週刊READING LIFE vol,118

負けることは自分を解放することだ《週刊READING LIFE Vol.118「たまには負けるのもいいもんだ」》


2021/03/09/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
頼んでいた家電品が運び込まれた後、玄関の扉を閉めると、急に部屋の中がしんとなった。まだ荷物の少ない部屋は、ガランとしていて少し寂しい。けれども、人生初めての独り暮らしのスタートにちょっとばかりワクワクしていた。
 
設置されたばかりで、まだ何も入っていない空の冷蔵庫を開けてみたり、真新しいガスレンジでお湯を沸かしてみたり、洗濯機の蓋を開けてみたりした。そして、洗濯機のすぐ横のお風呂場の扉を開けてみた。
 
その時だ。
「あぁ、もう今日からは、髪の毛が落ちていたって気にすることはないんだ」と不意に思った。もうここは私ひとりだけだ。何の気も使わなくても良いと思うと、今まで感じたことのないような解放感がこみあげてきた。
 
私はいつでも「いい子」でいたかった。人に不快な思いをさせるのを恐れていたし、自分の至らないところを注意されるとへこむ。だから、そうならないようにいつも注意深く生きてきた。家事も近所づきあいも義理の両親との関係も親戚づきあいも、全部上手くやろうとした。そして実際、上手くいっていた。
 
いつもお風呂からあがる時には、湯船や床に髪の毛が落ちていないかどうか注意深く確認し、排水溝の掃除をしてあがっていた。後に入る義父母への配慮だった。
 
それが嫌だとか辛いとか思っていたわけではないけれど、やらなくてよくなって初めて気づいたのだ。私はいつも息を殺すようにして生活していたのかもしれないと。
 
その時は、ただただその解放感に浸るのが嬉しかった。ちょっと位汚れてたっていいし、部屋が散らかっていても、洗濯物をたたんでいなくても平気だ。仕事で真夜中に帰宅しても、物音を立てないように気を使わなくてもよい。誰にも気兼ねせずに過ごせる空間があるのが、ただ嬉しかった。
 
今から振り返ると、そんな20年以上も前の自分は、まだまだ自分のことをよく知らなかったんだなと思う。あのお風呂場の扉を開けた時、「私は今まで窮屈な思いをしていたんだね」と、それまでの自分の事を可哀想に思ったけれど、何のことはない、自分で自分をがんじがらめにしていただけのことだ。
 
だって、そもそもお風呂場に髪の毛が落ちていたと言って、注意されたわけでもないし、髪の毛一本残さないようにしろと言われたわけでもない。全部自分で決めたことだ。それがマナーだとも思うし、髪の毛を拾って掃除することなんて、別に大した手間でもない。本当は、そのこと自体が自分を窮屈にしていたのではなく、自分が決めた「あるべき自分」から外れないようにしようとすることこそが自分を苦しめていたのだ。「髪の毛が落ちていたから、お風呂をあがる時には拾っておいてね」と言われたらへこむから、そうなる前に自分でやっていただけなのだ。そうやって、自分で自分をがんじがらめにしていたくせに、自分がその苦しみから逃れることで、周りの人を傷つける結果となった。
 
そんな「自分をがんじがらめにする自分」は、実は今も自分の中にいる。「いい人」でいるために注意深く生きているし、やると決めたことはやり通したいし、どうせやるなら結果を出したいから、自分に鞭を打つ。
 
後から考えれば別にやらなくても良かったことなのに、先回りして「やっといた方がいいかな」と勝手に背負い込んだり、「そこまでしなくても良かったのに」と言う場面にも、ちょいちょい出くわす。
 
学びの場でも、「課題の提出」とあらば、何とか期限に間に合うように提出率100%を目指し、出すからにはいい評価を得たい。
 
そうすると、当然のことながら時間が無くなるわけで、どこから時間を捻出するかと言うと、「やらなかったからと言って誰にも迷惑をかけないこと」に割く時間から捻出することになる。つまり、私にとっての「自分のための時間」である。
 
本当の私は「面倒くさがり」で、だから「料理も掃除も好きじゃない」と思っていたけれど、実はそうじゃなかったんだということに、最近気が付いた。面倒くさいのではなくて、そこに時間をかけたくなかったのだ。
 
それは、スキンケアの話を聞いている時のことだった。
 
「普段化粧水をどんな風につけているか、ちょっとやってみて」
講師に言われた通り、実際に動作をやってみる。
 
手のひらに化粧水をとって、顔にポンポンとのせる。かかった時間は5秒位。
「今のつけ方、自分で見てみてどう? 自分を大事に扱っていると思う?」
そう講師に言われてハッとした。どう考えても、私のつけ方は雑だ。パンパンと顔を叩いているだけで、自分を大事にしているとは到底思えない。
 
「こういう感じでやってみて」と講師が見本を示してくれる。
ゆっくりと手で顔を包み込み、指先で顔の凹凸を感じながら、化粧水を浸透させていく。まるで自分の顔と対話をしているような感じだ。
 
じっくりやっているように感じるけれど、時間を測ってみると15秒位だ。今までの私のやり方と10秒位しか変わらない。でも、時間の濃密さがまるで違うのだ。
 
今まで私にとってスキンケアもメイクも、「片付け仕事」だった。いかに早く終わらせるかしか考えていなかったことに、その時初めて気が付いたのだ。
 
料理も掃除も同じだ。私にとって「嫌いなこと」なんかじゃなく、「片付け仕事」だったのだ。本当は、TVの料理番組で見た美味しそうな一品を自分で作ってみたいと思うし、スッキリ片付いて掃除の行き届いた部屋にしたいと思うし、素敵な小鉢に少しずつ料理を盛って、贅沢な気分を味わってみたいと思っている自分がいる。
 
ゆったりとストレッチや運動をしたり、絵を描いたり楽器を弾いたりもしたい。
 
でも、そうしなかったからと言って、誰にも迷惑はかからない。むしろ、それをすることによって、やるべき事ができなかったら人に迷惑をかけるし、仕事とか学習とか、自分で決めたことを自分で守れなかったら、そんな自分に腹が立つ。
 
それだったら、外食したり出来合いの物で済ませたり、洗い物を減らすためにパックのまま食べ、人を招けないような部屋になっていても仕方がない。そんな風に過ごしてきたのだ。
 
でも、それでは自分が消耗するばかりなのだ。そうやって自分をまた「いい人」であろうとがんじがらめにすると、いつの間にか窮屈な思いをする自分が可哀想になってきて、段々「私ばかりが」と思うようになった挙句、周りの人を傷つけることになってしまいかねない。
そうなったら、私は「いい人」どころか、結果的に「悪い人」になってしまうじゃないか。
 
だから私は、時には自分の手綱を緩めて自分自身を解放することにした。それは自分に課したルールや信念から外れることにもなるけれど、そんな「在りたい自分」に負けてみるのも、たまにはいいじゃないかと思っている。
 
自分で自分をがんじがらめにするのは、私のクセなのだ。やめたいけど、そうそう簡単にはやめられない。だめな自分、できない自分、だらしのない自分を取り繕うのをやめるのは、勇気がいるし、「自分を満たせ」と言われても、現実はなかなか思うようにできないことも多い。でも、「あ、また今私やっちゃってるな。がんじがらめモードに入っているな」と気づくことができればいいと思う。気づいたらちょっと手綱を緩めてみる。それを繰り返していく内に、いい塩梅の自分になれているんじゃないかと期待している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
20年以上の会社員生活に終止符を打ち、2020年に独立。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からライターズ倶楽部参加。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人の背中を押せる存在になることを目指している。

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2021-03-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol,118

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