに簡単に人を信用しちゃ。
どう考えても、私があなたを、あなたと山崎の行く末を心配しているわけないでしょう。
どれだけ人をコケにすれば気が済むの、お人好しで心が弱い須藤さん。
 
「もうすぐ卒業ですし、気持ちを切り替えて仕事先で結婚相手を探そうかな、と」
「け、結婚?」
 
学歴も、内定先も、なんならルックスも性格も、スペック的には全部私の方が上じゃないか。あの場で選ぶ選ばれないは、単に山崎と長年連れ添った相手だからだというのは今日会ってみてよく分かった。まだ感情はそこまで追いついていないが、山崎のことはもはやどうでもよくなりつつある。それでも選ばれた須藤はどこか誇らしげな顔をしているような気がしてならなくて鼻につく。なんだその服、似合ってない。なんだその化粧、けばすぎてキモイ。大好きな山崎の浮気相手に負けないように、精一杯おしゃれしてきたの? それならまずその弱すぎなメンタルから治せよ。いや、メンタル弱いから、山崎程度の男にすがっていくしかないのか……。
 
許さない、絶対に。
お前も山崎も、絶対に許さない。
 
「知ってますか? お見合いじゃなく結婚するには、出会ってから三年はかかるそうですよ」
 
お前たち二人が幸せになるなんて、許さない。
 
「卒業して二十二歳として……最初は仕事で精一杯でしょうから、少ししてから彼氏ができたとして、そこから早くて三年。二十代で結婚しようと思ったら、もうあんまり時間がないなって」
「…………」
 
須藤、私は、貴方に呪いをかける。
 
「須藤さんのお話、びっくりすることばかりで……まさかそんな人とは思わなくて。メールを貰って、深入りする前にすぐ次に行けたのも、ご縁なのかなって」
 
山崎、お前が決して幸せにはなれない呪いを。
須藤、いつかあなたがあのダメ男から目を覚ますであろう願いを。
 
「ああ、ごめんなさい、悪く言っちゃって。須藤さんはそれでも浩太くんが大好きで、しかも浩太君が須藤さんを選んでくれたんですから。これってすごいことですよ、自信を持ってください」
「…………はい」
 
須藤は先ほどまでの無邪気な笑顔が消え、神妙な面持ちで頷いた。
私は最後のダメ押しとばかりに、初めて歯を見せて、屈託なく笑って見せた。
 
「陰ながら応援しています」
「…………はい」
 
須藤は頷くしかできなかったと思う。
私は自分の目論見がうまく相手を絡め取ったことを確信して、初めて心の底から微笑んだのだった。

 

 

 

須藤とはその後すぐにやりとりは途絶えたが、山崎は同窓会などでやむなく顔を合わせる機会があった。彼は潔く別れてみせた私にかえって未練があるらしく、馴れ馴れしく話しかけて来ようとしたが、その度に私は微笑みながらかわしていた。
 
それでも何かの酒の席で隣に座られてしまい、身動きも取れなかったので仕方なしに近況を聞いた。あれから数年、卒業して就職してしばらくした後、山崎は須藤に振られたらしい。須藤はいい加減な態度のままの山崎と同棲を続けつつ婚活サービスに登録し、相手を見つけてから別れを宣告したそうだ。
 
「お前に言われた言葉が、後になって随分堪えたらしいよ」
「……なんだっけ?」
「二十代で結婚するのに、もうあんまり時間がないってやつ」
「……ふーん」
 
山崎の手には、腕時計以外何もつけられていない。私の左手には、シンプルだがお気に入りの結婚指輪が控えめに輝いている。沈黙の中、山崎の目線が私の指元を見ているのを察し、わざとらしく手を組み直してみせる。
 
「あの時お前を選んでたら、また何か違ってたのかな……」
「さあ、どうだろうねえ」
 
いつかと同じように、私は口の端だけを上げて微笑んで見せる。
須藤はきっと目が覚めて、まじめで優しい人を旦那さんにしたことだろう。そう思うと笑いが込み上げてきて、平静なそぶりをするのが大変だった。
 
「遅かれ早かれ、私とも別れてたと思うよ」
 
いちいち傷ついたような表情をする資格があると思うなよ、山崎。
溜飲を押し下げて飲み干したハイボールは、どんな酒よりも美味しかった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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2021-02-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,115

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