週刊READING LIFE vol.121

ウサギよ、騒ぐのなら、騒いでみろ《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》


2021/03/29/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「本日は弊社30周年記念パーティーにお越しいただき誠にありがとうございます」
来週は本番だ。
一世一代の晴れ舞台。決して失敗してはならない。万が一失敗したら私の人生はおしまいだ。夜9:00 私は誰もいない職場の会議室で人知れず練習を繰り返した。
その時、私の身体の中のウサギが動き出そうとしているのを感じながら。
 
私は母からいつも「きちんと」していなければならないと言われて続け、育てられた。
あれは小学2年生の音楽の授業中。
私はどうしても小便に行きたくなった。しかし私は先生に「トイレにいきたい」と言い出す事はできない。なぜなら、トイレは授業前に済ませておくべきであり、授業中にトイレに行く事は「きちんと」していないから。私は膀胱が徐々に膨れるのをひたすら我慢した。しかし、とうとう我慢の限界。小便が「ジョー」と勢いよく放出され、生暖かいものがあっという間に股間から尻を伝い、私が座っている床を濡らしたのだった。
 
授業が終わっても一歩も席を立てない私。とにかく全員が音楽室をでてから、自分の小便を掃除しようと思っていた。授業で小便を漏らすなんて全くもって「きちんと」していないじゃないか。せめてクラスの誰にも知られないようにこっそり掃除してしまわなければ。しかし、同じクラスの澤田がめざとく私の周りの床が濡れている事に気づいた。
「あー、こいつ小便もらしてるぜ。せんせーい!!椎名が小便漏らしました!」
その後私はしばらく「小便たれの椎名」と学校中の生徒から呼ばれ、いじめられるようになったのだった。
 
国語の授業中、座った席順で教科書を3段落ずつ、クラス全員で読んでいく。私の順番が近づいてくる。すると私の心臓はウサギのようにピョンピョンと跳びはねた。
とうとう私の番。身体の中のウサギは今にも身体から飛び出そう。
「サア オォヨグゥゾ、ゥゥゥくじらはアッッオィ、そらのナカヲ、元気ぃぃぃぱい、ススンデイキマシタぁぁぁ」
私の声に担任は
「椎名が読むと、元気一杯のくじらも苦しそうだなあ」
と言った。
クラス全員からドっと笑い声が発せられる。私は下を俯きながら、椅子に座った。
 
それからだ。人前で話す時はいつでも心臓が暴走するようになる。あたかも身体の中のウサギが跳びはねているようだ。
ウサギが跳び跳ねると、呼吸が乱れ、手が震える。手の震えを抑えようとすればするほど、手の震えは全身に伝染し、身体全体がウサギに支配された。このままではダメだ。
「私はウサギにどうしても勝たなければならない」
そう思った。
 
ウサギに勝つ事はできないまま、小学5年生をむかえる。
そんなある日。自宅のポストの中に「柔道をやって、強くなろう!」というチラシが入っていた。柔道少年団が発足し、団員募集を始めたのだ。アニメ「いなかっぺ大将」の主人公で柔道家、風大左衛門に密かに憧れていた私はすぐに入団を決意。柔道を始める。
 
柔道の練習は痛い。最初は地味な受け身の練習ばかり。すぐに格好良い投げ技を教えてもらえなかった。ひたすら投げられ、徹底的に受け身の練習をさせられる。畳に上で投げられるとはいえ、かなり痛い。
すぐに辞めたくなった。しかしここで辞めたら、私の中にいるウサギに一生勝てない。柔道に強くなる事で他人への恐怖心に打ち勝てる。私は受け身の痛みに耐え、柔道を続けたのだった。
 
気が付いたら入団してから1年が経過していた。私と一緒に入団した小学生は5人いたが、1年経つ頃には私一人になっていた。その頃には受け身の痛みにも慣れ、待望の投げ技もいくつか教えてもらえた。大外刈り、大内刈り、背負い投げ。相手に投げ技が決まると快感だった。
 
私は柔道を通して自信がつき、人前での緊張もかなり改善された。「小便たれの椎名」とは呼ばれる事も少なくなってきていた。しかし相変わらず、小便の第一発見者の澤田からは「小便たれの椎名」と呼ばれ続けてはいたが。
 
小学6年生になり、とても可愛らしい女の子が転校生として我がクラスに入ってきた。
澤田はその娘に向かって、「あいつ、小2の時、音楽の授業で小便たらしたんだぜ」とわざと私に聞こえるように言い放った。私はカッとなり、澤田の胸倉をつかみ大外刈りで思いっきり倒してやった。澤田は背中を強打し、しばらく立ち上がる事はできなかった。その日を境に澤田も私を「小便たれ」と呼ばなくなった。
 
あれから10年。
私は社会人になった。仕事は営業。小学校時代、人前で話すのがあんなに苦手だった私が嘘のようにスラスラと人と話せるようになった。どんどん営業成績は上がっていく。そして私はついにトップセールスになった。その後も順調に課長、部長と昇進。45歳で営業本部長にまで昇り詰める。
 
私が営業本部長になった次の年。会社は30周年を迎えた。
30周年を迎えるにあたり、当社の最優良顧客の役員クラス300名をホテルに招待して、記念式典を催す計画が持ち上がった。私は営業本部代表として7分間のスピーチを仰せつかる。スピーチの原稿を十分練り、練習を繰り返した。この式典は「きちん」やらなければならないのだ。
 
来週がいよいよ本番。
スピーチ原稿は完璧だ。原稿内容は一字一句完璧に暗記している。今日は誰もいない会議室で1人、最終リハーサルでもしておこう。時計を見ると夜9:00を回っていた。
会議室に入って自分に語り掛ける。
「明日は一世一代の晴れ舞台だ。『きちんと』やって、必ずや成功裏におさめてやる」
そう思った瞬間、忘れかけていたウサギの感覚が戻ってくるのを感じた。
「来週は私の人生がかかったスピーチがあるのだぞ。なんで今更!」
丸暗記したセリフを誰もいない会議室で言おうとすると、それに呼応してウサギが跳びはねる。
「焦るな!」
しかし手と声が震えだす。そして震えは全身に伝染し、もはや制御不能だ。小学校の頃の悪夢がよみがえる。
「どうして、こんなタイミングで?」
 
ついに30周年記念式典の日がやってきた。
ホテルの大広間には続々と招待客がやってくる。まだ身体の中のウサギは大人しくしている。「式典が終わるまでそのまま大人しくしておいてくれ」と私は心の中で祈った。
「椎名本部長、大丈夫ですか? ちょっと緊張されています?」
部下の吉本が私に声をかけてきた。
「何お前いっているのだ? 大丈夫だよ。ハッハッハ」
本心では、「全然大丈夫じゃないのだ、助けてくれ!」と言いたかったが、この期に及んでそのような事は言えるはずもない。
「そうですよね。椎名本部長は何度も営業現場の修羅場を乗り越えていらっしゃる。300名の前でのスピーチなんて楽勝ですよね。さすがです」
「こいつ、余計な事ばかり言いやがって。そんな事言われたら更にプレッシャーになるじゃないか」と思ったが、そんな気持ちとは裏腹に私は笑顔で頷いた。その時私の身体の中でウサギがモゴモゴと動き始めるのを感じた。
 
式典が始まった。
まずは社長からの挨拶。社長の次が私だ。
「大丈夫だ、絶対大丈夫」
私は自分に言い聞かせる。
まだウサギは落ち着いている。頼む! このまま大人しくしておいてくれ!
 
社長の挨拶がとうとう終わってしまった。
司会者が
「それでは、営業本部長 椎名 真嗣から一言ご挨拶申し上げます。椎名さん、よろしくお願いします」
私は司会者に促され、演壇に向かう。演壇に立ってスポットライトに照らされた瞬間、あのウサギが激しく跳びはねた。
「ホンジツッワ おいそがしいナカ、ヘイシャ、サンジュッシュウネン、記念しきてんにオコシイタアダキ、あぁぁぁ ありがとゴザイマッス」
ダメだった。その後の事は記憶にない。失敗だ。私の人生は終わった。
 
式典の翌日。
会社にはいきたくない。しかし、今日もし会社にいかなかったら二度といけなくなるような気がした。意を決して、会社に向かった。会社に着いて、自席に座るが周囲の人間達はなんともそらぞらしい。昨日の式典の話など、私の前では誰も一切しないのだ。
夜、式典お疲れ様の酒宴が企画されている。私はどうにか口実をつけて、その飲み会からも逃げ出したかった。しかし、どんな理由をつけても、周りは私の気持ちを察するだろう。こんな時ほど、変な小細工をせず、いってしまった方がよかろう。私は予定通り酒宴に参加する事にした。
 
酒宴でも、私のスピーチの話は一切触れられず。差しさわりのない話が続く。皆が皆、私に気を遣っているのだ。そう思うと尚更いたたまれない。
そんな私の気持ちを察したか、大ジョッキ酎ハイ5杯目の吉本が口を開いた。
「私は椎名さんのスピーチ失敗だと思っていませんよ!」
「どうした? どうした? 吉本、どうした、いきなり」
社長が吉本をなだめようとする。
「いや、オレが今言いたいのは、確かに椎名さんは緊張して、何をいっているのか、よくわからないところはありました」
酔っぱらった吉本が言うと、嫌みには聞こえず、皆からドッと笑いが漏れた。
「あー、やっぱり私のスピーチは皆に理解不能だったのだ」と私一人落胆し、俯いた。
続けて吉本は
「だけで、あの緊張で、オレは椎名さんの気持ちが十分伝わりました。椎名さんがどんなにこの会社を愛しているのか、会場のお客さんに十分伝わりましたよ! 少なくてもオレには伝わりました!」
 
吉本の言葉で救われた。そして私は気づいたのだ。
自分が設定した「きちんと」の枠組みにとらわれる必要などないという事を。
「きちん」していようが、していまいが、どちらでもよいのだ。スピーチで一番大切な事は伝えようという気持ち。
 
「きちんと」しようと思わない。うさぎが騒ごうが、騒ぐまいが、関係ない。
 
30年以上苦しまされていたウサギから解放された瞬間だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
現在自身のライティングスキルを更に磨くためREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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