週刊READING LIFE vol,120

いつもスープが冷めない距離にいてね《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》


2021/03/22/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「おいしそうなイチゴのショートケーキね。買って帰ってみんなで私の部屋でたべましょうよ」
と、私に支えられながら歩く義母がケーキ屋の前で言った。
「お母さん、食べすぎよ! 我慢して! これ以上体重が増えたら歩けなくなるじゃない。そうしたら私達、本当にお母さんの事、見きれないからね!」
と義姉。
「お願い! みんなで食べましょうよ。 私がお金払うから」
「ダメなものは、ダメ!」
あの時、義母の願いを叶えてあげればよかった。
 
妻の母、私にとって義理の母は元気な寂しがり屋だ。
昔、義父と義母は小さな雑貨屋を営んでいた。2人で営んでいた雑貨屋は高度経済成長の波にのって30年後には海外にも進出するほどに。業界でも指折りの企業になる。しかしバブル期に義父が不動産投資の走り、その後バブル崩壊。業界屈指の企業は一夜にして巨額の不良資産を抱え、倒産の危機に直面する。時を同じくして義父が脳梗塞で逝去。亡くなった義父に代わり義母は不良資産処理に奔走したのだった。当時の事を思い出し、義母はよくこんな事を私達にいったものだ
「本当に死にもの狂いで働いたわ。だけど死にもの狂いでやればなんとかなるものなのよね」
 
バブル崩壊後、リーマンショックも乗り切り、景気も少しずつ上向いてきた頃には、数十億もあった不良資産もあとわずか。義母がホッと一息ついたそんな時に、私は妻と出会う。妻は3人兄弟の真ん中。役員として家業に携わる姉、弟を尻目に長く環境保護団体に席を置いていた。当時の私は30歳手前。妻に出会う直前まで定職にも就かずフラフラ。いくら何でもこのままじゃダメだな、とさすがに私も自覚した。そこで新興IT企業に営業マンとしてもぐりこんだのは妻と出会う1年前である。そんな育った環境も職場環境も全く違う妻と私が知り合ったのはスキューバーダイビングのツアー。ツアーですっかり意気投合した私と妻は付き合い始めて1か月後には、結婚しようと本人達で決めてしまう。しかし結婚は本人達だけで決めるわけにはいかない。けじめとして妻の実家に挨拶にいかねば。いくら常識がない私もそのくらいの事には気が付いた。そこで私は妻に連れられて妻の自宅へ。業界トップのお嬢様と元フリーターの私。あまりにも不釣り合いだ。自宅へ向かうタクシーの中で私は緊張で喉はカラカラになっていた。
 
妻の自宅に行くと義母がでてきて、夕食をごちそうになる。夕食が終わると私から切り出す前に義母が突如口を開いた。
「あなた方、ところでこれからどうするつもり?」
意表をつかれた私だが、ここは男らしく
「はい、結婚するつもりです」
と即答した。
「たった一つだけ条件があるのよね」
と義母。
私はどんな条件が突きつけられるのかとドキドキだ。
「私の夢はスープの冷めない距離で、娘夫婦と住む事なの。それが結婚の条件よ」
なんだ、そんな事かと私は内心ホッとした。大学を卒業して根なし草のように友達の自宅を転々としていた私。他人と同居するなど慣れたもの。しかも当時、私は職に就いたばかりでまだまだ給料が少なく、実は借金も抱えている身。少しでも出費は節約したい。義母の申し出は私にとっても願ったり叶ったりだ。
私は
「はい、よろこんで!」
と居酒屋の店員のように笑顔で答えた。
妻からは肘で脇を小突かれ、その様子をみて義母は満面の笑みを浮かべたのだった。
 
無事結婚式が終わると、義母は私達と同居できるようにと自宅を改築し始めた。1年で改築は終了し、自宅の1階を自分が住み、2階に私達夫婦が住まわせたのだった。
 
義母と同居が始まると、義母は週末には手料理を作ってくれ、私と妻を文字通り「スープの冷めない距離」でもてなしてくれた。これは子供が生まれてからも続き、15年ほど「スープの冷めない距離」で私達は幸せに過ごしたのだった。
 
どんどん景気は良くなり、義母の会社の経営も安定してきた。7年前から社長に就任した長男(私にとっては義理の弟)もそれなりに貫禄がついた。貫禄がついてきた長男を見て、義母は会社からきっぱり身を引く事に決めたのだった。仕事人間の義母ではあったが、余生は趣味のゴルフに没頭しようと、数年前から体調管理には人一倍時間とお金をかけていた。ゴルフは週1回、プライベートジムにも週1回通う熱心ぶり。十分準備をしてのリタイヤになるはずだった。しかし、人生そう思ったほどうまくはいかないものなのだ。
 
不幸はいつも突然やってくる。義母はいつものように会社近くの百貨店で昼食の弁当を買いに行った帰りの事だ。歩道のわずかな段差で足首をひねってしまい、足首を折ってしまう。折角プライベートジムでトレーニングをして足の筋肉はそれなりについていたのに、70歳を既に超えている義母の足は、骨折を期に筋肉はどんどん落ちていった。数ヶ月で骨はつながったが筋力の衰えで十分歩く事ができず、足を引きずるようになってしまったのだ。しかも追い打ちをかけるように隣家が取り壊されて、その空き地に巨大マンションが建つ計画が知らされる。「スープが冷めない距離」のために2世帯住宅にした自宅は、いわば義母の宝物。そんな宝物の自宅が巨大マンションにつぶされるという妄想をもったのだろうか。マンション計画を聞いてから義母は不安神経症になってしまったのだった。義母は部屋に一人でいると不安が募ってくるらしく、2階の私達の部屋にやってくる。そして、しきりに私と妻に「死にたい。死にたい」と言うようになった。「スープの冷めない距離」はいつからか「死にたがりの義母から逃げられない距離」に変わる。それでも会社に逃げ場がある私はまだましな方。実の娘でもある妻は毎日3回も4回も部屋に来られて「死にたい。死にたい」と義母から聞かされる。ついには妻もすっかり神経的に参ってしまった。そこで私と妻、そして妻の姉、弟と家族会議を開き、やむなく義母を施設に預ける事にした。
 
義母を施設に預けてしまうとまた平和な生活が戻ってきた。妻も安定して、正直ほっとした。しかし施設に預けたままだと、さすがに罪悪感がつのる。そこで週一回は車で2時間かかる施設に面会に行く事にした。施設では、入居者のリハビリもかね、絵をかいたり、手芸をしたり、と色々な講座がある。義母はそのような講座に積極的に参加しているようだ。義母宛に施設に面会に行くとよく手芸講座で作ったお手製のミサンガをプレゼントしてくれた。施設に入って以来、すっかり以前の会社経営者の面影はなくなった義母。しかし「死にたい。死にたい」から「うちに帰ってみんなで食事をしたい」に発言に変わっていったのは喜ばしいことだった
 
施設に入って1年。たまたま自宅近くの違う施設が空き、義母はそちらの施設にお世話になる事に。この頃には「死にたい」とはほとんど言わなくなっていたが、代わりに老人特有の我儘が増えてきた。その我儘の一つが他の入居者と食堂で一緒に食事をしない事。介護をする側にとっては一人で食事をさせるのは誤嚥もあるので避けたい。できれば他の入居者と一緒に食事もしてほしいのだ。しかし、義母は決して家族以外の他人と一緒に食事をする事はなかった。
代わりにまだ「スープの冷めない距離」とまではいかないが、義母は月1回定期的に自宅に帰ってきて、一緒に私達と食事をとるようになる。月一回、家族と一緒に食事をする事は義母にとって、最大の楽しみだ。早く回復し、施設を出て、また一緒に毎日家族と食事をしたい。それを励みに義母は施設でリハビリに励んだ。
 
義母は回復に伴い、体重が増えてきた。主治医からも足の負担もあるので、若干食事を控えて、体重を落とすようにと言われるようになる。そこで私と妻、そして義理の姉は義母を連れ、散歩するようにした。散歩の時は、皆で義母のペースに合わせてゆっくり歩く。
いつものように散歩をしているとケーキ屋の前に立ち止まる義母。ショーケースには義母が大好きなイチゴのショートケーキが見える。そのイチゴのショートケーキを指さして
「おいしそうなイチゴのショートケーキね。買って帰ってみんなで私の部屋でたべましょうよ」
と満面の笑みを浮かべ、義母は言った。
するとすかさず義姉が
「お母さん、食べすぎよ! 我慢して! これ以上体重が増えたらもう、歩けなくなるじゃない。お医者様もそういっていたでしょ。そうしたら私達、本当にお母さんの事、見きれないからね!」
「お願い! みんなで食べましょうよ。 私がお金払うから」
と哀願する義母。
「ダメなものは、ダメなの!」
そんな押し問答がケーキ屋の前でしばらく続く。道行く人達はそんな私達の様子をちらっと一瞥して通りすぎる。
「恥ずかしいからやめてよ」
と、さすがに見かねた妻が義姉と義母の間に入った。
しぶしぶ義母は諦めて、歩き始める。寂しそうな横顔。
ケーキ屋を通りすぎた後も、義母を支える私に向かって、
「お願いだから、買ってきてみんなでたべましょうよ。お願いよ」
と言い続けた。
 
「ケーキ事件」の翌月。義母が施設から自宅に戻ってくる日はちょうど私の誕生日。そこで義母も交えて私のお誕生日会をする事になった。自宅に戻る1週間前に義姉が義母からだといって、プレゼントの時計を私に渡してくれた。プレゼントの包の中には義母からの手紙がはいっている。
「いつもありがとう。また一緒に食事ができるのを楽しみにしているわ」とちょっと震えた字で書かれた手紙。妻はイチゴのショートケーキを私の誕生日会用に準備した。
 
義母が帰ってくる当日。私の携帯がなった。妻からだ。
「お義母さんが倒れて救急車で運ばれた。今すぐ帰ってきて!」
私は教えられた病院へとタクシーで向かう。
 
遅かった。
病院に着いた時には義母は既に亡くなっていた。死因は誤嚥。その日はお昼ご飯を施設で食べた後、義姉の運転する車で自宅に戻る予定だった。義姉との約束の時間が迫っていて焦ったのだろう。おかずの豚肉のソテーを喉に詰まらせたのだ。いつも施設では一人、部屋で食事をする義母。発見が遅れた。施設の係の人が発見した時には心肺停止状態。AEDで蘇生を試みると共に、救急車も呼ばれたが、間に合わなかったのだった。
 
「ケーキ事件」の時。なぜ私達は義母と一緒にケーキを食べてあげなかったのか?
確かにお医者様にも体重を増やすなと言われていた。しかしイチゴのショートケーキの一つ位でどれだけ体重が増えるのだろう? 将来の健康も大事だが、それより大事なのは今。今を大事にしなければ。
 
義母の死から早五年がたつ。今日は次男の誕生日だ。昨晩私は次男に
「どんなケーキが食べたい?」
と聞いてみた。
次男は自分のスマホをいじりながら、あるケーキ屋のサイトを私に示した。
そのケーキ屋は自宅から片道2時間の場所にある。私は会社から半休をとってそのケーキを買いにいった。
 
夕食が終わり、片道2時間かけて購入したバースデーケーキを食卓にだす。もちろんイチゴのショートケーキだ。
 
皆で味わってゆっくり食べよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
現在自身のライティングスキルを更に磨くためREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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