週刊READING LIFE vol,116

「どこに転ぶかわからないのが人生」《週刊READING LIFE vol.116「人間万事塞翁が馬」》

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2021/02/22/公開
記事:久一 清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「走ったら治る」
私の細い足は肥満体を支えきれずに悲鳴を上げていた。
足が痛くて走れない。しかし、練習を止めさせてもらえない。
仲間たちについていけず遅れた。悔しくて、泣きながら走った。
怖い容姿のとっつぁんに、もう一度、足の痛みを訴える勇気がなかった。
拡声器を持ったとっつぁんの声は、グラウンドに響き渡った。
「ダラダラダラダラ走るなボケ!」
 
中学校に入学して、決まっていたことは、ラグビー部への入部だった。
私はラグビーに興味があった訳ではない。ラグビーは不良のファッションだった。
丸いボールではないことだけを知っていた。
ヤンチャな先輩たちに入部することを勝手に決められていたのである。
私自身は誘われて、仮入部のつもりで練習体験に参加した。
おろしたての体操服に着替え、初めてさわる牛皮の楕円球にめずらしさを感じた。
優しく指導をしてくれる先輩の言われるままに、パスの練習をして遊んだ。
となりで厳しい練習をしている先輩たちの姿に目を向けることはなく、目の前の遊びを夢中にやっていた。
入部した後に、自分がその厳しい練習をさせられることに気がつかないまま。
練習体験の後、とっつぁんに身体と足のサイズを問われた。練習着とスパイクの注文の為だった。
「仮入部なので、少し考えさせてください」
とっつぁんに、聞く耳はなかった。
「ラグビー部に仮入部はない!」
創部2年目の新しいチームは、部員集めに奔走していた。先輩たちも同様の方法で入部させられたのだろう。
練習着とスパイクを買わされて、地獄の練習は始まった。
真っ白な練習着の左胸には、黒の極太マジックを用いて大きく名字が書かれていた。
 
とっつぁんとは、社会科を教えるラグビー部の顧問である。私が入学する1年前に転任してきた教師だ。
ここで、出会ったことが私の人生を変えることになる。
とっつぁんは、私の1学年上のクラスを担任していたため、私は部活動の時以外に関わりは少なかった。
校内では、竹刀や竹の棒を持ち歩いていた。さらに部活動の時は、真っ黒なティアドロップ型のサングラスをしてグラウンドに立つ。部活動の時以外は、なるべく会わないように行動し、姿を見ると隠れた。
その中で1つだけ強く記憶に残っていたことがある。先生のクラスには必ず重い障害を持つ生徒がいたことだった。クラスの皆で助け合い、学校生活の全てを補助していた。
 
私は肥満体だった。小学校の高学年の頃から丸々と太った。
運動は大嫌い。食べるのは大好き。走ることは大の苦手だった。
ラグビー部は、2学年で総勢三十数名の部員がいた。日々練習に励み、練習時間は毎日3時間に及んだ。
デブの私は練習についていけなかった。さらには、身体のあちこちに痛みが生じた。
 
1年生の夏休みは地獄だった。
午前と午後の2部練が行われた。夏合宿同様の厳しい練習計画が立てられていた。
私の足は限界に達していた。辛抱をしきれず、勇気を出して、とっつぁんに訴えた。
「足が痛くて走れません。練習を見学させてください」
帰ってきたのは、ひと言だけだった。
「走ったら治る!」
私は何も言えず、練習に参加した。
なぜなら、この言葉は決まり文句となっていたからである。多くの先輩たちもこの言葉に泣かされてきたのだ。
今回は私の出番だった。足を引きずり、泣きながら走っていた。
 
練習も序盤を終えた頃、キャプテンが見るに見かねて、とっつぁんに話をしてくれた。
「あいつ、ほんまに無理です。見学させてやってください。」
そして、とっつぁんに呼ばれた。「ホンマに走られへんのか?」
私は、蛇ににらまれた蛙の気持ちであった。走れないとは言えなかった。
「ゆっくりでしたら走れます」と切り出した。
とっつぁんは、笑った。
「お前、可愛いこと言うなぁ」
「はっきりとしろ!」
「走れません」
「見学しとけ!」
この経験からラグビーと、とっつぁんがより嫌いになった。
入学してから退部することばかりを考え続けてきた。その意欲はさらに増していった。
しかし辞めることができなかった。一番の理由は、とっつぁんに退部を申し出る勇気がなかったことである。
 
復帰の後は、嫌々ながらも真夏の練習を乗り越えた。秋めいた頃、少し身体は楽になった。
体が軽くなり、練習についていけるようになった。
足の調子も良くなり、地獄から抜け出せた気分だった。
3人の一年生が、厳しい練習に耐えきれずに辞めていった。
辞めた部員は、「根性なし」と誹謗された。
私は1年目の夏を乗り切ったことは自信になった。
けれども相変わらず、ラグビーと、とっつぁんは好きになれなかった。
 
2回目の夏を越え、嫌いなラグビーを1年半年続けてきたことで、初めていいことがあった。
気がつかないままに痩せていた。大きな劣等感だった肥満体が普通の体型に近づいているのである。
デブがデブでなくなることは、経験した者にしかわからないだろう。何とも言えない優越感に浸ることができた。
3年間続けると、デブは押す役目のポジションを変えて、走る役目のポジションに転向した。
レギュラーとして試合にも出れるようになった。副キャプテンを努め、ラガーマンとしての自覚も湧いた。
そして、少しだけ女性にモテるようになった。
卒業式の日には、下級生より制服の第2ボタンを求められたこともあった。
嫌な思い出が多い3年間を過ごしてきた。辞めずにラグビーを続けてきて良かったと心から思える瞬間だった。
とっつぁんの贈る言葉は、「ラグビーだけの人間にはなるな。人の役に立てる人間になれ」だった。
中学校のラグビー経験は、人生を生き抜くための大きな自信となった。
水を飲んではいけなかった。手首の骨も折った。肉離れもした。しごきや体罰も受けた。そういう時代であった。
こうして、とっつぁんの厳しい指導から解放された。
 
高校生になっても、ラグビーを続けた。新設校であったため、入学時に3学年がそろうチームだった。経験者は少なく、上手い下手に関係なく1年生の時からレギュラーポジションにつけた。
中学時代に比べると、練習は苦痛に感じなくなっていた。練習は厳しくて、熱心な指導者であったため、いい経験ができた。地域の強豪校と毎週合同練習をさせてもらい光栄だった。けれども、国を代表するような選手たちとの練習は激しく、耳が内出血を起こしてつぶれ、原形をとどめなくなった。
他府県の強豪校との合同合宿や練習試合も経験した。ラグビー漬けの毎日だった。ラグビーしかしていなかったといっても過言ではない。それだけ、ラグビーに時間を費やした。高校でも副キャプテンを努めた。しかし、3年間の集大成。全国大会出場の目標は、予選の1回戦であっさりと幕を閉じた。
 
ラグビーしかやっていなかった高校生活。次の進路は、ラグビーをすることを目的に進学を選んだ。
スポーツ推薦枠を利用して、受験に挑んだ。2校受けたが縁はなかった。それでも目的を変えず、一般枠で合格を手にした。これでラグビーができる環境は整った。しかし結果は、目的に反してラグビーをしなかった。その理由は、自分を見つめて、我に返ったからである。
 
中高の6年間ラグビーを続けてきた。人生の中では一番多くの時間を費やし、打ち込んだものであった。
大嫌いだったはずのラグビーを、捨てきれずにこだわり続けてきた。
ラグビーをやめることは、自分が空っぽになることを意味していた。しかし、その決断をした。
とっつぁんの言葉を思い出したからである。
「ラグビーだけが人生ではない」と自分に言い聞かせて、引退を決意した。
 
ラグビーをやめると、自分の存在価値がなくなったように感じた。
「ラグビー部の○○」
肩書きのようなものである。それがなくなったのである。
同時に、仲間と群れて生活していた日常は、キレイさっぱりとなくなった。一人ぼっちになった。
何事も仲間と一緒に行っていたことを、一人でやらなければいけない環境になった。
一人で行動するということは、勇気のいることである。仲間に甘えて過ごしてきたことを恥じた。
そのことで、後の行動は主体性を持つように変わっていった。
 
大学での生活は、一人で行動できるように群れることを避けた。また群れることを嫌った。
就職活動の時期がやってきた。企業訪問は、自分一人で行わなければならない。
自分自身を見つめ、考え、行動し、また見直す。
ラグビーを辞めて気づいた意識は、非常に役に立ち、この時期に発揮した。
面接の時に聞かれるお決まりの質問。
「学生時代に打ち込んだものは?」
最も印象よく、応えやすいのは部活動やサークル活動の話題だと思う。
私はアルバイトと応える他なかった。
趣味や運動の質問をされると得意な顔をして「ラグビー観戦」と応える自分がいた。
また経験者であることや大学で行わなかった理由を聞かれると得意気に話ができた。
さらには、ラグビー経験者というだけで好印象を持ってもらえるのが不思議である。
なぜだかわからないが受けがいい。多くの経験者は、実感していることだろう。
私自身もその効果を実感して、無事に就職が決まった。
 
いざ仕事が始まると多くの人間関係が絡み合った。
職場でも人と群れることを避けた。協調性は保ちつつ、距離を持って接したことで良い関係を築くことができた。
年を重ねるごとに仕事量は増え、責任は重くなっていった。
営業職についたときに、身体の限界はやってきた。
「営業は顔を売ってこい」
この一言が営業マンを教育するたった一つの教材であった。
右も左もわからぬまま、顧客訪問がはじまった。
単刀直入に言うと、個人商店みたいなものである。
回りの協力を得られなければ、全て自分で行わなければならない。
不慣れな新米営業マンの許容量は小さく、社内営業も十分ではない。
結局は自分で仕事をこなす毎日が続いた。多忙なときは、毎日最終電車という時期もあった。
忙しさは感じていたものの、体力には自信があった。
肉体的な疲れはあっても、精神的な疲れは感じていなかった。
「あの地獄の練習に比べたら……」
ラグビーで鍛え上げた精神力は、弱音を吐くことを嫌った。むしろ、罪であった。
しかし突然、身体は悲鳴をあげて倒れた。10万人に1.6人と言われる原因不明の難病だった。
結婚3年目。初めての子どもが生まれて3ヶ月のことだった。
闘病生活は、精神的に地獄であった。意識はあるものの、全身は1ミリも動かせなくなっていた。
「一生このままかもしれない」
祈ること以外はなかった。苦痛を耐え忍ぶのに、ラグビーの経験は大きな支えになった。
社会復帰をするまでに、約3年間の月日を要した。
 
復帰後も、見えなかった社会の恐さを思い知ることになった。身体が不自由な方には優しくない街の構造である。段差や階段、起伏の多い通路に困ることがあった。逆に人に助けてもらった時には、人の温かさを感じた。
私は過去の映像が頭の中に蘇ってきた。とっつぁんの背中である。
とっつぁんのクラスは、困っている人を助けることを日常生活の中で行なっていた。
私は大人になってからも、ラグビー以外にとっつぁんから学んだことを再認識した。
「元気になったら、人の役に立てる人間になろう」と心に誓った。
 
職場に復帰した後は、持ち前の根性と体力で身体は元気を取り戻した。
不自由なく生活ができるようにもなった。気がつけば、自分の軸は中学時代に始めたラグビーがつくりあげたものになっていた。その過程は、とっつぁんから受けた厳しい指導と背中から学んだことであった。
 
肥満体の中学生が先輩に誘われ、興味もないラグビー部に入部した。仮入部のつもりが、強制入部であった。練習着とスパイクも買わされた。デブが地獄の毎日を過ごし、本当につらい思いをした。
そのお陰では、非行に走ることはなく、ラグビー漬けの青春時代を過ごすことができた。
厳しいこと。つらいことから逃げずに、最後までやりきる強さを身につけた。
痩せて劣等感から解放された。そして、少しだけ女性にモテるようになった。
大学では進学の目的に反したが、就職と結婚では効果を発揮した。
社会では経験者として良い人に見られた。
嫁は強豪校の出身であったため、共通の話題で盛り上がることができた。
しかし、過信していた体力は仇となり、身体を壊して大病をした。
闘病生活は、培った強い精神力や忍耐力で、社会復帰をすることができた。
職場、家族、知人に多大なる心配と迷惑を掛けた。
「病気になって良かった」とは言えないが、そのきっかけは私を成長させた。
現在は、障がいを持つ友人がたくさんできた。ボランティア活動にも力を注いでいる。
 
2019年9月。国内で初めてのラグビーワールドカップが開催された。
「4年に1度ではない。一生に1度だ!」のキャッチコピーに魅了された。
国内は、ラグビーで熱狂に包まれた。
大嫌いだったはずなのに……。
最高に楽しめた。
 
ラグビーと出会ったことで、良いことも悪いこともあった。
好きになることも、嫌いになることもたくさんあった。
つらかったこと。厳しかったことが大半をしめる。
けれども、人間はつらかったこと。厳しかったことの方が良く覚えているものと改めて思う。
時が経てば、楽しかった思い出に変わる。
思い出話は、つらかった話で盛り上がるものだ。
さらには、その思い出をもとにして、未来に向って生きている。
 
私にとってのラグビーは生き方そのものである。とっつぁんを通じて、その精神を学んだ。
「人の役に立つ人間になる」という教えは、ラグビーのノーサイドの精神と共通する。
今、ラグビーを経験して心から良かったと思えるようになった。
ラグビーでつぶれた右の耳は、良き思い出である。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
久一清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ。2020年11月ライティング・ゼミ「秋の集中コース」を受講。
継続してREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部での受講を決意し勉強中。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-02-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,116

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