それでも私は、小さな宇宙の種をまく《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》
2021/03/22/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県某所のとある店先。そこで、私は長考していた。かれこれ、20分以上はこの店でうろうろしている。本当の所、ここで眉間にしわ寄せ悩むのははじめてではない。何度も、足繁く通って、そして同じことを考えている。
ダメだ。
私には、家で帰りを待ってくれるかわいい子達が大勢いる。
これ以上、養子を増やす、浮気のようなこと繰り返してはいけない。
あぁ、でも一期一会。
もしかしたら、もう二度と出会うことはできないかもしれない。
私は、ストレスが溜まった時、無意識にある場所に向かってしまう。それは、ブランド店でも、居酒屋でもない。
人によっては、一年に一度も訪れない店。だが、人生の節目の様な大事な日に、必ず特別なプレゼントとして候補に上げられる、そんな商品を販売する店。
きれいな彩り、芳しい香りが五感を誘う。
私は、誘惑に抗えず、いつも蜜蜂のように吸い寄せられてしまう。
そう、そこは、属に花屋と呼ばれる観葉植物専門店である。
私は、多彩な趣味、特技を持っている。
カメラ、ドイツ語、茶道。そこに、園芸が含まれる。
九州の田舎という大自然に囲まれているせいか、私は動植物が小さいころから大好きだった。以前は、動物を飼っていたこともあるが、長期期間家を離れることが増える人生に切り替わったことで、泣く泣く、その幸せな機会を手放すことにした。
そこで、熱中しているのが、園芸だ。
ガーデニングのように、大掛かりな庭は作っていない。ほそぼそと、プランターや、鉢に植えた植物を愛でる手法をとっている。
だが、それが、度を越しはじめていることに、最近気がついてしまった。以前は、一般的なホームセンターで購入できる小さな花で満足していた。
しかし、私は出会ってしまった。日本人が生み出した、至高の生きる名品、盆栽に。きっかけは、有名雑貨店が主催した、ワークショップの情報をWEBで知ったこと。500円で、盆栽の育て方や奥深さを学べ、お土産まで付けてくれるのだという。
私は、特技に茶道とあるだけに、日本の歴史などにも興味があった。
なんだかおもしろそうだな。ちょっと行ってみよう。
通販で服を購入するように、つい、ポチッと。私は、申込みをしてしまった。
な、何だ、これは!
店員さんに案内され、私はワークショップの会場で目を見開いた。
そこには、大木が複数立っていた。
天を目指すように真っ直ぐ伸びているもの、地面を這うように下に首を下げているもの、まるで龍のように雄々しくとぐろを巻いているもの。
そこに展示されている、さまざまな木々は、私が知る盆栽ではなかった。
恐る恐る近づく。自然に生えている黒松よりは小さい。だが、大人が数人で抱えないと運べないほどの大きさはあった。しげしげと見つめる私に気が付き、ワークショップの講師、盆栽栽培の専門家の方が隣に立たれた。
「すごいでしょう。この盆栽は、100年近い樹齢のものなんです」
「す、すごいですね」
そして、笑顔で付け足す。
「盆栽の作品的価値としては、1,000万円以上はあるんですよ」
「い、1,000万円!?」
目を剥く私に、にこにこと笑う。
「今からはじめるワークショップでは、盆栽の歴史、手入れの仕方もお教えします。せっかくなので、後で、剪定してみましょうか?」
「い、いえ、そんな恐ろしい!」
懸命に首を横に振る私を見て、彼はうれしそうだ。
「大丈夫ですよ。良いものに触れる、ということは、それだけでも勉強になります。貴重な機会ですから、ぜひ」
「……は、はひ」
ワークショップで知った盆栽の話は大変興味深かった。盆栽の一つの鉢の中には、自然、物語が内包されている。
下に向かっていた黒松は、断崖絶壁に生え、川を見下ろし、水を求めている姿だったとのこと。
木の傾きだけでも、様々な手法と名前、壮大な物語を語ってくれる。
「盆栽は宇宙」
愛好家の中では、そう表現される。鉢という、ミニマルな世界で自然を凝縮して表現する。まさに、日本人ならではの感性と技術の賜物だった。結局、私はおっかなびっくり、高価な黒松の、針の様な葉を数本切らせていただいた。
お土産にもらった黒松の種と小さな鉢を紙袋に入れてもらい、大事にバスの中で抱えた。
これは、大変なものを知ってしまったぞ。
私は、身震いしながら目を輝かせた。
そこから、ズブズブと盆栽の世界に、片足から沈んでいった。
いただいた黒松は、種7個の内、4個が無事育った。今でも我が家の庭で、様々な姿で葉を茂らせている。
だが、そこで留まれなかった。
黒松の隣には、梅の木が2鉢。その隣に、桜が2鉢。椿、香丁木、南天などなど。さまざまな鉢に入った、多様な種類の木々が集っている。
収集癖と凝り性の合せ技。
盆栽屋さんで購入したもの、譲っていただいたもの、中には自然から種を採取し育てはじめたものまである。
種から育てれば、一層愛着が湧く。私にとっては、大切な、我が子のように愛おしい存在だ。
だが、盆栽というのは、歳を経た方が価値があるという。
盆栽愛好家の中で有名な「徳川三代」、通称・「三代さん」と呼ばれる五葉松の盆栽がいる。その名の通り、徳川三代、徳川家光公が愛でたとされる、国宝級の、大きな美しい姿の生きる作品だ。価値にすると、なんと億を軽く超えるというのだから、とんでもない。さらに、その盆栽、後継の学びのために、園芸等を専門に学ぶ東京都立園芸高等学校で保管し、教師の指導の元、盆栽部に所属する学生さんたちが大切に手入れしているそうだ。なんとも、懐の深く、やさしい世界だ。私だったら、腰が抜けてしまうことだろう。
植物を育てることは、骨董と畜産業に似ている。
歳を重ね、共にする人の人生によって価値を高める芸術の世界。そして、種や、枝葉を分け与えることで、次の命に繋げて増やしていく。
盆栽は、若い内にはじめた方が良いのだという。盆栽に完成というのはない。持ち主の死後、何代にも人の手に渡ってからが本番だ。なので、私のように、種から育てるというのは、悪手なのかもしれない。行く分か、成長したものを購入した方が、育て、仕上げる楽しみがすぐに手に入るのだ。
そう、わかっていても、私は種を植えることをやめられない。硬い殻を破り、生まれた芽と出会い、そして成長するさまを見るのが、とても清々しく、元気をもらえるから。
と、いうのは半分言い訳だ。
もう、白状してしまおう。私の庭は、盆栽専用ではない。
大小さまざまなサイズ、そして多様なルーツを持つ、国内外の植物がズラッと並んでいる。
私は、黒松の盆栽から、発芽と植物を育てる快感を知ってしまった。それがもう、いけなかった。
植えてみるものである。
八百屋で購入した果物、いただきものの植物。それらの種などを可能な限り収集した。
洋梨、りんご、アボカド、ライチ、バラ……語りだすと止まらない。
我が家は、小さな植物園とも呼べるかもしれない。
そして、今一番お熱なのは、多肉植物と珍奇植物だ。
多肉植物は、今では100円均一ショップでも手に入る、葉が肉厚でぽってりとした種類の植物。育てやすく、種類によっては花も咲くことから、人気の種類だ。
対して、珍奇植物。
はじめて聞く方もおられるかもしれない。その植物は、南米国や砂漠など熱帯の地域に自生する、姿形、生態が摩訶不思議な植物たちの総称だ。有名所で上げると、高い木の上に寄生するように生えるエアープランツや、ウツボカズラなどだ。ユニークな見た目から、インテリアとしての需要もあり、おしゃれなカフェで会うことができる。中には、高額で取引される種類もある。輸送費の経費だけではない。原産国でも数の少ないものは希少価値が、さらに種の保全を目的として国外の輸出に国際法のワシントン条約などに触れる種類などもある。日本に連れてくるだけでも、多くの人の手を渡り物語が生まれるのだ。温暖な気候のタイでは、珍奇植物専門の栽培・交配コーディネーターが多く、世界中に発信している。また、まだ見ぬ珍奇植物を求め、世界中を旅して、情報を発信・専門家に仲介などをする、プランツハンターという職業の方も存在する。
経済価値としても、珍奇植物は大変熱いのだ。
安価なものだと100円から。それ以上は、もう天井知らず。植物を愛する、というのもなかなかにお金がかかるものなのだ。
我が家にいるサラセニアも、ウツボカズラ目の植物で、珍奇植物としてはメジャーな部類だ。この子もユニークな姿をしている。ウツボカズラ、と聞いたら多くの方は、ツルで上から吊られた袋状の姿を想像するだろう。それと違うのは、まず、土から直に生えていること。10本以上の細長い蓋付きの筒状の草が、剣のように上に伸びている。まるで、蛇が鉢に植わっているよう。日本の神話に出てくるヤマタノオロチを想像してもらうとわかりやすい。私はその姿から、「八房(やつふさ)」、通称・「やっちゃん」、と名付けた。
他にも、私独自の愛称のある植物はいる。植物に名前を付けて愛でるくらいに、ヘビーな植物愛好家である。
名前を付けるほどに、愛しい存在が、両手に余るほどいるのに。私は、植物の購入がやめられない。
「も、モニラリアだと!?」
観葉植物専門店で、私は、また出会ってしまった。
私は、震える手で、箱を持ち上げる。それは、モニラリア、という植物の栽培セットだった。種、土、小さな鉢、育て方の説明書が入っているセットだ。
モニラリアも、珍奇植物だ。小さな細長い茶色の幹から、これまた小さな緑の葉が生える。その葉がなんと、球体なのだ。さらに、そこから、細長い2本の肉厚の葉が生える。その姿は、「ピースサインが生える」とも「小さなうさぎが群れをなす」とも言われている。
姿もさることながら、珍奇植物、と呼ばれるだけあって、なかなか手に入らない。栽培キットですら、肉眼で見たのははじめてだった。
小さな鉢から、小さな緑色のうさぎが生える。
しかも、わんさか。
見てみたくありませんか?
もちろん、私は、見たい!!
何度か店を偵察し、私は欲望に正直に従ってしまった。
そこからは、夢のようだった。
栽培キットが家にある、それだけでもうれしい。箱から取り出して、説明書を何度も読んだ。5℃以上の室温なら発芽する、そう何度も確認した。
初春、私は、いちごの種より小さな、鼻息で吹き飛ぶほどの小さな命を大事に土の上に並べた。
8日後、徐々に発芽しはじめた。12粒の内、6粒。大勝利である。
うれしくて、愛おしくて。
私は、スマートフォンのカメラでズームして、何度もその姿を収めた。穴が開くほど、その勇姿を見守った。
さすがの私も、一つ一つに名前をつけなかった。モニ、と、彼らのことをそう呼んだ。
だが、幸せな時は長くは続かなかった。
地球温暖化なんて嘘のよう。大きな寒波が2回襲った。油断していた。室内、といっても、我が家は山岳地帯にある。家族の所有する、玄関に避難していた植物たちは、無残にも凍死してしまった。
部屋で大事に匿っていたモニたち。生まれたばかりの彼らはか弱い。彼らは一つ残らず、土に還ってしまった。
人間、悲しすぎると涙も出ないこともある。
ただ、呆然と、空になった鉢を見つめた。
もしかしたら、発芽していなかった種が。
そう、期待して、日課の水あげをやめなかった。きっと、信じたくなかったのだと思う。
たかが、草が枯れたくらいで。
そう思う人が大多数だろう。
でも、私にとって、モニたちは、大切な存在だった。過ごした時間の長さも、珍奇植物だからとか、関係ないのだ。
確かに彼らは生きていた。
無事に育ったら、かわいい姿を見せてくれていた。
その姿を想像しただけで、いや、小さな芽を見るだけで、それだけで幸せだった。
大切な、私の子どもだった。
なのに、私は、ひよこが生まれるはずの、卵を叩き割るような、そんな酷い仕打ちをした。
好奇心に負けて、種を植えて、そして殺してしまった。
時期をずらしていれば。
留守の間も、もっと部屋の温度を上げておけば。
購入しなければ。
小さな後悔が、大きな渦になって、私の心をどす黒く染めた。
でも、何もかも遅いのだ。
どんなに後悔しても、モニたちは帰ってこない。
植物で空いてしまった大きな心の穴を、植物で埋めた。無事生き残った盆栽達や「やっちゃん」を懸命にお世話して、心を癒やした。
「え、モニラリアって、種が売ってるの?」
時が過ぎ、WEBの海を漂っていた時のこと。モニラリアを栽培している方のブログを見つけた。その方の情報によると、数年経過したモニラリアの大きな株は入手困難だが、種ならば国内外の愛好家や珍奇植物専門店から購入ができるという。調べて見ると複数の販売者を見つけることができた。
一人の販売者の方のページに目が留まる。
ドイツの業者から、正規の検疫を通して、種を通信販売で譲ってくれるという。
大好きなドイツから、海を渡ってモニがやって来る。
そう、想像しただけで、胸がいっぱいになった。
だが、あの時の悲しみを忘れたわけではない。
また、失ってしまう可能性だって、十分にある。
でも、これは、運命なのかもしれない。
悩んで悩んで、でも諦めきれなくて。
モニラリアを大切に育てている先輩方のブログや、専門のWEBサイトを何度も読んで勉強して。
「よし!」
私は、購入のボタンを力強く押した。
「……わぁ」
久しぶりに会った命はやはり、吹き飛ぶほどに小さい。でも、確かに生きている。
「はじめまして、よろしくね」
どうか、末永く。私は、モニたちに頭を下げた。
植物をただの物言わぬ草と、侮ってはいけない。
彼らは生きている。
生態に沿ったお世話はもちろん、目に見えない愛情を注げば、ちゃんと還してくれる。
植物にやさしい気持ちで話しかける。それだけでも、生育に差が出るのだという。欧米の研究で、汚い言葉をかけた植物と、愛情を持って話しかけた植物では、細胞レベルで変化があったと、科学的検証結果が報告されている。もちろん前者は、悲しいことに枯れたのだそうだ。
植物にだって、思いは伝わる。
セラピーや環境学の観点でも、部屋に植物がいる、それだけで、ストレスなどが軽減される。
人間は、自然、植物がいないと生きていけない。
生態的にも植物との共存は目をそらせないのだ。
心身が疲れている時、自然や、植物園、手軽に花屋をのぞいて欲しい。
色とりどりの花や、生き生きとした緑を見るとホッと、しないだろうか?
そして、そこで目を離せない子に出会うかもしれない。
もし、生活条件などが揃うなら、お迎えするのをおすすめする。
水をあげたり、時折、話しかけてみるといい。
それだけで、驚くほど心が軽くなり、なんだか元気をもらえるだろう。
あなたのパートナーは小さい。言葉を返してくれることもないかもしれない。
でも、その身体に大きな宇宙を抱いている。
あなたが注いだ愛情の分、彼らはきちんと返してくれる。
その幸せな循環を、多くの方が知ることを願って。
私は、今日も私の宇宙たちと微笑みながら語り合う。
□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県出身。多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。カメラ、ドイツ語、占い、茶道の他、植物愛と興味も止まらない。現在、珍奇植物とモニラリアについて猛勉強中。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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