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週刊READING LIFE vol,120

可愛い子には旅をさせよ!子供の短期留学は吉と出るのか、凶と出るのか《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》


2021/03/22/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
日本人が、最も身につけたい能力のひとつが、英語力ではないだろうか。
 
「これからの時代は、英語くらい話せなくては困る」
と、世間では当たり前のように叫ばれている。老いも、若きも、おびただしい量の参考書、英会話教室、eラーニングといった、義務教育以外の英語の学びの門を叩き続けている。
 
しかし、これは、今にはじまったことではない。
私がまだ子供だった1980年代でも、「これからの時代は……」といわれていた。
 
その時代がいつからだったのかは、いまだにわからないが、話せないまま今日になってしまった私にも、実は、子供の頃にちょっとした留学経験がある。
 
いったい、そこで何を学び、何を学べなかったのか、現地での20日間のホームステイ生活を、当時の感情そのままに書いてみる。子供の留学を考える参考になれば、幸いである。

 

 

 

あれは、およそ35年前の1985年。
13歳の夏だった。
 
両親は、私を、名古屋市が主催する、20日間の夏休み短期アメリカ留学に参加させた。
自分たちは、勉強する気などさらさらないくせに、「英語が話せれば、絶対いいことがあるから」と、漠然とした理由で私を説得した。

 

 

 

中2の夏休み、私は、両親の期待と、扇子とそうめんという不思議な取り合わせの土産を詰めたスーツケースを携え、ロサンゼルスの空港に降り立った。
 
私にとってのアメリカは、前年に大ヒットしたお正月映画「グーニーズ」くらいのものだった。
グーニーズは、子供たちが、宝の地図を手にする冒険物語だ。
映画公開以降、人気女優の仲間入りを果たしたフィービー・ケイツは、その頃、日本のアイドル雑誌にも載るほどだった。
 
当然、滞在先の家族には、フィービー・ケイツを思い浮かべていた。
フィービーのようなお姉さんに、マニキュアを塗ってもらい、髪型をアレンジしてもらう毎日を想像していた。
映画の中のマイキーやブランドのような男友達ができれば、なお良い。ひょっとしたら、ひと夏の恋に落ちるようなこともあるかもしれない、アメリカの子供は早熟だと聞く。何かあったらどうしようなどと、時差ぼけの頭で妄想を繰り広げていた。。
 
まもなく空港に現れたのは、女性だったが、フィービーではなかった。
 
低く見積もっても、フィービーの体重の3倍はあった。180センチはあろうかという巨体で、幹のように太く黒い脚に、幼い娘二人が、はずかしそうにまとわりついていた。
 
ただただ怖かった。
ゆるみっぱなしだった頭のねじが、ぐいぐい締めなおされていくようだった。
 
彼女は、いきなり、大きな腕で私の身体を抱きしめると、野太い声で何か言った。
そして、試練はここからはじまった。
 
まったくわからなかったのだ。
言葉が。
彼女どころか、3歳と6歳の娘たちの会話ですら、ちんぷんかんぷんだった。
すでに過去形や現在進行形くらいは学んでいた。しかし甘かった。
何より、中学の担任を恨んだ。
彼女の教科は英語だったが、あれのどこが、英語なんだ!
 
私は、ただ笑うことしかできなかった。
 
トイレに行きたい、喉がかわいた、そんな単純な言葉でさえ通じないことが分かると、すっかり委縮してしまった。「アイ・ウォント」とつぶやいて、その後、訴えたい場所や部位を指し示すのが精いっぱい……

 

 

 

私の落ち込みにさらに拍車をかけたのは、学校生活だった。
 
平日の日中は、同じ留学制度に申し込んだ、中学生から高校生までの50名程度が一同に会し、語学や文化について学ぶカリキュラムが組まれていた。
 
「私の家、お城みたいだった!」
「うちは、プールがあった。セントバーナードも飼ってるよ」
「ディズニーランドに連れて行ってもらった」
 
仲良くなった友達の家は、想像どおりの、映画の世界だった。
 
みな、滞在先で様々なもてなしを受けていた。中には、日本語を学んでいる大学生を自宅に招いてパーティを開いてくれたという家庭もあった。
 
友達の話を聞くランチタイムの間中、私は、ランチボックスの中身をフタでおおい隠すようにして食べた。
みんなのボックスには、ピーナッツバターや、ジャムがたっぷりと塗られたサンドイッチが大方2枚、他に、ポテトチップスやサラダ、ヨーグルトやフルーツなどが入っていた。
 
私のボックスには、食パンがたった一枚。
ラップにつつんだマスタードが添えられているだけだった。

 

 

 

アメリカの家は、どれも大きいものだと思っていたが、滞在先は、芝生もプールもない平屋だった。
 
キッチン以外は2部屋しかなく、私は、6歳の長女のケイティと同室だった。
もう一方の部屋は、夫婦の寝室。ファーザーは、マザーより20センチくらい背が低く、足が悪かった。
 
長女のケイティは、最初こそ珍しがってあれこれ話しかけてきたが、私が、言葉の通じないただの黄色人種だと分かると、完全に興味を失ったようだった。
毎晩、彼女が、3歳の妹のキャシーと人形で遊ぶ様子を、少し離れたところから眺めることしかできなかった。

 

 

 

週末はずっと教会だった。
 
マザーは、炊き出しの奉仕活動をしていて、もちろん私も手伝った。
今なら、それがいかに敬虔な行いかが分かる。
しかし、当時は、異臭を放つ中年男性や、薄笑いをうかべる歯の抜けた老婆に皿を渡すだけで、手の震えがとまらなかった。
 
1980年代、ロサンゼルスといえど、日本人の中学生はまだまだめずらしかった。
みな、私が、いくら顔を下に向けても、腰をまげて覗き込んできた。
そのあと、大声で、何かを笑いながら話すのだった。
 
マザーも笑っていた。牧師さんも。
しかし、何を笑っているのか、日本人を馬鹿にしているのか、私自身の何かがおかしいのか、それすらもわからなかった。

 

 

 

10日あまりが過ぎたころだ。
 
名古屋市の留学生である私たちは、日本国総領事館を訪ねることになった。名古屋とロサンゼルスは姉妹都市なのだ。
 
領事は、一人一人に声をかけ、滞在の様子を聞いた。
中高校生たちは、楽しかった思い出や、学びの気づきを順番に伝えた。
 
私の番が回ってきた。
 
「ここまでどうでしたか?」
「……」
 
領事は優しく繰り返した。
 
「ここまでどうでしたか?」
 
言葉がでなかった。
必死に絞り出そうとしたが、ダメだった。彼は、私が恥ずかしがっていると思ったのか、あきらめて、次の学生に話しかけた。

 

 

 

その夜のことだった。
私はふと、右手の違和感で目が覚めた。右腕に、とてつもなく重いものを載せられているような気がしたのだ。目を見開いて、確かめようとしたが、右手があがらない。肩から下がすべて硬直してしまったようにマットに張り付いて動かない。
 
私は、言葉にならない声をあげて、泣きわめいた。真っ先に、長女のケイティが飛び起きた。そして、別室のマザーを呼びに行った。
 
すぐに、マザーが部屋に入ってきた。
私を覗き込むと、何があったのかと聞く。しかし、右手があげられないという説明ができない。
私は、左手で、必死に右手を指さし、泣きながら「アイ・キャント」と繰り返した。何度かその動作を繰り返すうち、彼女は理解したようで、私の右腕をさすりはじめた。
 
そして、何か欲しいものはあるか、と言った。
 
私は、泣きじゃくりながら声を振り絞った。
 
「アイ・ウォント・ディズニーランド」
 
なぜ、あんなことを言ってしまったのだろうと思う。
 
マザーは、大きく目を見開いたあと、ゆっくりとほほ笑んだ。
それから、穏やかな声で歌い始めた。その歌は、英語ではなかったような気がする。
限りなく優しく温かい歌声だった。その声に包まれて、私は、いつのまにか、眠りに落ちていた。

 

 

 

翌日、右腕はすっかりよくなっていた。
 
あの唄はおまじないだったのだろうか。
その日から、なぜか、憑き物が落ちたかのようにおだやかな気持ちになった。
語学力にたいした進歩はなかったが、炊き出しの人々にも、笑顔で「どうぞ」と言えるようになった。
やがて、簡単な英語の夢まで見るようになり、それからは、毎日が、瞬く間に過ぎていった。

 

 

 

とうとう、家族で過ごす最後の休日がやってきた。
朝、炊き出しをする気満々でキッチンに行くと、マザーが「今日は教会には行かない」と言う。
小さな娘たちは、キャッキャッとはしゃぎながらリュックに荷物を詰めている。
 
マザーは、私たち3人に車に乗るように言った。
口数の少ないファーザーは、足をひきずりながらドアのところまでやってくると「楽しんで」と言った。

 

 

 

エアコンのないアメリカ車は、窓を全開にして、ひた走った。
 
後部座席で、姉のケイティと妹のキャシーが、覚えたての歌を歌う。
マザーと助手席の私は、首を左右に振る。風がここちよかった。
一直線の道路の前にも後ろにも、車はいなかった。
 
映画みたいだなと思った。

 

 

 

30分くらいすると海が見えてきた。
しばらく走ると、海岸に沿うようにして公園がせまってきた。
一角には、カラフルな旗が立っていた。
さらに近づくと、たくさんの風船の向こうに小さな観覧車があった。
 
マザーは、近くにゆっくりと車を止め “Let’s go!” と言った。
後部座席のドアをあけ、小さなキャシーを抱きかかえて降ろした。
一人で車を降りた姉のケイティは、私の手に、小さな手を重ねてきた。
 
そこは、移動遊園地だった。
といっても、乗り物は、観覧車とブランコだけ。いくつかの屋台が並んでいて、数人の大道芸人が、風船を膨らませたり、子供たちの顔にペイントを施したりしていた。
 
マザーは、大はしゃぎだった。
タイヤのような尻をゆらしながら、真っ先にホットドッグの店に突き進んでいく。私は、「だから、太るんだよー」と心の中でつぶやきながら、笑ってあとを追った。
 
ホットドッグを食べ終わると、コーラを人数分買って、大道芸人のもとへと向かった。
ケイティとキャシーの顔にペイントをしてもらうためだ。
 
芸人の筆が、すべすべの頬をなでるたびに、ケイティはくすぐったそうに身体をねじらせる。私は、動かないように後ろからギュッと抱きしめた。
 
見上げると、マザーが涙ぐんでいた。
私が見ていることに気づくと、マザーは慌てて、太い指で目をこすった。次の瞬間には、いつもの笑顔に戻って、魔法瓶のようなLサイズのコーラに口をつけた。
 
私はその時になって、ようやく自分が愚かさに気がついたのだ。

 

 

 

マザーが、私のことを心配していなかったはずはない。
それが、少なからず、自分たちの暮らしぶりにあるということも感じていたはずだ。
 
「アイ・ウォント・ディズニーランド」
 
なぜ、あんなことを言ってしまったのだろう。
もう一度戻って、何もかもやり直したかった。毎晩、ふてくされて早々と寝てしまった時間を取り戻したかった。つたなくてもいいから、一生懸命、話しかければよかった。
 
教会の人々にも。
 
薄気味悪いと思っていた歯の抜けた老婆は、いつもニコニコと私を見ていた。
一言でも二言でもよかった。辞書で調べた言葉をかければよかった。

 

 

 

留学の本当の学びは、語学を身に着けることなんかじゃない。
日本にいては、決して出会えない人と触れ合い、生き方や考え方を、これからの人生の糧にすることだ。
国や人種を超えて通じ合えることを知る、かけがえのない機会。
何より、私を家族として迎え入れてくれた一家との時間。
 
「アイ・ウォント」のあとに続くものは、それだった。
もっと手に入ったはずなのに。
 
私は、ケイティを抱きしめながら、こみあげる涙を必死でこらえた。
髪に顔をうずめると、子供特有の甘い匂いがした。

 

 

 

以上が、私の留学経験である。
おわかりのように、英語は、身につかなかった。
 
帰国初日は、つい英語が口をついで出た。
しかし、それもつかの間。あれよあれよという間に、元の中2に戻ってしまった。
留学は、やはり、一年ほどしっかりしたほうがいい。
さらに、子供の場合は、ある程度、事前に語学を学ばせてコミュニケーションのとれる状態をつくったほうがいい。
 
そもそも泳ぎができないと、海でもがくだけで精いっぱいになり、そこには、どんな魚がいるのか、どんな生態が広がっているのか、潜って知る余裕も持てないからだ。
 
しかし、私は、この体験で、学びの本当の意味を知った。
自分がいかに、自分の中の価値観だけで生きていたに気づき、やがては、豊かさと何か、幸せとは何なのかという、壮大な問いの戸口に立つことになっていく。
 
両親は、無駄な留学だったと、今も悔やみ続けている。
しかし、私にとっては、何にも代え難いかけがえのない経験になっている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

名古屋生まれ
地方TV局勤務 アナウンサーとして、ラジオやテレビで音楽番組や健康番組にかかわる。たくさんのインタビュー経験を通じて「人は人をもっと好きになれる」との境地に立つ。コミュニケーションの極意について、日々思考中。

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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