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週刊READING LIFE vol,116

人生万事最高が犬《週刊READING LIFE vol.116「人生万事塞翁が馬」》


2021/02/22/公開
記事:椎名真嗣READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
 
 
気が付くとソファーの上だった。
またソファーの上でスーツの着たままに寝てしまったらしい。腕時計を見ると6:00過ぎ。もう妻が起きてくる時刻だ。自分のスーツを匂ってみるとタバコとキャバ譲の香水の匂い。俺は妻が起きだす前に匂いを消しに浴室に向かった。
 
週5日の内3日は終電ぎりぎりまで部下と一緒に歌舞伎町で飲む。品川方面行の山の手線最終電車は1:00過ぎに新宿駅を出る。その電車で目黒駅まで行き、駅前のタクシー乗り場から自宅がある港区白金までタクシーで帰る日々。10回に3回くらいは泥酔して乗り過ごしてしまい、品川駅で駅員に起こされることも。そうした場合は、俺と同じような連中と品川駅のタクシー乗り場の行列に並んで、タクシーで帰宅する。それでも埼玉、千葉、神奈川に帰らなければならない部下に比べれば相当俺は恵まれている。
俺のようにこれだけ夜の店にいっているのと、今夜みたいにキャバ譲とアフターなんてこともある。アフターにいった後タクシーで帰る事になったとしても、自宅まで7,000円で帰れるのだ。匂いだけ気をつければ、妻も騙しとおせる。
 
この地に住んで25年。
今でこそ、ここに住む奥さん連中をシロガネーゼと呼び、セレブが住む街として全国にも知れ渡った白金。しかし俺が住み始めた25年前は南北線が開通する前であり、最寄り駅はJR目黒駅。白金は目黒駅から徒歩20分はかかる、ちょっと不便な場所だった。その不便さから白金への転入者は意外に少なく、隣、近所は見知った人ばかり。しかし南北線の 白金台駅ができたころから街の雰囲気がガラリと変わっていったのだった。
白金台駅ができた頃から、白金はセレブタウンとしてマスコミにも大いに取り上げられ、駅前の大通りは拡張されることとなった。大通りの拡張に伴い、地元のお店は移転し、代わりにそこには高級ブティックやアクセサリー店が立ち並ぶように。しかし、俺は週の半分は午前様。土日は休日出勤か、さもなければ、疲れ切って寝ているだけ。セレブタウンの白金に俺は寝に帰ってきているだけなのだ。
俺は家庭を顧みず、仕事にかこつけて飲み歩いているダメ亭主でダメ親父。俺だってわかっているのだ。こんな事をいつまでも続けているのはダメだという事を。だけど植木等じゃないけれど「わかっているけど、やめられない」
 
その日も俺はいつもの様に終電で帰宅した。珍しく妻が寝ずに俺を待っていた。しまった! 朝出がけに今日は長男の大学の進路で相談したいので早く帰ってくるように言われていたのだ。妻は
「いつも、いつも、お客さんの接待で遅くなるっていっているけれど、若い女の店いって鼻の下のばしているのなんて、お見通しなのよ! どうせ浮気もしているのでしょ。 いいのよ。あなたが浮気していようがしていまいが、もう構わないの。ただ父親としての役目は果たしてよ!」
全くもって妻はお見通しだったのだ。
そして言っている事もごもっとも。しかし、泥酔状態の俺は妻の正論を適当にあしらった。すると妻はそばにあったソファーのクッションを俺に投げつける。泥酔状態で抑えが効かない俺はカッとなり、妻を突き飛ばした。その騒ぎを目の当たりにした長男が、
「このくそおやじ!!」
と殴りかかってくる。
泥酔状態の俺。柔道初段、剣道二段の俺の身体は勝手に動き、長男のパンチをよけて大外刈りをくらわせて、長男を転倒させた。俺は妻と息子に暴力を振るった罪悪感で頭はぐちゃぐちゃだ。思わず自宅を飛びだす。そしてあてどもなく街をさまよい、たどり着いたのはラブホテル。一人で隣室から喘ぎ声が漏れ聞こえるラブホテルにその日は泊ったのだった。
 
翌朝、すっかり酔いも覚めて、よく見ると右足に履いている靴と左足に履いている靴が違っているのに気が付く。このままではとても会社には行けない。恐る恐る自宅に戻ると妻が部屋にいた。妻は
「康太(長男)には、ちゃんと謝っておいてね」
と、冷たく言った。
今度は妻の意見には素直にしたがい、俺は長男に「ごめん」とだけ謝った。
 
仕事にかこつけて家族ときちんと向き合ってこなかった俺。妻と息子を押し倒したあの夜から、家族の中で俺はさらに浮いた存在になっていた。これは俺が望んだ人生だったのか? 俺はどこで人生を間違えたのだろうか? 今から失った妻、子供達からの信用はとりもどせるのだろうか? 俺は普通の父になりたい。切実に思った。
 
「パパ。 私ワンコがほしい」
と高校生の長女が俺に願い出た。
まだ、俺はこの家の家長と認められているのだ。ちょっとうれしかった。しかし、犬か。部屋も汚れるし、手もかかる。そんな厄介者をなんで、娘は欲しがるのだ? 妻に聞くと俺が知らないだけで実は小学生の頃から犬が飼いたいと言っていたらしい。いつものめんどくさがりの俺なら反対するところだ。しかし、これは家族との関係を修復するチャンスだ。俺は犬を飼う事を快諾した。喜ぶ娘の笑顔を見るのは小学校の運動会以来か。
 
娘が連れてきたのは生後半年のオスの保護犬だった。保護犬とは飼い主から捨てられたか、あるいは飼い主がいても放置されていて、満足に育ててもらえなかった所を運よくボランティアに保護された犬の事だと娘は俺に教えてくれた。そして、そのような訳ありの犬なので、中には人に強い恐怖心をもつ犬や、他の犬と関係性をうまく構築できない犬もいるという事だった。娘は「パパ、もしかするとちょっと手がかかるかもしれないけれど、可愛がってね」と言った。俺は「ペットショップで飼ってきた方がよいのに。面倒くさいな」と思ったが、口には出さなかった。
 
娘の心配をよそに連れてきた保護犬は生後間もなく保護されたようで、我々家族にすぐになついた。娘はこの犬に大吉と名付けた。俺にとっては家族との関係性を修復するための手段であった犬。面倒くさがりの俺にとって犬なんて本当は飼いたくなかった。しかし大吉が俺を見ている曇り一つない目をみていると、俺もとても素直な気分になってくる。家族の中で大吉はなくてはならない存在になり、大吉のお陰で俺達家族は少しずつきずなを取り戻していったのだった。
 
これに気を良くした妻は「私も黒い犬を飼いたい」と言い出した。娘もあろうことか、「もう一匹素敵なワンコを見つけたので絶対飼いたい」と言い時はじめる。このままでは俺の家は志村どうぶつ園になってしまう。しかし大吉くらいに手がかからなければ大丈夫だろう。この頃には俺自身も犬の魅力にあがなえなくなっていた。妻と娘のお願いに承諾してしまったのだった。
大吉出身の保護犬団体からの紹介でメスとオスの2頭の犬が家族に加わった。妻と娘で黒いメスの方をひなた、白いオスの方を幸助と名付けた。同じ保護団体から来たので幸助もひなたも、大吉と同じくらい人懐っこく、扱いやすいだろうと思っていた。しかしそれは間違いだった
 
オスの幸助は人へ不信感の塊だった。娘以外には決して懐かず、何が気に入らないのか妻から出された餌を食べるようになるまで1年を要した。ひなたの方はと言えば子供と自転車が大嫌いときている。運悪く家の近所は小中高一貫の女子校があるのだ。三頭で散歩に出かけると、まともに歩けるのは大吉だけだった。幸助はリードを引っ張りまくるし、ひなたは小学生や自転車を見るたびに座り込む。1年たってもその状況は変わらなかった。毎日の散歩は大変だったが、一方で月に1回、郊外でのドックランでは3頭は本当に生き生き走り回るのだ。その姿をみて、もう少し広々した郊外で彼らと一緒に暮らしたいと俺はおもったのだった。
 
俺は25年住み慣れた白金から引っ越すことにした。会社からも子供達の学校から遠くなる。しかしどうせ寝に帰ってくるだけの白金。俺は白金を離れることに全く未練はなかった。愛する犬のためという事で家族の意見も一致した。犬三頭と人間5人。広めの郊外の中古の一軒家を妻と一緒に探した。半年後東急大井町沿線 「上野毛」の物件に巡りあった。
 
家の近くには白金のようにおしゃれなブティックがあるわけでもない。駅周辺の商店街もそれほど大きくもない。しかしちょっと歩くと多摩川河川敷。ここでは愛犬3頭を思いっきり走らせよう。道も広くて、人通りもそれほどないので、人嫌いの幸助、ひなたにはもってこいの環境。通勤時間は2倍になるし、終電の時間も1時間は早くなる。しかし、そんな事より犬達がうれしいそうに散歩できるのが一番。家族全員一致で引っ越すことにした。
 
今日は土曜日。
家族5名、犬三頭で歩いて15分の多摩川河川敷近くのスターバックスのオープンテラスで遅い朝食。笑いあう俺たちと喜ぶ犬たち。
 
「人生万事最高が犬」だ
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。現在自身のライティングスキルを更に磨くためにREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-02-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,116

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